長野そば!そば!!そば!!!(アイスクリームも添えて)① 今年の冬は雪が多いらしい。物流が滞ったり交通が不便になったり、災害級なんて言われる大雪が降ったりもするけれど、俺としては願ったり叶ったりなところもある。こう見えて趣味がスノーボードなので、毎年冬は待ち遠しい。とはいえ、寒いのはそこまで得意ではないのだけれど。
今年はどこに行こうかな。ここのところは新幹線で湯沢とか、近場で磐梯とかに行っていたけれど、思い切って北海道もいいかもしれない。となると日帰りは無理だから、どうせならご当地食べ歩きもしたい。それなら、せっかくだからいつもと違うところに行こうか、と考えて、馬岱くんを誘ってみようかなと思いついた。土日なら大丈夫だろうか。
馬岱くんからは二つ返事で快諾された。よかった。実は、サークル活動という付き合いはあるけれど、泊まりがけの旅行になんて誘ってしまって、ちょっと馴れ馴れしすぎたかなと思っていたんだ。俺はどうにも手加減が下手でいけない。ちょうど大学は冬休み中だそうで、金土日の二泊三日でとれそうとのことだった。北海道は学生の馬岱くんには予算面で難がある。結局交通費や諸々のことも考えて、行き先は長野県に決めた。学生以来行っていないかもしれない。金曜早朝に出発すれば昼前にはスキー場に着く計算だ。滑ったら、ちょっと頑張って翌日のスキー場近くの宿に移動してしまおうかなと思う。一時間くらいの道のりだ。二日目は朝から滑って、昼くらいで切り上げたらまた移動して、午後からはお待ちかねのサークル活動だ。お土産買ったり観光したりして、三日目の夜には帰ってくるようにしたい。幾つか店を調べてメモしておく。大体の予定と予算なんかを馬岱くんに共有して、持ち物の相談もした。概ね俺の考えたプランで了承してもらえたので、宿の手配やリフト券(最近はウェブチケットだから便利だ。馬岱くんにもリンクを送って買っておいてもらった)の購入なんかを済ます。幸いスキー場からあまり遠くなく、個室に風呂がある宿が取れた。若気の至りで入れた刺青、こういう時結構面倒くさい。
さて、車で行くとなればタイヤ交換が必要だ。ひとりでやるのは手間だけれど、まあ一時間もあれば終わる。毎年のことだ。うちの物件は部屋ごとに物置が割り当てられているので、タイヤや油圧ジャッキ、工具とかは全部そこにしまってある。さっさと交換して、車内に掃除機掛けてゴミ捨てて拭いて、ひとを乗せられるようにしないと。窓の氷を剥がすやつと、車の屋根の雪を落とせるワイパーみたいな雪かきもトランクに積んでおく。スコップはこの車を譲ってもらった時から積みっぱなしだ。スタックした時にも使えるからそのままにして、念のためチェーンも積んでおいた。この車は四駆だけれど、あまりひどい雪道だと冬タイヤ装備でも危ないからな。古い車でシートヒーターが搭載されていないので、部屋で使ってる膝掛けも一応載せた。使わないなら使わないで、荷物のカバーなんかにすればいい。
細々した準備をしているうちに、あっという間に旅行の当日だ。ボードとかブーツみたいな大きな荷物は前の日に積み込んでおいた。朝五時に馬岱くんをアパート前で拾って、そのまま高速に乗った。今日の馬岱くんはダウンジャケットとニット帽とネックウォーマーとでモッコモコに厚着してる。冬毛の犬を彷彿させてちょっとかわいい。目をしぱしぱさせながらデッカいあくびを噛み殺している。なんと、わざわざ俺の分まで水筒にコーヒーを淹れてきてくれていた。そのために少し早く起きたらしい。前から思っていたけれど、めちゃくちゃ気が利くなこの子。俺もガムとか飴、お茶は二人分買っておいたけれど、コンビニの新作クッキーとかチョコ系のお菓子とか、そういうのを買おうっていう頭がなかったから、馬岱くんがリュックからざくざくお菓子を出しては勧めてくれるのに感動した。