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    DogAndFish6524

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    DogAndFish6524

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    P鋭 ※創作P
    くっつくまでの話前編

    まんがにするつもりだったけどプロットの多さで断念

    Sign-age馴染みのある音楽が耳に飛び込んできたので顔を上げると、よく知った少年たちが等間隔で遠くまで並んでいた。
    彼らのユニットがドラマ主題歌としてタイアップが決まり、間もなくCD発売と配信が始まると告知を謳ったものだ。
    定期的に流れるのか、待っていたとカメラを構えていた人。
    ふと足を止めて食い入るように熱視線を送る人。
    デジタルサイネージがC.FIRSTを映し出した瞬間に、場の空気が変わったことが非常に嬉しい。
    これこそプロデューサー冥利に尽きるというものだ。
    発売前後合わせて1週間、通勤で必ず通過する駅で画面越しの彼らを眺められるという誇らしさを胸に、15秒立ち止まった。



     Sign-age



    「お疲れ様です」
    外勤より戻った旨を告げながら事務所の扉を開け、その場に居合わせた人数を数えて思わず嘆声を漏らした。
    「ぴぃちゃん、おはよー」
    「プロデューサーさん、おはようございます」
    真っ先に声を掛けてきたのは百々人と直央。2人の声でこちらの存在を確認したかのん、志狼、秀、鋭心から注視されそれぞれ挨拶された。
    もふもふえんとC.FIRST、合わせて6名。
    手元の土産は5名分。
    どう分けようかと思案しながらも悟らせないよう口角を上げ、宿題を広げている小学生3名と向かい合った百々人がいる卓の方へ向かう。
    「宿題中ですか?がんばってますね」
    「おう!ももひとが教えてくれてるだぜ!」
    「ももひとくんの説明、わかりやすいんですよ」
    志狼と直央の絶賛に、百々人が照れて頬を掻いている。
    その貌は初めての仕事で小さい子供との距離感を測りかねて困っていた少年と同一人物とは思えないほど、優しく慈愛に満ちていた。
    「ううん。みんなすごく真剣に話を聞いてくれてるから、僕は大したことしてないよ」
    「そんなことありませんよ。すごいじゃないですか、百々人先生」
    「もう、ぴぃちゃんまで……」
    からかわないで、とはにかむ百々人の手元の置かれているのは自身の課題ではないようで、ノートにはお手本と思われる漢字や筆算がいくつかと、手慰みで描いたのか動物モチーフのイラストが点在している。
    「ねえねえ見て、プロデューサーさん!ももひとくんがかわいいうさぎさん描いてくれたの!」
    かのんがノートを閉じて見せた表紙には、百々人のノートの落書きと同じタッチで、ファンシーなうさぎが描かれていた。
    油性マーカーで下書き無しとは、初めての仕事で子供たちに似顔絵を描いて渡した時以上に絵画に対するポテンシャルを感じる。
    実際絵を描くことが好きなようで、仕事として任せると不安そうに表情を曇らせていたがいざペンを握ると楽しそうに筆を走らせていたのを覚えている。
    「絵で賞とってたって聞いていましたけど、デフォルメのイラストまで上手なんですよね」
    別のスペースで休憩していた秀がカップを持って悠然と歩み寄り、百々人のノートを覗き込んでは指をさす。
    「しかも可愛い、かっこいいの注文を即座に描き分けできるって。さすがです」
    これとこれと、と選ばれたのはハートを抱えた瞳のハイライトが大きいうさぎと、可愛いながらも勇ましくガオー!と吠えるオオカミ。
    あとこれもと、ゆるキャラのようにのんびりと目を細めている羊も追加で指された。
    それぞれ個性が感じられて、かつ万人が好みそうな愛らしさがあった。
    「これは描けますか?」と秀がスマートフォンの画面を百々人へ向ける。
    傾けた瞬間に視界に飛び込んだのは、秀がやり込んでいるソーシャルゲームのマスコットキャラクターのようだ。
    「こんな感じ?」
    丸い輪郭に描き込んだ表情は見本と異なり、こじんまりと畳まれた短い手足もコミカルなポーズへと換えられていく。
    秀の声にならないため息が興奮で徐々に大きくなっているのは、彼にとって望んだ答え以上のものが返ってきたためか。
    各々が楽しそうに過ごせているようで安堵したが、腕にぶら下げた菓子箱の存在を思い出した。
    生ものなので、今すぐに食べないのであれば冷蔵庫へ入れるのが賢明か。
    人数分に行き渡らないのであれば、折を見て──
    秀と談笑していた鋭心が追ってこちらのスペースへ顔を覗かせる。
    影が動いたことによって鋭心へ意識を向けると、バチンと音が聞こえそうなほど視線がしっかりと噛み合った。
    じっとこちらを射抜く瞳は名前と同様に鋭く、何をしたわけでもないのに咎められそうで居心地が悪くなって、へらへらと口元を緩ませ誤魔化そうとした。
    「何か悩み事でもあるのか」
    怪訝そうに眉間の皺を深めたが、口から出た言葉は意外なことに心配だった。

