イケないぬいぐるみ 動乱の明治維新も終わり東京の都が西洋と並ぶ大都会となった昭和の頃
一人の少年が浚われたお話。
高杉家の長男、晋作は主君のお供で洋行に出掛けた父の帰りを庭先でじっと待っていた。梅もほころぶ春だというのに身体の弱い高杉を気遣ってか、膝に抱く湯たんぽが用意されているがひどく色気がない陶器を晋作は使いもせずにいた。
つまらないと足をぶらつかせていると玄関先が俄に騒がしくなる。
そのとき、梅の木がざわめき見事に開花したのを皆、主人の帰りで気づかずにいた。
「ととさま」
漸く帰ってきた父親に顔をほころばせた晋作だが、七つになったばかりだというのに、武家の息子らしくきちんと挨拶をした後駆け寄るが、いつも晋作を抱きかかえてくれる父はすでに大きなぬいぐるみを抱えていた。
「ただいま、良い子にしていたか」
はいと返事をする息子を撫でると、使用人達にあれこれと指示を出す。
その間じっと晋作は父が持っているぬいぐるみに、じいと目を合わす。
ふわふわとした熊のぬいぐるみではあるが金色に輝く目はぐるぐると目が回しそうになる。
動物園や図鑑で見る熊は黒や茶色だというのに、その熊はまるで西洋薔薇のように真っ赤でおっかないと晋作は一瞬目を逸らそうとするが、べっこう飴のような熊の瞳は晋作を追いかけて離さない。
「ととさま……」
弱い子だと思われないよう晋作は力強く父に声をかける。用事を済ませた父は済まんと謝ると晋作と変わらない熊のぬいぐるみを彼に渡した。
「お土産だ、」
蹌踉めきながら受け取れば柔らかい絨毛が高杉を包み込む、おっかない気持ちは吹き飛びぎゅっとぬいぐるみを抱きしめれば、色と同じ薔薇の香りとトクトクと心臓の音が聞こえたような気がした。
機械仕掛けなのだろうかと、くるくるとぬいぐるみを回せば尻尾の箇所にアルファベットが並んでいる。
ひらがなも漢字も読め、アルファベットも先日覚えたが読み方はまだの晋作は父に尋ねた。
「えっと……」
綴りは独逸語であった、主君と洋行に出来るほど勤勉で実直であったが、生憎と独逸語は不慣れであった父はどうにか英語と仏蘭西語に似たような文字を見つけ訳していく。
「森の……くま?」
あやふやな箇所を読み飛ばし晋作に教えた父、彼は一カ所読み飛ばしていた。
獰猛な熊、そう訳せば彼は息子に来る災難をもっと早くに気づけたかもしれない。
「森君、」
どうやら晋作はぬいぐるみの名を知りたかったようで、満足したようにニコニコと笑う。
親のひいき目から見ても、まろく白い肌に桜桃のように赤く大きな瞳にキュッとした唇の少々勝ち気だが可愛らしい表情は愛おしいと感じる。
そのせいか晋作が一人で外に出歩けば人さらいに何度も遭遇している。
幸いに使用人や街の人間が気づき、大事にはならなかったが病弱とは言えじっとしているのが苦手な息子が大きくなるにつれて行動範囲が広くなるのは必定。
せめて大人しく家にいるように遊び相手のぬいぐるみを買ってはみたが正解であったかと、息子を見れば随分と気に入ったようで早速熊を相手に相撲を取っていた。
*
晋作と森君はそれからずっと一緒であった。不思議なことにぬいぐるみが来てから晋作は人さらいに遇うことはない。
晋作が森君とこっそり出掛けても何事もなく帰ってくる。
偶然だろうと大きくなったのだから貸してあげなさいと、妹たちにぬいぐるみを与えれば、たちまちに晋作は熱が出るか、気が狂った書生が晋作を痛めつけようとしてくる。
魔除け代わりだと仕方なしにぬいぐるみを晋作に与えていた両親だが、恐ろしくなり昭和の御代に非科学的だが陰陽師や教会を頼っても、誰も何も言わなかった。
さて、そんな晋作も十二となり来年には中学に進学することが決まった。
