「今日は僕が全部家事をやるから森君はゆっくり出掛けてくると良い」
エプロンの紐を結びながら高杉は森を送り出す。
お下げ髪をバッサリと切ったせいで、項が見えるほど短くなった高杉の髪も季節が冬と春を経て、夏が来る頃には大分伸びてきたので、適当にゴムで縛っていたが森は気に入らないと、解いて結び直した。
「……帰ってきたら、家が爆発してるなんてコトはねぇよな」
一方の森は円満成就したと、ばっさりと襟足まで伸びた暑いからと髪を切っていた。
「失礼だな、僕だって少しは家事スキルを向上させてだな……ほら、信長公が待っているんだろ」
そんな漫画みたいなと思うかもしれないが高杉には前科がある。
家を爆発こそさせてないが、森が爆発するようなことは数回はしている。
「ん……ふっ……ぁ」
「行ってくる、出掛けても良いがちゃんと帰って来いよ、」
ちゅっと森が高杉の唇に吸い付くと、手を振った。
キザったらしさポーズも森がやると、それが自然だと感じてしまう。
両思いってこんなに幸せなんだなと、高杉は幸せを噛みしめていた。
*
「で、なんで儂に電話してきた、」
森が出掛けたのを確認すると高杉は急いで、岡田に連絡をした。
「君、安酒で満足しているワリに肴には煩いだろ、なにか簡単な料理を教えてくれ、」
「おちょくっとんのか……だいたいなんでおんしが料理なんて、」
「森君にさ、僕の手料理食べて貰ってしんそこ惚れて貰わないと」
逃亡して散々迷惑を掛けたのは岡田も一緒だが、こちらにはうまい酒と借金を帳消しにして、どうにか交渉成立した。
「惚れ尽くすも何も、ありゃおんしにベタ惚れじゃ、これ以上惚れようがない」
「そうかな、待て待て、電話を切ろうとするな!森君が僕を好きなのは十分分かっている、だからだな、」
毎日のキスは勿論、恐らく高杉の指輪には高杉が開発した小型マイクロチップが埋め込まれている。どこにいるか何をしているか全てが森に監視されている。
重すぎるぞと、気づいていることをほのめかして森に話せば、「そうだが?」という顔をされた。
「まずは魚屋に行って鰹のたたきと、そいから、」
「それは君が食べたい物だろ、」
「何を云うが、今が一番うまい時期じゃ、だいたいこちゃこちゃ作るモンはあいつに任せろ、そいでな」
岡田は高杉でも出来そうな料理をいくつか口にするが、全部刃物はおろか火も極力使わないものばかりだ。
一体高杉を幾つだと思っているのだろうかと思ったが、失敗しないというのはロスが少ない、他のことに時間を有効活用できると高杉は岡田に礼を云った。
熱い日差しを遮りながら、森馴染みの魚屋に行けば、サービスだと柵ではなく食べやすい大きさに切ったものを渡された、そのついでに岡田が教えてくれた料理の食材を買うと、帰って来るなり高杉はしゃがみ込んだ。
「へばっている場合ではないぞ、キュウリを漬け込んで、ビールを冷やして」
家事というのは体力必須のジグソーパズルのようだねと後日阿国に話せば、それを回しているのは森様なのですから、感謝してくださいと阿国が微笑みながら説教した。
料理の下ごしらえが終われば次は掃除だ。
流石に大掃除をするつもりはないが、森が帰ってきておっと驚くように念入りに水回りを磨こうとしたが、それは既に終わっていた。
体力を回復するために用意したソフトクリームを昼食兼おやつにしながら高杉は、複雑なプログラミングを解析していくと、ようやくお目当ての相手に辿りついた。
「今度は、お掃除ロボットなんてどうかな、あらゆる場所に対応する凄いやつ、」
「そのためにわざわざ電話してきたんですか、バカだ……」
「それは冗談だ、まぁ色々作られてきてるからな、それをカスタムしていけば」
「……用件は」
「ああ、君がしている仕事の案件でね、気になることが出てきた、」
ハッカー殺しのハッカーロビンとは、これからも付き合いを続けたいと、ちょくちょくと連絡を取り合っている。
電話番号を交換しようにもロビンは定期的に番号を変えるので、解析した方が早いのだ。