    ……意外に、って。

    なんて失礼なことを考えてしまったのか。
    彼が理由もなく叱責するようなことなんて、これまで一度たりともなかったというのに。
    錯覚とはいえ申し訳ない気持ちで眉尻を下げたら、冷静沈着な鋭心もさすがにぎょっと目を剥いた。
    声のトーンはかなり抑えたはずだが醸す雰囲気は一種異様だったようで、衆人から注視されているのが刺さるほど伝わってくる。
    「あ、Café Paradeの……」
    「ケーキだぁ!」
    事務所内で最も馴染みのある店舗のロゴが書かれた菓子箱に気付いたもふもふえんの3名が、弾かれるようにソファから立ち上がって飛びついてきた。
    存在を知られた以上隠し通すわけにはいかず、深呼吸して一拍後、正直に白状することにした。
    「先程Café Paradeへ寄ったんです。鋭心さんが荘一郎さんから頂いたケーキを絶賛していたと話したら、お土産にと」
    映像作品で共演した際にと添えれば、心当たりがあると鋭心は深く頷いた。
    事務所にはいつも誰かしら在中しているから多めにどうぞと5つ持たされたが予想を上回る人数だった。
    咄嗟に、後で指名された彼だけにこっそり渡そうと思ったことだけは伏せた。
    「ならお前たち5人で食べるといい。俺はこの間頂いたしな」
    もふもふえんから歓声があがり、鋭心にとって後輩にあたる2人も自分たちが指名されて意外だと驚きながらも色めき立った声が漏れた。
    受取人がこれで良しと頷くものだから、号令に従って卓上へ箱を置く。
    箱の開封は志狼を中心に慎重に執り行われたが、輝くばかりに彩られた洋菓子が外気に触れるとその場に居合わせた全員が感動の声を上げた。
    まるで冒険譚の終盤に開かれる宝箱の検分のようで、小さな勇者たちの勝鬨が微笑ましい。
    紅茶でも淹れようかと調理スペースへ向かうと、鋭心が踵を返してゆっくりと追ってきた。
    「お気遣いありがとうございます。すみません、鋭心さんへの贈り物でしたのに」
    「それなら構わない。俺にも1杯もらえるか」
    彼が手にしているマグカップには薄くコーヒーが残っていたようで、一口で呷って空にするとさっと濯いでもふもふえんの3名と百々人のカップの隣に並べた。
    そういえば今朝方に将棋教室より直央を指名した、若年層向けのPRイベントへトークゲストの依頼メールが来ていたな。
    それにC.FIRSTへアパレルブランドからコラボの打診もあったが、百々人を主体にデザインの企画にも携われないか聞いてみても良さそうだ。
    あと連続ドラマの主要人物の演者を選抜するオーディションが開催されると、この間同業者の会話を耳にしたな。
    好きなものに触れていると、人は自然と笑顔になる。
    素の彼らを知ってもらうにはうってつけの機会なので、オーディション形式や誰とは指名は無いものの来た依頼は可能な限り適性のあるアイドルへ任せている。
    笛吹ケトルはふつふつと底を叩いているようだが、まだ湯気が噴き出すまでには至らない。
    「せっかく譲ってもらったのに水を差すようで申し訳ありませんが、本当に良かったんですか?」
    先回りして茶葉を茶漉しにセットした鋭心に問いかけると、目を丸めて不思議そうに首を傾げていた。
    「何がだ」
    「好きでしたよね、フルーツ」
    尋ねた途端に視線が静かに外される。一拍、まるで深呼吸を済ませた後のように静かな答えが返ってきた。

