よんぶんのさん in Paris 2022年ジュネーブのサザビーズのオークションにてマリー・アントワネットが所有していたブルーダイヤモンドの首飾りが出品された。
傷もなく完璧な状態で出品されたブルーダイヤモンドの首飾りは世界中に衝撃を与える。
フランス革命が起こるさなか、マリー・アントワネットは、後のジュエリーメゾン・ショーメの創始者となるお抱えの宝石商マリ=エティエンヌ・ニトにこのブルーダイヤモンドを預けた。その後、王妃は革命広場――現コンコルド広場にてギロチンで処刑される。
ブルーダイヤモンドはマリー・アントワネットの死後、ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵から王妃の娘であるマリー・テレーズの元へ手に渡ったそうだ。母親から引き継がれた宝飾品はウィーンの王宮宝物庫の金庫に預けられた。
1851年に子宝に恵まれなかったマリー・テレーズが亡くなった後、ブルーダイヤモンドを含む宝飾品が姪であるパルマ公爵夫人のルイーズ・ド・ブルボン=パルマへ譲られる。そして約二世紀の今日に至るまでブルボン=パルマ家で保管されていた。
マリー・アントワネットが所有していたブルーダイヤモンドの首飾りは、サザビーズのジュネーブオークションで高額で落札される。その額はなんと約100億ドルだった。
ヒートアップしたオークションの末、ルーヴル美術館の当時の館長ジェラール・カルヴェにより落札された。
これは2017年に香港のサザビーズのオークションで落札された59.60カラットの天然ピンクダイヤモンドであるピンクスターのジュエリーオークションでの最高額約84億円をもはるかに超えるものである。
なぜこれほどまでにこのブルーダイヤモンドの首飾りの価格が高騰したのか。その理由は大きく分けて二つある。
一つ目は、マリー・アントワネットが所有していたことだ。彼女は十四歳で政略結婚のためにフランス、ルイ16世へ輿入れした。彼女は華やかな宮廷での生活を送りながらも、様々な虚実ない交ぜのゴシップを流されていた。王妃の波瀾万丈な生涯はフランス革命において非業の死を遂げる。
オークションに出品される商品は、誰が所有していたのか、どのような人たちの手を経てきたのか、なぜ今ここで出品されたのかという来歴が最大の価値を生むとされている。いわばロマンを売買しているのだ。その中においてマリー・アントワネットが所有していた宝飾品は究極にロマン溢れるものである。
二つ目の理由はあの呪いのダイヤモンド――ホープダイヤモンドの片割れであると判明したからだ。
サザビーズはホープダイヤモンドを所有するスミソニアン博物館の国立宝石コレクションの学芸員を始め、宝石鑑定の世界で最も権威ある鑑定機関のGIA(アメリカ宝石学協会)ら専門家によりホープダイヤモンドとこのたび発見されたブルーダイヤモンドの組成は同じであり、もとはホープダイヤモンドと同じ宝石であることが分かった。
かつてはフレンチ・ブルーという名でルイ14世が所蔵していたブルーダイヤモンドと全く同じであることが証明されたのだ。
もともとフランス王家所有であったフレンチ・ブルーという名の宝石が、カットされホープダイヤモンドとこのたび発見されたブルーダイヤモンドに分けられていたというニュースは世界中で大きな話題となった。
煌びやかに輝く神秘のホープダイヤモンドは、世界で最も有名なカラーダイヤモンドである。そして、魔性のダイヤモンドでもある。
このダイヤモンドの原石は、インドで発見された。
当時の国王に献上されたブルーダイヤモンドだが、献上した司令官は後に処刑され、国王自体も謀反で殺されたそうだ。
ブルーダイヤモンドはフランス人ジャン=バティスト・タベルニエによりヨーロッパに渡り、フランス国王であるルイ14世が購入した。その時点でのブルーダイヤモンドの大きさは112.50カラットである。宝石学的にも珍しい大きさのダイヤモンドだった。
