後悔していることがある。バスケ部マネージャーに青春を費やして彼氏ができなかったことでも、最後の夏でかの有名な山王に勝ったのに次にボロ負けしてしまったことでも、彼氏ができなかったことでもない。いや本当に。
「あちーな……」
そう呟く彼の顔を見上げると、確かに頬に汗が伝っていた。炎の男などと大層な旗を掲げられているわりに、すぐばてる彼は、自分と同じ3年生だ。
もっと彼にバスケをさせてあげられたら、もっと声をかけてあげられたら、そう後悔している。あの時の私は、自分がどこまでして踏み込んでいいかわからず、いや怖かったのかもしれないが、結果彼に対して何もせずに放っておいた。だからこそ彼が体育館にやって来た時、ああどうして放ってしまったんだと悲しくなったし、戻ってきてくれたときはこっそり泣いた。
「ほんとにもうこねーの?」
「可愛い後輩たちがいるからへーきでしょ」
「んだよ、3年は俺だけか」
「実質1年生だから大丈夫だよ」
なんだと、と言葉だけ怒って、顔は寂しげだった。私だって、もう少しあの熱い試合の余韻に浸っていたいが、もう決めた進路への準備が必要だ。いつまでも熱に浮かされている暇はない。
だから、部活帰りに彼と帰るのはきっとこれが最後だ。じりじりとアスファルトが焼ける道を二人で並んで歩くことはもうないだろう。車が何台か横切るのを鬱陶しく思いながら、私は汗を拭う。セミの鳴き声がやけにうるさく聞こえた。
「あのさ……」
ふと、セミの鳴き声が消えた。シン、と静まり返って、まるで映画のシーンが切り替わったみたいな不思議な感覚がした。
見上げた三井の顔はどこか緊張していて、暑いのか頬が赤くなっている。ああ、熱中症になりそうなのかもしれない、そうしたらまずドリンクを持ってきて、氷で脇とか冷やして……って、もう部活じゃないのに。
「俺……」
何かを言おうと口を開いた時、私は視界の端にこちらに迫ってくる車を捉えた。それは歩道に乗り上げ、まっすぐに私に向かってくる。咄嗟に私は彼を押しのけた。体幹強いくせに、三井は簡単に押された。やっぱり、熱中症だったかもしれない。
けたたましいクラクションが鳴り響いた。スローモーションで、迫ってくる車。私はゆっくりと目を閉じ、身体に走る衝撃に悲鳴になり損ねた息を吐いたのだった。
ていうことがあって気が付いたらまた高校一年生に逆行していた。起きたら入学式の最中で、がたっと音を立てたせいで周囲の人から変な視線をもらった。
ここが現実か、事故で頭を打って見ている夢か何かなのか、私にはわからない。わからなくても日常は続いていくから、流されるまま生活していくしかなかった。
さて、まず最初に迷ったのは部活。バスケ部のマネージャーをやるかどうか。正直言おう、私がバスケ部を選んだのは単純にバスケをやっている男子かっこいー、みたいなミーハーな理由だ。私自身はやったこともルールも知らないみたいな状態だったが、女子マネージャーという存在はバスケ部にとっても憧れだったらしく、すんなり受け入れてくださった。
またバスケ部マネをやるかどうか。ぶっちゃけいい思い出ばかりではない。1,2年のときはものすごく雰囲気がこう……ギスギスしていたし、3年になったらおっそろしい赤頭と不愛想なイケメンの喧嘩の仲裁をしなければならなかったし、精神身体どちらも疲弊していた記憶がある。
どうせ2回目なら、別の部活に行こうかな。野球部とか、格好いいよね。坊主だけど。あ、サッカーもいいかも。爽やかで、もしかしたら彼氏ができたりして。
とか思ったが、結局また私はバスケ部へと入部してしまった。どうしてかなんてこっちが知りたい。もう気が付いたら体育館に足が向かっていたのだ。
そこで新入部員の顔を見て思った。あ、もしかして三井の不良化、止められるんじゃないかって。爽やかに自信に満ち溢れた三井を見ながらそう思った。
で、結果。
「触んなっ!!」
力強く手をはじかれた。ジンジンと指先が痛むので擦っていると、三井は私を睨みつけた。病院の外でのこと。転んでしまった三井に手を差し伸べたところ、この対応。あれ、もしかして私……おせっかいだった?
