今日も明日も 紺色のカーテンの隙間から、柔らかな朝の日差しが差し込み、ユラユラと揺れている。
窓の外で早起きの小鳥たちが鳴いている。その声を聞きながら、ヴァッシュは自分ではない他人の気配にふっと目を覚ました。
今まで他人とベッドを共にした事がないから、朝隣に誰かの気配があるのが新鮮だ。元々一人用のベッドに成人男性が2人は結構窮屈だけど、それだけ密着できるのが嬉しい。それが愛しい相手となれば尚更。
隣でまだスウスウと寝息をたてる相手とはつい先日婚約した。恋人関係をひとっ飛びにいきなり結婚の約束になってしまったから、キスも触れあうのもこうして一緒に寝るのも全部初めてで、何もかもにドキドキした。
ヴァッシュがニコ兄と呼ぶ彼は36歳。黒い髪に白髪が交じってきた事を最近嘆いている。整った顔立ちは昔のまま、目尻に少しだけ皺があって、笑うとそれが深くなるのがヴァッシュは好きだ。
寝顔を眺め、優しくその頬に触れる。ショリ、とちょっと痛いような感触がある。
「ふふ、ひげ、伸びてる」
ざり、ざりと何度か撫でる。ほんのり開いていた口がむにゅ、と閉じて、また開き、すう、と寝息に変わる。
(かわいい)
嬉しくなって唇にも触れてみる。ちょっとカサついている、薄い唇。昨日キスした事を思いだして顔がにやけてしまう。
ニコ兄に出会って10年。ずいぶん経ったような、あっという間だったような気がする。
ヴァッシュは孤児で、あちこちを転々としてきた。精神的に辛い事があると「羽」が現れるため、その事で散々怪物だと言われ、疎まれてきた。辛い事ばかりの中で、たまに見る夢があった。それは遠い星での長い長い出来事。出会ったたくさんの人々と、大切な思い出。その星での自分は、辛い事もたくさんあったのに、自分はずいぶん人を愛していて、傷つけられたけれど愛されてもいた。そうやって生きてきた事が、いつしか幼いヴァッシュの心の支えになっていた。
その夢がだんだん強く心に残るようになった頃、行き着いた孤児院で「彼」と出会ったのだ。
最初は分からなかった。けれどなぜか心の奥の、ずっと深い所で、ひどく懐かしく、嬉しく、叫びたいような思いが溢れてくるのを感じていた。それは彼も同様か、もしくはより切実だったようで、抱きしめるまではしなかったものの、その場で伏して祈りを捧げる姿に、「ああ、やっと会えた」そう、自分の中の魂が呼応した。
彼は名前をニコラス・D・ウルフウッドといった。孤児院の子供達は彼の事をニコ兄と呼んで慕っていた。ヴァッシュも孤児院で過ごすうちにその呼び名が定着してしまい、今でもニコ兄と呼んでいる。彼はヴァッシュより8歳年上だった。
ニコ兄はヴァッシュにだけではなく、どの子供にも平等に優しく、どの子供も尊重して扱う人だという事がすぐに分かった。だからこそ初めて会った瞬間の、あの取り乱し方はちょっと異様だったのだ。そんな彼がヴァッシュを引き取りたいと申し出た時、凄く嬉しかった。初めて自分だけを特別扱いしてくれる、自分をちゃんと見てくれる人だと思ったから。
ヴァッシュを引き取った理由が「前世で一緒だった」という説明を受けた時は驚いたけれど、不思議と腑に落ちた。自分がニコ兄に抱いていたこの気持ち、ずっと会いたかった人に会えたと思った感覚、夢に見ていた人とよく似た風貌、これは魂が、再び巡り会ったんだと。だからその話を初めて聞いた時、自然に前世の自分は前世の彼と恋人だったのだと感じた。それが例え、そう呼ばれる関係性ではなかったのだとしても、確かに自分の中には彼に対する泣きたいような熱い想いがあって、今世での器になった自分はそれを感じている。
