Hope this year brings you happiness.「はあ……」
思わずこぼれたため息は、自分で思ったよりも大きくて。慌てて周囲を見渡したが、誰も気に留めた様子はなく、ほっとした。
今日は今年最後の日。カンパニーのみんなで集まって楽しく過ごそうという話になったので、折角だし、まだ駆け出しの冒険者である弟分のルイも誘ってカンパニーハウスに集まったのだけれど。実はちょっと面白くない。
カンパニーのみんなのことは好きだし、こうして集まるのは楽しい。普段一緒に過ごすことが滅多にないメンバーも集まっているし、嬉しい。
みんな楽しそうにしているし、色々揉めるカンパニーもあるというのに、このカンパニーはとても良い雰囲気で過ごしやすくて。ありがたいことだと思っている。知り合いには「いいカンパニーに入れて良かったね」と言われるくらい。本当に良いところなのだ。
でもね。なんといいますか。私はつい二週間ほど前にある方と縁を結んだばかりなのですよ。ある方っていうか、このカンパニーの人なんですけれど。カンパニー創立の時からいるというか、カンパニーを立ち上げた三人の内の一人なんですけれど。
確かにね、星芒祭は二人だけで過ごしました。それ以外にも私が行きたいと言った場所に付き合ってもらったりもした。きっと私よりも先を歩く冒険者である彼からしたらあまり面白くないかもしれないなあと思いながらも、あれこれわがままを言ってきた。彼は私と違って知り合いも多いし、私なんぞが独占していい人じゃないっていうのに。
だから、今日は我慢しようと思ったのだ。まして今日の集まりはカンパニーメンバーとの親交を深める目的であるわけで。私があれこれ言うべきじゃない。わかっている。いるけれど、ちょっとつまらないなあと思ってしまうくらいは許されるだろう。さっきからずっと、私の弟と言っても差し支えないルイと話し込んでいるのだ。
ルイは私がこのカンパニーに連れ込んだと言うか、入れてもらいたいとお願いしたヴィエラの男の子で。男の子なんて言ったら本人は怒るだろうけれど、私からしたらいつまでたっても心配が絶えない弟なんだから仕方ない。確かににょきにょき大きくなってしまって今では見上げないと顔もしっかり見えないけれど。種族が違うのだから仕方ない。
そんなルイがそばにいてくれたお陰でルカくんとお話しする時も違和感なくやり取り出来ることを考えるとルイには感謝しないといけないのかな。いや、それとこれは別問題。カンパニーの新人とはいえ、ルカくんを独占するのはずるい。
タラモサラータをつつきながら話し込んでいる二人を眺める。一体何の話をしてるのかな。今日もかっこいいな。笑ってる。いいな。
先程とは違う意味でため息がこぼれそうになるのをサラダを食べることで無理矢理誤魔化した時、賑やかな声に名を呼ばれた。
「メル姐さん、これ美味しいです!」
何故か私のことを姐さんと呼ぶエレゼンの美人さんは、ボニーちゃん。私がこのカンパニーにやっと馴染んできたかなという頃に入ってきた後輩さんだ。
実質カンパニーのマスターとも言えるネンザさんの知り合いらしいのだけれど、どうして私のことを姐さんと呼ぶのか。一度聞いてみたいと思いつつ怖くて聞いてない。
そんなボニーちゃんが差し出してきたグラスには、淡いピンク色の飲み物が入っていた。しゅわしゅわと微かに聞こえてくる音。シャンパンかもしれない。あまりお酒は得意ではないのだけれど、色も可愛らしいし美味しいというし、少し飲んでみようか。
「ありがとう、ボニちゃん」
いつも飲む一口よりも更に少ない量を口に含んでみれば、桃色の液体はパチパチと口の中で弾けた。アルコールの香りが鼻に抜けて、慣れないそれにちょっと戸惑ったけれど、酒類特有の辛さとか苦味はない。
