兄の男の趣味がアウトな件について親愛なる兄、ポートガス・D・エースの欠点は何か?
そう聞かれたらなんて答えるだろう。食事中に寝る、生き急いでいる、無茶無謀、手が出るのが早い、……などなど色々あるかもしれない。
だがしかし、一番の欠点は。
男の趣味があまりに悪すぎることではないか。
と、ルフィは思うのだ。
ルフィとエースはかれこれ四年程の付き合いになる。出会った当初のエースは荒れに荒れていて、学校はフけるわ補導はされるわバイクで事故るわ……とまあ散々であった。ルフィはその度にギャンギャン泣いたもので、とくに入院中の病院から抜け出したエースがバイクを一晩走らせて朝帰りしたときには思わず拳が出てしまった。
ともかくエースは大人も手を焼く悪童であったのだけれど、暫くして学校にも通うようになり、弾ける笑顔も見せるようになった。紆余曲折を経て、めでたく更生したのである。(なおここでは省略するが、大変な道のりがあったことを追記しておく。特に、ダダンの胃に対しての通算被害は計り知れない。)
何はともあれ、エースは非行に手を染めるのを止めた。怪我をこさえることも減った。周囲とのすれ違いも解け、友人にも恵まれた。そうして一日一日が平和に平穏に流れていき、幼少期に遠方へ引っ越していったサボという青年とも偶然の再会を遂げるなどした、ある日のこと。
「白ひげのオヤジのボクサー養成所に入った。上京する」
まさに青天の霹靂である。
電話で報じるとそれっきり、返事も待たずにエースはガチャ切りした。ただ一つ、世話になった、とだけ言い残して。
ポカンとするダダンら土方一家と目を輝かせる弟を後目に、その三日後にはボクサー候補生として既に地元を飛び出していたのだから、エースとは何とも忙しない男だった。
さて、ここで話は冒頭に戻る。
ポートガス・D・エースには男運がない。
男に対して「男運がない」とは何を馬鹿な、と思われるかもしれないが、そうとしか表現出来ないのだ。例えば、不良時代なんかはスリやら何やらして金策を立てていたようだが、寝床はというと、何と男の家に転がり込んでいたのである。
男同士だろう、何をそんなに目くじら立てて……と思われるかもしれない。が、その男というのがこれまた信用のおけぬ奴らで、ストリートで知り合った輩であったり、一回りも上の脂ぎったおじさんであったり、ボーカル担当だとかいう自称フリーターであったり……職業・経歴はともあれ、みな内弁慶のモラハラ気質、そうして執着ばかりが強い所謂ダメンズなのだった。もっとも、彼らの多くはエースより随分歳上で、にも関わらず明らかな未成年を家において事に及んでいる時点でお察しなのだが。当時同じく家出少年をやっていたデュースが気付いて止めてくれていなければ一体どうなっていたのか、考えるだに恐ろしい話である。
このエース、なぜか昔から男女の違い無しによくよくモテた。幼い頃は変質者に絡まれること多数、電車に乗れば三回に二度は痴漢に遭う。エースはとんでもない美形だとか、人形のような顔立ちだとか、そういう類ではまったくない。しかし、なにか人を惹きつける不思議な魅力が天性のものとして具わっているようで、実際エースをバーにでも放置したならすぐさま隣が埋まっているほどである。
ここで皮肉なのは、何もエースに人を見る目がないだとかそういうわけではないことだった。エースは動物的な勘、それと傍からは意外に見えるかもしれないが、ある種の理性でもって、正道を歩む人間とそうでない人間を見分けることが出来た。けれども、そうした「出来た」人間や「正しい」人間を見ると、妙なことにエースは自ら見えない線を引くらしい。自身の出生やら現在の行動がどうしても彼に暗い影をおとすとでもいうのだろうか?友人になりこそすれ、そういった人々とエースが関係を持つことはなかった。
いや、そもそもエースは積極的に人と所謂レンアイカンケイになろうとはしない。ただ、どうしようもなく、流されてしまうのだ。それも、マダオ限定で。
普段の彼の気の強さ意志の強さを思えばエースが"流されやすい"とはしっくりこないのであるが、これがまた厄介なことに、何かそういう男たちのダメな部分や情けない部分とかいうものに気づくと、彼はなし崩しに付き合ってしまっていた。もっとも、本人に聞けば「おれの意志だ」と言い張るのだろうが。
