きっかけは単純だった。借りてきたビデオの中にゲイポルノが混じっていたからだ。
週末、遠方で開かれる同窓会に出掛けた両親は妹たちを母の実家に預け、土曜日も学校がある高杉は家で留守番させた。
「家に誰もいないから、泊まりに来ない?親も森君がいた方が安心だって」
丸い小ぶりな顔立ちに似合う耳を見せるように切りそろえた紅梅色の髪に勝ち気な瞳。
ツンとすました顔立ちは猫のようだと云われているが性格も何処か似ている。
愛くるしく猫が好きな人間はそれだけで猫に捕らわれてしまう。
だが猫は気まぐれなので、本当に懐いた相手にしか媚びないし、近寄りもしない。
それでも良いと何人もの女子生徒が高杉を構い倒そうとしたが、いまだに三ヶ月記念日を迎えた彼女はいない。
「いいぜ、」
放課後、部活へ向かう最中、森に声をかければ森はこくりと頷いて返事をした。
アシンメトリーにセッとした赤毛に獰猛とした目つきの森に気軽に話しかけられる生徒は少ない。
二年に進級してすぐと、学ランがキツいぼやいていたがいよいよ上着としての機能を果たせなくなった上着を肩にかけている様子は不良高校生だが、学年上位の優等生である
話してみれば意外と気さくなのになと高杉がややだぼついたカーディガンの裾で手を隠し、小さくガッツポーズを取る。
気管支の弱い高杉の発作を何度も助けたせいか、高杉家での森の信頼度は高い
今日だって本当は両親から森に頼むつもりだったが流石に、高杉だって年頃だ。
それはイヤだと自分から森に声をかけた。
それに、男子高校生にとって家族がいない家というのは、パラダイスだ。
好きなだけゲームも出来るし、時計を睨めずとも自慰行為が出来る。
自室があるとはいえ、兄弟ならまだしも妹がいれば幾ら高杉でもそれなりに気を遣うのだ。
二日くらい誰もいなくとも平気だ。
森だって都合があるだろう。
だが、兄弟妹と大家族の家では、普段なかなか気軽に抜くことなど出来ないだろうと高杉は彼を誘ってみたのだ。
高杉達が通う高校は文武両道を掲げており、有名大学への進学率も高く、スポーツ面に関しては剣道部が常にインターハイ常連校として注目を集めている。
交換留学生も幅広く受け入れているため、クラスに一人は留学生がいる。
日本文化研究部。留学生達と楽しく茶道やカルタ、習字と様々ことができると新入部員を勧誘し、文化系では最大数の部員が在籍しているが、部室が畳張りの旧用務室だけなので、殆どが幽霊部員なのが分かるだろう。
実際毎日足を運んでいる日本の生徒は、森と高杉だけ。留学生達はそれぞれ運動部にも顔を出しているため、その日によって顔ぶれが違う。
今日はカイニスとマンドリカルドが部室で寛いでおり、森が中学まで住んでいた県に大きなダムができたことを話していたかと思えば、何故か全員で百人一首をやろうぜと森が札を並べ始め、どうせなら勝敗つけて最下位のやつが罰ゲームなと勝手にカイニスが決めた。
本来は五十枚ずつ札を並べ、陣地を守るなどとルールがあるが複雑すぎるだろうとカルタ形式での対戦となった。
ハンデとして下の句を詠み上げられるまで取らない、カイニス達の暗記時間が二十分なのに対し、高杉は十分、森は五分と短時間で札の場所を覚えなければならない。
さらにカイニス達はペアを組ませた。
カセットテープを回せば次々と和歌が詠み上げられていき、気づけば誰が優勝者か分かるほど札が積み上げられていった。
「もう一回勝負だ、今度はいろは歌にしようぜ」
「犬も歩けば棒に当たるってやつッスね、」
「……それなら僕でも勝てる」
最下位の高杉は項垂れたまま賛成する。
「弱すぎだろ、高杉、お前……」
カイニス達に視線を送った後、森は高杉を見てため息をつく。
「僕は理系だから、君が強すぎるんだよ。それを証拠に二人とは一枚差だ」
「中学の時に覚えたりしただろ、」
覚えさせられたし、今でも詠み上げることが出来るが、ハンデはやったと、高杉達が十本の指で足りるほどしか取れていないのに対し、森が化け物並みの早さで札を取っていくのだ。
勝てるはずがない。
「元素記号にする、それならさ」