    「あの場では年少者に譲るのが当然だからな」

    火にかけたケトルを眺める瞳は余りにも穏やかすぎて、感情が読めない。
    波も風も立たない水面が鏡のように反射して奥底を隠す様と同じくらい、静かで。
    ただし、回答は質問に対して全くと言っていいほど噛み合っていない。
    敢えて外した会話にしたのなら、余程本音を悟られたくないのだろうか。
    しかし躍起になって探れば閉ざす少年なのは、短い付き合いながらも理解していた。
    まだケトルから登る湯気が薄いことを確認して冷蔵庫へ向かう。
    わざわざ袋へ入れて隔離したそれをひとつだけ掴んでシンクへ戻り、水切りに放置されている乾いた包丁を手に取った。
    赤い果実のそれを8等分して皮に切れ込みを入れる。
    調理は簡易的なものであれば自炊しているので包丁の扱い自体に苦心することはないが、林檎の皮むきなんて最後にしたのはいつだったか思い出せないほど飾り切りとは縁遠い食生活だ。
    少々不格好なので、出来栄えは目を瞑ってくれると良いのだが。
    ケーキを取り分けるために用意した皿に赤い耳をしたうさぎの飾り切りを8匹並べて、何事かと隣で一部始終を観察していた鋭心に突き出した。
    「では鋭心さんだけに私からこちらを。他の人には秘密ですよ」
    持ち上げた瞬間に皿が少し傾いたのか、1匹腹を見せて横転した。
    切り込みが浅かったのか、この1匹だけ芯のあった部分がでこぼこと波打っていた。
    格好がつかないと意気消沈し「荘一郎さんのケーキには到底及びませんが」と言い訳を唱える。
    ふふ、と低い吐息が降ってきたので目線を上げると、柔らかく笑い皺が寄った眦が飛び込んできた。
    「ありがたく頂こう」
    “秘密”のフレーズが気に入ったようで、恥ずかしそうにはにかんでいるが楽しそうにも感じた。
    こればかりは全て鋭心の懐へ収まりそうだと安堵する。ケトルが甲高く悲鳴を上げたのでコンロから下ろしてお湯を注いだ。
    しばらく蒸らそうかと再度カップの数を確認すると、秀の分が無いようだ。
    先程百々人たちの元へ来た時に持ち運んでいた気がする。
    カップの回収ついでにと、取り分け用の皿を掴んで5人が賑々しく会話を交わしている応接スペースへ小走りで向かう。
    「プロデューサー、」
    呼び止められて声の主へ向き直ると、鋭心は妙にしおらしく立ち竦んでいた。何が彼の不安を掻き立てようとしているのか。
    先程隠した言葉が聞けるのかと耳を傾けると、逆にぐっと嚥下して「なんでもない」と小さく首を横に振られた。
    「……いつか聞かせてくださいね。鋭心さんが話したいと思える時まで、待ってますから」
    言葉を堪えた相手に返すには適切な発言だったかはわからないが、少なくとも鋭心には響いたようでそっと頷いてくれた。



    ◇ ◇ ◇



    次の仕事まで手が空いているな、と壁掛け時計を眺めた後にメールアプリを起動すると未開封のメッセージが20件ほど表示された。
    前回のログインから経過した時間にしては普段より少ないようで、スパムメールを寄り分けたら目を通す必要がある案件は4件しか残らなかった。
    コラボ企画を進めている企業からの返信、講演会のゲストトーク打ち合わせ日程の連絡、ドラマ撮影日の調整依頼、と。
    「メンズコスメブランドのアンバサダーオーディション、か」
    ブランドのイメージなら、20歳程度で大人びて落ち着いた、朗らかさや柔らかさよりは鋭さを備えたアイドルを選出すべきだろう。
    北斗はこの手の業界に対する造詣が深いけれど、現在彼は他企業の広告塔を任されているので残念ながら除外させてもらわなければならない。つまり逆にライバルになるわけだ。
    北斗に拮抗できるような魅力を持つ、先方が求めるモデルを挙げるのなら恭二、九郎、一希あたりが順当か。
    年齢層をもう少し拡大するなら英雄も雰囲気は合いそうだ。
    若年ではあるけれど、玄武や鋭心なら先方が求めるイメージと近いので候補として挙げてもいいな。
    それ以外にもうちの事務所には実力を備えたアイドルはたくさんいるが、先方が求めるモデルにより近い姿を選出するなら彼らが適任だろう。
    添付資料にある今回のコンセプトやターゲット層をざっと流しながら誰が適任か、スケジュールが合うかの算段を立てる。
    マウスのホイールを数回下へ送って画面をスクロールさせると、興味深いキャッチコピーが目に飛び込んできた。