「ビジネスの話は以上だ、あと、それから僕今度森君と祝言挙げることにしたから」
「それはおめでとうございます、」
「驚かないの?あっそっちじゃもう、当たり前とか」
「その方面には疎いので何とも、ただまぁ収まるところに収まっただけでしょ」
「君らしいな、それでなんだけど、もしさ、」
「流石に留学生だけって関係じゃ、呼ばれるわけに行かないしそれに万が一俺の正体勘づいている奴がそこにいたら、ってことで式には出られません」
「そうか……うん、また連絡する」
プツッと電話が切れると、高杉はベランダを見れば夕立雲が近づいている。
森が干していった布団を取り込まねばと、ベランダに向かえば白いスーツが風で泳いでいる。
青く染まったシーツはどうしたんだっけ、そんなことを考えながら布団を取り込めば、日差しで温もった布団が高杉を誘惑してきた。
五分だけ、少しだけ寝たら完璧に家事を仕上げて森君をお出迎えするのだと目を閉じれば、あっという間に夢の世界へと旅立っていった。
*
美味しそうな匂いがすると高杉が目を覚ますと、藍利休の単に割烹着を合わせた森が高杉の前に座り込んだ。
「ようやく、起きたか、」
寝間着にしている物は別として、森が持っている着物は外出着ばかりなので料理をすることは滅多にない。
珍しいなとぼんやりとした瞳で眺めていれば、段々と脳が目覚めていく。
「おはよう、森君……違う、お帰り……!今何時?」
「十八時を回ったところだな、メシの支度は大体、」
「待ってくれ、夕食作っちゃったの、お風呂は、あと……」
「一回落ち着け、顔洗ってこい、」
「うん……」
しまったと思っても時間は帰ってこない。
掛け布団代わりに頭から被っていた白いスーツから抜けだば、あっと森が声を出した。
「なんだよ?」
「いや、別にそれとも先に風呂にするか」
「僕の台詞だったのに……」
テンプレートではあるが、ご飯にするお風呂にするという台詞で森を出迎えようと計画していたが、どれも森が全部片付けてしまった。
どうすると考えていると、早くしろと頭を小突かれた。
*
「なんか増えているんだけど、」
「ミョウガがあったから使ったけど、なんか作る予定だったか」
「冷や汁とあと、タコの酢の物……」
高杉が用意したのは、鰹のたたきときゅうりの浅漬けのみであった。
本当は冷や汁というものも作る予定であったが、それに使う予定だった食材はタコの炊き込みご飯や椀物に形を変えていた。
「全部躯冷やすもんじゃねぇか、バランス考えろ、」
確かに温かい食べ物があるとほっとする。
「美味しい……」
岡田の故郷の土佐ではニンニクで食べる文化もあるようだが、匂いが気になると話せば、岡田も匂いがきつい食べ物を嫌っているので大葉で食べてみろと教えてくれた。
なるほど生臭さが消えた上に風味が増している。
「そりゃどうも、ろくに昼メシ喰ってねぇだろ」
「う……いやだってね、」
「なんだって急に家事やろうなんて思ったんだ、」
「君に愛想尽かされたくないから、流石に部屋の掃除だけじゃ申し訳ないだろ」
惚れ尽くしてほしいというと森がふぅと瞼を閉じる。
「他にも色々やってるだろ、まぁ作ってくれるのはありがたいが……」
「なんだよ、」
「惚れた奴の腹満たして、ついでに世話できるなんて男冥利に尽きるだろ」
「……!森君、君って奴は」
「冷めねぇ内に喰え、あと大殿から菓子貰ってきたけど入りそうか」
「うん、森君、あのね、僕ちゃんと君のこと好きだからね、」
「おう、知ってる」
家事は出来ずとも高杉は森のことが大好きで、この気持ちをようやく伝えられる日々に喜んでいた。
*
「ところで森君が、その恰好で台所に立ってるの珍しいね」
食事が終わり、単をたすき掛けした森が食器を洗っていると高杉が森の袖を掴む。
「あ~これで誰かさんに一回逃げられたからな」
魚を捌いた手で指輪が渡せないと風呂に入っていると、その間に高杉が逃げ出した苦い経験を思い出して森はしかめっ面をする。
あれから十ヶ月過ぎたが、逃げ続ける高杉を追いかけるのには骨が折れた。
「あの時はさ、だって、もういいだろ、こうして僕は君の隣にいる」