嬉しい。遠足みたいで俺もうきうきしている。 途中、サービスエリアに寄って、休憩がてら朝食を食べることにした。俺はたぬきうどん、馬岱くんは醤油ラーメンとスパムおにぎり。こういうところの麺類ってあっさりしていて結構好きだ。スパムおにぎりおいしそうだけれど、満腹になると眠気も増すので軽めにしておく。ひとの命を預かっていると思うと油断はできない。フードコートには大型トラックの運転手さんらしき人達がちらほらいて、俺達と同じように朝食を食べている。ささっと食べたら出発。まだそこまで交通量は多くない。このまま渋滞しないといいんだけれどな。
馬岱くんは去年初めてスノボをしたんだそうだ。大学の友達と湯沢に行ったらハマってしまい、忙しい間を縫って何度か通ったらしい。まだぜんぜん初心者だよおって言うけれど、若いからきっと上達も速いだろうと思う。ウェアは自前、ボードは友達から借りたそうだ。
「じゃあ、今日が今年の初滑りかい?」
「そうなのよ! ちゃんと滑れるかなあ」
「一本滑れば思い出すから大丈夫だよ。俺も今年初めてだから、最初はなだらかなところいってみようか」
「うん、そうしよ」
渋滞もなく順調に群馬を抜け、軽井沢も抜けてインターを降りた。ナビに従って国道を左折して、更に左折して山を上っていく。朝早かったせいか、馬岱くんは群馬に入った頃から眠っている。そろそろ起こさないと。
「馬岱くん、そろそろ起きてくれ。もうちょっとで着くよ」
「んん……今どこ……」
「インター降りた。あと十五分くらいで到着だよ」
馬岱くんの瞼がパッと開いて、薄めの色した眼がまんまるく開かれた。
「エッ待って、もう? てかごめんおれすごい寝ちゃってた⁈」
「早起きだったから仕方ないよ。寧ろ調子よく滑れていいじゃないか」
「……元直さんおれより早起きじゃないの、運転もずっとしてもらってるのに」
「気にしないでくれ。運転は好きだし、このくらい平気だよ」
実際、四時間くらいの運転は慣れているんだけれど、馬岱くんにはだいぶ恐縮されてしまった。もっと若い頃は退勤後そのまま長距離運転してスノボってこともやっていたし、それに比べたらかなり楽なんだけれどな。
「コーヒーとチョコのおかげで乗り切れたよ、ありがとう」
ちら、と馬岱くんの方を見ると照れくさそうに頰を掻くところだった。
スキー場に着いて支度したら、まずは初級コースを一本滑る。ここは八本もコースがあって、初級から上級まで揃ってるのもあって選んだんだ。一緒に滑ってみると、馬岱くんはやっぱり体幹が強いらしく安定した滑りだった。これならきっともっとうまくなるはず。どうせなら全コース制覇だなんて盛り上がって、もう一本の初級コースを滑ってから中級のゲレンデに向かった。幸い雪質もいいし、天気も上々だ。かなり日焼けしそうだから昼休憩で日焼け止めを塗り直した方がいいだろうなと思う。昼はレストランでカツカレー。スキーもスノボも結構疲れるからしっかり食べておかないと。最近のスキー場って、カフェがあったりメニューもおしゃれになっていたり、進化がすさまじい。日焼け止めを塗り直して、午後も引き続き中級コースを攻める。
十五時くらいまで滑って、最後に俺だけ上級コースに行った。馬岱くんはゲレンデ下のレストハウスでひと足先に休憩している。曰く、上級はまだ無理だから勇姿を見てるね、だって。見られているとあれば、転ぶなんて無様な真似はできないな。ここの上級コースは最大斜度が二十八度もあって、さすがにちょっと緊張感があるけれど、見極めながら滑っていくのは癖になるものがある。やっぱりテクニカルコースは楽しい。
