急な話だが、私には前世の記憶とやらがある。
1年前の話だ。
父の書斎に入り、昆虫図鑑を眺めていた時に、急な頭痛がしたと思ったら、初めて読むはずの昆虫図鑑に、妙な既視感を感じるようになったのだ。
それまでか、今まで知らなかった語句がするすると頭から出てくるようになった。さっきまであまり知らない昆虫だったはずなのに、そこには書かれていない生態を思い出せてしまう事に、背筋が凍った。
私は急な脳の変化に戸惑ったが、妙な記憶の数々が次々と解決案を引きずり出してきたおかげで、急速に落ち着きを取り戻した。
寧ろ、今までの自分と比べると落ち着きすぎるくらいに、私は様々な知識を得たのだ。
普段の生活にも役に立つ生活の知恵、四則演算のコツ、そして、完全にこの世界とは異なる未知の嗜好品の数々。
特に最後に関する知識は厄介だった。まるでこの世界を高次元から覗いているような専門用語の数々に、私は子供を辞めざるを得なかった。
家族や使用人からも異様に心配されたものだ。
どうやらこの世界は、「ホビーアニメ」と称される空想の中の世界ととても良く似ている。安直な名前、勝負事に使われる子供向けのゲーム、やけに尖った髪型……どれも思い当たる節がある。
知識は私を「ライバルキャラ」だと言っている。脳から出てくるものを全部信じる訳ではないが、「ライバルキャラは闇落ちする」だとか「前世の記憶のせいでラスボスになる」と脅されてしまえばやんちゃ坊主が大人しくなるのも不思議ではないだろう。
なぜ今そんな話を思い返したのか。それは今日の入学式、いや性格には入学式を終えた後の教室で、「メインキャラ」と呼ばれるであろう2名と遭遇したからだ。
赤い髪の「主人公」カイエン・ペッパー、桃色の髪の「ヒロイン」フロスト・シュガー。ここに黄色い髪の「ライバル」……つまり私、グレイ・マスタードを加えれば、最低限物語を回す「メインキャラ」三人衆の完成だ。
知識の通りなら、これから私達は「ユニバース・ノート」を中心にした騒動に巻き込まれていくのだろう。私は知識の中の「ホビアニ」の騒動をいくつも引っ張り出して並べた後、大きなため息をついた。
◆◆◆
「グレイ!ユニノやろうぜ!昨日デッキ調整したから今度はお前に勝つ!」
今度は勝つって、勝率が低いだけで何度も私に勝っているだろうに。
私の机のそばでわいわいと騒ぎ立てるカイエンをちらりと見て、私は「放課後な」とだけ返事をした。
カイエンは何かと勝負を仕掛けてくることが多い。ここ一ヶ月で分かった事は、異様な距離の詰め方と、人を巻き込む才能の持ち主だということ。
知識が、私の知らない傾向を引っ張り出して、カイエンを「典型的な熱血主人公」だと言う。そしてそれは、「世界を巻き込む騒動」を引き起こすキーパーソンであるとも。
正直私は、そういう騒動に巻き込まれたくない。できることなら事が大きくならないうちに新しいライバルが出てきてくれないだろうか。私は喜んでライバルの座を譲ろう。
「……はぁ……」
ついため息が漏れた。カイエンは何やら騒いでいるが、もうそれに構う気力もなかった。
「召喚![レッドチリ・ドラゴン]!」
放課後、人がまばらになった教室で私達はカードを広げてユニバース・ノートを遊ぶ。
カイエンのデッキは[#レッド]を主体をしたビートダウンデッキだ。モンスターを大量召喚し、相手を殴り倒すのが特徴だ。生半可な防御ではあっという間に倒されてしまう。
その代わり、防御が高いモンスター相手には動きづらいため、カイエン相手にそれ用の対策カードを何枚か入れている。
「[レーグスのたいまつ]を使用して場の[レッドチリ・ドラゴン]の攻撃力を上げる!それからこいつで[レミニセンス・リング]に攻撃!」
「破壊される。」
「続けて[ピリカラドラコ]でお前に攻撃だ!」
宙に表示された体力の数字が減っていく。しかしまあ慌てるような数字でもない。
私はカイエンの攻撃を淡々と処理していく。この程度のダメージ、痛くも痒くもない。
「私のターン、ドロー。」
◆◆◆
「なーんで勝てないんだ!」
カイエンは頭を抱えて叫ぶ。以前の私なら「弱いから」と言っていただろう。しかし知識を詰め込まれた今、カイエンが私に勝てない理由を「タイミング」だと判断する。