それでいいだろうと、拭いた食器を棚に戻すと急須のお茶を湯呑みに注いで森を椅子誘った。
「菓子とあとこれ」
信長から貰った干菓子と一緒に渡されたパンフレットを見せる。
男性が二人教会をバックにペアルックで並んでいた。
「あ~こっちも、そろそろ考えないといけないの
パンフレットを置いたままだと高杉がまた勘違いを起こすのではないかと、森は、単で過ごしていた。
「むしろまだ決まってないのに驚いていたぞ」
「まぁ信長公ならまず一番に決めてそうだもんね」
「成利の衣装決める時なんてスゲー張り切っていたぞ」
披露宴会場もゲストに配る引き出物もおおよそ決まっていたが、衣装はまだ何も決まっていない。
先に可愛らしい蘭丸と式を挙げた信長があれこれとアドバイスをくれるので助かっているが、衣装に関してはまったく参考にならない。
二人揃ってスーツやドレス、和装と何着用意したのだというくらいお色直ししていたようだが、高杉は受け入れる側ではあるが女装はしたくないし、森色に染まるというアピールがしたいとも思わない。
ただ周囲に末永くお付き合いしますという報告と、なんとなく真似事でも良いから森と愛を誓い合いたかったのだ。
「森君は、どうするの、君の紋付き袴は見てみたいかも」
成人式は、森は当時住んでいた岐阜まで帰っていたので移動に面倒だとスーツだった。
「別に良いけど、それに合わせるならお前も紋付き袴か……」
いつか高杉の両親に、千歳飴の入った袋を持っている高杉の写真を見せて貰った森はそれを思い出していた。
「君絶対今失礼なこと考えていただろ、顔見れば分かるよ……」
喜怒哀楽が気持ちが昂ぶらない限りわかりにくい森ではあるが、長年一緒にいた高杉には分かる。
「君の紋付き袴なんて、知らない人が見たら何処かの組の襲名披露だ」
「ンだと、じゃあ止めとくか」
「いや見たいです、それにするとして流石に一日それはキツいからあと、」
和装に慣れている森なら兎も角、高杉の和装と云えば時たま森に合わせて買った着物を自分なりにアレンジして着こなすときだ。
「キツい?」
「君が着付けしてくれるなら兎も角、ああいったところでは帯で締め上げるものだろ」
女性と違い男性の着付けは緩やかであるが、それでも羽織り紋付きならそれなりに帯で締め上げられるのが容易に想像できる。
「……?俺が着せれば問題ないだろう、」
「あのね……」
まるで自分以外が高杉の着付けを出来るのかと云わんばかりの態度に高杉は、恋人の独占力に、恥ずかしくなってしまう。
「お前は着たいのないのかよ」
「ん~、そうだな、女性と違って男は結婚にロマンを感じないだろ」
つまりこれと云って着たい物がない。適当にタキシードでも良いかと考えていると森がふと、タブレットを取り出した。
「これなんか似合いそうじゃねぇか、」
そこにはチャイナドレスをイメージしたような赤いスーツを着た人工頭脳の高杉がいた。
「あとこれなんかも、」
何着か着せられている自分ではない自分に高杉は目眩を起こした。
「待ってくれ森君、もしかして一日中信長公とこいつで遊んでいたんじゃ」
「まぁ二時間くらいな、どうせあるのだから使えと云って色々教えてくれた」
「そういうのはこいつでなく僕に直接……森君はこういうのが良いのか」
「似合いそうだから選んだだけだ……」
「どうした?」
「白……」
白の何かも告げずに森はそのまま黙ってしまった。
結婚式で白いと云えば白無垢かウェディングドレスだが高杉は着たいとは思っていない。森が自分にそれを求めているのなら、キチンと理由を説明してほしい。
「白の何?」
「いや、さっきテメェがシーツに包まっていたときになんかいいなと思って」
「白無垢とか着てほしいの、あのね」
「違ぇよ、お前が綺麗に見えたから、白も良いなって」
大体白無垢って柄じゃねぇだろうと笑う森に、降参だと手を挙げる。
「分かった、そうか、そこまで言うのなら白を身に纏って、君を魅了して……」
「これ以上なく好いているのに、これ以上お前に惚れたら身が持たない」
