ちゃんと野球をやる仲間綾瀬川が投げたボールを桃吾のミットが追いかけて捕球し、その球で三年チーム対一、二年混合チームの紅白戦は、綾瀬川が完封し勝利に終わった。だが、ずっとボールを受けていた桃吾は勝利したにも関わらず明らかに不機嫌で。その原因が試合中に投げた球だというのはわかっていたが、綾瀬川は説明する気になれなかったので練習が終わったらさっさと寮の部屋に引きこもって桃吾が何か言ってくる機会を無くそうとした。
が。
「今日の紅白試合、ふざけとったんか」
「……ふざけてない、ちゃんとやってたよ」
まさか部屋に押し掛けてきてまで理由を問い詰めにくるとは思ってなく、諦めて部屋に入れて説明することとなったのだ。
「ならなんであんにコントロールブレとったんや。おまえ、もっと狙ったとこ投げれるやろ」
「でも、桃吾はちゃんと全部捕ったよね」
「あれくらいのブレ、俺が落とすわけあれへんやろ。話反らすなや」
やっぱり怒ってるなと綾瀬川は思う。とはいえ、今日のブレが調子が悪かったからでも手を抜いたわけでもなく、桃吾を試すためのものだったということには気づいているらしい。そもそも調子が悪いと思われているならマウンド上で声をかけてくるだろうし、手抜きだと思われていたらこうして理由を聞きにも来ないのが、雛桃吾という人だ。
勝手に試されたことが気に入らず、とはいえ試された理由とどう判断されたかは気になる。そんな桃吾相手に何を考えていたか隠す方が今後めんどうになるのは間違いなく、それを避けるには今日の紅白戦のある程度の裏側を語るしかない。
「手抜きじゃないよ。試合出た人たちには桃吾以外全員話通ってるらしいし。……今日は、俺と桃吾のための紅白戦だったの。ていうか、桃吾の試験みたいなものかな」
「は?」
「そんな怒んないでよ、抜き打ちじゃなきゃ意味ないんだって……。俺と組んだ時変化球投げてもミット動かさなくなったキャッチャーには」
「おん?」
「……これ説明すんのめんどくさい。合格だったんだから、もうそれでよくない?」
「人のこと勝手に試しときながら、理由も説明せえへんのけ?」
「やるの決めたの監督だし……。わかったよ言うから。……俺さ、ミット構えたところに絶対投げられるじゃん」
「……おん」
「けど、慣れるまでは変化球投げた時ミット動かすキャッチャー多いんだ。どれだけ曲がるか知らないからなんだけど。で、俺が構えたとこに正確に投げられるってわかったら、ミット動かさなくなるんだけど、今度は調子悪くてちょっとズレたボール投げちゃった時に、対応遅れて捕り逃すんだよね」
「……それでわざとズレたとこ投げとったんか」
「うん。公式戦でキャッチミスするより、紅白戦で俺だって外す時は外すって実感持つ方がいいでしょ」
「……せやな」
今日の紅白戦の目的は、本当のところは公式戦の前に一度試すという軽いものではない。
『この試合で綾瀬川が不規則に投げた、敢えてミットの位置を狙わなかった球を桃吾が捕れなかったら、綾瀬川が認めるまで綾瀬川の投げる試合で桃吾をキャッチャーとしては試合に出さない。その代わり桃吾が捕りきったなら、綾瀬川は桃吾がキャッチャーであっても不安に思わず投げること』
追いかけて来たくせにその理由を語らず仲良くやろうというわけでもない、そんな桃吾とこの先やっていくならいつ調子が崩れるかわからない。桃吾との状況を聞かれた時に、そんな懸念を綾瀬川が伝えたら、監督がこの条件を出してきたのだ。
綾瀬川としては桃吾が自分を追いかけて来た理由を試合を人質にして聞き出せればそれでよかったのだが、当然のように全て捕った桃吾の処遇は結局何も変わらなかった。
終わってから振り返れば、監督は最初から桃吾は捕りきると思っていて、綾瀬川にそれを認めさせるための試合だったのだろう。他の選手には話を通すからコントロールを乱すのは気にするなと言った監督が、上級生達にどう話したのか綾瀬川は知らない。有望なのに冷戦状態の新入生バッテリーの今後のため、くらい言われていてもおかしくない状況だった。
「桃吾にあれくらいブレた球投げたこと無かったのに、全部普通に捕るから驚いた……」
「ちゃんと捕んのも、キャッチャーの仕事や」
「そうなんだけどさ、桃吾は俺が投げててもそれ忘れないんだね……」
U12で桃吾と組んだ後、綾瀬川は別のキャッチャーと組んでいる。周りも成長して体格がよくなることで、綾瀬川の球を捕れるキャッチャーは増えていったが、綾瀬川の人並み外れた制球力に目を奪われ、その才能に甘えてしまい、ちゃんと捕ることが疎かになるキャッチャーばかりだった。
仲は良くても綾瀬川が崩れかけた時に頼れない捕手と、仲良くする気はないと態度で示しつつも綾瀬川が崩れかけた時に支えられる捕手。実力主義の勝利を目指す場で、どちらが採用されるかは決まっている。
桃吾に綾瀬川を許す気はなく、それなのにわざわざ綾瀬川を追いかけて同じ学校に来た理由もわからない。そんな冷戦状態の相手が正捕手なのは、綾瀬川がやりたい形の野球とは違っている。けれど、精密な制球力に寄りかかるのではなくちゃんと一緒に戦ってくれるなら、色々わけがわからなくても野球中に球を任せるくらいはいいか。綾瀬川にとってそんな風に思った紅白戦だったが、そのまま伝える気になれる事実でもなかった。桃吾も試された理由に納得したようなので、これ以上の事実は今は隠しておこうと決める。
「俺、前調子悪かった時、今日くらいコントロール乱れてたから。これからもちゃんと捕ってね」
「再現できとんのが、まずおかしいわ……」
桃吾に聞かせられるように加工した言葉は、無事真意には気づかれなかったらしい。
いつかもし桃吾が許してくれる日がきたなら、その時はズレたボールをちゃんと捕ってくれたことがどれだけ衝撃的だったか伝えよう。そんなことを思いながら、用はもう終わったとさっさと部屋から出ていく桃吾を、綾瀬川は引き止めずに見送った。