「何なんだよ!」
「えっ……あ……」
「馬鹿にしてんのか?」
こちらを睨みつける三井は、体育館襲撃に来たあの時と同じ目をしていた。
おかしいな。今回は毎週お見舞いに行ったし、無理やり復帰した時は適宜声をかけて痛そうなときは監督に伝えて、それでも無理してまた倒れたけれど、またお見舞いに行って……で退院にも駆け付けたらこの対応。
「ムカつくんだよ」
「み、三井くん……」
「どうせ俺のことなんて心配してねーくせに……っ!」
「……」
「優しい自分に酔ってるだけだろ、てめーは。もうくんな。気持ちわりい」
そう言って三井は足を引きずりながら、どこかへ行ってしまった。
私はしばらくショックで動けず、10分くらいしてやっと歩き出すことができた。これが理想のマネージャーだと思ったのだ。献身的に支えようと思った。そしたらめちゃめちゃ怒られた。
その後私はベッドの中で一晩涙を流し、目を赤くして学校に行ったら木暮に三井が部活を止めたと報告され更に泣き、多分一週間くらいは枕を濡らした。しばらく木暮が気にかけてくれて、赤木もジュースを奢ってくれるという優しさを見せてくれた。
そんな感じで落ち込んでいたが時間が経つと流石に立ち直った。仕方がない、私ができることなんてないのだ。そんなに仲がいいわけではないし。にしても、三井の罵倒センスは凄まじかった。一周回って尊敬するくらいキレキレだった。
そういうわけで、この夢か現実かわからない日々は前回とおおよそ変わらないまま進んでいった。私の変化したことといえば、テストの点数が少し上がったくらいで。彼氏もできない。この間他校の野球部に告白して振られた。どうせ夢だからと挑戦したら普通に振られた。夢でくらい承諾してくれよと思った。また木暮と赤木に慰められた。
2年になって可愛い後輩彩子ちゃんが入部してきた。そうなったら私は彼氏だ何だと言えなくなった。だって彩子ちゃんは真面目にバスケに取り組んでいるから、先輩の私が浮ついた話題は出せない。出さないだけで思ってはいたが。2年のときは他校のサッカー部の人に告白した。そしたらなんとOKされて、急いで帰って木暮に報告し、紹介しに連れて行ったらそいつは別の女子とハグしていた。どうやら私は2番目だったらしい。また木暮と赤木に慰められた。
「どうして……なぜ……」
「焦らなくても、いつかきっと出来るんじゃないか」
体育館で、虚無顔でボールを拾う私に木暮は苦笑した。赤木はひたすらシュート練習をしている。居残りしているのは3人だけだった。
「そもそも何故男と付き合いたいんだ」
赤木が心底理解できないといった顔でそう聞いてくる。私は疲れた顔で視線を斜め上に漂わせて、あー、とかうー、とか唸った。赤木を納得させる答えをひねり出したかったから。
「……わかんない」
「なんだそれは」
「……女の子でもいいのかも」
「なっ……」
驚いたように赤木と木暮がこちらを見る。そんな視線を流しながら、私はボールを拾う。
「青春がほしいの」
「青春?」
「本当はね、バスケ部が神奈川予選突破してさ、全国で例えば……山王にうっかり勝っちゃったりして、その後あっさり負けちゃうみたいな儚い青春を味わってさ……」
「……」
「で、十分ではあるんだけれど」
そう、それで十分だ。むしろ恵まれた青春時代じゃないか。これ以上美しい青春はあるのか?
