しかし一本はなく、ささやかな願いは叶うゲームにおいて負けイベントには種類がある。どうやっても勝てず必ず負けることが決まっている負けイベントと、そのゲームが上手いプレイヤーが真剣に挑めば勝つこともできる負けイベントだ。前者だと思っていた枚方ベアーズ戦は、稀代のピッチャーによって後者だと示された。そして今この瞬間にもまた、体格差故に負けイベントになっていた試合が勝てる試合だと示されようとしている。
速さと正確さのステータスが四つ歳上の天才にも引けをとらない白球は、誰もバットの芯で捉えられず、従って花房が守る外野に飛んでくることもなかった。
俺が同じ相手に投げた時は、瀬田ちゃんさんざん走り回ってたのに。
花房が人生初のコールド負けを喫した同じ相手に、規格外のエースはたんたんと少ない球数でアウトを積み重ねていく。一回表のアメリカの攻撃はあっさり三人で終わって交代となった。
ベンチへ戻る足は妙に重くて、それは視界に今投げたエースを捉えるとより顕著になる。突きつけられた差ごと目を反らすように、花房は正面から球場の中央に目を向けた。そこには同じようにベンチに戻る瀬田の姿がある。
まっすぐベンチへ戻るのではなく瀬田と合流してから戻る経路に変えると、進む足は少しだけ軽くなった。
「瀬田ちゃんお疲れー。といっても、ほんと球飛んでこないよねー」
いつも通りに、軽く。そう意図して言葉を紡いでいく。
「……油断してると、いざ球飛んできた時にエラー出すぞ」
言外に規格外でも打たれることもあるかもと言われ、花房は飾った言葉に沈めた本音が気付かれたことを悟る。瀬田だって、あの凶悪な性能が外野まで球を運ばれるなんて思っているはずがないのだ。それなのに打たれて外野まで球が飛んでくる可能性にわざわざ触れるのは、同じ相手にしこたま打たれた花房への気遣いが混ざっている。
「瀬田ちゃん瀬田ちゃん、飛んでくるなんて思ってないのバレバレ」
「誰かさんみたいに強がる必要ないんスよ」
「……枚方ベアーズの時のやつ、怒ってる?」
「……オレだって綾瀬川の後投げるの怖かったし」
「だよねー」
同じ相手に投げて、抑えられたか抑えられなかったか。そんな分かりやすい指標は、世界大会というこのステージで一際くっきりと記録に刻まれる。勝つにしても負けるにしても、それはもう確定した未来だった。
「せめて打とうね、瀬田ちゃん」
「せめてってなんだよ。点取ってやんないと勝てねーだろ」
打撃はそこまでな綾瀬川と違って、自分には打撃もあることをせめて記録に刻んでおきたい。そればかりが大きくなりすぎていたことに、突っ込まれて気付く。
「そーだね。交代するまでは野手だった」
「おまえほんといい加減にしろよ……」
そんなことを話している間に、ベンチは目の前になっていた。重かった足を気にせずに戻って来れたのは、この小動物のような顔をしながら実態はふてぶてしい仲間のおかげだと、花房はベンチに入る八の数字を見ながら改めて思う。
この試合が終わってお互いの背中の数字が一になってもこんな風にまた話したい。そんな叶うかわからないささやかな願いを胸に、花房も続けてベンチに入った。