本当にこの世界が「ホビアニ」なら、ここぞというターニングポイントに、カイエンは見事な逆転劇を披露するだろう。ただ今日がその日じゃなかっただけだ。
「なあグレイ、どーやったら勝てると思う?」
「それ、対戦相手に聞くのか。」
「本当に勝ちたいんだって!グレイは頭良いから何かいい方法知ってるだろ?」
「……負ける相手のデッキについて調べたらどうだ?何も負ける相手は私だけではないだろう。調べていけば、今のデッキが何に対して弱いのかがわかるはずだ。その穴を埋めるか、それとも今の強みを更に尖らせていくかは……お前の選択だ」
「お、おお!?おおお!!すごいな!なんか、頭良くなった気がする!」
カイエンは目を輝かせながら、「グレイ先生だ!」と私の事を褒め称えた。私は知識の引き出しをひっくり返しながらそれらしい言葉を並べているだけだが。
しかし、この程度でカイエンが強くなって今後の「ストーリー」とやらが簡単に進むのなら安いものだ。
私は場を片付けた後、デッキケースを彼の前に置いた。
「私のデッキを貸してやる。」
「え!?いいのか!?」
「ああ。デッキの事を知るには実践が一番手っ取り早いからな。何度も一人回ししてみろ。」
「おう!サンキュー!」
カイエンは嬉しそうにカードを受け取るとケースを鞄にしまった。
私はそんな様子を横目に見ながら席を立ち教室を出る。
「もう帰るのか?」
「ああ。」
「おっけ!気をつけて帰れよ~」
手をぶんぶんと振って私を送り出したカイエンは、「さて」と言ってデッキを机に広げる。
私はその背中を少しだけ見守った後、教室を後にした。
◆◆◆
屋敷に帰った私は、軽く今日の復習をした後、あるノートを取り出した。
これは私の趣味のノート。それも、小説を書くという趣味のノートだ。
知識は「アカシックレコード」ではない。途切れた小説、登場人物しか知らないアニメ、1巻しか覚えていない漫画……数々の物語を引き出していると、そういった未完の物語があることを私は知った。
私はいつしか、その未完の物語の続きを書いて一区切り付ける事を趣味としていた。何なら今はユニバース・ノートを遊ぶ事より、物語の続きを考える方が楽しい。「ホビアニ」の「ライバル」としては、失格だろう。
私は昨日の続きのページを開いてペンを走らせた。
「異世界」の学園で巻き起こる、「ゾンビ」の抗争の物語。
追い詰められていく登場人物に、行く手を阻む問題の数々。それを乗り越えて成長するキャラクター達の話を書き進める。
私は特に、ヒロインの兄がお気に入りだった。妹を思うあまり、ヒーローとぶつかる事も多々あるが、妹の為にゾンビに知恵を持って立ち向かう勇敢な青年。
私も妹がいるから、家族思いの彼に共感した。彼は本当にいいキャラクターだと思うのだ。
だからこそ途切れた物語の先から、ヒロインの兄を主体とした話を妄想する。
兄の視点で物語を綴ると、また別の一面が見えたりするのではと考えると止まらないのだ。
思い返すと、いままで紡いできた物語の続きも、冷静沈着で現実的な考えを持ちながらも、ずっと家族を思っていたり、一途だったりするキャラクターばかりだ。もしかして私は、そういうキャラクターに惹かれることが多いのかもしれない。見た目だって、クールでかっこいいキャラクターばかりを好きになってしまう。
ノートの空きに、ヒロインの兄の顔を落書きする。うん、かっこいい。
さてこの続きは、どうしようか? 途切れる前の思い出しながら、物語の根幹を練っていく。妄想が止まらないままノートのページを埋めていくと、部屋の扉からノックの音がした。
「なんだ?」
「グレイ様、夕食のお時間です。」
「ああ、今行く。」
メイドの声に私はペンを置いた。だいぶ筆が進んだ。この調子なら数日中には一区切りつけてやれるだろう。
続きを夕食後に書くことにして、私はノートを片付け、部屋を後にするのだった。
◆◆◆
「ここで召喚して……じゃあ次はこれだね、あ、そうするとこれが足りない……もしかしてこっちを先に使うの?」
「そうだ、コストの関係上、後に召喚したほうが得だな。」