「それはそれとして誰かと手繋いで下校したい! もう誰でもいいから! 一回でいい! 甘酸っぱい青春!」
うわああ、と崩れ落ちた私に、2人は顔を見合わせ首を傾げている。頭のおかしい女だとでも思っているのだろう。実際そうだ。だって未来の記憶があります、みたいなことをマジで思っているのだから。
「彩子に頼めばいいだろ」
「彩子ちゃんは美人だから……私が本気にして振られるんだ……もう振られたくない……」
うう、ぐす、と泣く私に木暮が背中を擦ってくれる。赤木はもう面倒だというようにため息をついて練習を続ける。
「本当にダメだったら、バスケ部引退の日に木暮と赤木と三人で手を繋いで帰るんだ……」
「はは、いいなそれ」
「俺はいやだぞ」
こんな会話は前回していない。そもそも前回は2人に付き合って残るような真似はしなかった。どうしてか、前回よりも全力でバスケ部マネージャーを遂行している。夢だからと、そう思っているからかもしれない。
「あ、三井を忘れてた」
「えっ?」
「……」
思い出したようにそう言えば、2人は目を見開いた。そこであっ、と私は口を閉じる。戻ってくる前提で話してしまった。
「あーいや、多分3年になったら、戻ってくるかなーって」
「……」
「……」
どこかしんみりとした空気が流れる。2人の私に向ける目は生温かい。どういう意味が込められているのか、わかるけれど知らないふりをした。
「……そうだな。もしかしたら、戻ってくるかもしれない」
「戻ってきたところで、使えるかはわからんがな」
「はは……でも、きっと心強い味方になるさ」
そう会話する2人に、私はぎゅっと顔に力を入れる。言いたい、戻ってきますよと言いたい。ネタバレしたい。でも我慢して、私は拾ったボールをもって3pラインまで歩いた。
「シュート!」
放ったボールはリングにも掠らずに床に落ちた。何をしているんだと赤木が顔をしかめ、木暮が笑った。そんな2人に、私はドヤ顔を披露する。
「”俺の名前を言ってみろ”」
「何か始まったぞ木暮」
「どうしたんだ?」
「”おう、俺は三井寿。諦めの悪い男”」
2人は意味が分からないといった風に首を傾げたが、私は気にせずボールを拾った。渾身の物真似が理解されるのは1年後だ。いや、理解されないままかもしれないが。
「なんなんだあいつは。三井の物真似か? あんなこと言わないだろ」
「はは、面白いな」
そんな青春のやり直し。やり直しというほど何かが変わっているわけではない。でもまるで人生のボーナスタイムのように、私は今のこの時間で満たされていく感覚がした。
「うぎゃー!」
「あっ」
「む……」
ドサッと誰かが倒れる音。倒れたのは私だ。一年コンビの喧嘩に巻き込まれて吹っ飛ばされて転がった。間抜けな声を上げて。確かこれ前回も同じことがあった。
「す、すんません……いやこのキツネが」
「どあほうが……」
「んだと?」
「てめーが悪い」
もはや私のことを放って喧嘩を始めた2人は、赤木に拳骨をくらっている。たんこぶを作った2人に私は打ち付けた腰を擦りながら、目尻に涙をためて睨む。
「どうして毎度私を巻き込むの……」
「いや、そんなつもりは……」
「先輩が巻き込まれに来てる」
「やめろキツネ! 思っても言うな! あっ、いや」
平然と言ってのけた流川に、桜木のフォローになっていない何か。巻き込まれに来てると言うが、君たちのボールが私の顔面に飛んできたり、吹っ飛ばしたボール入れのかごが降ってきたり、投げ飛ばされた桜木の下敷きになる私を、好きでそうなっていると思っていたのか。
「このっ……君たちが赤点とりすぎて”全国行けない”ってなっても、私、絶対頭下げないからね」