ルイ14世はブルーダイヤモンドを69.03カラットのハートシェイプにカットさせる。自身が呼ばれていた「太陽王」という名に相応しい、太陽の光を浴びたとき最も美しく輝くようにだ。
これによって、このブルーダイヤモンドはフレンチ・ブルーという名で呼ばれることとなる。
ルイ14世が亡くなり、ルイ15世がこのダイヤモンドを引き継いだ。その後、ダイヤモンドの持ち主となったルイ16世とマリーアントワネットは揃ってフランス革命で処刑されることとなる。
その際、フレンチ・ブルーは現在のホープダイヤモンドと王妃の首飾りのブルーダイヤモンドにカットされたようだ。
フランス革命中にブルーダイヤモンドは強奪され、表舞台から姿を消す。
この間、ブルーダイヤモンドは持ち主が何度も変わったのだという。
持ち主の突然の死、あるいは家が傾き手放さなければならなくなったといった持ち主が次々と不幸に見舞われることとなり、「このダイヤモンドは災厄をもたらす」という伝説が生まれた。
そして、再び表舞台にブルーダイヤモンドが戻ってきたのは1812年のことだった。フランス革命期間中の犯罪が時効となった二日後にそのダイヤモンドは現れた。
このブルーダイヤモンドを手に入れたのはロンドンの宝石商であるダニエル・エリアソンである。
しかし、これも姿を消し再び姿を現したのは1839年にイギリス人銀行家のホープが小さく研磨された45.5カラットの楕円形のブルーダイヤモンドを買い取ったことによってだった。そして、このダイヤモンドにはホープのダイヤモンドであると言うことで「ホープダイヤモンド」という名で呼ばれるようになった。
ホープの子孫へと受け継がれたダイヤモンドは、1851年にロンドン万国博覧会で公開された。ところが、ホープの子孫はギャンブルにのめり込み財産を失い1901年にホープダイヤモンドは競売に掛けられる。
この間十年のことだが、最初の持ち主は自殺した。その次の持ち主のロシア王子は婚約者の女優にこのダイヤモンドを贈るが、その女優は舞台上で事故死する。さらに次の持ち主は一家で豪華客船に乗るもその船が沈没した。映画『タイタニック』に出てくる青いダイヤモンドである「ハート・オブ・ザ・オーシャン」はこのダイヤモンドとされる。しかし、史実は持ち主が豪華客船に乗り込む前にこのダイヤモンドは売り払ったそうだ。もし売り払わずに持ち主が乗っていたら、今頃ホープダイヤモンドは海底に沈んでいただろう。
その後も、何度か持ち主を転々とし、最後にオスマン帝国の34代皇帝アブデュルハミト二世の手に渡るが、革命によって廃位され、再びホープダイヤモンドは持ち主を失う。
1910年ピエール・カルティエがこのホープダイヤモンドを購入した。ピエール・カルティエはフランスのジュエリーブランドであるカルティエの創業一族である。
ホープダイヤモンドは、ピエール・カルティエの手からワシントン・ポストのオーナーの息子エドワード・マクリーンの妻であるマクリーン夫人の手に渡った。
マクリーン夫人は「他人には不幸なものが、私には幸運をもたらす」と豪語し、いわくつきのホープダイヤモンドを購入した。
もっとも、この不幸の伝説というのはマクリーン夫人に買ってもらうためにピエール・カルティエ及びカルティエの販売員がでっち上げた嘘も含まれていたと現在ではわかっている。
しかしながら、マクリーン一家もまた次々と不幸が訪れる。息子は交通事故で亡くなり、夫は政治問題を起こし、彼女と離婚し、発狂したまま死亡する。
マクリーン夫人は家族と財産を失い、薬物中毒となり精神病院で亡くなった。
そして、1949年競売に掛けられるも多くの人間は呪われたダイヤモンドに興味こそ持てど所有など考えられないとして宝石商ハリー・ウィンストンの手に渡る。ホープダイヤモンドはハリー・ウィンストンの個人コレクションとして所蔵された。
ハリー・ウィンストンはホープダイヤモンドの不吉な噂に興味を払わなかったそうだ。世界中をこのホープダイヤモンドと共に旅していた。