    誰のものでもない、『  』

    ──鋭心だ。
    その人選は最早天啓だ。
    ロゴが黒を基調としながら差し色に赤を取り入れていて、冷静ながらも燃えるような意志を抱いた彼らしいという理由は単純すぎるかもしれないが。
    明朝体のようなすっきりとしたフォントも、スマートで雰囲気に合っている。
    何より、この空白に彼を当てはめてみたくなった。
    仕事人としての意欲ではあるものの、これには一個人としての興味も含まれている。
    本当に彼は『誰のものでもない』のか、引き摺り出したい。
    企業への返信の前にと社用スマホのメッセージアプリを立ち上げて概要を送ると、間もなく既読と点灯した。



    ◇ ◇ ◇



    まずはサンプルを使ってみてください。
    そう言って先方より送られてきた、試供品が詰まった化粧ポーチを渡す。
    受け取った鋭心は開封してひとつひとつ吟味するよう手に取っている。
    選考は滞りなく進み、採用は呆気ないほどすぐに決まった。
    先方もいたく気に入ってくれたようで、鋭心を一目見て魅了されたのだと後日打ち明けられたくらいだ。
    「ここの商品は前に他のシリーズを勧められて使ったことがある。馴染みやすくて、香料も強くなく使いやすかった」
    鋭心はヘアバームのケースを一頻り眺めた後、タイトルをこちらにも見えるように傾けた。
    ターゲットの年齢層ではない上に自分が該当する年代だった頃には縁遠いメーカーだったが、色々試すという彼が高評価をつけるというのなら間違いないのだろう。
    ……じゃあなんで、今は使っていないのか。
    「鋭心さん、好きな香りはありますか」
    疑問を飲み込んで、蓋を外して香りを嗅いでいる鋭心に問うと、こちらを一瞥した後に中身へ視線を落とした。

    「会う人の好みに合わせて使っている。これは匂いも強すぎないし、いいんじゃないか」

    まただ。
    彼のことを聞いているのに、一般論を唱える。
    それに余程心根を悟られたくないのか、急に目が合わなくなって、口調に抑揚がなくなり一本調子になる。
    引き出したい。鋭心の“好き”を。仮に好んでいないのであれば隠す理由を、嫌いを上回るほどの“好き”が知りたい。
    「私も仕事柄あまり強い香りは選びませんが、実はウッディ系が好きなんですよ。以前仕事で他のコスメブランドから試供品を頂いた時に気に入ったものがあって、今でも個人的に使ってます」
    首を傾げて、鋭心は?と言外に返事を促す。
    回答せざるを得ない会話へ持ち込んだが、あまりしつこいと嫌がられるだろうし、軽いジャブ程度で様子を伺う。
    すると今度は盗み見るように上目遣いを向け、少し視線を泳がせて、こちらの出方を観察するようにおずおずと口を開いた。
    叱責を恐れて、わがままを唱えるべきか悩む子供のように。
    「俺も好きだ。気分によって使い分けるが、気持ちを落ち着けたい時によく選んでいる」
    今回の整髪料もこの系統だなと付け加えて、黙り込む。
    ただこれは、話が終わった後の沈黙ではない。
    続きがあって、言うべきか悩んでいるのだろう。
    どうしてこうも自分の意見を通そうとせず、二の足を踏むのか。
    こちらも1回頷いてしばし待ってみる。
    鋭心が僅かに俯いたので、虐めすぎたかと謝罪のために口を開いたら。

    「ルームフレグランスなら最近フルーティーな香りを使っているな。シトラス系も嫌いではないんだが……甘い香りが好きだなんて意外に思うだろう」

    自虐めいた気配をちらつかせながらも、言葉尻の上がり方や声色の高さは『好きなものについて語っている』時のものだった。
    他のアイドルたちもよく知る表情だから、見逃すわけがない。
    「いえ、思いませんよ。だって果物好きなんですよね」
    ケーキを年少者へ譲ったあの日に聞きそびれた回答を、今度こそ貰えると踏んで同じ質問を畳み掛ける。

    「……好きだなんて言ったことあったか」
    「いいえ。でも差し入れやお弁当に入ってると、嬉しそうじゃないですか」

    何度もその場に立ち会ったことがある事象だ。
    これで気のせいだと言われたら、本当に彼のことがわからなくなりそうだ。
    だからこの返事は半ば賭けでもあった。
    卓上に投げ出された手が強く握りこまれたので賭けに負けたかと思い、釣られてそちらへ視線を落とす。