「はっはっは、この天才桜木、そんな間抜けなことにはなりませんよ! ……ルカワとちがって」
「んなことにはなんねー……っす」
なるんだよこの赤点組め。と内心毒付き、私は自分の仕事に戻る。そんな私のことを赤木と木暮が微笑んでみていた。
「あいつ、全国行くことを信じてくれてるな」
「ふっ、1年の頃はすぐ泣く腑抜けだったがな」
「今だってすぐ泣くじゃないか」
そんなこんなで、やっとこの日がやって来た。体育館襲撃事件である。
宮城リョータが殴られて痛い目にあっていたのを思い出す。あれは可哀想だった。今回は私がしっかりしないと。
「あっ!」
不良が体育館に来たのを見て、私は入り口に駆け寄って扉を閉めた。入ってくる前に勢いよく。なんだなんだと後輩たちが私を見ている。
体育館の扉がドンドン叩かれて、開けろと叫ばれる。私は完全にビビって木暮の元まで走って逃げた。そしたら古い体育館のせいで、かけたはずの鍵が外れた。
入ってくる不良たち。宮城がハッとした顔をした。
三井がいる。私は一瞬三井と目が合ったような気がする。でもすぐに逸らされた。
ああ、前と一緒だ。このままだと、また宮城君が殴られてしまう。あと他のみんなも、確か彩子ちゃんも叩かれた。止めないと。私は3年生、後輩を守らないと。
「あ、あの!」
おっ始まる前に私は宮城君の隣に並んだ。宮城君が驚いたような顔をしている。先輩、いいっすよ、下がってて、となぜか優しく言われた。絶対頼りないと思われてる。いや実際彩子ちゃんのが強いんだけれど。
「け、け、喧嘩は良くない……」
「あ? 誰だこいつ」
「さっき扉閉めた奴じゃねえか」
「おうおう、膝震えてんぞ」
あー駄目だ、怖い。プルプル震える私を見かねてか、宮城が一歩前に出ようとしたが、私は咄嗟に止めて自分の後ろに下げた。驚いたように宮城がこちらを見る。
「み、三井君……」
「……」
「バスケ、しに来たんだよね……?」
恐る恐るそう聞けば、三井の目つきはいっそう鋭くなった。うわあ怒ってる、そう思った。宮城がえ? 知り合い? という顔をしていたが、正直説明する余裕はない。あとで木暮が公開処刑みたいに暴露するから、そちらをきいてくれ。
「てめーは変わらねえな」
「えっ……」
「馬鹿でめんどくせえ」
グサッと、ナイフみたいにその言葉が胸に刺さる。馬鹿って……赤点取るくせに……そう思いつつ、ふらつきそうな足に力を入れて、私は怒った。
「う、うるさい!」
「うわ、ヒステリックだ。こえー」
不良の誰かがそう言うと、不良たちがげらげら笑い始める。馬鹿にされたせいか顔が真っ赤になって、泣きそうになりながらも私は三井を見た。
「うう……ぐす……帰ってください……もう練習するんです……時間が……」
「おいおい、泣いちゃったよ」
「せ、先輩、俺が話すんで……」
宮城が再び前に出そうになるので、私はまた宮城を後ろに隠した。明らかに宮城が話すべきだというのに、私は譲らない。ここで譲れば、宮城は必ず殴られる。
そこでハッと思い出して、私は後ろを向いた。咄嗟に手を伸ばし、飛んでくるバスケットボールを弾き飛ばす。投げた本人である流川が、む……? と不満げな声を出した。
「そっちはやる気があるみたいだな」
「ないです……ないですから帰って……」
「いい加減うぜえな」
そう三井が呟いてこちらに歩いてくる。私は宮城を庇うようにして後ずさった。身長は三井が圧倒的に高いので、私は見上げる形になる。
「なあ、痛い目みてえのか?」
「……」
私は唇をぎゅっと引き締める。三井の顔は怖かった。前歯が二本なくても怖かった。震える手が、流れる涙が、漏れる嗚咽が、怖いですもうやめてくださいと訴えている。だが引く気はなかった。
