竹取物語(かぐや姫)パロ今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。名をば讃岐の造となむ言いける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて……
はあ、と人目も気にせず大きなため息を吐くと、角に座っていた翁の眉間に皺が寄った。
人は皆、俺の姿を見て、「かぐや姫の生まれ変わりだ!」「この美しさは、きっと月からいらっしゃった天上人に違いない!」と大いに騒いだ。竹林の中で倒れていた俺を、いま目の前でしかめっ面をしている翁が、竹を取りに行く際に発見したらしい。
何がかぐや姫だ。あんな何百年も前の絵空事を、こいつらは本当に信じているのか。この國に住んでいるものなら大抵の奴はその冒頭部分を諳んじることができるのは、有名な架空の物語だからではないのか。
再び溜め息を吐こうとすると、「おい、朝っぱらから心気くせえぞ」と低い声が聞こえ、仕方なく吐こうとしていた息を飲み込んだ。
「やあ千景。もう起きたんだね」
「お婆様。お早うございます」
「今日はいつもに増して不機嫌そうだね。嫌な夢でも見た?」
そういうわけでは、と言った俺の声を聞き、お婆様は楽しそうに笑う。お婆様の名は東さんといい、翁の奥さんで、翁とそう年が変わらないそうだが、見た目は随分と若々しく、まるでどこぞの娘ほどの見た目だった。髪の艶も良い。
また、翁の名は左京さんといい、若い頃は随分な美男子だったらしい。今もその名残があり、年を重ねた現在でも、少し白の交じった艶やかな金色の髪と、白い肌は健在だった。
「また、千景を娘の婿にほしい、といった熱烈な手紙が届いていたよ。人気者だね」
「ははは」
「『かぐやの皇子様へ』だなんて、大層な呼び名じゃねえか。全部お前宛だ」
東さんが持って来た手紙のうち、左京さんが適当に一枚摘み上げる。その手紙には『拝啓 月の国の皇子様』と書かれていた。桃や薄水など封筒は色とりどりだが、どれも内容は同じようなものだということが、読む前からわかってしまう。
「ふふふ、千景も隅に置けないね。ああ、これなんて、名家の摂津のご主人の娘さんからだね」
「碓氷の皇子の処からも来ているぞ」
「もしかしたら、そのうち帝の乙宮様のところからも来るかもしれないね」
「まさか」
とんでもない、という言葉をぐっと堪える。古代人は、光り輝く美しいものを好んでいたことから、光輝く様子で美しい、ということを『かぐや』と言ったらしい。漢字では『輝夜』と書くこともある。
こんなもの、人間が古くから光り物に弱いという悪しき習慣を表しているにすぎない。月だけでなく、宝石や金をはじめとした光り物は、人間を狂わせる。そして女も。俺はそもそも……。
「まあいい。お前が見合いをしたいならすればいいし、したくないなら断れ。俺はこれから竹を取りに行くからな。お前もあいつが起きたら手伝いに来い」
「わかりました」
「左京くん、今日も竹を取りに行くの?近所の童からまた『竹取の翁』って言われちゃうよ」
「うるせえ。言いたい奴には言わせておけ。昼までには帰る」
「わかったよ。気を付けてね」
勝手口から出ていく左京さんを、東さんが追い掛ける。ふう、と一息ついて壁の方を見ると、ごろごろと床に転がっている男が視界に入った。
この家には、俺と左京さんと東さん以外にも、生活している人間が二人いる。一人は密といい、朝も夕も問わず床に転がって眠っている巨大な猫のような男だった。俺よりも前からこの家で暮らしており、左京さんと東さんの実の子ではないらしいが、縁が合ってここで生活しているらしい。俺とあまり年齢が変わらないはずなのに、こいつはいつも床に転がっている。恥ずかしいという感情がないのだろうか。
もう一人は、家事や炊事の手伝いをするために住み込みで働いている雑仕女だ。俺よりも少し年端のいかない、小柄の良く働く女だった。左京さんと東さんが家に雇い入れたわけではなく、町中で一人でいたのを、むかし左京さんが保護したらしい。無駄口も聞かず、色目も使わず、人好きの良い笑顔に、言い寄ってくる女共よりは好感が持てた。
「おい、密、そろそろ起きろ。左京さんの手伝いをしに行くぞ」