ところが、1959年ハリー・ウィンストンはホープダイヤモンドを「アメリカ国民のために」とアメリカ・スミソニアン博物館へ寄贈した。
しかし、その寄贈方法は普通郵便小包でスミソニアン博物館にホープダイヤモンドを送ったのだという。
果たして、ホープダイヤモンドに関する逸話はカルティエの嘘だったのか。あるいは、本当に呪われたダイヤモンドだったのか。
この冬、ルーヴル美術館にブルーダイヤモンドの王妃の首飾りがマリー・アントワネットそしてナポレオンも身につけたリージェント・ダイヤモンドが並んで展示されることとなった。
あなたは歴史の目撃者となる。
♢ ♢ ♢
――フランス・パリ
大学二年生になった毛利蘭、服部平次、遠山和葉、大岡紅葉の四人はフランスで開催されるジャパンエキスポに招待されていた。
ジャパンエキスポは、フランスのパリで開催される祭典だ。漫画やアニメ、ゲームなどのサブカルチャーや書道、武道、茶道、折り紙、そして百人一首などの伝統芸能を含む日本の文化をテーマとしている。
毛利蘭は空手、服部平次は剣道、遠山和葉は合気道、そして大岡紅葉は百人一首の出演者としてジャパンエキスポに招待された。
工藤新一、伊織無我も付き添いとしてフランスに来ている。
ジャパンエキスポのスポンサーとして鈴木財閥は名を連ねており、当然のように鈴木園子もまたフランスへと同行していた。
パリを代表するシンボルの一つであるエッフェル塔はセーヌ川のほとりにある。
セーヌ川を挟んだ向かい側のシャイヨー宮は、エッフェル塔を一目見るために来ている観光客でごった返していた。
もちろん、新一たち一行もまたエッフェル塔を見るためシャイヨー宮を訪れていた。
シャイヨー宮はパリでは珍しく高台にある丘だ。そのため。エッフェル塔の絶景スポットとしてよく知られている。
セーヌ川越しに見るブロンズ色のエッフェル塔は、周囲には遮るものが何もなく青空との対比で美しく見える。
シャイヨー宮のテラスで佇んでいる新一と蘭に園子は写真を撮ろうとスマートフォンを向けた。
「はいはい、もうアンタたち何恥ずかしがってんのよ。せっかく園子さまがラブラブツーショット♡を撮ってあげようってーのに。なぁに二人して恥ずかしがってんのよ!」
スマートフォンを構えながら、園子がもじもじとしている新一と蘭に向かってそう発破をかけている。
「ちょっと待ってよ、園子~。せっかくなんだし、みんなで撮ろうよ~!」
「べ、別に……俺は照れてなんか……」
園子は照れのあまり目線を合わそうとしない二人にしびれを切らした。
「はいはい、ご両人♡あの人達みたいにぶっちゅーとやってもよくってよ♡」
園子の視線の先には、カップルが人目を気にせず熱烈にキスをしている。
さすがはパリである。「恋人たちの街」と称されるだけあって、至る所で抱き合いキスをしているカップルをよく見る。
「無理、無理、無理だからぁ~!」
蘭はぶんぶんと首を横に振る。
「もう、撮るわよ! ハイ、チーズ!」
その瞬間、園子がスマートフォンのカメラアプリで写真を撮る。
まるでこのやりとりは京都の修学旅行の焼き増しのようだと新一は思い返す。あの時も、園子に押し切られる形で蘭との写真を撮っていた。
その三人のやりとりを羨ましそうにじっと和葉は見ていた。
「なぁ平次、うちらも写真撮ろうやぁ」
「えー……一人で撮ったらええやん」
和葉は平次の腕を掴み、ぶんぶんと揺する。
「平次くんは葉っぱちゃんとは撮りたないんですって」
ふふと微笑みながら、紅葉はすっと平次のもう片方の腕に自身の腕を絡ませた。
平次と和葉が付き合った後もなにかと紅葉は二人にちょっかいを掛けている。
紅葉は一度は失恋したものの、今では何かと二人をからかっては楽しんでいるといった様子だ。
「いや、別にそういうわけやないけど……」
平次は和葉と紅葉のやりとりに辟易している。
「伊織、早ぉう撮っておくれやす」
「はい、お嬢様」
いつの間にかデジタルカメラを構えた伊織無我が早速シャッターを押そうとしている。