「侘び寂びねぇもん部室に持ち込むな」
ぺしりと額にデコピンをされ大げさに畳の上で転がれば、微笑するマンドリカルドの視線が痛い。
「とりあえず、負けから罰ゲームな」
「いや!すでにこれが罰ゲームだよね」
そうかとカイニスが笑っているが、どうやらあまり考えてないようで罰ゲームの話はそのまま流れた。
「んじゃ、また来週、」
下駄箱でカイニス達と別れると、帰り道を森と二人高杉は並んで歩いた。
「カレー用意してるって、あとさ……」
「もう少し近寄れ、濡れるぞ」
晴れているのに雨が降るのをキツネの嫁入りとなぜ人は名付けたのだろうか。
急に降りだした雨に高杉は森の折りたたみ傘の中に入ったが窮屈で仕方がない。
「うん……」
部室では高杉は何も考えずに過ごしていたが、最近森と二人っきりになると嬉しくなったり、胸が締めつけられたりする。
『恋』をしているのだろうかと、理系らしくあれこれと答えを導き出したところ、答えは『正解』だった。
だが高杉は思いを伝えたりはしない。友だちのままこの温もりがあれば良いとそっと森に近づいた。
夕ご飯も風呂も済ませ、高杉は森を自分の部屋に招いた。
家族が外泊中、二人っきりの部屋でしかも好きであることを認識している森との鑑賞会。
思春期真っ只中の高杉は幾ら飲んでも溢れ出す唾を飲み込みながら、薄暗さを言い訳に、もたつきながらデッキにビデオテープを差し込む。
クラスメイトから借りた秘蔵ビデオはダビングを繰り返したのか暫く粗い映像が続くと、女性の柔らかない声ではなく、男性の低い声が聞こえてくる。
女王様モノがあるからそれだろうと、暫くして漸く見られるまで画像が安定したテレビ画面を覗けば、男同士が絡み合っている。
「男同士でも出来るんだね」
かかととぶるわけではないが、急に怖くなった高杉が森のパジャマを掴んだ。
「穴があるんだからヤレんだろうほら」
画面の男達は口づけを交わしながら本来使うはずのない器官を使って欲情を発散している。
学年上位で女子生徒にもてる高杉に嫉妬心から同級生はゲイビデオを渡してきたのだ。
週明け、揶揄われるかもしれないが高杉はそれどころではない。
止めようとリモコンに手を伸ばそうとしたが、偶然、いや好きと認識している相手の躰に興味を持つのは当たり前と高杉が森の股間を見れば、そこは膨らんだ
それがいけなかったのか、痛みも恐怖も感じずほんの少しの好奇心から。若さとは恐ろしいモノで欲望だけで口を開く。
「僕らもやってみる」
その言葉に森がじっと高杉の顔を見る。
螺旋の瞳に呑み込まれそうになり、乾いた喉を潤すように唾を飲み込めば、その音だけが部屋の中で響く。
長い沈黙の後、森がため息をつく。
まずかったか気づいたときにはもう遅い。
いつか誰かと付き合ったときの練習だよ、童貞って実は嫌われるよ、なんてありもしない話をして誤魔化せば、薄暗い部屋のベッドに押し倒された。
「ここは彼女にとっけおけ」
つっと、唇をなぞられる。
それはこちらの台詞だと、高杉は黙って頷いた。
*
アナルセックスがすぐと出来るわけがなく、その日は抜き合いで終わったがそれからというもの高校生の性欲とは恐ろしいもので、誰かにして貰うという行為の気持ちよさを知ってしまっては戻れなくなっていた。
今時はネットを開けばセックスの知識がすぐと出てくる。勿論全てが正しいわけではない。
情報を吟味しながらあれこれと探っていくうちになぜか高杉は尻を弄られる側に回っていた。
男の尻など触っていても楽しくないだろと森に聞いてみれば、何を考えてるのかいまいち分かりづらい顔を鼻先が当たるギリギリまで近づけられた。
「森君?」
「狭ぇな……」
だから楽しくないだろうと、指を抜けと足を使って森の脇腹を蹴飛ばしてはみたが森は動こうとはしない。
「……キスは取っておいてよ」
高杉が森に以前言われた言葉をそのまま返す。
これはあくまで性処理なのだ。温もりが欲しくて、性を発散したいが為に行っているのだと言葉に含ませれば、森がちっと舌打ちをした。
「そうする、」
森の顔が離れ安堵したのもつかの間、脚を閉じられた高杉の間合いに森の魔羅が滑り込んでくる。
