もしも記憶が消せたならゴールデンウィークも間近に迫ったある日のこと。完二から電話がかかってきた。
「元気そうでなによりッスよ」
「俺は大丈夫。変わりはないよ。ゴールデンウィークには予定通りそっちに帰れそうだ。それよりも……」
「花村先輩、ッスよね」
完二の困った声から察するに、事態は一向に良くはなっていないのだろう。
「まぁ流石に事故なんで花村先輩の親と警察で捜査はしてっかもしんねーんスけど、花村先輩の親には面識ねぇんでそっちはどうなってっかはサッパリ。で、里中先輩も天城先輩もなーんか変なんスよね。まるで先輩らもおかしくなっちまったみてーで」
「里中達が?」
「はい。あ、別に里中先輩達まで何か事故ったワケじゃね-ッスよ? でもなんかよそよそしいっつーか。こないだなんか「捜査をやめようか」とか言い出して」
記憶喪失とは言え、別に永遠に記憶が戻らないわけではない。事故だって警察に任せておけばいい部分もあるだろう。
記憶を戻すことに執着する必要はないのだ。ないのだが。
「花村先輩、学校で会ってもアレしてんスよ」
「アレ?」
「ヘッドホン」
いつも肩に掛けていたオレンジ色の、レトロなデザインのヘッドホン。
「アレを掛けてるせいでちょっとなんか、話しかけにくいっつーか」
まだコミュを深める前、たまに陽介がヘッドホンを耳にしているのを見かけたことがあった。まるで話しかけないでほしいようなそのスタイルに、思わずそっとしてしまったことがある。
「オレらはまあ、事故のこと知ってっし、バステとかで慣れてるからいいんスけど、……尚紀が」
「尚紀がどうした?」
尚紀の名で心がざわめいた。これまで考えないようにしていたこと。開けないでいようとしていた扉がそこにある。
「花村先輩に話しかけたら変な対応されたって言うんで、事故のこと一応言っといたんスよ。そしたらあいつ黙っちまって」
それはとても重い扉だった。俺達でも開けられない開かずの扉。
「じゃあ、思い出さないほうがいいかもな、とか言うんスよ」
「…………」
何も言葉が思い浮かばなかった。何を言って良いのか分からなかった。
思わず俺までそう思ってしまったなんてことは口が避けても言えなかった。
だってそうじゃないか。そうしたら陽介は俺達との記憶を忘れたままだ。それで良いのか。しかし。陽介にとっては辛い記憶も含まれている。楽しかった思い出ばかりではない。
陽介にとって最も辛いことを思い出させてしまうことは果たして正しいのか。ならば忘れたままでも良いのではないか。
小西先輩を好きになったこと。小西先輩が死んでしまったこと。小西先輩に嫌われていたこと。小西先輩に置いていかれてしまったこと。小西先輩が殺されてしまった経緯。それが全てが。
頭の中で逡巡していると、完二に会話を促される。
「先輩も、そう思ってんスか?」
しばらく考え込んだあと、「ごめん、何も言えない」と返した。
一年かけても陽介自身が飲み込みきれなかったであろう苦々しい思いを、そう簡単に外野の俺がどうこうは言えない。
「まぁ、花村先輩が決めれば良いんスよ、そんなことは。思い出したけりゃオレらが背中押すし、思い出したくなけりゃそっとしておけば良いんス。だってオレら、ダチじゃねえか。信じてどっしり構えてりゃ良いんスよ」
あっさり完二に結論づけられてしまい、拍子抜けしてしまう。確かにそれはそうだ。
「完二、お前時々頭が冴えてるな」
心の底から尊敬をしてしまったので率直に完二を褒めた。
「ヘヘッ。先輩らに色々教わったおかげッスよ。てめーが考えてもわかんねぇことは考えなくても良いってな。特にオレみてぇなのは考えても無駄ってもんだし」
もしかしたらゴールデンウィークには記憶が戻っているかもしれないし。そう、陽介を信じて待っていればいい。
少しだけ心のどこかに不安を纏いながら、俺は完二との電話を切る。
窓を見ると月明りを完全に遮った暗い夜空であった。どこに月を隠してしまったのか、検討がつかない。
それでもいつか雲間から月が顔を出すことを祈る。祈ることしか俺には出来ないから。