今は2週間後に迫った交流大会に向けて、フロストにルールを教えている。初めはカイエンがやればいいだろう、と言ったものの、「教えるのは得意でしょ、グレイ先生!」と押し切られたのだ。こんな事ならアドバイスなんかしなければよかった。
フロストは理解する力が高い。質問も的確で、教える分には楽な生徒だと言えるだろう。
「覚えが良いな。この調子ならすぐにカイエンにも勝てるだろう。」
「本当?交流大会でもバカにされないかな?」
「ああ、勿論。」
ユニバース・ノートで勝つためには、デッキ構成、運、プレイングの3つが必要だ。デッキは私のものを貸すから一定の水準は超えている。
運はわからないが、プレイングは教えていけばそれなりになっていくだろうという予感がしている。
「ふふ、よかった。2人が戦ってるのを見て……自分も2人と遊んでみたいって思ったから。」
「そうか……」
「うん。」
フロストは手元のカードを纏めて、デッキに戻す。
なんだかこの落ち着いた空気が新鮮だ。カイエンといるときは、あいつの声が騒がしいから。
知識を得る前……幼年学校にいた頃の俺は手を付けられないほどの問題児で、友人なんていなかったから、こうしてゆっくりフロストと2人で話すのはなんだか、ゆっくりと満たされていくようだ。
「ねえ、グレイはどうしてカイエンと仲良くなったの?」
「……私からあいつに話しかけるように見えるか?カイエンが勝手に話しかけてきて、私はそれに答えているだけだ。」
「それもそうかも!カイエン、すぐ人と仲良くなっちゃうもんね。」
それから私達はしばらく、他愛もない話をした。
途中で、別の教室でユニバース・ノートをやっていたはずのカイエンが飛び込んできて、急にフロストの実践練習が始まったのはまた別の話だ。
◆◆◆
ユニバース・ノート勉強会にはいつの間にかカイエンも参加して、わいわいと騒ぎながら2人に考え方やデッキの調整の仕方を教えていれば、交流大会の日はあっという間にやってきた。
交流大会は、名簿の中からランダムに選ばれた相手と1本先取で勝負する。これを3回繰り返したら終了だ。ランダムなマッチングでは実力差のある相手が出ることもあるが、そこは運なので仕方がない。
勝ち負けで何か参加賞が変わる訳では無い。ただ、3戦とも勝利すれば、夏大会の参加に有利だという噂がそこかしこでされている。
別に夏大会に出場したいというわけではないが、手を抜くつもりもない。
私は受付が終わった後、相手が決まるのを2人と共に待っていた。
「うう……緊張してきた……」
「大丈夫だ。この私が教えてやったんだ、何も心配することはない。」
「そうだぜ!フロストは強いんだから!」
私がフロストに貸したデッキは、[#キングダム]を中心としてコストを大量に生成するデッキだ。相手のデッキタイプによって、モンスターで攻めるか、呪文で攻めるかを選択できる、少々戦術が必要なデッキだ。
フロストの飲み込みの速さを考えた上で、このデッキが最適解だと判断したのだ。相手にもよるが、3戦ともフロストが負ける、という可能性は薄いだろう。
しばらく話していると、会場全体でアナウンスが告げられる。これから順番に対戦する席に案内されるようだ。番号を先に呼ばれた2人を見送って、私の番号が呼ばれるのを待った。
◆
「よろしくお願いしますね。」
「ああ、よろしく。」
第3戦。3連勝が掛かっているが……気負わずに行こう、そう考えて相手を見た所で、私はぴしり、と固まってしまった。
なんせ相手の容姿が、趣味で書いた物語の、題材としたキャラクターに良く似ていたからだ。どれに似ているかと問われても、答えるのは難しい。髪色はあの作品の生徒会長に、目つきはあの作品の兄に良く似ていた。
年こそ若いが、大人になればきっと俺が見惚れてしまうような容姿になるだろうと、予想ができた。
自分でも自分らしくなくなっていることが理解できた。かけらに残った正気でなんとか咳払いをして、一度深呼吸をする。
「どうしました?もしかして緊張しているとか?」
「いいや、なんでもない。始めようか。」
◆
「[タイダルウェイブ]の効果で[ラスタ・ライブラリ]とランダムな手札を除去します。」
「くっ……」
「続けて[ソルト・モニュメント]を発動します。このカードが場に存在する限り5コスト以下の魔法の使用は禁じられます。」