ずっしりと大きな魔羅は高杉の腕とさほど変わらずこんなのが尻の孔に入るわけがないと先ほどの行為が未遂で終わったことに、ほっとしたが、森が高杉を求めていたのに答えられないことが哀しくて、感情が複雑となる。
「森君」
滑り込む魔羅の熱で声が上擦って、躰は幸福で満たされるのにどこか心の一部が冷たい。
涙を見せ内容に顔を手で隠せば、森の顔が見えなくなる。
彼は一体どんな表情で高杉の身体を使っていたのだろうか。
素股という行為は疑似セックスだ。抜き合いから次のステップを踏んだのだ。
そこでそろそろお互い止めれば良かったのに、この行為にますますのめり込んでいった。
大学入学の祝いに弟妹の世話も良いが学問を優先しろと森家贔屓の信長がぽんと、森にマンションを買い与えた。
「おぬしが高杉か、なるほど……ハメだけは外すでないぞ」
高杉達の母親と同年代のはずだが政財界の女傑の姿は、可愛らしいが中身は魔王だ。
騙されてはいけない。
一人暮らしを始めた森に、誰にも邪魔をされないよと、高杉はアプローチをかけたが魔王の顔がちらつくのか、森はなかなか手を出してこなかった。
「バイト始めたから」
暫くして、知り合いの事務所で働くことになったとだけ森が高杉に伝えてきたので、そうなのと頷けば、部屋に来ないかと誘われた。
律儀な森は信長に家賃を支払うことで、高杉との快楽を得ようとしたのだ。
そこまでするなら僕ではなく、彼女でも作れば良いのにと高杉は呆れたが高杉の躰を求めてくれたことが嬉しくて、三回生になった頃には自分の家よりも森の家にいる方が多くなっていた。
「しかし、君が弁護士ね、正直驚いた」
森の司法試験合格祝いに居酒屋で祝杯を挙げ、高杉は上機嫌だった。
「別に驚くことねぇだろ、バイト先も明智ところの弁護士事務所だっただろ」
「事務所としか聞いてなかった。けど、おめでとう」
「何回目だよ、まだ試験通っただけで四月から研修あるからなれるかはわかんねぇけどな」
その試験が難しいのだ。
法を守るより破る方が似合う顔で、枝豆を取り出しながら淡々と語るので高杉はちょっとだけビールを吹き出した。
「てめぇはどうするんだよ、就活するのか」
「そのつもりだけど、なかなかね……」
森は法学部、高杉は情報工学部とそれぞれやりたいことを見つけて入学したつもりだったが、ここにきて高杉は将来に悩んでいた。
情報社会と云われるように今ではパソコン、タブレット、毎日使う調理家電まで電子機器は必要となる。
その端末をよりよくする動かすための仕組みを学んできた高杉は、自分のアイデアを形にしようと企業のコンペに応募を賞を取って実用化された。
何社からか卒業後はうちで働かないかと声をかけられたりもしたが、どうもイメージがわかずのやんわりと辞退した。
「じゃあ、院に入るとか」
確かに大学に残って研究を続けるという選択肢もあるが高杉は自分のアイデアを世に出したい欲求の方が強いので、ゼミの教授からスカウトされても断った。
「ねぇ、今日は僕のことは置いといてさ、楽しもうよ」
「まっ、確かに会社なんて入ったらお前食い潰されそうだしな」
「……どういう意味」
「規約、商品化してからの権利、全然読んでねぇだろ」
「読んだつもりだよ、」
「つもりじゃ読んだうちに入らない、抜けてんな」
大学に入ってくる学生コンペは教授陣の目が入るためクリーンなものが多いが、個人を対象した企業コンテストなどは、権利を放棄させられ、アイデアだけが代に出回る場合が多い。
小さい文字でこっそりと書かれていた文章をうっかり読み飛ばしてしまった高杉に森が危なっかしいと止めに入ったことが何度かあった。
「……その節はお世話になりました」
「いっそ社長なんかどうだ、若手実業家なんて肩書きお前、好きそうじゃねぇの」
「あ~考えたことはあるんだけどね、ん……」
いっそアイデアだけを売り込むフリーランスも良いのではと考えたが、それには法律の知識がなければ足下を見られる。
経営学部の講義に潜って経営ノウハウを学んだこともあったが、きちんと理解したわけではない。
「なんだよ、」