「あかーん!」
和葉は慌てて、むずともう片方の平次の腕を取り、ぐっと自分の方へ引き寄せる。
そのまま平次は二人に腕をガッチリとホールドされた。
「二人ともじゃっかしいーわ! ボケェ!」
伊織がシャッターを切る前に平次がブチ切れたため、カメラには怒鳴る平次と驚く和葉と紅葉が写っていた。
ようやく解放された平次に新一が近寄る。
「ハハ、モテモテなこって……」
平次はその言葉に肩をすくめる。
「それより工藤、昨晩のアレ。ほんまにキッドの予告状やと思うか?」
こそこそと平次は新一に耳打ちする。
昨晩のアレとは、動画共有サイトに投稿されたキッドらしき男が犯行予告を行っているというものだ。
今までのキッドは、犯行予告を予告状という形で知らせてきた。怪盗キッドらしくキザな文面で――だ。
しかし、今回の犯行予告は動画共有サイトでの投稿というキッドらしくはない方法で行われた。
「いや、さすがに違うと思うぜ。なんていうか、キッドらしくないだろう」
「せやねん、この動画もなんや言葉では表せない違和感があるっちゅーか」
平次がスマートフォンでその動画を再生し始める。
全身真っ白な出で立ちでシルクハットとタキシード、マントにモノクルを身につけたキッドらしき男が話し始める。
「二年の時を経て、怪盗キッドは復活します。ロンドン塔のカリナン、コ・イ・ヌールを始めとした世界各地のダイヤモンドを盗みに参ります」
動画の男は、ロンドン塔に所蔵されている世界最大のダイヤモンドであり現イギリス王妃の戴冠式の王冠にも使われたカリナンを始め、女優のオードリー・ヘップバーンが「ティファニーで朝食を」の宣伝の際に身につけ今はティファニーニューヨーク五番街の本店に飾られているティファニーイエローダイヤモンド、アメリカのワシントンDCのスミソニアン博物館に所蔵されている呪いのダイヤモンドと名高いホープダイヤモンド、フランス・パリのルーヴル美術館に所蔵されるリージェント・ダイヤモンド、そしてマリーアントワネットが身につけたとされるブルーダイヤモンドの首飾りを頂くというのだ。
動画を見ながら平次が呟く。
「キッドがこんな迷惑系YouTuberみたいなことせぇへん思うんやけどな」
「あぁ、そうだな……」
怪盗キッドは二年前に姿を消した。
その間、キッドを名乗る不届き者が現れては逮捕されている。
新一も平次もキッドを名乗る泥棒を何人も捕まえてきた。
キッドの予告状を似せようと作ったとしても、全く同じものは作れない。そして、何よりキッドのような芸術的な犯罪とは言いがたい稚拙でお粗末な犯罪だからだ。
何度も偽キッドが世界中に現れては逮捕されている。その度にキッドファンから落胆の声が上がるのだが、今回の動画は多くの人々が信じているようだ。
この動画はSNSによって瞬く間に拡散され、トレンドは世界一位と話題になっている。
しかしながら、新一と平次はこの動画がキッドによるものだとは考えていなかった。
たしかにキッドのような背格好でなおかつ声までキッドではあるが、拭いがたい違和感を覚えている。
二人はディープフェイク動画だと思っているのだ。
昨今では人工知能を使って精巧に偽造されたディープフェイク動画が世界中に広がっている。AIによるディープラーニングの機能の発達に伴い、身体の特徴などを反映させる制度が向上し、真偽の判別が困難になっている。
また、欧米のITベンチャー企業などが技術を競うように作成ソフトを開発している。一部のソフトは無償提供されておりインターネット上で誰でもインストールすることが可能だ。
以前はディープフェイク動画の作成には莫大な素材と計算量が必要だった。しかし、今では数分の音声と動画データさえあれば簡単にディープフェイク動画を作ることが可能になっている。
もっと手軽に生成AIはスマートフォン向けに無料の顔交換を行うものや自身の写真を取り込みイラストに出来るものやアメリカの学生のような写真に加工できる「AIイヤーブック」なども登場した。
