彼と出会ったのは、一年前の金曜日の夜のことだった。
世間は花金だプレミアムフライデーだと騒ぐが、弊社にそんな概念は存在しない。仕事が終わっていないのに定時で帰ろうとする部下。無理難題ばかり押し付け、それが終わらないと怒鳴りつけてくる面倒な上司。間に挟まる僕に自由なんてものはほぼなく、ただ毎日家と職場を往復する毎日だった。
鬱々とした気分で夜でも明るい街を歩き、逃げるように入った暗い公園。そこで一人、ショーを行っていたのが彼だった。
それからというもの、彼のショーを見るのは毎週の楽しみになった。彼は様々な場所でショーを行っているらしいが、僕が見られる場所はこの公園だけだった。僕の他に客がいることは珍しく、ショーが終わった後に二人で話したこともある。どこからか騒ぎを聞きつけた警官と共に逃げたこともあり、変わらない毎日をただ藻掻いていた自分にとって、彼は麻薬のような存在だった。会社でどんな無茶なことを言われようと、週末になれば彼と話せると思えば耐えられた。僕はお前らの知らない、凡人とは違う彼と話せる存在だ。そして彼も、きっと僕のことを認めてくれている。僕が笑顔になれば彼も笑い、様々な夢を語ってくれた。彼がショーに掛ける思い、それは僕の中だけでの宝物だった。社会に揉まれて擦り切れた心に、彼の純粋な思いは痛いほど染みた。お金を出資したい、マンションを提供したいと言っても、彼は首を縦には振らなかった。そのこと自体は残念だったが、それもまた彼の良さだった。
ある日、いつもの場所に行くと彼の横に少年が立っていた。
客でないことはすぐに分かった。彼と同じく、華のある、ステージに立つ側の人間だ。彼と同じ方向を向いて、客である僕と正面から目を合わせられる、凡人とは違う存在。
「やぁ、いつもありがとう!今日はスペシャルゲストをお呼びしたのさ。きっと君も気に入るだろう。少々突飛でおかしなところもあるが、このショーには欠かせない人物さ」
「お前はそうやっていつも一言多い……。貴方が毎日見に来てくれているという方ですか?いつも類から話を聞いてます。天馬司と言います。今日はよろしくお願いします!」
溌剌とした喋り方に、完璧な笑顔。思わず視線を下げたが、そんな失礼な態度の僕にも少年は何も言わなかった。
「司くん、毎日来てるのは違う人だよ。この方は毎週末来てくれる人さ」
「っす、すみません。やっぱり間違えたじゃないか……!類が一気に何十人も説明するから!」
「お客さんの情報を知りたいと言ってきたのは司くんじゃないか。だから僕は懇切丁寧に教えてあげたのに……その物言いは酷いなぁ」
「オレは場の雰囲気を掴みたかっただけで……!そもそも、あんな時に言われて頭に入る訳ないだろ!」
ぽんぽんと目の前で弾む会話は、それすらも目を惹くものがあった。二人の少し仰々しい物言いも、潜められる声色も、すべてがパフォーマンスの一部のようだ。
僕は彼にとって特別ではなく、何十人といる客のうちの一人で、そして彼の隣りに立てるのは少年のような人間だけ。
「“あんな時”にショーの打ち合わせをやり始めた司くんに言われたくはないなぁ」
「うっ……それは、悪かったよ……。ほら、お客さんも集まって来たし、そろそろ準備を始めるぞ」
「フフ、そうだね」
会話もそこそこに、彼は少年と共にショーの準備を始めてしまった。
言葉通り、いつもは閑散としているこの公園に人だかりができ始めている。どこかで宣伝でもしたのか、少年の影響力なのか。そう言えば、彼の名前はルイと言うらしい。思えば、僕はそれすら知らなかった。少年が当然のように呼んだ名前を、今日僕は初めて聞いた。
今ここで僕が居なくなったら、彼は気にしてくれるだろうか。いや、気には留めてくれるはずだ。何十人もいる客を、彼は覚えているのだから。
それでもきっと、ショーが止まることはない。
少年の隣りに立つ彼は、いつも通りショーを楽しんでいて。そして、僕の知らない顔をしていた。