『お前が男だったらよかったのに』
耳にタコができそうなほど聞いた台詞には、今はもう何も感じることはない。またかよ、と思う。ただそれだけだ。
広すぎる屋敷の狭い部屋。ごろんと転がって天井を見上げた天ノ川護(あまのがわまもり)は、停滞した日常に溜め息をついた。時が止まったような家に縛られ、本来の自分を歪められて敷かれたレールを歩く。
「……つまんねぇよな」
「何が?」
独り言に返ってきた言葉と共に、ひょいと幼馴染みの顔が護を覗き込んだ。
「護ちゃん、稽古またサボったでしょ~。師範が探してたよぉ?」
「いーんだよ、もう俺の方が強いんだから」
「またそんなこと言って~」
ニコニコと優しく微笑う幼馴染み、天女目祷(なばためいのり)。護と同じく生まれながらにしてその生涯を親に定められた彼は、この家で唯一護が共感し心許せる相手だ。
能力の稽古をサボったことを注意するよう言われて来たんだろうが、祷は別段咎めることもなく護の傍に姿勢よく座った。
「で? 何がつまらないの?」
「この家がだよ。祷もそう思うだろ?」
「そうだねぇ……」
改めて問われたことに、護はぶっきらぼうに答えた。
苦笑する祷だって護と同じように、いや護よりもずっとずっとがんじがらめにされていることを知っている。
天女目家、昔から代々占星術を生業としてきた一族。星を支配するエレメンタルの声を聞き、星の動きを読み未来を占う能力を持つ。その的中率から助言を求める者は多く、政府の要人から裏社会の人間まで顧客は様々だ。
代々女系である天女目家に数百年ぶりに生まれた男児が祷だ。天女目の当主だった祷の母は祷を産んで程なくして亡くなり、跡目を継げる者がなかった為に祷は女性として育てられることになった。
能力を独占されることを恐れ、祷が家から外に出されることはほとんどない。義務教育だから厳重な護衛付きで中学には行けているが、それももう二年も経たずに終わる。高校など行かされることはなく、祷は残る人生をこの家に閉じ込められて過ごすのだ。
体を起こした護は祷に向き合いじっとその色違いの瞳を睨み付けた。ぽやぽやしてるように見えて、その笑顔の奥に諦めがあることなど護がわからないはずがない。
「俺達が逆に生まれてれば違ったのか」
「……私達は私達だよ。どこにいてもね」
どちらにしても窮屈には変わりないが、産まれた家が逆ならばこんなにひねくれることもなかっただろう。
天ノ川家は生まれた時からその身に星の力を宿す。故に星を支配する天女目家を代々守護してきた一族だ。代々の当主は男。親戚にも男は大勢いるから、本来ならば女の護が家督を継ぐことはできない、はずだった。
だが生まれながら護が宿していた力は、一族の誰よりも強力だった。十三星座全ての痣を持つ者など、一族の歴史でも類を見ない。
これ程の力があるのに、女であっては当主にはできない。だがあまりにも惜しい。ならばどうするか。簡単だ。生まれた子は男だったことにすればいい。
そうして護は男として育てられることになった。
女として、男として。いくらそう育てられていても体は本来の性別の成長をしていく。
髪を伸ばしてみたかった。スカートを履いてみたかった。本当の自分を出せないまま、狭い世界で死ぬまで過ごすのか。
「……でも本当の私達はどこにもいない」
「じゃあさ、探しにいかない? 俺達二人で」
護が初めて溢した弱音を、祷はそう掬いあげた。変わらない優しい微笑みで祷は護に手を差しのべ告げる。外の世界を見に行かないか、と。
「私達みたいな能力者を保護して育ててる学校があるんだって」
中高一貫だから、そこに行けば諦めていた高校にも進学できる。
「きっと、いい出会いがあるよ。護ちゃんにも、私にも」
「……祷が言うなら間違いはねぇな」
そうだ、何を弱気になっていたんだろう。護は祷の手を握り、立ち上がった。そのまま祷も引っ張って立たせて、護はニッと不敵に笑う。
「行こうぜ、そこ」
「えっ、今から?」
さすがに急すぎないか、と言う祷を、護は一笑に付した。思い立ったが吉日。善は急げ、だ。躊躇う理由はありはしない。
今なら見張りも手薄だろう。着の身着のまま、持って行く大切なものは互いだけ。
「俺達血統書付きだからその学校まで行けりゃ保護してもらえんだろ」
「またそんな言い方するぅ……」
「保護してくんなかったらそのまま暴れてやるぜ」
「血の気多いんだから、も~」
苦笑する祷の手を引いて、護は部屋を飛び出した。
◇◆◇
いくら見張りの目が少なかろうと当然家を出るのに見つからない訳はなく、騒ぎになった屋敷からはすぐに追っ手がきた。祷の手を引く護に向けては「乱心か」「謀反か」など時代錯誤な罵倒が飛び、祷に向けては「戻ってこい」「今助ける」など白々しい言葉が投げられる。
「言ってくれるよな、焚き付けたのは祷だってのに」
「え~! 私のせいなの?」
「そーだよ、だから責任もてよな」
「ちぇ~」