アメリカ大統領選挙前に精巧なディープフェイク動画が出回り、対立候補者を虚偽の内容で攻撃するものや有権者を騙すような内容の偽情報がSNSによって拡散された。
また、2020年のコロナ禍において、ベルリン、マドリード、ウィーンの市長達が相次いで偽のキーウ市長とビデオ会議を行ったというセンセーショナルな事件もあった。ベルリン市長が気づくまで15分間偽物のキーウ市長と会談していたのだ。言っている内容がおかしいと思い、会談を中断した際にウクライナ大使館に確認した。すると、ビデオ会議の相手はキーウのクリチコ市長本人ではないということが判明した。
このビデオ会議では、リアルタイムで動くディープフェイクが使用された。編集をされた動画ではなく、リアルタイム性のあるディープフェイクで人間が騙されるということは大きな衝撃を与えた。
後に判明したが、フェイク動画を首謀したのはロシアのコメディアン兼YouTuberだった。
このキッドの動画もディープフェイクの可能性が高い。
とはいえ、何者がどういう理由でキッドの成りすまし動画を作ったかは謎ではある。
♢ ♢ ♢
――イギリス・オックスフォード
現在、白馬探はイギリスの名門オックスフォード大学に通っている。
東都大学とオックスフォード大学の交換留学という形で一年間だけという期限付きだ。
もともとロンドンで暮らしていた白馬はイギリスの生活の方が性にあっている。
最初は日本から来た留学生が、綺麗なクイーンズイングリッシュを喋り、英国式のマナーを完璧にやってのける様を見て、驚いていた学生もいたが、そのうちに自然と慣れていったようだった。
例の怪盗キッドを名乗る男の動画は白馬も視聴している。もっとも、開始数秒で本物の怪盗キッドではないと確信したのだが。
とはいえ、顧問をしているスコットランド・ヤードからは例の動画についての意見が聞きたいと催促を受けていた。
なんせ、偽キッドに名指しされた陛下の宮殿にして要塞であるロンドン塔は英国王室が所蔵する世界に誇る財宝の数々が展示されている。
中でも、カリナンとコ・イ・ヌールは英国王室の象徴といっても過言ではない。
英国王室を取り巻く状況は以前とは変わってきている。末の王子が英国王室からの離脱や王弟のスキャンダルは、英国王室の支持率を下げる結果になってしまっている。
スコットランド・ヤードは英国の威信にかけてなんとしてもカリナンとコ・イ・ヌールを守らなければならないのだ。
そう言う理由で白馬はスコットランド・ヤードへ向かっている。
オックスフォードからロンドンまでは電車で約一時間の距離だ。
探は、オックスフォード駅からロンドン・パディントン駅行きのグレート・ウェスタン・レールウェイに乗り込む。
怪盗キッドの最後の事件は二年前だ。
ある宝石を盗んで彼は忽然と消えた。キッド死亡説を唱える者もいるようだ。
もっとも、怪盗キッドの正体は黒羽快斗ため、探は生きていると知っているのだが。
何の因果か、白馬探、黒羽快斗、工藤新一、服部平次は同じ東都大学に通っている。
工藤新一も服部平次も、怪盗キッドの正体を知りつつも、友人として黒羽快斗に接しているようだ。
怪盗一人と探偵三人は奇妙な友情を築いている。
♢ ♢ ♢
――フランス・パリ
黒羽快斗こと怪盗キッドは、パリのマレ地区にあるカルナヴァレ歴史博物館を訪れていた。
マレ地区はかつては多くの貴族が住んでいた地域であり、フランス革命の前に建てられた歴史的建造物が多くある。格調高く、中世の面影を残す地域だ。ルーブル美術館までもほど近くメトロで15分程度だ。
ピカソ、モネ、セザンヌなどを生み出したパリは、現代でもアートの街である。
マレ地区は有数なアートギャラリーや美術館が多くあり、ピカソ美術館や18世紀の美術品を多く所蔵しているコニャック=ジェイ美術館、欧州最大のコレクションを持つ国立近代美術館が入った総合文化施設ポンピドゥー・センターがある。
快斗が訪れたカルヴァナレはパリの歴史を紹介する博物館である。