ニコ兄はヴァッシュに、前世で出来なかった事を返させて欲しいと言った。ニコ兄はヴァッシュに寄り添って、本当に大事にした。そんな彼にヴァッシュが恋心を抱くのに時間はかからなかった。
ヴァッシュがニコ兄に思いを告げてから、だんだんと彼はヴァッシュに触れる事もなくなって、ヴァッシュは自分が子供扱いされたことや距離を置かれたことに酷く傷付いた。愛しているからだと言われても分からなかった。分からないくらい、子供だった。どれだけ彼が深く自分を愛してくれていたのか、大人になった今になってようやく理解できた。
10年目のプロポーズは彼なりの区切りだったのだろう。プロポーズの瞬間さえ、彼はヴァッシュの意志を尊重してくれた。
前世での記憶をほとんど取り戻したヴァッシュだったが、それは「記憶」で、自分の中に別の魂があるような感覚だった。ニコ兄はヴァッシュよりもハッキリとした記憶が子供の頃からあって、それは殆ど自分の魂と同化しているんだとポロッと話してくれた事がある。ヴァッシュの中の「自分」は、彼の事をどれだけ大事に思っていたか、その死がどれだけ辛かったのか、記憶と感情を共有した今なら分かる。前世の彼が、自分の事をどう思っていたのかも。
ヴァッシュよりも強く前世の魂と同化しているなら、10年も待ってくれたのは、本当に彼は前世での彼と、今世でのヴァッシュ、その存在そのものを愛しているんだと、そう自覚させられて、胸がいっぱいになってしまう。自分はこんなに愛してくれる彼にどれだけ返せるだろう?せめて、ずっとずっと幸せでいてほしい。
思わず隣で眠る彼の胸に飛びついて、寝間着のスウェットに顔を埋めた。
ちょっと高めの体温が暖かい。呼吸で胸が上下している。
ほんの少しだけ煙草の匂いが鼻をかすめた。
心臓の、鼓動が聞こえる。
—ああ、生きている。
(ねえ、僕の中の君、聞こえてる?)
ヴァッシュは自分の中のもう一つの魂に語りかける。あの、冷たく、硬くなった彼を抱きしめていた彼に。
胸の奥の方が暖かくなって、その魂が喜んでいることが、泣いている事が分かった。思わず自分も釣られて涙が出てきてしまう。泣き虫なのは彼の影響なのかな。
そんな事を考えていると、ニコ兄が目を覚ましてヴァッシュの体に腕を回し、頭を撫でた。
「…いま何時や?」
「5時半ちょっとすぎ」
「なんや…ちょお早すぎやろ、もいっぺん寝んで」
「うん、僕もそうする」
まだ微睡みの中にいるニコ兄がヴァッシュの柔らからな髪を触りながらフワフワと言葉を落とし、ふ、とヴァッシュが泣いている事に気がついた。
「何で泣いとんの」
「なんでも…、あの、う、ウルフウッド」
急にファミリーネームで呼ばれたニコ兄の目が少し見開かれる。
「なんや、いきなり。どした」
「うん…あのね、僕の中のトンガリが、嬉しいって泣くから」
「…おん」
「ウルフウッドが生きてて、嬉しいって、愛してくれて嬉しいって、泣いてるんだ。…だから僕も嬉しくて」
「うん」
「一緒に、生きていけるのが、嬉しいって…僕も、嬉しい」
「そうか」
「う、ウルフウッドは、…ニコ兄は、どう?」
ニコ兄がヴァッシュの顔を見、ぎゅう、と抱きしめる。
「うれしい」
染み渡るように、言う。
「愛しとる」
「うん…うん、僕も」
ゆっくりと肌に触れ、額にキスをしてくれる。柔らかく、暖かく。
抱きしめたまま2人でまた夢の中に落ちていく。
あの星で叶わなかった明日を、共に生きよう。