エースの人生は常に父親の亡霊に追われていた。エースにとっては、何をするにも自身を作った男の影が纏わりついて来るように思えた。ここまでくると最早妄執の域に近いのかもしれぬ。が、三つ子の魂百まで。幼い頃に形成された人格はそうそう変わらず、そして何より社会に未だ色濃く残る父親の痕跡がエースに忘却を許さない。心に未だ巣食う孤独こそ、エースが親だとか愛だとかへ最早信仰とも呼べるような夢を見ている理由の一つである。
いずれにせよ、白ひげとその息子たちに出会えて受け止めてもらえたこと、これは彼にとって人生望外の幸運だったにちがいない。
ここまで長々と話したが、結局何故このような話になったのかというと。
今現在、ルフィがその問題に直面しているからである。
「ほら、タン塩焦げちまう」
じゅうじゅうと焼ける肉の匂い。モクモクと上がる煙。店内にかかる流行りのラブソングの旋律の中、網いっぱいに敷き詰めた肉をエースがひっくり返す。
その珍しい長袖の下に見えるのは、少し肉の落ちた腕と、……青い痣。
「これ好きだったろ?赤身」
じゅう、じゅう、じゅ。
よく焼けたハラミがルフィの皿に取り分けられる。
「あ、ライス注文してくれてたのか、サンキュ。うん、やっぱ米ねェと寂しいよなあー」
じゅうう、じゅ、じゅう。
アルミの上、コーンバターが溶けていった。
エースが目を擦る。
「しっかし、予定が合ってラッキーだった!暫く会えてなかったし。ルフィは学校どうだ?」
じゅうじゅう、じゅう。
新たに届いた肉を並べていく。
黒い隈は、オレンジの照明の下で浮いて見えた。
じゅう、じゅう、じゅ。
「ほんとはぜんぶ奢ってやれたらよかったんだけどな、おれここんとこ金欠でよ」
嘘だ。
ルフィは心の中で断じた。
いや、まあある意味では嘘じゃないかもしれないけれど。しかし実際、エースが金欠になるなんておかしいのだ。あれか、食費か?ルフィもエースもゾウの胃袋を持つ大食漢だ。腹を満たそうと思えば際限なく食費は嵩む。
しかし、ルフィもそうだがエースは非常に周囲から可愛がられていた、それも目を剥くほどに。周りの連中なんて、どいつもこいつもエースエースと構えるのが余程うれしいらしい。コレを食えアレを持ってけソレはウメェぞ……などと兎も角引っ切り無しなのだ。当の本人は、無償の愛情に気恥ずかしそうに、しかし幸せそうにはにかんでいるから問題無いけれども。
まあ、ただでさえそうなのだ。そんなエースがひもじくしていたら縛り付けてでも口に飯を突っ込む輩は絶えないし、貢ぎ物の量は山を超えエースの部屋から溢れ出すことだろう。
よって、エンゲル係数による逼迫を原因とするのは論外。
じゃあ娯楽?ギャンブル?これもありえない。なんだかんだいってエースは真面目でストイックな男だ。もっとも小物や雑貨の類いは嫌いではないようだが、その出費だって高々知れているだろう。
「稼いでも稼いでも無くなっちまうんだから……やっぱ社会人ってヤツも大変なんだなあ、ルフィ」
何よりエースは新進気鋭のボクサー、売れっ子だ。デビュー戦から華々しい戦績を重ね、今やスポンサーだって付いている。身のこなしの軽やかさ、延焼するが如きリーチ自在のパンチ、逃げを捨てた激しい攻撃スタイル……エースは人を惹きつける試合をした。そのくせ、ファイトが終われば人好きのする笑顔を二カリと浮かべるのだからタチが悪い。白ひげジムの火拳のエース。苛烈さと愛嬌とが目を焼くギャップとなって、そのファン層も幅広かった。
だから、「稼いでも稼いでも無くなる」なんて、そんなはずが無いのである。
となると、残る選択肢は一つ。
「……今日、おれエースん家行きてェな!」
「えっ、…あー……。や、今日は、ちっと無理、…だな」
男である。
ルフィは激怒した。かの邪智暴虐なる兄の彼ピッピを必ず除かねばならぬと決意した。
ルフィには恋愛がわからぬ。ルフィは田舎の砂利ボーイである。虫取り網を振り回し、麦わらの一味(ルフィのイツメン)と遊んで暮らしてきた。けれどもエースの男事情に関しては人一倍敏感であった。
考えるだに腸の煮えくり返ることだが、どうせ今回の相手もエースのことを飯炊きオナホならぬ出稼ぎオナホとでも思っているに違いない。いや、エースは飯も作るから飯炊き出稼ぎオナホか?