瀟洒な建物は元々は個人の邸宅であったが、パリの歴史を残す美術館として作られた。
カルヴァバナレ歴史博物館は先史時代からローマ時代、中世、フランス革命、ナポレオン統治時代、オスマンのパリ大改造、そして現在に至るまでのパリを伝える
特にフランス革命時の様子を伝える展示が充実しており、フランス国王ルイ16世一家が幽閉されていたタンプル塔の部屋の再現は当時の様子を生々しく伝える。
ルイ16世がギロチンの処刑に向かうため家族に別れを告げる場面を描いた絵画や両親の処刑後、幽閉され10歳の若さで亡くなったルイ=シャルルの肖像画、マリー・アントワネットの遺髪が納められたペンダントなどが所蔵されている。
この遺髪が世紀の大発見に繋がった。
ギロチンに掛けられたルイ16世とマリー・アントワネットの遺体は当初はマドレーヌの共同墓地に埋葬された。ナポレオン没落後の復古王政時代に二人の遺体はサン=ドニ大聖堂に移され、並んで埋葬されている。
マリー・アントワネットの息子ルイ=シャルルはフランス革命当時まだ4歳だった。8歳の時に父ルイ16世が死刑を執行され、便宜上の国王ルイ17世となる。しかし、即位することも統治することも適わず、タンプル塔で酷い虐待を受け、10歳で病死した。
ルイ17世は死後、検死される。虐待の跡が生々しく残る遺体はかなり衰弱していた。
王の遺体は中世からの伝統により、通常は身体と心臓と内臓に分けられた。心臓を防腐処理され、別々に埋葬されるのがフランス王家のしきたりであった。
しかしながら、名ばかりの王であったルイ17世は無縁墓地であるサント・マルグリットに埋葬される。
不憫に思った担当医のフィリップ=ジャン・ペルタンによって、ルイ17世の心臓は持ち出された。
心臓はペルタンの自宅で、腐敗しないようにアルコールを塗られ書棚の奥に隠され保存していた。しかし、数年の時を経て心臓は石のように硬くなってしまった。
ルイ17世の死が発表されると、ルイ17世は国外へ逃亡したという噂が広がった。また、復古王政時代には我こそがルイ17世だと名乗る僭称者が数多く名乗りを上げた。その中でも、リッシュモン男爵とドイツのカール・ヴェルフェルム・ナウンドルフはよく知られている。しかし、それらの証言はほとんどが信憑性に欠けていた。
2004年にルイ17世の心臓の一部とマリー・アントワネットの遺髪から採取したDNAにより、親子関係が証明された。そのことでようやくサン=ドニのフランス記念館が公式の葬儀ミサを執り行うまでルイ17世は正式な儀式的埋葬を受けることはなかった。
ルイ17世の心臓は今水晶の壺におさめられまたサン=ドニ大聖堂に安置されている。
考え込むようにマリー・アントワネットの遺髪をじっと見つめる。
例の動画は快斗も視聴した。できの悪いフェイク動画だが、存外世間はあの動画をキッドによるものだと信じている。
ならば、いっそこれに乗じてマリー・アントワネットが身につけたとされるブルーダイヤモンドの首飾りを頂いてしまおう。
もともと、ブルーダイヤモンドの首飾りには目をつけていた。
派手に注意を引きつけて、その間に他の仕掛けであっと驚かせるのがマジックの基本だ。
マジックは魔法じゃない。タネも仕掛けもあるのがマジックである。
あんな動画を作ったのは誰かは知らないが、それに乗ってやろう。
♢ ♢ ♢
新一たち一行はエッフェル塔付近からルーヴル美術館まで、セーヌ河を走る水上バスのバトビュスを利用した。
バトビュスはバトー(船)とビュス(バス)が掛け合わされた造語だ。バトビュスは、乗り降り自由で気軽にセーヌ河クルーズが出来ると観光客に人気だ。
停留所はパリの主要な観光スポット九つの近くに点在する。ルーヴル美術館、コンコルド広場、自由の女神像、エッフェル塔、オルセー美術館、サン=ジェルマン=デ=プレ教会、ノートルダム大聖堂、パリ植物園、パリ市庁舎の順番で水上バスはぐるぐる周回している。
ガラス張りの船内はセーヌ河からの景色がよく見える。地上よりも目線が低い分、より印象的に建築物が見える。
