もしも記憶が消せたなら その日は尚紀と花村先輩、三人で出掛けるはずだった。
だがその日の朝、母親が咳をしていたので熱を測ったところ、微熱であったことから、自分が店番を申し出たので約束は破棄することとなった。
おかげで母親は体調を取り戻したものの、まさか自分のいない間にそんな事故が起きていたとは思いもせず、テメー自身を責めてしまいそうになったが、そんなことは無駄なことだと自分の頬を叩いた。
目の前のスサノオに意識を集中させる。アタマを使うのは不得意だが、喧嘩なら任せてほしい。
戦闘で経験を積んでいるとはいえ、花村先輩より自分が秀でているものといえば腕っぷしの強さなのだから。
「全力で来いスサノオ! オレぁ逃げも隠れもしねーからよぉ!」
どっしりと構えたロクテンマオウを侍らせ、スサノオに喧嘩を売る。体現したスサノオは今までのスサノオと違い、全身が黒に包まれていたが、そんなことは知ったこっちゃねー。
何色でもスサノオはスサノオだ。花村先輩であることに変わりはない。
最初はお互いがお互いの弱点属性であったが、今はお互いに克服している。思う存分殴れる良い機会だ。
スピードでは流石に負けてしまうが、それは仕方がない。素早い相手と闘う喧嘩を、素振りしながら模索する。
スサノオが糸を繰り出し、ロクテンマオウを縛り上げ、拘束を振りほどき、拳を振り上げる。その繰り返しであった。
「これじゃ拉致があかねぇぜ……。姑息な小細工してねーで、直接拳でかかってこい! スサノオ!」
完二とロクテンマオウを見下ろし、スサノオは呟いた。
「お前に俺は殺せない」
そしてりせ達のいる方向を見やる。自分では相手にならない、ということか。苛立ちのあまり舌打ちをしてしまう。時間稼ぎにもならねぇとは。
気を引くために一旦ジオダインを放つ。考えるのは得意ではない。闘いの中で見つけ出せ。スサノオと対等になれる道筋を。
◆
「スサノオが見ているのは月森先輩でしょうか」
「どうしてそう思う」
完二とスサノオの応酬を見つつ、スサノオの挙動について直斗と推察をする。
「この中で一番戦力が高いのは月森先輩ですし、何より先程からスサノオは月森先輩以外には拘束攻撃しかしていません」
スサノオに括られた首を思わず擦る。気を抜いていたら首を締められていた。
「『お前に俺は殺せない』ということは、言い方を変えれば『俺は殺されたい』ということになりえますね」
懐から愛用している拳銃を取り出し、手を添える。その手はわずかに震えていた。
「花村先輩がそう望んでいるのであれば」
「やめておけ」
手を震わせているような相手では、スサノオの望みは果たせないだろう。
「いくら天城やクマが蘇生してくれるとはいえ、仲間を手にかけるなんてそんなことは」
「…………」
かつて河原で殴り合いをした時のことを思い返す。何度殴っても食らいついて立ち上がり、殴り返してくる真っ直ぐで情熱的な強い感情の宿った瞳。
それが『殺されたい』と望んでいるだと?
脳裏に陽介を押し倒し、奴の首に刀の刃をあてがう想像をする。どんな目をして俺を見るのか。
心臓が逸るのを止められない。自らの胸ぐらを掴んで抑制を試みる。舌舐めずりをしてしまいそうだ。
「月森先輩」
そういうご趣味があったのですねと言いたげな呆れた顔をされた。
誤解である。俺にそんな趣味は一切ない。
ただ、陽介から強い感情を引き出すことには少々興奮してしまう節がある。そういう陽介に弱い。抗えない。それだけだ。
「熊が鮭を捕獲して咥えたような顔をしていますよ」
「それは悪い顔ということか」
「まあ、そんなところです」
話を戻しましょう、と直斗は続ける。
「花村先輩の身に何か起きている、と仮説を立てます。そして、『俺は殺されたい』という意識の向き方が内向的であることを考えると、花村先輩はおそらく僕達に対して敵意を向けているわけでない……。そう捉えるのも可能かもしれません」
「俺に対しては敵意があったように思えたが」
「それはそうですが……。逆に言えば月森先輩以外には敵意がないということにもなります。一番戦力のある人物以外には興味がない、そういう印象ですね。現に巽くんに対してもそこまで敵意を向けているようには思えませんし」
「俺以外に興味がない?」
「はい。久慈川さんを拘束したのは囮で、月森先輩の気を引くため。あるいは月森先輩の殺意を引き出すため、と考えると少し納得するような気がします。花村先輩やスサノオの行動速度であれば僕達全員をテンタラフーで混乱させることは容易だと思われますし」
確かに、場を混乱させて荒らすのであれはそれが一番スマートであろう。
「スサノオが【糸】を使って行動しているのも気にかかります。まるで糸操り人形のようだ」
「スサノオが自分の意思で動いているわけではない、ということか?」
俺と直斗の会話を聞いていたりせも首を傾げる。
「それはどうかなぁ……。別の気配があればそうかもしれないけど、花村先輩の気配しかないから、生田目と戦ったときみたいな感じじゃないよ。糸を使ってるのは変な感じだけど、間合いの読み方とかいつものスサノオの動きって感じだし。花村先輩が自分で考えてそうしてるなら話は別だけど」
「……。花村先輩が、自分で……」
りせが拘束された時、油断したと言っていた。つまりそれほどまでにいつもと変わらない気配だということか。
