蚊帳「1人で使うととても広く感じるのですが、3人だと思いのほか余裕がありませんでしたね」
「そだね。思ってたより狭いかも」
和室の中央に張られた、テント型の蚊帳。
その中に3人はいた。
中央に乱数を据え、その両脇に幻太郎と帝統が寝ている。所謂川の字の状態である。
この蚊帳は元々幻太郎が1人で使うために購入したものだ。乱数が小柄であるとはいえ、両脇の2人は180cm近い体躯がある。3人で寝るには少々大きさが足りなかったようだ。
蚊帳で寝てみたいと言い始めたのは、乱数であった。
曰く、夜に放映されていたアニメ映画をたまたま観ていたら、主人公たちが蚊帳の中で眠るシーンがあり、それがなんだか楽しそうだったのだという。幻太郎がぽつりと家に蚊帳があることを漏らすと、面白いくらいに食いついてきた。
その場には宿を求めている帝統もいたため、これはいい機会と幻太郎の家でお泊まり会をすることになり、今に至る。
「なあなあ、俺出ていいか?わざわざ3人で入る必要ねぇだろ」
「ダメダメ!これが今日のメインイベントなんだよ」
「ここから出るなら、この家からも出て行っていただかねばなりませんねぇ」
外に出たがる帝統を乱数が引き留める。幻太郎も乗っかり、いつものように嘘っぽく丸め込んでみせた。
2人に引き留められてしまった帝統はやれやれと言わんばかりにため息をつき、頭の後ろで手を組んだ。肘が乱数の頭にぶつかりそうなくらい近くに来る。乱数は邪魔だなと思いつつも、引き留めたのは自分なのでとやかく言わずに我慢した。
右にいる幻太郎を見やると、彼はお腹の上で手を組んでいた。どうやら頑張って少しでもスペースを取らないようにしているようだ。寝巻きなのもあってか、いつもより余計にほっそりとしているように見える。
狭い蚊帳の中、両隣の2人が全く異なる寝方をしているのが妙にツボにハマってしまい、乱数はクスクスと笑い始めた。
「どうしたんだよ、急に」
「いや、2人とも寝方が真逆で、面白いなあと思って……」
「まったく、帝統は本当に遠慮というものを知らないんですねぇ」
「悪かったな。さっきまでは一応考えてたんだが、気抜くと癖でこうやっちまうんだよ」
帝統は頭の後ろで組んでいた腕を下ろし、幻太郎同様お腹の上で組み直した。
両隣が同じ寝方をしているのも面白く、真ん中でゴロゴロとしていた乱数も2人と同じ寝方をすることにした。
「ここで寝るのも大分慣れてきましたね。ほらほら、いい加減寝ますよ。小生、明日は大事な打ち合わせがあるんです」
幻太郎が軽く手を叩きながら言う。
「俺もパチ屋のイベントあっから、早く起きなきゃいけねぇんだよ。ほら、寝た寝た」
「フフ、はーい。また明日ね」
日付が変わるか変わらないかくらいの時間。3人はそれぞれ寝る体制に入った。
2人の寝息が聞こえ始めた頃、乱数は未だ眠れずにいた。彼は普段から寝つきがよい方ではない。それに時々、夜になると無性に考え事がやめられなくなることがあった。この日もそうだったのだ。
彼の身体は日々少しずつ蝕まれ続けており、飴の効果が持続する時間も少しずつ短くなっている。
自分の身体のどこで何が起きているのか、自分のことなのに分からない。
毎日毎日、延命措置をしなければならない身体。飴がなくなったら、すぐに潰える命。
やっと出逢えた仲間と、いつまで一緒にいられるのか分からない自分。
こんな身体で世界に生まれてきたことが、作られたことが、憎くて、悲しくて仕方ない。
連想ゲームのように、沸々と負の感情が湧いてくる。断ち切りたくても、夜は現実を勝手に引き連れてくる。
自分を操縦できなくなるような感覚。乱数は夜が大嫌いだった。
夜から逃げるために、煌めく街に出かけてみたり、人肌の温もりを知ったりしてきた。
今日だって、その延長線上にあるはずだ。
両隣には、お行儀よく眠る2人の姿がある。
狭い蚊帳の中にいるおかげで、距離はとても近く、温もりも感じる。
しかし、身体をぴくりとも動かさず穏やかに眠る2人の姿は、今の乱数にとって不安を煽る材料にしかならないものであった。
両脇で眠っていた2人は、腕を引き寄せられる感覚で目を覚ました。
そちらへ目を見やると、両隣と腕を組み、中央で祈るように手を組む乱数の姿があった。
「こういうのも、お泊まりの醍醐味だよね」
へへっと笑いながら、彼は言う。
「……醍醐味かは分かりませんが、たまにはこういうのもいいかもしれません。ね、帝統」
「……ったく、しゃあねえなあ。さっさと寝ろよ」
乱数は行動の真の理由を語らなかったが、2人はその場の雰囲気からなんとなくそれを感じ取ったようだった。示し合わすでもなく、組まれた方の腕を伸ばし、乱数の太ももあたりをトントンと叩き始める。
親が子どもを寝かしつけるときのような、優しいリズム。
乱数にとっては、はじめての体験だった。
2人が乱数を叩くテンポはバラバラで、全然噛み合わない。それもなんだかおかしくて、乱数はひとり小さく笑った。
先ほどまで心を埋め尽くしていた感情は、いつの間にか消え去っていた。
「僕、幸せみたい」
そんな声が2人に聞こえたのか否かは定かではない。2人もいつの間にか眠ってしまったようで、乱数の脚を叩いていた手は止まっていた。
絡めたままの腕をギュッと抱きながら、乱数はようやく眠りについた。