馬岱くんと合流して車に戻ったら、宿へ移動しつつ夕飯だ。せっかくサークル活動も兼ねた遠征なんだから、食事を手加減するという選択肢はないので、このあたり出身の同僚から教わった店に行こうと思う。スキー場からほぼまっすぐ南下して、国道を渡ってもう少し下ったところ、工場の間を進むと左側に看板が見えた。わかりやすい道で良かった。もう車が結構停まっていて、県外ナンバーが三割くらいだろうか。
「ここ、なんのお店?」
いよっと、と掛け声ひとつで高い座席から降りた馬岱くんがきょろきょろしている。
「長野と言ったら蕎麦だろう?」
「おそば! いいじゃん!」
馬岱くんの顔がぱっと明るくなる。暖簾をくぐって二人と告げればすぐ案内された。やっぱり店内は割に混んでいる。奥の小上がり席についてメニューを開いた。
「このあたりは蕎麦つゆに擦ったくるみを混ぜるくるみ蕎麦っていうのがあるんだって」
「あっ、これだね! へえ、せっかくだからそれにしようかな」
「俺もそうしよう。あ、ここ同僚に教わったんだけれどね、長野の蕎麦は東京のより盛りがいいらしい」
「えっそうなの、じゃあ大盛りだとすごい量なのかな。結構おなか空いてるんだけど……」
「蕎麦は消化がいいし、大丈夫じゃないかな。俺も大盛りにしようかな」
店員さんを呼び、くるみ蕎麦大盛りを二つと、同僚おすすめのくるみおはぎを注文した。もつ煮とか豚の角煮とかちょっと心惹かれなくはないけれど、蕎麦の量が未知数だ。小腹が空いたら途中でコンビニでも寄ればいいかということになって、蕎麦を待つ。お茶と一緒に出された漬物が妙にうまい。野沢菜漬けを細かく刻んで炒めてあるみたいだ。これ、売っているなら買いたいな。あまじょっぱくておいしい。ふと目を上げると、壁に貼ってあるメニューにまるで二郎系と見紛うばかりの写真が載っているのに気が付いた。うず高く盛られたそばに、まんまるの巨大なかき揚げ、両側は山菜とわかめだろうか。それに、分厚い角煮。ええと、あれも蕎麦なのかな。為右衛門そば……あ、なるほど江戸時代の地元出身力士にあやかった名前らしい。そういえば道の駅にも名前がついていたな。郷土の偉人ってことか。小結、大関、横綱とサイズがあるみたいだけれど、今回は初めてだし、普通の蕎麦にしておくのが定石だろう。
店内の混み具合からちょっと時間がかかるかと思ったけれど、割とすぐ俺達のが運ばれてきた。くるみ蕎麦大盛りおふたつとくるみおはぎでえす! と元気に置かれたお盆には、朱と黒の漆塗りの丸いせいろと、薬味とつゆ。薬味、大根おろしもついているな。別添えのペーストがくるみだれだろうか。てっきり、最初からくるみとつゆを混ぜたものが出てくると思っていたんだけれど、お好みで混ぜるスタイルらしい。地味にありがたいな。
「元直さん、おそばすごいね!」
馬岱くんの眼がきらきらしている。せいろに盛られた蕎麦、やっぱり量が多い。東京で食べる並盛りの何倍だろう。大盛りを注文したからそもそもの盛りがいいんだけれど、五、六倍はありそうだ。
「エッ、げ、元直さん、大盛りって一キロあるらしいよ!」
「えっ、一キロ⁈ そんなにかい」
いつの間に調べたのか、馬岱くんが口コミサイトを見せてくれる。確かに並盛り四百、中盛り七百五十、大盛り一キロと書いてあった。すごいな……腹は減っているけれど、食べ切れるだろうか。
とりあえず、伸びないうちにと手を合わせる。馬岱くんは既に蕎麦しか見ておらず、威勢よくいただきますと挨拶して箸を取った。俺も続けて箸を持つ。まずは薬味なしでそのまま食べてみようかな。麺の端っこをつゆに浸して勢いよくすする。つゆはあんまり甘くないタイプだ。咀嚼すると蕎麦の香りがぶわっと膨らんで鼻から抜けていく。細めだけれどよく締まっていて、エッジの立った綺麗な麺だ。わさびと葱を少しずつ加えてみる。うん、これはおいしい。