「おいしい」
思わず口をついて出た言葉を目の前で聞いたボニーちゃんは嬉しそうに破顔した。
「ですよねっ!」
にこにこ笑うボニーちゃんにうんうんと頷いて最初よりも少し多く飲んでみた。口の中だけではなく喉でもパチパチしゅわしゅわして面白い。
味覚が子供の頃のままなんだし、お酒なんて飲んでも美味しくないんだから飲まないようにってルイに散々言われていたのだけれど、こんなに美味しいお酒があるのならたまには飲んでもいいのではないだろうか。周りのみんなが飲んでいるのに私だけジュースやお茶というのはやっぱり面白くなかったのだ。
「あ、メル姐さんそればっかりじゃダメですよ」
差し出されたのは日頃お酒を飲まない私にとルカくんが用意してくれたミストスピナッチキッシュだ。みんながお酒のアテにするにはちょっと重いらしいそれは、チーズも卵もたっぷり使われていてお腹も満足な一品だ。
ルカくんが作ったごはんはいつも美味しくて、つい食べ過ぎてしまうからお酒を飲む時は本当に軽いものしか作らないようにしているらしいのだけれど、今日は特別みたいだ。
それにしても今日のキッシュは絶品なんじゃないだろうか。ルカくんが作ったからなのかと思わないではないけれど、それだけじゃない。これはルカくんの研鑽の賜物だよね。私が彼を好きだから余計に美味しいって感じている可能性はもちろんあるけれど、カンパニーのみんなが美味しいって言っているから気のせいなんかじゃないよね。
やっぱりルカくんが物凄く頑張ったから美味しいんだな。
「んー、きょうのキッシュもおいしい」
舌鼓を打ちながら今日一日を振り返る。
今日は確かに朝から忙しかった。ルカくんの手伝いをしたり、宴会の準備をしたり。でも実はそれくらいしか動いていない。
おまけに私が用意したグラタンは張り切りすぎたのか、焼けすぎてチーズがすっかり焦げてしまった失敗作もあったものだから、こっそりお腹の中に処分している。どう考えても今日は食べ過ぎている。
一応お腹まわりにゆとりがある服を着ているとはいえ、なんだか少しきつくなってきた気がするし、明日はごはんの量を減らすしかない。それから年明け……ギルドが動き始めたら普段よりも少し多めに依頼を請け負うようにしよう。食べた分動けばいいのだ。
うんうんと一人頷いてボニーちゃんが持ってきてくれたロランベリーのお酒を飲み干した。うん、美味しかった。ごちそうさまでした。
「メル姐さんいい飲みっぷり!」
「うん? そうかな」
「美味しいですもんね、これ。はい、どうぞ!」
そんなことないとか、もうお酒はいらないとか言う前に、空になったグラスは再び薄桃の飲み物で満たされた。ううん、普段こんなに飲むことがないからちょっと不安だ。でも折角注いでくれたのだし飲まないのは失礼だよね。
万が一酔い潰れたとしてもここにはカンパニーのみんなしかいないし、醜態を晒しても問題ないだろう。何より私が酔っ払ったらどうなるか知っているルイがいるから大丈夫だ。安心していい。
これは言い訳ではない。そう、リスク管理というやつだっけ。そんなやつ。
「ぅん、おいし」
でもやっぱりお酒はお酒。美味しくくぴくぴと飲めたのは最初のうちだけで、段々アルコールの味が気になってくる。それを少し残念に思うけれど、もしかしたら他にも少量ならば美味しく飲めるお酒があるのかもしれない。
ちょうどいいから探そう。お酒が置いてあるテーブルに向かおうと立ち上がったら足元がふらついてしまった。慌てず騒がず自分が今まで座っていた椅子を支えにすれば大丈夫。これは一杯で終わりにするべきだったかな。失敗失敗。
残念だけれどお酒は諦めてお水とかお茶を飲む方が良さそうだ。私だって馬鹿じゃないのだ。ちゃあんと無理良くないって知っている。
