Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    waon

    ツイッターに上げた作品の保管庫

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 37

    waon

    ☆quiet follow

    ※夢
    ワーパレ19番/人間無骨くん

    ##夢

    .
     満開の桜が夜の闇を照らすことを花あかりと呼ぶのなら、波あかりという言葉もあるのだろうか。打ち寄せる波を眺めながらそんなことを考えていた。月が明るく、そのせいで星はほとんど見えなかった。月光を受けた白波が淡い藤色に輝いている。そのぼんやりとした光があたりを照らしていた。
     浜辺に打ち寄せる波の音に混じり、ごうごうと潮騒が響く。絶えることのないその音を聞いているとじわじわと胸が苦しくなった。まるで潮が満ちていくように郷愁が胸を満たし、私は飲み込まれまいと必死に水面であえぐ。そんな気分だった。本物の海が見たい、と思った。こんなまがい物の海ではなく。
     ぴたりと足が止まった。なぜ歩いているのかわからなくなってしまったから。砂の上に落ちた黒い影をじっと睨んでいると、背後の気配が私の数歩うしろで動きを止めた。

    「……もう帰っていいよ。私もすぐ戻るから」

     聞き入れられるはずがないとわかっていながらそう言った。波音にかき消されそうなほど小さな声だったけれど、背後の彼にはちゃんと届いたらしい。

    「主人が残ルなら此レも残ル。今日は此レが主人の近侍なのだから」

     先ほどとほぼ同じような答え。私はゆっくりとうしろを振り返った。月光に照らされた細長いシルエットが目に映る。高い位置で結われた鶏の尾羽のような髪がふわりと風に揺れていた。月の光を浴びたその髪は打ち寄せる波と同じように淡い藤色の光を放っている。夜を照らすたおやかな花のように。
     その美しさに思わず見惚れていると、彼がわずかに首を傾げた。がっしりとした身体つきの青年の姿をしているのに、彼はどこか言動が子供っぽかった。私ははっと我に返ると彼と目を合わせた。

    「……さっきも言ったけどさ、ほんとに大丈夫だから。ここだって本丸の一部なんだから、危ないことなんて起こらないよ」

     だからひとりにして、と言外に伝えたつもりだったのだが、彼は表情ひとつ変えずに答えた。

    「夜の海は危険だロウ。此処が本丸であっても其レは同じこと」

     こんなまがい物の海のなにが危険なものか。彼の返答にわずかな苛立ちが頭をもたげる。私が海の中に入っていくとでも思っているのだろうか。入水自殺をするとでも? だってそれ以外に彼が危惧するようなことが起こるはずがないのだ。ここは現世とは違って、私を害するものなど存在するはずがないのだから――ここは私のためだけに用意された箱庭なのだから。
     ああ、まただ。喉元までせり上げてきたなにかをグッと飲み込んで下を向く。彼の顔を見ていられなかった。一体なにが気に入らないの? 自分で自分に問いかける。何年ここで暮らしてきたと思ってるんだ。今さら子供みたいなホームシックに駆られ、なにもかもが嫌になるだなんて、くだらない。そんな感情に苛まれている暇など私にはないはずだ。

    「……ひとりになりたいの」

     いくら心の中で己を叱咤したところで、口からこぼれ出たのはそんな弱々しい言葉だった。本当に情けない。私はなんと弱い人間なのだろう。目の前の男は私の弱さに気がついただろうか? 私が胸の内にずっと隠してきた恐れを悟っただろうか。彼はあの鬼武蔵の相棒だったのだ。今代の主はなんと情けない人間なのかと失望されただろうか――

    「そうか」

     あまりにもあっさりとした言葉が返ってきて思わず顔を上げた。不思議な色の瞳と目が合った。
     『そうか』とはどういう意味だろう? 『ひとりになりたい』という願いを聞き入れてくれるのだろうか。さっきまでなにを言っても頑としてうしろを付いてきていたのに。
     だが『そうか』と言ったきり、彼は動かなかった。この場を立ち去る気配はない。あいかわらずなにを考えているのかよくわからない瞳でこちらを見つめている。私は困惑した。

    「……えっと、ひとりになりたいんだけど……」

     ふたたび同じ言葉を口にする。なんだか自分がすごく間抜けに思えた。私の言葉に彼はぱちりとまばたきした。

    「ああ。其レはさっき聞いた」

     その答えにぽかんとしてしまう。あいかわらず彼は目の前に突っ立っている。

    「……ひとりにはしてくれないってこと?」

    「? 先ほどから主人はひとりだロウ」

     なに言ってんだこいつ、みたいな顔で彼が言う。なんでそっちがそんな顔をするんだ。

    「……あなたがいるじゃない」

    「此レは武器だ。人ではない」

     あっそういうかんじなんだ。私はやっと得心した。そうだった、彼は武器としての意識が強いのだった。自らを『此レ』、他の刀剣男士を『其レ』と呼び、怪我をすれば『此レを、いつでも使えルようにしておいてほしい』と宣う槍なのだった。
     目の前の彼を見つめる。不思議な色をした髪があいかわらずぼんやりと光っていた。その姿はたしかに人ならざるものに見えた。
     ふっと身体の力が抜ける。ここには人間は私しかいない――彼はそう言ったのだ。そしてたしかにその通りだった。それを悲しむべきなのか喜ぶべきなのか、私にはわからなかった。
     ぽろりと頬に雫が伝い、彼の目がわずかに見ひらかれる。彼のそんな表情を見るのははじめてだった。まるで人間みたいだ、と思ったらまたぽろぽろと涙がこぼれた。なぜ泣いているのか自分でもよくわからなかった。こんなふうに涙を流したのはいつぶりだろう。まぶたから水があふれ出るにつれ、胸の内がだんだん軽くなっていくような気がした。まるで潮が引いていくように。
     ふいに手首を掴まれた。手袋越しに彼の体温を感じる。顔を上げると困惑したような彼の顔が目に入った。戸惑いを宿した瞳がじっと自分の手元を見つめている。自分でもなぜ私に触れたのかわかっていないようだった。私がなぜ泣いているのか自分でもわからないのと同じように。
     もう私には恥もなにもなかった。こんな醜態を晒してしまったのだからあとはどうとでもなれ、というやけくそのような気持ちだった。ぽすりと彼の胸板に顔をうずめると大きな身体がびくりと揺れた。それからまるで壊れ物に触れるように、おそるおそる両腕が背中に回される。『抱きしめる』と言うにはあまりに控えめな力だったけれど、彼の体温に包まれて海風に冷やされた身体がじんわりと温かくなっていく。
     潮騒に混じってとくんとくんと小さな心音が聞こえた。もちろん私のではなく、彼の心臓が立てる音だ。こんなふうに心臓が鼓動を打ち、触れればこんなに温かいのに、人じゃないなんて無理があるだろう、と思う。でもたしかに彼は人ではないのだ。どんなに本物らしく見えてもこの海が本物の海ではないように。でもその温かさを、目の前で泣いている人間に思わず手を伸ばしてしまうやさしさを、まがい物だなんて言えるだろうか?――私にはとても言えそうにない。
     この海も彼も決して本物ではないけれど、それでもいいじゃないか。そう思った。きっと私はまたすぐに弱音を吐きたくなるだろうし、終わらない戦いに嫌気が差してなにもかも投げ出したくなることもあるだろう。きっとあと数分したらひどい羞恥に襲われていたたまれない気持ちになるだろう。
     でもいまこの瞬間だけは、私を包みこむこの体温にすべてを委ねていたかった。
    .
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🙏🙏🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works