さすがに相撲や冒険ごっこもしなくなったが片時も森君は彼の部屋にいた。
もそり、子どもと少年の青い躯を晋作は寝床でもじもじさせていた。
腹の下が熱くてたまらない。ぎゅっと足通しを挟めば頭がふわふわと霞む。
それが溜まらなく気持ち良くなり、繰り返しているが途轍もない罪悪感に襲われる。
誰かに見られているそんな気がして、部屋をくるくる見渡せば森君と目が合う。
急に恥ずかしくなった晋作は森君をぐるりと回し、寝床に再び戻るがまだ見られている気がする。
どうしてと襖を開ければ、五月人形の鎧武者をもっとかっこよくした何かが立っていた。「誰?」
恐ろしいはずなのに高杉は彼に名前を尋ねたが、答えること無く彼はすっと消えてしまった。
その彼は晋作がどうしようもなく躯が火照る日にやってきては消えていく。
そんなとき晋作は森君を抱えて寝るのが癖になっていた。
熱の正体を知ったのは偶然だった。
最近森君から血の臭いがする、前は薔薇の匂いだったのにと漏らせば汚れたのだろうと女中が洗濯に出してしまった。
その晩、晋作は家にいた書生に悪戯をされかかった。腫れ物があると書生は陰茎を剥き出しにすると晋作に握るように無理をした。
叫びたくとも書生が晋作の腕を掴んで離さない、黒々とするそれを擦るたびに生暖かい吐息が頬に掛かって気持ち悪い。
助けて助けてと懸命に愛撫をしていけば、腫れ物から白い液体が吹きこぼれた。
顔を汚す液体に泣きたくなったが書生は歯を剥き出しにして笑い、晋作に覆い被さる。
怖い怖いと震えていた晋作だが、懸命に頭を振ればごつりと書生の頭とぶつかり隙を突いて逃げ出した。
「森君……」
どうしてだろうか彼を抱きしめたくて仕方がない、急ぎ洗濯場に走ればまだ乾ききっていない彼を晋作は抱きしめた。
主人の子どもを手込めにしようとした書生はすぐと露見し、警察に連れて行かれたが晋作の心の傷が癒えることはない。
それどころか熱の正体を知ってしまった晋作は、それを堪えるのに必死だった。
森君を抱きしめ、早く寝たいのに熱がぐるぐると回り落ち着かない。
けれどあの男のようにはなりたくないと蹲れば、世界が真っ白になったあと寝床がひんやりと冷たくなった。
「あぅぅえ……」
どこか青臭いにあの晩を思い出して晋作は泣き出した。
一頻り泣いた後、ぽんと誰が晋作の頭を撫でる。
頭をグッと上げれば、ぼやけた視界に赤毛の青年が晋作を抱きしめようとしている。
「だあれ?」
「……森君だ」
男は少し考えた後そう晋作に告げる。
晋作は首を傾げた、森君とは晋作のぬいぐるみと同じだと口にすれば男は頷く。
「うそだ、森君は……」
この子だよと紹介しようとすれば一緒にいた森君がいない。
「そりゃ俺だからな、まぁイイ時間がない連れて行くか、」
「どこに……」
書生に手を握られたときはイヤだったのに男に握られても平気だった。
「お前の帰る場所、全部忘れたのは痛いがまあ思い出すだろうよ」
何をと聞こうとする前、晋作は男に簡単に浚われた。
*
行方知れずとなった高杉が帰ってきてマスターがほっとするが、森は苛立ちが収まらない。どうにか高杉の居る特異点にたどり着いたが、ひどくあやふやな場所で霊基保てずに、いたためぬいぐるみという姿でしか子どもの姿となっていた高杉を見守るしかなかった。
せめて霊基が安定するまで、それは魔力が躯に行き渡る人で言う二次性徴を意味していたがそのきっかけが他の男であったことに森は歯切をする。
「全部俺のだ――晋作、」
ぬいぐるみの時もそして普段も呼べない名前で寝ている高杉の横に横たわると、今度は逆に高杉をぬいぐるみのように抱きかかえ森は一緒に眠った。