トルペくんがいなくなって三年が経った。
長く続いた戦争は半年前に終結したが、休止を命じられていた楽団を再興させるにはトルペくんのいない音楽に私の心が未だ追いつかず、団員たちに「ゆっくりでいい」なんて気を使わせてしまった。本当に情けない。
彼が何故いなくなってしまったのか、私にはわからないままである。
団長として、はたまた恋人として、なにか至らぬものがあったのだろうか。何一つ告げることなく消えてしまうほどに、私は彼にとって頼りない人間だったのだろうか。
机の上に置き去られた揃いの指輪は、未練たらしく私の首元に光る。
***
遠く知らない地をふらりふらりと旅していた。
あの街には、トルペくんとの記憶が、思い出があまりにも多くて、心の整理なんてつけられもしないから。
戦の終わった街には、いつぶりかもわからぬ笑顔が溢れるようになった。旅人はまだ珍しいのか、時折視線を感じる。
「〜♪」
ふと、音が聞こえてきた。微かに届いたそれは、よく聞けばピアノのようである。ああ、どこにだって音楽は溢れているのだ。
久方振りに耳にしたピアノの音に、思わず足が向いた。どこで弾いているのだろう。どんな人が、弾いて……。
「……トルペ、くん?」
そんな、まさか、ありえない。何かの間違いなんじゃないか。
どくどくと心臓が早る。まさか、まさか、まさか。
喧騒に飲まれて途切れ途切れなピアノ。ほんの少しの違和感。けれどそれはやはりトルペくんの音に似ていた。
そんなわけがない。こんな、偶然巡り合うだなんて、そんな。
頭ではわかっているのに、走り出す足を止められない。焦がれる心を止められない。
トルペくん、トルペくん、トルペくん!!!
「っトル……っ!」
ようやくたどり着いたのは、寂れたストリートピアノが置かれた小さな広場。
ほんの数人が足を止めるその場所で、一人の男がピアノを弾いていた。
トルペくん、ではない。
「ぁ…………」
ピアノの音が止む。呆然と立ち尽くす私に、奏者の男が振り返った。思わず叫んでしまった声が聞こえたのだろう。
「えっ、と……どう、しましたか」
遠慮がちに聞いてくる彼は、トルペくんより少し年下と思われる少年だった。くるりと跳ねる黒髪が特徴的だ。
到底、トルペくんとは似ていない。
「……いえ、すみません。貴方のピアノが……友人、の音に似ていたもので」
そう、頭を下げた。急に現れてこんなことを言い出すなんて、頭のおかしい奴と思われても仕方がない。申し訳ないことをしたものだ、と眉を顰める。
しかし、小さく息を呑む音のあと、返ってきたのは予想もしなかった言葉だった。
「友人……とは、トルペさん、という方ですか」
勢い良く顔を上げる。今、彼はなんと言った。誰の名を呼んだ。
「きみ、は…………」
「っ!!」
私の反応か、もしくは表情からか。彼は、私がトルペくんを知っていると察したらしい。
少年は、ボロボロと泣き出した。
「ごめ、ごめんなさい……っごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
椅子からまろぶように私の元へとかけてきて、縋りついて泣く少年。近くで見れば、その身体には年齢に見合わぬ無数の傷跡が残っていた。
ただごめんなさいと泣きじゃくる少年に、頭の中で警鐘が鳴る。ああ、聞いてはいけない。きっと、この先を聞いてはいけない。
「トルペさんが死んでしまったのは、俺のせいなんです……っ! おれ、が、前線に出過ぎたから、トルペさんは俺を庇って……!」
警鐘が鳴る。鳴る。鳴り続ける。
ガンガンと耳に響くその音は、記憶の中僅かに残ったトルペくんのピアノの音を、かき消していった。