やはり忘却…!忘却はすべてを解決する…!某介護施設
今日は昨日までとうってかわって大雨だ。雨音が施設の中まで響く。
ほとんどの入居者は窓から離れ各々の場所でくつろぐ中、
彼だけは今日も窓の外を見上げていた。
今日は雨で残念ですね。
そう声をかけようとした時だった。
強い閃光が走った。
更にその光を追いかけるかのように空から轟音が鳴り響く。
「落雷じゃ…何年ぶりかのぅ。わしらの若い頃はよく鳴っておったが…」
入居者の一人がそう呟くと周りも同意するかのように頷いた。
室内のテレビには今の落雷の件が速報のテロップで数秒表示された。
雷。最後に見たのはいつだったか、もはや覚えていない。
物心ついた時から環境維持システムのおかげで自然災害はほとんど起こらなくなった。
稀に台風や落雷などが起きるのだが、昔と比べて数年に一度あるかないかのレベルだ。
急な落雷に彼が驚いたかもしれないと思い声をかける。
だが彼は私の言葉など上の空で呟いた。
後に続く言葉の意味をこの時は理解できなかった。
思わず聞き返すが、既に彼はその言葉を忘れていた。
翌朝。彼は老衰で亡くなった。
入居者の死を経験したのは今回が初めてではない。
高齢である以上、こういう事はどうしても起こる。
分かっていてもやりきれないものだ。
先輩から聞いた話だと認知症の入居者の中には死の恐怖を忘れてしまう人もいるらしい。
せめて最期くらい恐怖と苦痛を感じずに安らかに眠った事を願う。
ふと、あの時彼が言った言葉を思い出す。
もしかして…彼はあの雷を待っていたのだろうか?
それではまるであの雷が彼を迎えに来たみたいだ。
そんな考えを頭から消すように首を横に振り、普段の業務に取りかかった。
急な落雷に彼が驚いたかもしれないと思い声をかける。
だが彼は私の言葉など上の空で呟いた。
「かつて、私は…あの雷に救われたのだ…」
その言葉の意味をこの時は理解できなかった。
思わず聞き返すが、もう彼はその言葉を忘れていた。
おわり