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「……ごめんって、こういう場合言ったら失礼だよな?」
迷路の茂みの向こう側。パーティーを楽しむ明るい声や、騒がしい声が聞こえる中で。自分は人気のない場所まで、デュースに連れられてきていた。
そしてなぜか、なんの前触れもなく、キスをされた。
「もう一回良いか?」
こっちの返答なんて、きっとハナから聞く気がない。やけに綺麗にほほ笑んだデュースが、再び自分に被さってきた。
くちびるに触れた温もりは、これで二度目。一度目よりはハッキリと柔らかさやデュースの熱を感じる余裕はできた。
けど、問題は多分そこじゃない。それは色恋に疎い自分でも分かる。
「また時々、こうして二人きりでキスがしたい」
陰ったピーコックグリーンの瞳が、静かに燃えているような気がした。太陽から姿を隠すように抱きしめられて、デュースの腕がしっかり肩と腰に回って。少し痛いぐらに抱き寄せられながら、親しい友人の吐息を間近で感じながら。
なんでもない日のパーティーのはずが、自分にとっては一瞬でなんでもなくない日に変わってしまった。
自分はデュースと付き合っているんだろうか?
いくら考えても、答えは否でしかないと思う。そもそも付き合うってなんだ。男女間は必ずしも恋仲になる必要はないと、自分ではそう思っている。いくら男子校に、女一人紛れ込んでいるとは言っても。
第一自分はデュースに、女として見られていたことが意外だった。キスされたあの日、帰って急いで鏡を確認したぐらいにはびっくりした。
どこからどう見ても、冴えない地味な女が映し出されていた。デュースみたいに顔が良い男の子が惚れる要素なんて、一つもない。だったらなんで、デュースは自分にキスしたのか。それが分からないから、授業中だというのに自分はぐるぐると悩んでいる。本当なら授業に身を入れなきゃいけないのに。デュースと顔を合わせる度に、この間のキスがチラついてしょうがない。こっちが頭を悩ませまくってるのに、当の本人はと言うと。
「?」
自分の視線に気づいたデュースが、横に振り向いてくれた。そこまでは別に良しとしよう。
だけど視線が合い、風が吹いたように爽やかにほほ笑まれた。ついでに後ろから後光が差しているようにも見えた。とにかく顔が良い。
ーーなんでデュースは、気にしたそぶりが全然ないの。
これじゃあうじうじ悩んでる自分が、大層馬鹿らしくなってくる。デュースにとってあのキスは、ただの挨拶だったとか。
そうだよ、ただの挨拶って可能性は全然ある。デュースは薔薇の王国出身だって言ってたし、オシャレな名前の国だからキスが挨拶の風習だってある。じゃないとただの友達同士で、キスなんてするわけない。
これで自分なりに腑に落ちる理由ができて、スッキリした。
さぁて、今からでもちゃんと授業聞かなきゃ。グリムは座学だとほとんど頼りにならないから、自分がしっかりしないとね。
なんて楽観的に考えていた、その日の夜のこと。
「悪いな、夜に尋ねて来ちまって」
「それは良いけど、どしたのデュース?」
寝間着姿のデュースが、オンボロ寮に突然やってきた。スートもなく、髪もお風呂上がりなせいかぺたんとしてる。普段見る姿より少しだけ幼く見えて、思わずドキドキした。
中に入ってきたデュースを案内しようと、先に行こうとして。不意に手を握られて、体が強制的に引き止められた。
「デュース……?」
つんのめった体はデュースの背中に当たり、思わず顔を上に向けたと同時に。
「んっ……」
通算三度目のキスが、またしてもデュースから送られた。すぐに離れていくかと思いきや、くちびるはほんの僅かだけ離されて再度くっつく。
「むむっ、んっ、ちょっ、デュー……」
デュースの腕の中で体勢を変えられて、向き合う形で抱き込まれる。離れようと胸板に腕を差し込むも、それ以上の力で抑え込まれる。結局自分は、男の子であるデュースの力に適うはずもなく。ただただ与えられるキスを、懸命に受け止めるしかなかった。
まるで映画の中でしか見たことがないような、情熱的な深いキス。啄むように交わし合うくちびるからは、互いの熱が如実に伝わってくる。甘噛みなんてされたことないし、ましてや舌を入れられるとは思ってもみなかった。なのにデュースの肉厚な舌が、自分の口の中で好き勝手に暴れている。奥に引っ込んでいた自分の舌も見つかり、執拗に絡め取られてしまった。
「んんーっ、ふっ、んぁっ、んっ」
こんなキス、生まれて初めてで対処の仕様がない。息の仕方も分からなくて、呼吸もままならない。じわりと滲んでいく視界の中で、うっすらと開いた目と目が合う。
その瞳の中には、紛れもない激情が宿っていた。
どうして、なんでそんなふうに自分を見るの。
