ある男の最期「昔、人間とプラントの戦争があったって本当?」
ある夜。少年が父親に聞いた。
「今日さ、学校の歴史の授業で習ったんだ。すごいよね!なんか映画もあったでしょ?」
少年は新しい知識に胸躍らせて父親に尋ねる。
「ああ、本当さ。父さん、結構詳しいんだぞ。今日映画見るか?」
「いいの!?」
「ああ。その代わり宿題済ませるんだぞ」
「分かってるよ!」
約束を取り付けた少年は嬉しそうに夕飯をかき込む。それを見ながら、明日は休日だし少しくらいの夜更かしは見逃そうと母親が苦笑する。
この星の、何でもない家庭の夜が過ぎていく。
遠い遠い昔、この星では人類とプラントの大きな戦いがあった。
そこで死んでいったたくさんの命と、命を守るために戦った一人の男がいた。
そのことは歴史になり、神話になり、フィクションになり、あるいはエンターテイメントとして、人の間で語られていたけれど、その男の事を知る人は、もうこの星には存在しなかった。
高い高層ビルが建ち並ぶ街中を、一人の男が歩いている。
身に纏った赤いロングコートはボロボロで、黒い頭髪はボサボサ、足取りはフラフラで、見た目は若いが浮浪者のように見える。左腕がない。たまに立ち止まり、何かを確認するような仕草から目が見えない事が察せられた。小さな子供が彼を指さし、母親がそれを咎める。
その男とすれ違うように、反戦運動のデモ行進が通り過ぎていく。この街からは遠い地で、大きな紛争が続いている。その事に対するデモ行進だ。大きなシュプレヒコールの声にも彼はさほどの興味を示さず、またフラフラと歩いていく。
身なりのいい婦人が彼に声をかけた。戦争帰りの兵士ではないか、それなら施しを、という。彼は慌ててそれを断る。
「ごめんね、違うんだ。僕はそういうのじゃなくて・・・」
それでも夫人は彼を憐れんでお札を数枚、彼の手のひらに押しつけ、数回「可哀想に」を繰り返し、涙ぐんで去って行った。
「はは・・・」
残された彼は人の良さそうな顔をちょっとすがめ、困ったように笑う。少し離れた所から、戦争孤児への募金を募る声が聞こえた。どうやら大きな教会前であるらしい。そちらに向かい、若い女性の持つ募金箱に先ほどの札を入れた。
「あ、ありがとう!神のご加護がありますように!」
その声ににこりと微笑んで、ヒラヒラと手を振った。
その教会の前を通り過ぎ、横の広い公園に入っていく。
その公園にはたくさんの木々が生い茂り、たくさんの花が植えられ、子供達の遊ぶ笑い声が聞こえてくる。街に住む人々の憩いの地になっているようだ。
のんびりと散歩をする人の間を、彼は歩いて行く。公園の掃除夫が彼に目を留めるが、大きな街であればこそ浮浪者も多い。さして彼を気にすることなく掃除の続きを再開した。
彼が足をとめたのは、普段誰も立ち入らない公園の一角で、大きな木の下だった。
木の根元にある、ほとんど周りの花や草に埋もれた石の前によっこいせ、と腰を下ろす。そしてその石の上に積もった土や葉を手でざっ、ざと払い、そのまま手でそこに彫られた十字模様を撫でる。
「やあ、ウルフウッド。来るのが遅くなっちまってすまない」
今はもう誰もしらない。これが墓石だということ。
今はもう誰もしらない。彼が、遠い昔に、愛する友人をこの地に埋めたこと。
今はもう誰もしらない。彼が、この星を救った英雄だということ。
木漏れ日が風に揺れ、小鳥たちが鳴いている。
荷物から酒瓶と、ショットグラスを二つ取り出す。両方に注ぎ、一つをその墓石に置いて、自分のグラスを軽く当てる。その手元は少しおぼつかない。
「ああ、目、もうほとんど見えないんだ。まあこれだけ生きてればね、見えなくったって支障はないよ」
「腕も、ずいぶん前に壊れて、直せる人もいないから捨てちまった。でも足が動くうちに来られてよかったよ。最期はここって決めてたから」
のんびりと平和な午後。よく晴れていて気持ちがいい。この地に根付いた植物たちは、雨を降らせ、豊かな土壌を作るまでになった。それでも。
「こんなに豊かになったけど、それでも人は争いをやめられない」
ここに来るまでに見てきたたくさんの紛争のこと。
「もう僕一人でどうにかなる規模はとっくに越えちまった」
それでも。
「そうだな、それでも、見てきたよ。この星のぜんぶ」
人が生まれて、生きて、死んで行く、その繰り返し。
「君はそっちで待っててくれるかな。・・・待ってて欲しいって、ずっと思ってたけど。それも酷い話だよな、こんな長い時間をさ。君は僕に会ったら何て言うかな。・・・アホって言って、頑張ったなって言ってほしい」
もう記憶の中の彼はずいぶんと薄れ、自分に都合のいい存在になってしまったなと思う。それでも、頬を撫でる風が、木立の葉のさざめきが、この世界の端々が、彼を思い出させる。
あの時飲めなかったグラスの酒を飲み干し、ふ、と涙がこぼれた。泣くつもりなんて無かったけれど、やっぱり少し感傷的になっている、と思う。
「君に会えてよかった。帰る場所があって良かった。ありがとうウルフウッド」
穏やかに、言う。
目を閉じて周囲の音に耳を澄ます。
鳥のさえずりに混じって、人の話す声が聞こえる。老婦人たちの楽しいお喋り。父親と息子が昨日見た映画の話をしている。この星を救った英雄の話。
燦々と照っていた太陽を雲が遮り、ザアッと雨が降ってきた。人々がきゃあきゃあと声をあげて走ってゆく。にわか雨だ。昔は考えられなかった、こんなに雨が降るようになるなんて。それほど長い時を生きてきたのだ。
少しの雨が上がって、また雲間から太陽が顔を出した。雨に降られた人達が雨宿りから戻ってくる。
掃除夫が赤いコートが落ちているのを見つけた。先ほどすれ違った浮浪者のものだ。
「ゴミはゴミ箱に捨ててけってんだよなぁ」
そう独りごちてそのコートを台車のゴミ入れに投げ入れる。
コートの下には一枚の白い羽だけがあり、それがふわりと宙に舞って、そして消えた。