「うまいな」
思わず口に出していたらしい。馬岱くんが顔を上げ、咀嚼しながらぶんぶん頷いている。器用だな。五、六口、葱とわさびで一気に食べてしまってから、くるみだれの存在を思い出した。いけない、あんまりおいしくて忘れていたな。馬岱くんは既にくるみだれを使っている。いつの間に。
「馬岱くん、くるみだれどのくらい足した?」
メニューには特に食べ方の説明書きなんかはないようだけれど、好きに入れてしまっていいのかな。
「とりあえずちょっと少なめにしたけど、全部入れちゃってもいいかも。結構甘めだよ」
答えながら馬岱くんは残りのくるみだれを全部入れた。思い切るなあ。くるみだれ単体で舐めてみる。うん、甘めだけれど、こくがあっておいしい。控えめにして、少しずつ足すことにしよう。とろっとしたくるみだれをつゆに投入。濃度があるから結構混ざりにくい。箸でぐるぐる掻き混ぜて、均一になったら準備完了だ。蕎麦を取ってつゆにくぐらせ、すする。あ、これはうまい。くるみのこくとほのかな甘味がよく絡んで、それでいて蕎麦の風味は邪魔しない。葱とわさびにも合う。大根おろしも入れてみよう。一気呵成にすすり込んで咀嚼すれば口の中が幸せいっぱいだ。やっぱり地元の人おすすめの店にして正解だった。合間に自家製らしき漬物を挟みつつ、どんどん食べるんだけれど、なかなか減らない。大盛りは伊達じゃないな。
「すごい、食べても食べてもおそばがある……!」
馬岱くんも同じことを考えてたみたいだ。おかしくなってそうだね、と相槌を打った。量はすごいけれど、おいしいから大歓迎。途中で薬味やつゆ(足りなくなった時用にあらかじめ付いてくる)、くるみだれを少しずつ足して調整し、最後までおいしく食べ切ることができた。
「はあー……すごい、満腹……」
馬岱くんは畳に後ろ手をついて、おなかをさすっている。俺ももちろん満腹だ。蕎麦湯を啜りつつ頷く。蕎麦湯、濃くておいしいな。このためにわさび少し残しておいてよかった。
「うん。蕎麦で腹一杯なんてあまりないことだよな……ところで馬岱くん、まだラスボスがいるぞ」
「えっ? あーっ、おはぎ」
机の端っこにくるみおはぎが三つ、小さな皿に盛られて鎮座している。細かく摺られたくるみがまんべんなくまぶされていておいしそうなんだけれど、いかんせん腹に一分の隙もない。俺より若い馬岱くんも厳しいらしい。昼のカツカレー大盛りにしてたし、おやつにチュロス食べてたし、俺が上級コース滑ってる間も何か食べてたもんな。
「……持ち帰りにできるか訊いてみようか」
「……うん、そうしよ……」
結局おはぎは包んでもらった。お会計して外に出ると、のれんがもう下げてある。営業時間はまだあるはずだと思ったら、今日の分の蕎麦が終わったので閉店と貼り紙がしてあった。本当に人気店なんだな。
「わ、おれ達すっごいタイミングで入ったんだねえ」
「本当だな、ちょっと早めに切り上げて正解だったね」
車に乗り込んで出発。国道に戻って長野市方面へまっすぐ進む。今夜の宿までは一時間くらいかな。市内があまり渋滞していないといいんだけれど。
幸いそこまで道が混むこともなく、今日の滑りとか明日の話をしているうちに宿へ着いた。スキーブームの頃に開業したと思しき小さな民宿で、露天風呂なんかはない。でも家族風呂が時間で貸し切れるので、ここにした。少し安めだったし。とっととチェックインしてかわるがわる風呂に行き、汗を流す。満腹になったのと、朝早かったのとで二人とも結構疲れていて、翌日の準備だけなんとか済ませて早々に床についた。