「ひぐっ、ぐすっ、宮城君を、殴らないで……」
「どけ」
「やだ……」
三井は静かに私に手を伸ばしてくる。肩を掴まれて、びくっと震えてしまった。それから乱暴に突き飛ばされる。うぎゃ、と相変わらず間抜けな声を出して私は床に転がった。
先輩! と少し焦ったような宮城の声がする。転がった私の元には木暮がやって来て支えてくれた。
「みちゅいこわい……こわい……」
「どうして今日はそんなに果敢なんだ?」
木暮に縋りながらうわごとのように繰り返す。三井怖い。そんな私を不思議そうに見ながら、どうしようと焦った顔をしていた。
私はよろよろ立ち上がって、宮城の前に立った。三井だけじゃない、宮城や不良たちも驚いている。まだ来るのかと。
「殴っていいよ……」
「あ?」
「うう……ぐすっ……だから後輩は殴らないで……」
「そうかよ」
がっと前髪が掴まれて、痛さから呻く。ぐっと上を見上げさせられた。
「痛い……はげる……はげちゃう……」
「てめーからだ」
「おい三井」
なんか一番強そうな男がモップを持ってきた。あれ、なんか見覚えがある。これ、前回宮城を殴ろうとしてた奴……え? 本気ですか? 殴るんですか? ……モップで?
三井がモップを受け取る。私は髪を引っ張られる痛みに顔をしかめながら口を開いた。
「うう…………あれ、三井。逆だよ逆」
「あ?」
「それじゃ掃除だよ。殴るのは……あーそうそう! そっち! その金属の」
「……」
「……」
「……」
「……ひい! やっぱ殴らないで! 木暮! 助けて!」
急に正気に戻って助けを求める。謎の間があった。何で私が三井にモップの持ち方講座をしてるんだ。不良たちポカーンとしてた。宮城も仕込みかこれ? みたいな反応してたし。
おら、と三井がモップを振りかぶる。恐怖に限界がきていた私はそれを見ただけでぷつっと、まるでピンと張った糸が切れたみたいに、気絶してしまった。
「ごめんなさい殴らないで!!」
ばっと目覚めると、私は彩子ちゃんの膝の上だった。大丈夫ですか先輩、と少し呆れたように言ってくる彩子ちゃん。辺りを見回せば、丁度後片付けをしているところだった。
「あれ、喧嘩は……?」
「あー……いろいろあって、何とか……詳しいことは、木暮さんに聞いた方がいいですよ」
彩子ちゃんにそう言われて、私はとりあえず身体を起こした。どこもかしこも痛くないので、多分殴られずに済んだのだろう。そのまま木暮と赤木の元に合流した。
「どうなった? 三井戻ってくるって?」
「わっ、もう起きて大丈夫なのか?」
「お前……宮城から聞いたぞ。少しは宮城の言うことを聞いてやれ」
心配する木暮と、何故か咎める赤木。私の方が宮城より年上なはずなのにな。
「三井はー? どうなった?」
「……わからんが……もしかしたら、戻るかもな」
赤木が少しだけ笑みを浮かべてそう言った。木暮も微笑んだので、多分大丈夫なのだろう。前回と一緒。
「よし、なら三井のロッカープレート付けてくるね」
「え? そんなのどこに」
「作っておいたー」
じゃーん、とポケットから出てくる三井の文字が書かれたプレート。一週間前から制作しておいた。それを見て、2人は顔を見合わせ、顔を引きつらせる。何でそんなに準備がいいんだと思っているのかもしれない。
「あーよかったー。部室に行って付けてくる。ついでに掃除もしてくるー」
ふんふん、と鼻歌交じりに体育館を出ていく私に、後輩たちは気がふれてしまったのかという視線を向けた。さっきまで泣きながら宮城を庇って、挙句気絶したのに何で余裕そうなんだと。でもそんなに気にしなかった。どうせ夢だし。