「……どうせ竹を取りに行くんでしょ。千景一人で行けば?」
「そういうわけにはいかない。人手がいるから俺とお前が呼ばれたんだ。早く起きろ」
「……後で行く」
「そういうときは、絶対来ないだろ」
薄く開けた瞳を再び閉じようとする密の腕を引き、無理矢理立たせようとしていると、密の分の朝餉を届けに来た雑仕女と視線が合った。
「おはようございます。千景様、密様。朝から楽しそうですね」
「……君にはこれが楽しそうに見える?」
「はい。まるで仲の良いご兄弟のように感じられます」
その言葉に、俺と密は目を合わせてげんなりとする。こいつと兄弟だなんて、死んでも御免だ。
「すまないが、こいつがまだ起きそうにもないんだ。あと数刻したら、叩き起こしてくれないか。竹を取りにいかなければならないんだ」
「わかりました。千景様もお気を付けて」
「ありがとう。頼んだよ」
すうすうと再び寝息を立て始める男を一瞥し、俺は外套を羽織った。
今の生活も決して楽とは言えないが、此処に来る前のことを思い出すとかなり楽だ。朝昼夕の食事を欠かすことなく取ることができ、きちんと季節に合わせた布団で眠り、生活に必要な道具は全て揃えられている。
日が昇るのと同時に起き、日が沈むのに合わせて寝る準備をする。竹を切り続けていると手のひらに肉刺ができ、家に帰れば寝太郎が処構わず転がっていることが殆どだが、空腹のあまり幻覚を見たり、店主の隙を見て果物を奪ったり、路地裏で寒さに耐えながら膝を抱えることもない。それだけで俺は十分だった。
東さんに一度、「千景は何も望まないね」と言われたことがある。それは欲を口にしない俺に向けた嫌味ではなく、俺と幾つかの時を過ごした東さんの感想だった。
「高級な反物も、金銀の装飾も、見目麗しい女の子も好まないなんて、まるでおじいちゃんみたいだね」
そう言われればそうかもしれない。俺は、いま着ている着物があれば衣服なんてそれでいいし、俺の見た目に群がる女共にも興味がない。金は生きる上ではあるに越したことはないが、此処に身を置かせてもらっている今、切った竹を売って貰える僅かばかりの金で十分な生活ができていた。
「千景、こっちに来て」
家に帰ると、密に腕を引かれ裏庭に連れていかれた。やっぱり竹を取りに来なかったくせに、と嫌味の一つでも言ってやろうと帰り道にずっと考えていたのに、珍しく眉間に皺を寄せた密の姿に、何も言えなくなってしまった。
「これ、見て」
密が着物の裾から出したのは、真っ黒な封筒だった。しかも、同じようなものが数枚。言われるがまま手紙に目を通す。
「……何だよ、これ」
「……千景のこと、顔が綺麗で月から来た皇子、って思っている人もいれば、その反対に良く思っていない人もいる、ってこと」
黒い封筒の中には、それと同様に真っ黒な便箋。筆跡で特定されることを恐れているのか、わざと崩したような字で『思い上がるな』『名家の娘の顔も見ず、見合いを断るとは何様のつもりか』『たいした見た目でもないから、人前に出てこないのだろう』といった内容のことが書かれている。
「放っておけばいいだろ、こんなもの。言わせたい奴には、好きに言わせておけばいい」
「……オレもここに初めて来たとき、森の中から現れた御伽噺の王子だって、千景と同じように持て囃された。オレも、千景みたいに女の子とか、美味しい食べ物とか、装飾具とか、全く興味がなかったから、言い寄ってくる人たちのことを、相手にしていなかった。でも」
密が珍しく唇を噛む。
「……オレが左京と竹を取りに行っている間に、オレを良く思っていなかった輩が勝手に家に上がって、東を刃物で切りつけた。幸いにも大きな怪我にはならなかったけど、また、同じようなことがあったら、と思うと嫌だ」
「だからと言って、これを送ってきた相手を全員始末するとなると、絶対俺達が疑われるだろ」
直接本人から聞いたわけではないけれど、俺も密も、人に言えない過去を背負っているのは一緒に暮らしていくうちにわかった。二人で力を合わせれば、そいつらの息の根を止めるだってそう難しくはない。でも、ここで永く暮らしていくためには、それはできれば選びたくない手段だった。
「オレにいい方法がある。だから、千景も協力して」