セーヌ河沿いのカフェやレストランはどこもいっぱいのようだった。
12月だというのにセーヌ河の川べりにはカップルが隣り合っている。
「なぁ、平次。カップルがぎょうさんおって鴨川みたいやなぁ」
和葉がそう呟く。
「あぁ……ほんまやなぁ」
いくつかの橋を渡り目的地の停留所へ着く。
サン=ジェルマン=デ=プレ教会の停留所から降り、カルーゼル橋を渡る。すると、右手側に特徴的なガラス張りのルーヴル・ピラミッドが現れる。
ガラスと金属で製作されたルーヴル・ピラミッドは、当初は伝統主義を重んじる者達からルネッサンス風の前提の威厳が損なわれるため「黒板を引っ掻く爪」と評していた。ところが、今ではパリの顔となっている。
ピラミッドはオブジェのように思われるが、ルーヴル美術館の玄関として制作された。
平日だというのに多くの人が並んでいる。
手荷物検査が終われば、すぐにエスカレーターを登る。
ルーヴル美術館には日本語用のパンフレットが用意されており、オーディオガイドは日本語対応しておりニンテンドーDSをレンタルすることが出来る。
「日本語用のパンフレットがあるんだ。良かった~」
「日本人観光客もルーヴルさんへようさん来はるということなんやろなぁ……京都とパリはよう似てるさかいに」
「キッド様が予告したっていう宝石ってどこなのよー!」
わいわいとそれぞれ楽しそうに会話をしている。
ルーヴル美術館の展示スペースは延べ面積にして7万300平米という世界最大規模を誇る。収蔵作品は約48万点にもなり、展示作品は3万5000点にものぼる。
そのため、すべての展示をちゃんと見ようとすると5週間かかると言われている。
ルーヴル美術館といえば、『モナ・リザ』や『ミロのヴィーナス』『サモトラケのニケ』が有名だ。
まずは『モナ・リザ』が見たいとのことで真っ先に『モナ・リザ』を見に来た。
ルーヴルには様々な芸術品が展示されているが、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』は格が違う。
『モナ・リザ』は壁の一面を贅沢に使い、その中心に掲げられている。
『モナ・リザ』は美術史上最も有名な作品の一つである。そして、この絵画は未だに解明されていない謎を多く持っている。
ダン・ブラウン原作の『ダ・ヴィンチ・コード』は『モナ・リザ』の謎を解き明かすという内容であった。このルーヴル美術館をはじめとしてパリの名所がロケ地だ。
『モナ・リザ』を一目見ようと見物客は大勢いる。スマートフォンを構え写真を撮る者、イーゼルを立てて模写を行う人もいた。
日本の美術館ではまず見ない光景だ。ルーヴル美術館では動画は禁止されているが、写真を撮ることは許可されている。また、模写も所定の手続きさえすれば可能だ。
次に19世紀フランス大絵画が展示されている場所へ新一達は移動した。
緋色の壁には多くの絵画が飾られている。
中でも、一番大きい絵画は高校時代に世界史を選択した者は必ず目にしたことのある作品であろう。
『民衆を導く自由の女神』だ。
『民衆を導く自由の女神』はウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた。
絵画の中心に描かれているフランス国旗を掲げている女性はフランス共和国を象徴とする女性像マリアンヌである。
フランス七月革命をテーマにしている。一度王政復古をしたフランスであったが、フランス革命による成果を無視し、時代錯誤も甚だしい反動的な政治をルイ18世は行った。 その反発から、市民階級は不満を高め、学生や労働者を中心に現在のフランス国旗となる三色旗を翻し立ち向かった。
一同が去ろうとしたとき、一人の人間が叫び声を上げながら、『民衆を導く自由女神』に向かい、何か液体を掛けていた。
バシャン、と掛けられた液体は粘度が高く、まるでペンキのようだ。
ガラスかアクリル板かなんかで保護された絵画は無事ではあったが、目を覆いたくなるような惨状だった。