「例えばの話だけど、僕が会社を興したら君、顧問弁護士やってくれない」
「いきなり話が飛んでるな」
枝豆を全て取り出した森がじっと高杉の顔を見つめてくる。
「吉田コンシェルジュって聞いたことあるだろ」
「知っている、」
「そこで若者向けの企業設立セミナーを開催するみたいで、誘われていたんだ」
渦巻き眼鏡と野暮ったい髪の青年実業家吉田松陰。
大学で一緒になった久坂の紹介で知り合った。
君の着眼点は面白いとそれから何度か声をかけられ、高杉も大学の授業では聞くことのできないような話に高杉は心をときめかしたが、それはあくまで高杉の知性や才能を認めてくれた喜びだけだ。
今だって高杉は森に恋してる。
「ほーん、受けるのか」
「面白そうだしね、どうかな」
期間は二年、どんなセミナーはホームページにも書いてあったので高杉は、タブレットを取り出した。
確認のため森に見せれば森は暫く画面をスライドさせながら募集要項などを読み込んでいく。
「いいじゃねぇ、やりたいことやったほうが楽しいだろ」
森はにぱっと笑いタブレットを返す。
「良かった、それじゃよろしくね森君」
別に書面に残したわけでもない。いざとなれば酒の席での戯言だと片付けてくれれば良いと高杉は軽い気持ちで森と何回目かの乾杯をした。
「……何でホテルにいるんだ、いや誘ったのは僕なんだけど」
今夜は帰りたくないとぐだぐだしていた高杉をお持ち帰した森に連れ込まれたのは歓楽街のホテル。
酒臭いからシャワー浴びろと浴室に放り込まれた高杉は温水を浴びながら項垂れていた。
森の部屋でむさぼり合っていたので、ホテルに入るのはこれが初めてだ。
照明がやや薄暗いだけの普通のホテルだと思えば良いのに高杉の心臓は動悸が止まらない。
いつもと同じように森の魔羅を扱けば良いだけ恥ずかしがることは何もないと、高杉は頭を振るが、森の瞳がいつも以上に官能的で今にも喰われそうな雰囲気だったのを思い出す。
黄金の瞳でじっと高杉だけを見つめて、高杉の心の中を暴かれそうで怖くなる。
帰ろうとシャワーを止めたところで森が浴室に入ってきた。
「遅ぇから心配で見に来たけど、終わったなら……」
濡れた髪に白いタオルが掛けられる、森の大きな手が高杉の頭を包むと心地よいリズムで髪が拭かれていく。
「森君……」
もういいからと森の腕を掴もうとしたが、するりと避けられかわりに気づけば高杉の手首には湿ったタオルが巻かれていた。
「……次に進みたい、」
手首の自由がないとはいえ逃げ出すことは簡単なはずなのに高杉は動くことが出来ない。
次に進みたい、それはつまり……。
「貫通したいってこと?」
「貫通って……高杉、俺は……」
「森君なら良いよ、森君じゃなきゃイヤだ」
高杉の尻を開発したのは森だ。性能を調べるのは開発者の特権だ。
だからと濡れた身体を気にせず高杉は一歩だけ足を動かした。
初夜を迎えたからといって二人の関係は大して変わらなかった。
セミナーに参加して会社を興したいという高杉に、両親は難色を示したが最後は根負けして、今後の生活費を一切出さないことを条件に許された。
最も両親が反対したのは会社を起業することよりも吉田のセミナーが気に入らなかっただけではあるのだが。
当然家を出なければならず、生活費や住む場所を探していれば森が当然のように一緒に住むことを提案してきた。
「家事できるのか」
「できる、自分の部屋は掃除していたからね、洗濯はいざとなればクリーニングで、」
「飯は、」
「それこそ外食やコンビニでどうにかなるだろ、デリバリーもあるし」
「俺の家に住め、会社より先に葬式挙げられたんじゃ目覚めが悪い」
「心配性だな……」
ますます離れなれなくなるなと高杉はそれでもその心配が嬉しかった。
二年間で経営ノウハウを身につけたとはいえ、最初から順風満帆というワケはいかなかった。
森は明智の事務所で、高杉は吉田の手伝いで貯めた貯金を使って会社を立ち上げたが、 必要なものを買いそろえればとても部屋を借りる余裕もなく、暫くは森の部屋を事務所代わりにしていた。