あまり追っ手に増えられると面倒だ。ここらで一度撒いておかなければ居場所もすぐにバレてしまう。ちらと祷に目を向けると、祷も同意見のようだ。
ザッと立ち止まり、追っ手達に向き直る。早く祷を返せだとか、今ならまだ間に合うだとか。そんな言葉に従うくらいなら、端から家出をしようなんて思わない。
「行くぜ、祷」
「うん、護ちゃん」
祷が胸の前で手を組み目を閉じる。すうっとすぐに開かれた瞼から、色違いの瞳が追っ手達を静かに見据えた。
「ーー占星召喚」
祷が唱えたと同時に、祷の左右にぽうっと丸い光が現れた。赤色と黄色の光球体に炎と髭の紋章が浮かんでいる。炎のエレメンタル・サラマンダーと、土のエレメンタル・ノームだ。
祷にはきちんとエレメンタルの実体が見えているらしいのだが、護も含む他の人間にはただの球体にしか見えない。
「サラくん、ノームじっじ、サポートよろしくね~」
『はっは! このサラマンダー様に任せろよ、祷!』
『ふぉふぉ……うるさい奴と一緒とはついてないが、儂に任せておけ』
召喚する二体はその日の星の巡りによって変わる。全部で四体いるエレメンタルはそれぞれ相性があるのだが、今日は……ハズレだ。
『なんだと! 誰がうるさいだジジイ!』
『お前に決まっとるぢゃろ。あ~うるさいうるさい』
「ああ~もう! 喧嘩しないで~!」
祷の周りをくるくる回りながら言い合いを始めたサラマンダーとノームを祷は必死に宥めているが、全く聞いてくれる気配はなさそうだ。
「おい、来るぞ!」
能力を使った祷に本気を感じ取ったのだろう。多少の怪我を負わせてでも連れ戻す、という追っ手達の気迫が伝わってくる。
「うるせぇ! 喧嘩すんな集中しろ!」
『従者が偉そうに指示すんな!』
『そうぢゃそうぢゃ!』
「なんだとーっ!?」
「も~、緊張感ないなぁ」
だというのにエレメンタル達は護に対しても噛みついてくるし、もうグダグダだ。そんな護達のすぐ横をヒュンと光る矢が掠めていく。
追っ手達が放ったそれは能力によるものだ。相手は天女目の守護の一族。当然護と同じ能力を使う。しかし護も祷も負ける気など欠片もしなかった。
「当てねーようにしたのか、下手くそか。それはこう使うんだよ!【サジタリウス】!」
護が左手を前に構えて叫ぶと、護の服の下で呼応するように射手座の紋章の痣が輝き、先ほど飛んできたのと同じ光の弓矢がその手に現れた。ギリッと引き絞った弓から次々と勢いよく放たれた光矢は、追っ手を牽制するように足元に正確に突き刺さっていく。
「お前もやれよ、サラマンダー!」
『お前の言うことは聞かん!』
『とろくさい奴ぢゃのぅ』
『なんだとジジイ!』
「うるせぇ! もういいわ!」
「わ~っ、護ちゃんごめん~」
サラマンダーの炎の矢の援護を期待したのだが、やはり今日の星の巡りでは期待するだけ無駄のようだ。続けざまに矢で牽制し、弓を消した護は次の手を考える。
今するべき最優先は追っ手を足止めし、撒くこと。エレメンタルの相性はよくないが、火と土の支配星座を使えることは逃げる上では助かった。
「【ヴァルゴ】」
乙女座の痣が呼応し、護の体からしゅるりと植物の蔦が伸びる。ヒュンとそれを鞭のように振るえば、こちらに向かって来ていた追っ手の一人をいとも簡単に拘束した。
「【レオ】」
右手の甲の獅子座の痣が輝く。同時使用は負担も掛かるが、雑魚相手に時間を掛けたくなかった。
獅子の爪と、体から伸びる蔦を使い、護はものの五分程度で追っ手の全てを地に転がしてしまった。
「はーーっ、疲れた……」
「護ちゃん、お疲れ様~」
能力を解除し息をついた護に、祷が申し訳なさそうに労いの言葉をかけてくる。別にエレメンタルの相性が悪かったのは祷のせいではないのだから謝る必要もないのだが、気にしてしまうのが祷の性分だ。
「別に祷のせいじゃねぇだろ」
『そうぢゃぞ、坊。お主は堂々としておれ』
『気にすんなよ祷~』
「てめぇらが言うんじゃねぇよ!」
「も~、喧嘩しないでってばぁ」
さて、最初の追っ手は倒したが、どうせすぐに次が来る。早いところ能力者の学校とやらに行かなければならない。もうひと踏ん張りだ。
「行くぞ、祷。【タウラス】【アリエス】」
牡牛座、牡羊座の痣が呼応する。祷を軽々と抱えあげて護が地を蹴ると、あっという間に今いた場所が遠ざかった。
「ふふ、楽しみだねぇ、護ちゃん」
「……そーだな。黙ってねぇと舌噛むぞ」
うん、と素直に口を閉じた祷を守りたい、と思う。家のことなど関係なく、護自身が。こうして外に出るきっかけをくれたのは祷なのに、彼はこの自由を限られたものだと思っている。それがわかってしまう。
(私達は私達。そう言ったのは祷だろ?)
運命は変えられない、と。祷は思い込んでいるが、そんなものはクソ食らえだ。
見ていろ、本当の私達は運命になど負けない。家のしがらみを断ち切って、必ず自由になってやる。
護は密かな決意を固め、グンとスピードを上げて駆けた。
こうして、陽ノ月学園へと足を踏み入れた二人の未来が動き始めた。
終