    「よく見てるんだな」

    柔らかい声色が降ってきたので目線を戻すと、鋭心は照れているのか頬を紅潮させて表情を緩めていた。
    そうだ、俺はこういう顔がたくさん見たくて、アイドルのプロデューサーをしてる。
    ファンに笑顔になってほしくて、それ以上に好きなことで楽しんでいるアイドル自身が見たい。
    裏方の仕事ならではのやりがいだ。

    「はい。鋭心さんの笑顔が見たいから、好きなものが知りたいんです」

    素直にそう述べると、頬は赤いままで鋭心はにわかに表情を曇らせた。
    「よく人から、変わってると言われないか?」
    「うーん、そんな経験はあまりないですね」
    突然話題が変わったので瞠目したが、思い返しても問いかけの言葉に心当たりはない。
    鋭心はそうかと切り上げて、スケジュールの確認を提案してきた。



    ◇ ◇ ◇



    事務所に所属しているアイドル総出のイベントが盛況のうちに幕を閉じ、その勢いで全員がオフィスへなだれ込んで打ち上げ会が始まった。
    事前に慰労会を開催するとは伝えていたが、誰も欠けることなくこの場にいる。
    明日の早朝にも予定がある者ですら、どうしても参加したいと言って今もメンバーたちと談笑している。
    仲の良さもさることながら、イベント中も元気いっぱいで走り回っていたというのにエネルギーが有り余っているのか、パーティの料理も自らが用意するのは彼らの性分や趣味の他ならないのだろう。
    疲れを隠すどころか、楽しそうに腕を振るっている。
    むしろ食事した者が美味しいと喜ぶ素振りを見せると、もっと美味しい料理つくってみせる!と意気込んでいるくらいだ。
    スタミナ切れには十分に気を配らないと。
    アイドルたちが精力的に活動している以上裏方が疲労は見せるわけにはいかず、背筋を伸ばし周囲に意識を巡らせた。
    「プロデューサーさん。こちら試作中のものですが、良ければ感想いただけますか」
    ふらふらと人だかりを縫って進んでいると、5メートル先まで行かぬうちに料理人サイドの人物に捕まった。
    荘一郎の手元には掌に収まるほどの小皿に、鮮やかに飾られたケーキが一口サイズに切り揃えられ整列している。
    「ありがとうございます!早速頂きますが……イベント中もよく動いてましたので、無理はしないでくださいね」
    「ふふ、お気遣いありがとうございます。実のところあまり疲労を感じず、私自身も驚いています。イベント前にみなさんと走り込みをした成果でしょうか」
    皿を受け取ってひとつを口へ運ぶ。
    イチゴの程よい酸味が疲れた身体に染み入る。
    かと言って甘すぎず、色とりどりな盛り付けの華やかさに反してさっぱりとしていた。
    感想をそのまま伝えると、使用したフルーツとかフルーツの切れ端からソースをつくって食材を余すことなく使ったとか、このケーキをつくる過程でこだわったことを熱心に教えてくれた。
    彼が掛けた想いや熱意こそが、一番の調味料なのだと伝わるほどに。
    「以前眉見さんに渡したフルーツタルトから着想を得まして、彼にも試食していただきたいと思っているのですが……」
    そう言って2人して周囲に視線を配るが、人が多すぎて判断できない。そうこうしているうちに、巻緒が静かに近づいてきて耳打ちするようにそっと荘一郎の腕を引いた。
    「神谷さんを見ませんでしたか?紅茶のストックを探してくると言ったきり、1時間は戻ってきてないみたいなんです」
    「ついに事務所内で迷うようになったんか……」
    一斉に移動していた時に幸広に挨拶されたのは覚えているが、確かに直近1時間で彼と会話をした記憶がない。
    そもそも人が溢れた状態で誰がどこでどのように過ごしているのか把握することは、言い訳かもしれないが実質不可能だろう。
    「探しましょう。皆さんにも声をかけて、」
    「それには及びません。せっかく楽しんでいるところに水を差すわけにはいきませんし、それに更なる迷子を出しかねません」
    全員に呼びかければ早いと提案するが、荘一郎は渋そうに首を横に振った。
    この程度で腰が上がらない人々ではないが、全員で動けば収拾がつかなくなるのも比較的予想できる未来だ。
    人海戦術の弊害までは考慮できてなかった。
    慣れた者で探すと丁寧に辞退した荘一郎より、巻緒たちを伴って出る直前に試作ケーキの配膳を任せると託された。
    彼らを送り出して振り返ると、すぐ背後に鋭心が侍っていて何事かと怪訝そうに覗いていた。
    「東雲さんたちと出て行くのが見えたから、悪いが跡をつけさせてもらった」
    彼らはもう帰ったのかと首を傾げているので一部始終を話し終えて他言無用と断ると、彼はあっさりと受諾した。
    大事にしないようにと静かに戻る最中、ふと荘一郎の言伝を思い出す。
    「荘一郎さんから試作を頂いたんです。鋭心さんもいかがですか?美味しいのですが、あまり数がないので。他の人には内緒にしてくださいね」
    皿を出しながら、指を唇にあてて秘め事だとジェスチャーで示す。
    人々を魅力する本職の彼よりは格好がつかないだろうが、少し茶目っ気を出すくらいなら許してくれるだろう。
    律儀すぎるのか、落ち着かない様子で周囲に気配を張り巡らせ自分たち以外に誰もいないと確認してフォークと一緒に受け取った。
    「ズコットか」
    馴染みのない単語に首を傾げると、ケーキの種類だと説明される。
    自身が興味がないことに無頓着すぎるきらいがあるのは30年生きてきて十分すぎるくらい把握していて、仕事と結びつければ比較的覚えることができるようになった。
    それでもケーキの種類など横文字が羅列された単語はやはり覚えきれないようだ。
    どこの国かもわからない言語の専門用語を澱みなく吐き出す者はこの事務所には多くいるが、何度聴いても覚えきれないと詫びても彼らは許してくれる。
    『名前を知らなくても、この花の可憐さをわかるだけでもいいんだ』
    いつだったかみのりから花の種を分け与えられ、楽しむ心があるだけで嬉しいとフォローされたことがあった。