「~~!!そういう所だぞ、森君、」
「どういうことだよ、」
「とにかくだ、今日はもうこの話は……ちょっとだけ待っていて、着替えてくる」
イギリスで三味線の腕を披露した時に貰ったカーディガンを思い出して高杉は部屋に戻る。
「おまたせ……白で思い出したんだけど、どうかな」
白いカーテンが夜風に靡くベランダの窓で高杉はくるりと回ってみせる。
カーディガンではあるが元の着物の名残で、右前に合わせベルトで縛ると今めかしい和装と変わらない。
「そんなモン持っていたか?」
「イギリスにいるときにね、君が白が良いと云うから、どうだい」
「梅に鶴か……ぷっは、こいつはイイ」
もっと高杉の姿にときめくなり、いっそスンとした顔でこちらを見てくれればかわいげがあるが、森はにこやかに笑っている。
「なんだよ人が折角だね、」
「悪ぃ、いや似合ってるぜ、高杉、」
「そりゃ僕が着ているんだ、似合うのは当然だ、」
思っていた反応ではなかったと臍を曲げている高杉に森がそっと近づいていく。
「カーテンじゃいまいち雰囲気でねぇけど、」
頭に被せられた白カーテンは恐らくベールの代用だろう。
森はそのまますっと高杉の左手を恭しく握りしめる。
「本当に良いんだな、なんつーか急にこういうことになっちまったからな」
「……?今更だろう、それにさ、僕は嬉しいよ、君が僕の恋人って自慢できるの」
なにせほぼ十年越しの両思いなのだ、浮かれたって良いだろ。
「……好きだぜ、晋作」
君はどうしてそんなという言葉を高杉は、森がほんのりと顔を染めていたのに免じて微笑みに換えた。
「ぁ……んぅっ……ンっぁん、はぁ……」
つっと森は、高杉の小ぶりな顎を持ち上げると、森は唇を啄んだ。
形の良い唇で吸っては離れていくので、早く欲しいと森に縋り付けばカーテンはするりと頭から落ちていく。
「ぁ、ぅ……ふ、んぅっ、う……ん、く」
それを合図に森の舌が高杉の口腔に滑り込んでくる。
ざらりとした上顎をなぞられると腰が切なくなるのも、舌を絡め合うと一層森が愛おしくなるのも、まだ少し擽ったい。
とっくにこの身体は森君で染まっているのにな……
「っは、ふ……んっ、ふぁ、ん、んぐ、ぐっ、ぷっはッ、ねぇ……!」
ぼんやりとした頭で森のことを考えていたのに、目の前にいる森だけを見ていればいいと、息継ぎを許すと森は高杉の舌を丁寧に舐り、喉の奥まで辺りそうなほど舌を深く突き出した。
「どうしたい?晋作」
焦らすだけ、焦らされた高杉の身体は火照っている。
森だって高杉を離すつもりはないのに、高杉の言葉が欲しいと待っている。
「も、長可くんは意地悪だ、好きにして、いやうんと気持ちよくしてくれないと許さない」
「当たり前だ、うんと気持ちよくしてやる、」
今朝自分が結び直した高杉の髪を解くと、森は高杉を抱きかかえた。
**
「……髪、また伸ばしてよ」
ベッドの中で脚を絡ませ合いながら高杉がそっと森に囁く。
「めんどくせぇ……なんでだよ、」
一夜を共にして高杉の方が先に目を覚ますことは稀だ。
森から逃げ出した日はただ逃げ出したいという気力だけで、起き上がって荷物をまとめていた。
だからだろうか、森はあの日以来、高杉よりも後から目を覚ますことはしない。
当たり前のように高杉の躯を綺麗なタオルで体液や汗を拭い、パジャマに着替えさせるのは勿論、きっと高杉が知らないような細々した片付けもしているのだろうと思うと、なんと出来た彼氏だろうと感激してしまう。
「僕だって君のお世話をしたいんだ……男冥利って奴だろ」
森の逞しい腕に頭を預けている状態で語る台詞ではないが高杉だって男なのだ。
「考えとく、まだ早いんだ、寝てろ」
「森君、朝ご飯はね、」
僕が作るからと云いたかったのに、髪を撫でられた高杉はすぅすぅと寝息を立てた。
「僕の森君が仕事が出来すぎる件について」
「のろけ話は就業中に聞きたくありません、ほらお式までに終わらせないといけない仕事を片付けますよ、」
阿国に話を語ろうとすれば、すぐと話が遮られた。
二人が結婚するまであと××日。