新参者だからと、話を聞いただけありがたいと思えとすぐと追い出され、契約が取れたとしてもあとは納品だけという段階で別の会社に任せるとデータだけ抜き取られたりもした。
そういった出来事を森と二人で片付けていくうちに、マンションの一室では手狭となった。
まずは手頃なビルを借りて小さいながらも社長室を用意して、それなりに仕事をこなしていたが、時代にマッチしたのか高杉のアイデアは次々と世に広まり、ここも狭く感じてきたので、森と相談して自社ビルを持つことにした。
勿論爛れた関係は続いているが、キスはまだしてない。
それは恋人のすることだ。
「という流れだったけど、これでいいの」
弁護士の森だけでは当然高杉の仕事のサポートは出来ないと、吉田のセミナーで出会った元看護師の阿国を秘書として採用した。
「抹茶フラペチーノ苦味濃厚にしていて正解でした、甘すぎる」。
『今をときめく若手実業家高杉晋作の素顔』という内容で是非、雑誌に載せたいという出版社からの依頼のため、ついうっかりした発言で高杉は度々炎上するので、弁護士の森に云われて秘書の阿国が予め質問に対する答えをまとめていた。
高杉達の関係を阿国は知っているので、全て話してみてくださいとは云ったがあまり惚気に、苦いはずのフラペチーノが甘く感じる。
「それ新作?後で一口頂戴」
「ホーリーシット!この流れでよく間接キッスできますね。」
「あっそうか、流石にダメだよね……君、人妻になるんだし」
「うわぁ、その発言セクハラですよ」
「事実だろ、しかし君なら一世一代のエンターテイメントだと派手な結婚式やりそうだと思っていたけど」
「それはまた後日、結婚の誓いだけはどうしても思い出の場所で二人っきりでやりたい、阿国のワガママですけどね」
「ロマンチストだな、」
明後日、阿国は故郷で長年連れ添った恋人と正式に籍を入れる。
今までも同棲していたのだから変わらないのですが、ようやく実家とのわだかまりがなくなりましたと阿国が幸せそうに笑っているのが高杉には眩しかった。
「しかし、久坂も先生の妹さんと結婚したしブームなの?」
「……ブームで結婚するわけないでしょう、適齢期ですよ……」
これからバンバンご祝儀でお金が飛びますよと、幼顔の年上秘書阿国が現実を語る。
「なら、森君もか、どうしよう彼より優秀な弁護士はいないぞ」
「えっ、」
「えって何が、いや流石にお嫁さん迎えたらその気まずいだろ」
この場合は竿兄妹になるのか。
ダラダラと関係だけが続いているが、嫁を娶れば高杉との関係は黒歴史だろう。
辞めるのは森の自由だが、彼ほど高杉を理解している弁護士は他にいない。
「あの社長と森様は、どういった生活をしているのですか」
「森君がご飯を作ってくれて、あっ知ってる肉じゃがの後のカレーって美味しいんだ」
森はちょくちょくカレーを作ってくれるが、どれもこれも絶品だ。
台所には高杉が聞いたことのないようなスパイスが並んでいる。
「続けてください」
「掃除は自室は各自でやって、共同で使っているところ休みが合えば週末二人で片付けたりして、あと洗濯は何故か使うなって叱られました。」
これは買ってきたばかりのジーパンとシーツを高杉が一緒に洗ったのが原因だがそれは阿国には伝えない。
「そこから導き出される答えは、」
「森君ハイスペック、一家に一台欲しいね」
お手伝いロボットでも開発しようかと高杉の素っ頓狂な答えに阿国は飲み干したフラペチーノの容器を握りつぶす。
「ジャストモーメント、もう一度聞きます、同居してますよね」
「うん、」
「森様の家事負担が多いとはいえ、あの方がそれで良いと思っているのですよ」
彼の性格上合わないのではあれば速攻で同居は終わりそうだが、続いてる時点で察られるはずなのに高杉はなかなか気づいていない。
「もうそれ付き合っているんですよ、分かっているでしょほんとうは、」
「付き合っている?だって僕、森君に告白してないし、キスだって」
「キスくらいなんですか、ささっとぶちかましたらハッピーエンドを迎えますよ
「ぶちかますって、阿国君怒ってる?」
「怒りたくもなりますよ、それは社長にでもなく森様にもですが揃いも揃って最近の若者は、」