決してあってはならないことではあるが、時々ルーヴル美術館のような大きな美術館では、極端な主張を持った人々が過激な行動に出ることがある。
すぐに犯人は取り押さえられたが、犯人は喚きながら警備員に連れて行かれた。
数年前にはロンドンのナショナルギャラリーでゴッホの『ひまわり』にトマトスープをかけた環境テロリストがいたことは日本でも大きく報道された。
「びっくりした。あんなことってあるんだね」
そう蘭たち女性陣が口々にそう言う。
「日本でも昔『モナ・リザ』にスプレーを掛けたって人がいたんだぜ」
新一がそう言う。
「えー……知らなかった」
口々に皆がそう言う。
新一が言った事件は1974年に東京国立博物館に『モナ・リザ』が貸し出された時のものだ。犯人は身体障害者で、開催した文化庁が車椅子やベビーカーの入場を事実上禁じたための抗議のためにスプレーを噴射したというものであった。
しかし、スプレー塗料が展示ケースに少しかかったものの『モナ・リザ』自体は無事だった。
「去年もなんかあったよな。キッチンがどうたらだか、台所がどうやらみたいな題名の……まだ犯人がまだ捕まってないやつ」
平次が思い出そうと考え込みながらそう呟く。
去年、日本で開催されたルーヴル展のマルタン・ドロリングの『台所の情景』にも何者かによってガムのようなものが付着していたという事件だ。
犯人は未だに捕まらず、迷宮入りのままの事件だった。
気を取り直して次の展示室へ向かう。
〈アポロンギャラリー〉
ギリシャ神話の芸術の神アポロンの名を冠するそのギャラリーは、ルイ14世が建築を命じたものである。
天井には神話が描かれ、壁には肖像画や彫刻で彩られ、ゴールドが至る所に使用されている。フランスの豊かさや優美さ、そして緻密な職人芸が詰め込まれた贅沢な空間だ。
このアポロンギャラリーは、後のヴェルサイユ宮殿にある鏡の回廊のモデルとなった。
ひしめき合うような人の中で人だかりが出来ている箇所がある。
「すごいね、新一……絵だけじゃなくて全体が芸術って感じで」
蘭が隣の新一にそう囁く。
一同は溜め息をつくしか出来なかった。
見渡す限り圧倒されるほどの美である。煌びやかに輝く作品たちが無尽蔵に飾られており、その一つ一つが素晴らしい芸術なのだ。
まるで芸術に殴りかかられているようなそんな凶暴性をも孕んでいる。
国王のコレクションや外国の君主からの贈呈品が飾られているが、一番目を惹くのは宝飾品である。
それぞれが競うように一つ一つを主張する。ルイ15世が戴冠式で使用した王冠やマリー・テレーズが身につけていたルビーとダイヤモンドのブレスレット。
そして、多くの人のお目当てはマリー・アントワネットとナポレオンが身につけたとされるリージェント・ダイヤモンドと並んでブルーダイヤモンドの首飾りが展示されている。
キラキラと反射するブルーダイヤモンドは息をのむほど美しい。
それが呪いのダイヤモンドとされるホープダイヤモンドの片割れだとしても。否、魔性だからより惹きつけられるのかもしれない。
新一たちの目の前で、どこからか一枚のカードが勢いよく飛んできて展示ガラスの上へ滑り込んできた。
真っ白なそのカードには、シルクハットにモノクルを装着した人間のイラストが描かれていた。
「……まさか」
人々のざわめきが大きくなる。
「キャーキッド様よー!」
園子が一際大きく叫ぶとそれを見ようとどっと人々が集まる。
「にゃろう。現れやがったな、キッド!」
新一がそう叫ぶも人に流され、近くにキッドがいるはずなのに捕まえることが出来ない。
新一の耳元でふ、と誰かが笑ったような気がした。
「おい! 工藤! キッドカードには『今宵、必ず王妃の首飾りを頂きに参ります 怪盗キッド』って書いてあるで」
服部が新一にそう叫ぶ。
フランスなのに日本語でキッドカードを書いた意味。それはすなわち、怪盗キッドは工藤新一と服部平次がここにくることを予期していたということだった。