「それ聞いちゃうー? 月森先輩イジワルぅ」
頬を緩やかに赤らめ、りせは頬を膨らませた。
「直斗くんの言う通り、敵意はないってのはホントかもってこと」
ぷいっと顔を背けられてしまった。
「話を整理しましょう。花村先輩、つまりスサノオには敵意はなさそうだということ。そしてスサノオは糸を使って行動している奇妙な点があるということ。更に花村先輩自体に何かが起きていて、何らかの心理、思考を抑制している、あるいはされている可能性があるということ」
指を三本立て、直斗は目を伏せる。
「分かるのはそれくらい、ですが」
「いや、十分だ。仲間同士でやり合うのはあいつも望んでないってことだろうし」
「ですね」
フッと直斗は苦笑して拳銃をポケットに仕舞い込んだ。手はもう震えてはいない。
「陽介が本気でそれを望んだ時に相手を求めるんだとしたら、それは俺だけでいいよ」
「実際求められていたわけですが、それは」
「……自惚れていいのかな」
直斗は両手を上げて苦笑した。犬も食わないってことかもしれない。
◆
「カンジ! ジャブ! ストレート! クロスカウンター決めるクマ!」
「完二くん! 考えるな、感じるんだ!」
「くくくくく……っ」
「外野ウッセーぞ、ゴルァ!!」
クマと里中先輩がセットになって闘魂を燃やしている。隣で天城先輩は爆笑していた。
こういう時は大抵花村先輩がまとめて相手してくれんのにな、と完二はひとりごちる。
このまま行くと生卵を一気飲みさせられそうな空気だ。
擦れた男になるために昔見た映画で、そんなシーンがあった気がする。でもやっぱりフサフサした犬や猫の映画のほうが可愛いし面白くて、結局最後までは見なかった。
スサノオはこっちの攻撃を読んでいるのか、バカみてーに拳を振っても当たりゃしねぇ。
現実世界ならもうとっくに決着が着いている自信があるが、やはりテレビの中ではそうもいかない。
拳を当てるにはもっとしぶとく食らいつかなければ。例えスサノオが離れようがなんだろうが絶対に逃さねえ、そういうしぶとい意思が。
深呼吸をして拳を鳴らす。
面倒なものを軽蔑するように見下げるスサノオを焚き付けた。
「ビビってんのか」
スサノオは何も言わず、糸を手繰り寄せる仕草を始めた。やはり相手にされていないようだ。
「上等だ。相手にさせてやんよ」
ロクテンマオウの巨体を糸が拘束する。抗わず、ただ受け止める。
「ちょ、完二くん!」
「カンジが諦めちゃったクマー?!」
いつの間にか笑いが収まったのか、雪子だけは黙ってロクテンマオウの動きを眺めていた。
「雪子ー! 完二くんが!」
「……そっか、そういうことか」
一人で何やら納得していた。
「ヘッ、天城先輩にはお見通しってワケか」
スサノオには気づかれないことを祈りつつ、大人しく拘束を受け続ける。
「えー!? あんなんじゃもう動けなくない!?」
「援護したほうがいいクマか!?」
確かに拘束されて腕は使えない。だが。
頃合いを見て足を力を入れる。
「大丈夫。信じて見てて」
ロクテンマオウは体を小刻みに揺らす。その動きは緩やかに円を描き、次第に遠心力で糸の先にいるスサノオを巻き込み始めた。
「うるぁ!!!!!!!」
そのまま地面へとスサノオを叩きつけ、ぶちぶちと拘束を打ち破る。
よろけながらも後方へ下がりかけるスサノオを、糸を逆に引っ張りあげて再度叩きつけた。
「拳一発入れるまで逃さねえよ!!!!!!」
掴んだ糸の束を手繰り寄せ、スサノオとの距離を詰めていく。
地面に横たわり体を捩らせ、逃げ惑うスサノオに拳をぶつけるが避けられてしまう。
当たらないことに苛立ちが募るが、歯を食いしばって食らいつき続ける。
「逃げんな!」
スサノオの腕に手を伸ばし、そのまま一本背負いを決める。
背中を大きく打ち、反動でお互いに体ごと跳ねた。それでも胸ぐらを掴んだまま離さない。
ここまで距離を詰めてしまえば後はもうただの『喧嘩』だ。
逃れようと手で払うスサノオの動きを交わす。やっと相手になれたかという安堵で思わず頬が緩んでしまいそうだ。
「テメーを仕留めるなんざ、一発で十分だ」
大きく反動をつけ、重い一撃を食らわせた。
チリチリとノイズが走り、商店街の風景に揺らぎが起きる。
殴られたスサノオは意識を失ったのか、人間形態へと戻っていく。
「……ッ商店街奥の壁が無くなったみたい」
りせの声に仲間達が無言で頷いた。
「また逃げられるかもしんねぇし、オレぁここでスサノオ見張ってやすよ」
胸ぐらを掴み馬乗り状態なのだから、流石にこれで逃げられるとは思えないが、念には念を入れておくことにする。
「念のため僕も巽くんと一緒に見張ります。先輩達は花村先輩を」
拳銃を取り出し、直斗も側にやってきた。どこか嬉しそうに見えるのは気の所為か。
「ああ、わかった」
走り去る先輩達を見送り、カチャカチャと音を立てる直斗を見る。
リボルバーに弾を込め、スサノオに向けて銃を向ける。
「おいおい、どうした直斗」
気がどうかしたのかと慌てたら、大丈夫ですと静止された。
「『その時』が来たら僕も覚悟を決めようと思っただけです」
一体何の話だ。
「花村先輩を仕留められるのは月森先輩だけではないということですよ」
巽くんもそうでしょう、とフッと笑われたので、つられて苦笑しておいた。