「誠司、ちょっと」
事務所に入るなり、ひょこりと顔を出した道流に手招かれる。誠司ははて、と小首を傾げた。パーテーションに仕切られた空間に足を踏み入れ、質素なソファに腰掛ける。向かいに座る道流はいつになく真剣な表情で、どう話を切り出そうかと悩んでいるようだった。そんなに言いにくいことがあるのだろうか。こうして顔を合わせるのは数日ぶりだが、最後に会った時におかしな様子はなかったはずだ。ここ最近の出来事を思い返してみても、思い当たる節はない。けれど目前の男の落ち着かない様子に、自然と心は身構えてしまう。足の間で組まれた道流の指が忙しなく組み直されているのを眺め、誠司は奇妙な緊張感を覚えつつもじっと言葉を待った。やがて意を決して顔を合わせた彼が、ゆっくりと口を開く。
「この間、鍋を買ったんスよ。漣とタケルと鍋をしても腹一杯になるくらいのデカいやつ」
「うん?」
切り出された内容に、やはり心当たりはない。それどころか表情に似合わぬ生活感にあふれた話題で、誠司は先の予測がつかないまま曖昧に相槌を打った。反応があったことに勢い付けられたのだろう、道流は少し表情を明るくして、堰を切ったように話を続ける。
「うちにある一番でかい丼もスッポリ入るサイズで。それで思ったんスけど……鍋を蒸し器代わりにして、プリンって作れるッスよね?」
そこまで聞いて、ようやく話の流れが見えてきた。確かに鍋を蒸し器にすれば、プリンくらい簡単に作れるだろう。しかしどれほど大きなものを作るつもりかは知らないが、大の男が二人して特大のプリンを作る姿を想像すると、どうにも滑稽に思えた。
誠司はふむと小さく呟きポケットから端末を取り出すと、何やら操作を始める。それきり黙りこくって手元に集中してしまった誠司に、道流は眉を下げておずおずと身を乗り出した。
「もしどうしても二人で食いきれないようならタケルや漣を呼んで手伝ってもらおうとは思ってるんスけど……だめッスか……?」
返事はない。誠司が電子機器を操作すると無言になる傾向にあることは理解していたが、胸中にはどうしても不安が積もっていった。スケジュールの問題か、それとも唐突な提案すぎたのか。道流が気持ちを切り替えて「無理そうなら」と声をかけようとした時。ようやく誠司が指の動きを止め、それからゆっくりと口を開いた。
「プロデューサーさんがな、お土産だと言って渡してくれたんだが」
言葉を続けながら向けられた画面には、黄色を中心としたポップなパッケージが表示されている。道流には見覚えのない商品だが、どうやらプリンの素であるらしかった。
「これなら、蒸し器も冷やす必要もないから際限なく大きくできるぞ。せっかくだ、タケルや漣だけでなく英雄と龍にも声をかけてみよう」
そう言ってにかりと笑う誠司の顔は、いつも以上に子供っぽい悪戯心に満ちている。そうだ。この男は時折、予想を飛び越えたノリの良さと行動力を見せるのだった。道流の表情も、つられてぱあっと明るくなる。
「はい! 自分、ウチで一番大きい鍋持ってくるッス!」
そうして浮き立つ気持ちを隠さないまま、二人の会話はプリン作りの計画へと移っていった。昼過ぎの事務所に、人の心を温めるような二人の穏やかな声が満ちていく。