「何やってるの」
改めてお水かお茶を求めてゆっくりと歩き始めたら頭の上から声が降ってきた。見上げればさっきまでルカくんとおしゃべりしていたうらやましいおとうとくんではないか。
「うんとね、おちゃのむの」
「お茶? 持ってきてあげるから座ってなよ」
「はーい」
ルイくんは優しいなあ。冒険者になるって家を飛び出す前はお酒の席になるとこうやって面倒みてもらってたっけ。なつかしいなあ。
たった今立ち上がった椅子にもう一度腰掛けながら昔のことを思い出したりした。きっとこうなることがわかっているから、ルイくんは私にお酒は飲むなって言っていたんだなあ。今頃気づいたよ。
「だめだなあ」
目の前のお皿やコップを脇にどかしてからテーブルにぺちょりと顔を伏せた。本当に色々な人のお世話になりっぱなしだ。
「なにがだめ?」
「いろいろなひとのおせわになりっぱなしで、だめだなあって」
今問いかけているこの声の持ち主にも、ルイにも。出会ってから迷惑をかけ通しで、役に立ったことなんて何もない。
それなのに、私に向けられる声が甘く聞こえるのは自分の願望が反映されているからなんだろうな。
「メルさんちゃんとボニーちゃんのお世話してるでしょ? ダメなんかじゃないよ」
「んーん、なんもできてないよう」
ルカくんもネンザさんも優しいからそうやっていってくれるけれど、私が二人にしてくれたみたいにボニーちゃんにしてあげられていない。
「ぼにちゃんはしっかりさんだから、わたしいなくてだいじょうぶでしょ?」
私は今でも他の冒険者とお話しするのが得意じゃない。ルカくんの後ろに隠れでばかりだ。でもボニーちゃんは違う。
早く色々出来るようになって立派な先輩になりたいな。ルカくんに頼りにしてもらうとかは無理だろうけれど。
「ほらお茶持ってきたよ」
「るい、ありがと」
本音はまだテーブルと仲良くしていたかったけれど、お茶は飲みたいから我慢だ。起き上がるとちょっと頭がくらんとする。お酒美味しいのにこんなふうになるなんて悲しい。
一口飲んで、お茶の冷たさにほっとした。自分で思っている以上にお酒の影響が出てるみたいだ。こくこくとグラス半分ほどを飲んだら少し落ち着いた気がする。
「メルさん、これからはお酒飲みたい時は教えてね。勧められるまま飲んだらダメだよ」
「るかくんもだめっていう」
別にみんなに迷惑をかけたいわけじゃないから、ここまでダメだと言われているのを無視してまた飲もうとは思わないけれど。一緒に楽しめないのは寂しいし面白くない。唇だって尖らせてしまうというものだ。
「お酒飲みたい時は俺と飲もう?」
「るかくんと?」
「うん、そう」
「んー」
ルカくんとたまに飲めるなら良いかな。すぐに機嫌が良くなるんだから我ながら単純だ。出来れば今日みたいな日は一緒に飲んで騒ぎたいけれど。だってみんな楽しんでるのにずるい、なんて考えが脳裏をよぎる。この考えはダメだ。面倒くさい人間と思われる。迷惑になるし、嫌われるかも。ないしょだ。
「取り敢えず。メルはもう大人しくしてな」
ルイはそう言って私の頭をぽんぽんと叩くとネンザさん達の方に行ってしまった。私の隣にはルカくんだけ。嬉しいって思っていいかなあ。思うだけならいいか。うん。
「ごめんね」
ルイが持ってきてくれたお茶をちびちび飲みながら今日もルカくんはかっこいいねえ、と思っていたら突然謝られてびっくりしてしまった。私はいつルカくんに謝られるような何かをされたのだろうか。心当たりなんてないのだが。
「なにがごめんなの?」
わからないから素直に尋ねる。勝手に勘違いするなんて嫌だし。そもそもルカくんは謝るようなこと何もしていないのだ。きっと何か思い違いをしているに違いない。それとも私の態度がそうさせてしまったのだろうか。それならば私こそ謝らなくてはならないではないか。