「でも、」
「これ以上言い訳は聞きたくありません、そうですね告白に成功したら信長様と二人、パラパラ踊って全世界に発信してさしあげますよ」
「パラパラってまた、懐かしい」
信長なら踊ってくれそうではあるが、告白して今の関係が壊れてしまうのは恐ろしい。
「ダメでしたらそうですね……阿国が森様にブーケ投げつけてハッピーになって貰いますよ」
そうなることはないですけどねと阿国が高杉に微笑みかける。
「……うん、」
「それではそろそろお暇いたしますが、良いお返事を期待しております」
提出する書類を送信すると阿国が帰り支度をする。今日から一週間、高杉は阿国に休暇を与えた。
森と同じで阿国も高杉の右腕だ。どうせ移転で社内がごちゃついているのだからと高杉も珍しく長期の休みを取った。
「阿国君もね」
ふふと笑う高杉に阿国は、休み明けはブラックコーヒーでないと耐えられないだろうなと、スマホを取り出し最愛の夫を呼び出した。
「森君、おかえり……何それ」
「鱚と鯛のアラ、魚屋に寄ったらサービスしてくれた、」
オーダーメイドスーツに氷がパンパンに入った袋はミスマッチだが、最早見慣れた光景だ。
鯛のアラ煮が高杉の好物なので鱚の方がおまけなのだろう。
馴染みの魚屋で仕入れてくる魚はどれも新鮮で美味しいが、今日に限って鱚とはと、高杉はじっと袋をのぞき込む。
「アラはいつも通り煮るけど、鱚はどうする、刺身でもイケるが、」
「あれ食べたい、前に作ってくれた梅ソースがかかったマリネみたいなの」
「ん、じゃあ晩飯はそれな着替えてくる」
「うん、」
すっと自室に入った森を確認すると高杉はほっとする。
阿国には気持ちを伝えろと云われたが、流石に今ではない。
ソファーで寛いでいれば森がエプロンを掛けて戻ってきた。
「僕も手伝おうか、」
台所ついていけばもりがあれこれと支度を始めていた。
「じゃあ、米炊くのは任せた、」
流石にこれくらいは高杉でも出来るようにはなった。流石に洗剤入れて洗うようなことはしなかったが、米をとぐにもコツがいるのだ。
ざっと水を流して綺麗な水を目盛りに合わせて入れてスイッチを入れる。
やることのなくなった高杉は、森に話しかけた。
「森君はさ、うち以外にも弁護士してるだろ、」
「社外取締役な、それがどうした、」
企業がコンプライアンス遵守しているアピールにと社外取締役に弁護士を置くことが多くなった。
森も弁護士仲間に依頼されてかいくつかの会社の社外取締役を任されている。
「いや、うちがどうなってもキミは大丈夫だね」
「……また何かやらかしたのか」
「やった前提かよ、まだやってない、会社には迷惑かけないから大丈夫さ」
優秀な弁護士を失うかもしれないがそれは金で解決すればどうにかなる。
「ほーん、なぁ高杉、」
「何?」
「飯食ったら話がある」
分かったと頷けば、森がまな板に鱚を並べる。
俎上の魚、なぜだか高杉はそのことわざを思い出した。
*
食事が終わってすぐと話が始まるのかと思ったが、森は自分の手をじっと見ると風呂に入ってくると浴室に向かった。
話とは何だろうと高杉がぼんやりと部屋を眺めていれば、普段は閉められたままの戸棚に隙間がある。
お互い貴重品は自室で管理しているのでその戸棚に入っているのは、取引先のイベントで貰ったアメニティグッズや引き出物やお歳暮といった普段使わないものをとりあえず片付けている。
閉めておこうと立ち上がり戸棚に向かえば、高杉の知らない青い箱がある。
この箱に入っているものといえば、九十九%指輪である。
開けてみようかと思ったが躰が思うように動かない。
発作でもないのに喉がひゅっと鳴る。
誰にあげるの、いつ付き合っていたの、僕は捨てられるのとぐるぐると感情が回るがどれも高杉が云える資格などない。
だってこの関係はただ性欲を発散するだけなのだから……。
「高杉、見つかったかそれなんだけど、」
「何も云わないで、君の気持ち、ちゃんと分かったから」
終わりにする前に思い出がほしいと高杉は森の躰にすり寄った。
朝目が覚めると隣にいたはずの高杉が森の前から忽然と姿を消していた。