数日して三井が部活に復帰した。体育館で深く頭を下げる姿を見るのは2回目だ。嬉しくてたまらなくてにやけてしまう。それを隠すように私は彼から背を向けた。
三井に対してぎこちなそうな雰囲気の後輩たちだが、赤木と木暮が普通に接し、桜木が容赦なくみんなの思いを代弁するので、問題はなさそうだ。なにより宮城が寛大な態度なのが大きい。私より大人かもしれない。すごいなー。
ふと気づくと三井が私を見ていた。何か言いたそうな顔をしている。そんなに見つめられると照れるなあ。とりあえずピースしておくか。
満面の笑みでピースサインを向けると、三井は目を見開いて心底意味が分からないという顔をした。いや、いかれてんのか……? ってくらい大げさに引いている。何故だ、すごく友好的な仕草のはずなのに。
そんなことを考えていると、彩子ちゃんが大声で私を呼んだ。
「先輩!」
「あぐっ……」
ボン、と音を立てて私の顔にボールがぶつかる。衝撃のすぐ後に痛みが走った。
「い、痛い……誰……? 桜木……?」
「違いマス! ルカワっす!」
「どあほうが避けた」
ヒリヒリ痛む鼻を擦りながら、1年コンビの顔を睨む。鼻血は出てないようなのでよかった。
「また鼻が低くなったよ……」
「おい謝れルカワ。てめーのせいだろ」
「っす」
「お願いだから私がいないところで暴力振るって……」
そう言えば宮城が、いや喧嘩自体を止めてくださいよと真っ当にツッコんだ。残念だがそれは前回に挑戦した。でも駄目だった。なのでせめて私のいないところで喧嘩してくれ。
そんな私の近くにゆっくり近づく影。三井だ。彼は私を見下ろす。何を考えているかわからない仏頂面で。ガンつけられているのだろうか。
そのまま三井は黙って私を見ているので、私は首を傾げて見つめ返す。やっぱり鼻血が出ているのかと鼻の下を触ってみるが、血はついていない。
ふい、と視線を逸らされて三井はそのままどこかへ行く。何だったんだ、怒ってるのか? なんで? 好感度下がってるのかな前回より。色々考えてもわからなかったので、普通に仕事に戻った。
「なんか私……三井に嫌われてるっぽい……」
そう木暮と赤木にもらすと、2人はえっ、という顔をした。
前回はそこそこ仲良くやれていた。くだらない冗談にぎゃははと笑う仲だったのに。今回は一切話しかけられない。だって私が近づくとすぐにしかめっ面になるし。
「そんなことないさ。三井の奴……多分緊張しているんだよ」
「やっぱりあれが悪かったのかなあ……三井のシャツにカマキリくっつけたの」
「何をしとるんだお前は……」
数日前の休憩中、復帰祝いと称してカマキリをくっつけたが、三井は冷静にカマキリを外に逃がして私には何も言わなかった。生き物をいたずらに利用したことに怒っているのかもしれない。動物愛護主義者だったのか三井は。
「ねーメガネ君、謝った方がいいと思う?」
「いや……カマキリのことは別にいいんじゃないか」
「ゴリもそう思う?」
「ああ……ゴリと呼ぶな!」
「痛い」
女子用の威力半減拳骨が落とされた。優しいから痛くない。パフォーマンスなので。
「あーかなしーな。私もミッチーと仲良ししたいなー」
「はは、じゃあお前が話しかけてやるんだ。そうすれば三井も少しは」
「えーんえーん」
「……聞いとらんぞこいつ」
「はは……」
そんなこんなで、三井との仲が悪いまま予選に入った。正直私は不安だった。前回の試合があまりにもギリギリだったので、今回本当に勝てるのか? 下手したら翔陽に負けて終わるのでは? と思ったから。流石に各試合内容やスコアまで事細かくは覚えられてない。だから私は予選前、予選中はおとなしくしていることにした。