どうやら彼の使用するデッキはロックタイプのようだ。徐々にリソースを削られ、動きが制限されていく。私のデッキに[ソルト・モニュメント]を破壊できるカードは8枚ある。しかし、その中から5コスト以下の魔法を抜くとその数は大きく減る。
残る手札と次のドローで巻き返せるだろうか?針の穴を通すような細い勝利への道。彼の顔に見とれていた時の顔の熱さが嘘のように冷えていく。
一目惚れなんかしている場合ではない。
「……僕はこれでターンエンドです。」
「私のターン。……ドロー。」
引いたカードは……打開につながるカードではない。しかし、うまく使えばターンを引き伸ばせるはずだ。できることは全てやろう。久しぶりに私を此処まで追いつめた彼に敬意を評して。
◆
「[ブランク・グレア]の効果。捨て場の魔法の効果をコピーして使用する。コピーするのは[レイ・ローヴ]だ。」
「[レイ・ローヴ]はコスト4の魔法……まさか」
「そう。[ソルト・モニュメント]が場にある今、[レイ・ローヴ]は発動できない。だから前のターンで捨て場に送っておいた上で、今効果をコピーする。少し回りくどいが、こうするのが1番妨害を受けづらい。」
[ブランク・グレア]のコストを考えると少々勿体ないが、このターンに決着をつけるには仕方がない。
「では、[レイ・ローヴ]をコピーした[ブランク・グレア]の効果。自分の場のモンスターを1枚除去し、[#ウィズダム]を持つカードに[◎直接攻撃]を付与する。」
「あ……」
「[◎直接攻撃]を付与された[輝鏡のマリア]で直接攻撃!さらに、相手の場より自分の場のモンスターの数が少ないため、[輝鏡のマリア]の攻撃力は2000アップする!」
「くっ……」
彼の体力が0まで削られる。ゲーム終了のベルが鳴る。他の席でもちらほらと決着がついていた。
「やっぱり貴方は強いですね。」
「君も強かった。最後のターンに[ブランク・グレア]を引けてなければ、負けていた。」
やっぱり、という言葉にひっかかりを覚えたが、ゲームが終わって昂っていた心が落ち着くと、彼の顔がやけに綺麗に見えた。
私は慌てて顔を背けて、自分のデッキを片付けた。心臓がおかしい……それに顔が熱い。きっと変な顔をしていただろう。
「貴方にそう言ってもらえるなんて光栄です。また戦いましょう。」
「ああ……」
彼が立ち去ると、どっと疲れが押し寄せてきて、思わず近くの椅子に座る。
今ので大会の全3戦は終了した。後は受付に行って参加賞をもらうだけなのだが……
彼と別れる前に見たあの笑顔が、何故だか私の胸をうるさく叩いていた。
◆◆◆
「グレイくん、お疲れ様!」
「ああ。」
フロストが駆け寄ってくるのに、私は手を上げて応える。
「ね、聞いて!わたしね、2回も勝ったんだよ!」
「凄いじゃないか。よくやったな。」
フロストはきらきらと目を輝かせて私に大会の結果を報告してくる。丁寧に教えた甲斐があったものだ。
「もう参加賞は受け取ったのか?」
「まだだよ。グレイくんは?」
「私はもう受け取ったが、せっかくだ、一緒に行くか。」
参加賞は[プレーン・ライン]。安価なカードではあるが、大会限定のイラストが描かれているため、それなりの価値はあるだろう。デッキと相性がよければプレイ用として使用しても問題ない。
フロストは受付の女生徒から参加賞を受け取ると、きらきらとした目でそれを見つめて、大事そうにバッグの中にしまい込んだ。
受付から少し離れた場所でフロストから今日の勝負について聞いていると、カイエンが駆けつけてくる。
「おーい!お前らも終わったんだな!」
「カイエンくん、お疲れ様!」
「……後ろにいるのは新しいトモダチとやらか?」
カイエンの後ろに、背の高い快活そうな男子生徒が1人。おそらくは先輩だろう。
「ああ!こいつはバルだ!2回戦で負けたんだけど、すげー面白い奴でさ!」
「バル・ビネガーだ。よろしくな。」
バル・ビネガー、名前に聞き覚えがある。たしか、去年の学園大会の準優勝者のはずだ。それに、よく考えてみれば彼の名前も安直な、調味料を元にしたネーミングだ。つまり、彼も「メインキャラ」だと推測ができる。
「えっと……わたしはフロスト。こっちはグレイだよ!よろしくね!」
「……よろしく。」