分からなくて、ただただ困惑する。友達だからとか、薔薇の王国の風習なんじゃないかとか。自分を納得させるような理由を、色々と並べてみたけれど。
全部有り得ないって分からされたのは、このたった一つのキス。
「っと、大丈夫か?」
すっかり足の力が抜けてしまった体。それはデュースによって、難なく支えられる。息も絶え絶えな自分とは違って、デュース随分と余裕有りげ。なんでここまで差がつくの。だってデュース、女の子は苦手って、言ってなかったっけ。その設定どこいったの。文句のひとつでも言いたいのに、まだ息が整わない。
「談話室まで運ぶか? それとも、部屋のベッドまで?」
「だ、だんわ、しつ……」
「ん。分かった」
この状態で自室に連れていかれたら、キス以上の事をされそうで。幸い談話室ならグリムもいるし、と思い至って。
「先に寝るんだゾ〜」
とデュースを迎える直前に、二階へ行ったのを思い出した。
「グリム、先に寝たのか?」
「……うん」
談話室を選んだのは、もしかしたら不正解だったかもしれない。まさかこの場面で再びデュースと二人きりになるなんて。とんだ大誤算。
ソファーへ優しく運ばれたものの、隣に座るデュースから一人分の距離を取る。
「……」
「……」
なんでだ? なんて不服そうな顔をするデュースが、それでも距離を縮めようとするから。当然自分も、また距離を取る。そんなことを繰り返して、すぐに端にまで追いやられてしまった。もう逃げ道はなくなった。だけどデュースは遠慮なく距離を縮めようとしてくる。
「ユウ」
名前を呼ばれたけど、とても顔を上げられそうになかった。またキスされるかもって理由と、これ以上キスをしたら駄目だと思ったから。
「だ、駄目だよもう」
「キスのこと?」
「そう!!」
力いっぱい叫んで、膝の上で拳を握りしめた。
今更もう、友達には戻れないかもしれない。だけど自分は、デュースが言ってくれた「マブダチ」って言葉が凄く嬉しかった。この世界でできた大切な友人の一人。できることなら、自分がいつか帰れる日まで、その関係性で居続けたいと願うから。
「……ユウ、だったらこっちを見てくれ」
「……キスしないなら」
「向いてくれるなら、今はしない」
今はってなんだ、今はって。そう突っ込みたいのをぐっと我慢して、そっと顔を上げた。思ったより間近にあった綺麗な緑に、鼓動が跳ね上がる。安らかな緑を連想させる温かい瞳は、自分のことを熱いぐらいのまなざしで見据えていた。
「デュ、ス」
「僕は、自分で思っていた以上に……ユウの事が好きみたいなんだ」
そう言って項垂れてきたデュースは、自分の肩に頭を乗せてきた。少しはだけた寝間着から、デュースの吐息が直に当たってくすぐったい。
「っ……」
軽く身を捩っても、抱き寄せられた体はビクともしない。って言うか、思っていた以上に好きってなに。誰が、誰を? デュースが、自分を?
怒涛の展開にも、頭が全く追いつけてない。
「誰にも取られたくないから、先にキスした。マーキングしておけば、手をつけられないって思って」
マーキングって、自分は犬か何かか。
「あのなんでもない日のパーティーで、僕以外と話すユウを見てたら、抑えられなくて」
ぐりぐりと頭を擦り付けられて、柔らかい髪が何度も首筋に触れる。これは本当にマーキングされてるみたいだ。でっかい大型犬に懐かれたら、多分こんな感じ。
場違いな感想を抱きつつも、自分はデュースを突き放す事ができずにいた。
最初は戸惑っていた自分も、次第に冷静さを取り戻し始めていた。
キスをされた理由は、判明した。その理由は、デュースが自分を好きだから。何がどうなってそうなったかは、分からないけど。
「好きだ、ユウ。お前が好きで、どうしようもないんだ」
ぎゅっと強く抱きしめられる体に、デュースの気持ちが篭っている気がした。なんて返すのが正解なのか。
友達のままじゃだめ? なんて言える雰囲気じゃない。だけどこのままデュースに何も言わないのは、卑怯な気がする。
どうしようか、どうしたらデュースを傷つけることなく、この場を穏便に済ませられる。必死になって答えを出そうとした自分に、さらにとんでもない言葉がかけられた。
「だから僕と結婚を前提に、付き合ってくれ」
「は」
あまりにも唐突すぎるプロポーズに、耳を疑った。
ゆっくりと顔を上げたデュースの表情は、真剣そのもの。とても茶化せるような感じではなくて、ただただ見つめることしかできなかった。
「僕だけの、女の子でいてくれないか」
御伽噺の中でしか聞かないような台詞。それがたった今、自分だけに向けられている。
それをまさか友達から聞かされるとは、思ってもみなくて。
「好きだ」
何度もぶつけられる愛の告白に、抗う術を持ち合わせてはいなかった。