ともかくルフィは激怒した。エースの愛も茶色い手料理も全部自分たち兄弟のものだ。どこぞの馬の骨、しかも価値すら分からぬ輩にくれてやる分など毛ほども残っていないのである。
「えー、おれ久々にエースん家で遊びてェよ!ウソップから新作のゲームも借りたんだ!対戦しようぜ!」
「ゲーム……ああ、フランキーシリーズの?」
「おう!カスタマイズ?ってのがスゲーんだ!おれの最強サニーロボも見せてやるよ!」
「へえ、そいつはいい!……でも、なァ」
アイツがいたら、いやでも今日シフトつってたよな、とエースがボソリと呟いた。
「誰か一緒に住んでんのか?」
「いっしょ、…うーん。まあ、そう、なのか……?うん、同居してる奴が、ちょっとな」
「あ、エースっておれが何かするとか思ってんのか?大丈夫!迷惑かけねーから!サボからも言付かってるし!」
「そんなこと言っておまえが壁に穴開けたのまだ覚えてんぞおれは」
ジト、とした目を受け流し、ルフィは正面の椅子からエースの横の席に移ってガバッと抱きついた。
「うわ!なんだよもう」
エースが顔を顰めるが、満更でも無さそうである。
「お願いだよエース〜!今日逃したら次会えんのいつになんだよ!大体エースは忙しすぎなんだ、そりゃこの前の試合もシュッ、パパパパン!、ってすごかったけどさ!」
「はは、ありがとよ。でも、そうだな……確かに、折角来てくれたんだしな……」
イける、とルフィは思った。
実際、エースは一つため息をつくと、スマホをいじり。そうして仕方なさそうに、しかし笑って言った。
「じゃ、来るか?」
ルフィは文字通り飛びついて了承した。
「にしてもルフィ、よく駅で迷わなかったな。今日は迎えに行けなかったから心配してたんだが」
「にしし、ゾロじゃねーんだから余裕余裕!」
バスを降りてから二人並んでてくてくと歩く。
「あー確かにアイツはな……なんで真っ直ぐの道にグーグル先生付けても迷うんだ?」
「わからん!でも行ったことねーとこ遊びに行くときはゾロの家集合にしてる」
「ひひ、そりゃ確実だ」
エースはちょっと懐かしそうに目を細めた。
ルフィは頭の後ろで手を組んで、早足になった。
「てか、エースと暮らしてるってどんな奴だ?」
「え、……男で、…おれより七つ上だな」
「そうじゃねーよ!中身!」
「うーん……あ、美大目指してるつってて、そこは尊敬できるな!頑張ってる奴は応援してやりたいだろ」
「美大?絵描くやつか?」
「間違っちゃねェが、あいつは確か彫刻やりたいんだと」
「へー!どんなの作ってんだ?」
「……どんなんだろうな。あいつ見せたがんねェから、おれもよく知らねェんだ」
「ほー」
「ただ、…悪いヤツじゃねェし、…」
「…」
「なんつーか、ほっとけねェんだよなー…この前も玄関で倒れちまっててさ……」
「…へえ」
エースが俯きがちに言う。その様は、どことなく釈明しているようでもあった。
だからか彼は気付いていないが、横にいる弟はもうスン……と真顔である。
事実、エースは気に入った人についてそれはもうマシンガンのごとくアピールトークをするような男なのだ。であるからして、この言葉の濁し様がルフィの心に油を注いでいるとしか言えないのは確かである。南無。
変な空気になったが、エースは「まあLINEの既読ついてるし、アイツは予定あるって昨日言ってたから。多分ルフィが会うことはねーんじゃねェかな」とだけ言って締めくくり、ルフィの方の話を強請った。ルフィも拒まず色々と話した。折角二人でいるのだから、''今は''そんな男のことはどうだっていいのだ。
そんなこんなで、エースの家に着いたのはすぐだった。鍵を取り出したエースが差し込む。が、ガチャ、と逆に扉が閉まった。……元々開いていたらしい。
「あれ、おれ出掛けに閉めてたは、ず……あ」
内側から、ガチャン!と音が鳴った。扉が乱暴に開き、伸びた太い腕がエースの持っていたビニール袋を引ったくる。
「ァン?んだよマルボロ三箱買ってねェのかよ使えねー」
ルフィは目の前の上裸半パン男を思い切りブン殴った。