「だって寂しかったでしょ?」
「なんでえ」
私はそんなにかまってオーラを出していたんだろうか。ちゃんと普通にしているつもりだったのに恥ずかしい。
「べつに、ちがうよ、だいじょうぶなのよ」
誤解を解かなくてはと思うのにうまく言葉が出てこない。寂しいとかではなくて、なんていうか。
「違うの?」
いつもは遠いルカくんのお顔が近い。なんでと思ったら、わざわざ私の顔を覗き込むようにして見てるからだ。こんな、お酒を飲んでぐずぐずになってるのなんか見なくていいのに。こんな近くでじいっと見られたら恥ずかしい。
「ちが……わない、です」
「メルさんは可愛いねえ」
「かわいくなんてないですうぅ」
結局耐えきれなくて両手で顔を覆ったのだけれど。笑いながら頭を撫でられたら嬉しいと思ってしまうのだから私も大概チョロいというかなんというか。
「あ、もうじき日付変わりますね」
「八分儀広場行こうか」
マスターとネンザさんの声に合わせてガタガタとメンバーが立ち上がる。てっきりここで年越しをするのかと思っていたけれど違ったらしい。
「メルさん大丈夫?」
言外に残るかと問われたけれど、一人でお留守番なんて嫌だ。
「いく」
心配してくれているのはわかるけれど、なんと言われようが行くのだ。視界の隅に呆れた顔のルイが見えた。どうやらルイも私が八分儀広場に行くのは反対みたいだ。
でもそんなことは知らない。行くといったら行くのだ。
「じゃあ、はぐれないように手を繋ごうか」
ルカくんはそう言うけれど、私はララフェルだから小さいだけで立派に成人してるのだ。そんな子供扱いされるのはちょっと面白くない。
「だいじょうぶですう」
椅子から降りて、先にハウスを出て行ったみんなを追い掛ける。リムサ・ロミンサに着く前に追いつかないと、今日の人出ではそれこそ合流なんて出来ず、一人寂しく年明けになるに違いない。
「メルさん待って」
呼ばれて振り返れば、座ったままのルカくんに手招きされた。何だろうと思いながらもルカくんの目の前に戻る。早くおしないとみんなと一緒に年越し出来ないのに。
「るかくん、いこう?」
「うん、行くけどその前に」
まだ何かあるのだろうか。さっきは確かにちょっとよろけたけれど、今はちゃんと歩けているし大丈夫なのに。実はルカくんて心配性なのかな。
「来年もよろしくね」
「ほぁっ」
腕を取られて引き寄せられて耳元で囁かれた。ついでに何か今、何か触れた!
「じゃあ、行こうか」
にこにこと満面の笑みで言うとルカくんは立ち上がる。正直私はそれどころじゃない。あれはズルい。ひどい。こんな、こんな。
「手を繋ぐのがダメなら抱っこで行こう」
「そんなのもっとだめえええええ!」
全力でお断りしたかったんだけれど、抱き上げられたら逃れられるわけもなく。むしろ落ちないようにしがみつくしかない。なんてことをしてくれるのだ。もともとそれほど酔っていたわけではない。なんとなく楽しいとかふわふわするとかそれくらいの酔いだったのだから当然一気に覚めた。
「やだ、ねえ、おろして」
「ダメだよ。メルさんあんなフラフラだったんだから人混みなんて」
どうやら先程ふらついたのをしっかりと見られていたらしい。ルイしか見ていないと思っていたのに。でもそれはそれこれはこれだ。本当にこれはないと思う。
「この方がメルさんの顔がよく見えるから嬉しいんだけど。どうしてもダメかな?」
しょんぼりしないで。どこか耳もへにょんとした様に見える。ずるい、卑怯だこんなの。
「そんな、そんなの……だめっていえないじゃない」
結局ルカくんが大好きな私にルカくんの提案をダメと言えるわけがないのだ。それに私だって近いのは嬉しいのだもの。