    「知らなくてもいいんじゃないか、美味しいとわかっているのなら。先に食べたんだろう」

    どの切れが良いか選びながらおそらく何気なく口にしたであろう鋭心の言葉に、はっとさせられる。
    俺が大人になって他人に気付かされたことを、この少年は最初から知っていた。
    目算通り、何も持っていない少年だというわけではないようだ。
    しかし“好き”を正しく把握しているというのに、どうして頑なに口を閉ざし続けるのか。
    一切れをフォークで突きそのまま大きく口を開けて、存外に勢いよく頬張った。
    小型の齧歯目さながら頬を膨らませて咀嚼しながら幸せそうに味わっている姿は、どれだけ取り繕って背伸びして大人と並ぼうとしても年相応に崩れていた。
    一回りも年の離れた少年だが体格は自分よりも優れ筋肉も均整がとれていて、なによりステージ上での身のこなしを見ていると同性ながらかっこいいと憧憬を寄せていた。
    それが今、可愛らしいと思えるのは子供のような純粋さで甘える姿をさらけ出してくれたからだろうか。
    「もうひとつ貰ってもいいのか」
    嬉しそうにそわそわと、しかしどことなく影がちらつく瞳がいじらしい。
    わがままではないかと、咎められると、怯えているのだろうか。
    「ええ。美味しかったのでしたら、ぜひ。もっと鋭心さんの笑顔が見たいですから」
    誰もそんなことで怒ったりしないと、安心してほしいと快諾する。
    それに彼ならば俺より味覚が偏っていないだろうし、何より好みの味だろう。
    だったら、このケーキの価値をより正しく評価できる人へ渡すのが道理だ。
    食器を掴む指がにわかに強ばったように感じたので様子を伺うと、鋭心は険しく顰めてフォークを咥えていた。
    普段から遠慮しがちな彼に無理難題を押し付けてしまっただろうか。
    余計なことを言ったなと反省する。
    そういえば人口密度の割に空調の温度設定が高かったな、なんて火照ったような赤みが差した頬を隣で眺めることくらいしか今はできなかった。



    ◇ ◇ ◇



    メンズコスメのスチール撮影を遠巻きに監視しながら、過激なディレクションが入っていないか耳を傾ける。
    鋭心は高校生だと先方にも伝えているしテーマに沿った人選だと承諾は得られたが、何しろ主題が大人になりたての背伸びする青年だ。
    現に今回のシチュエーションは、年上の恋人と夜のデートで組まれている。
    序盤は穏便だとしても、カメラマンやスタッフの興が乗ってきたらどう転じるか読めない。
    リードするようにカメラへ手を伸べている鋭心も、不慣れな条件からかぎこちなさが端々に表れている。
    機材が持ち上がっては下げられ、ついには少し休もうかと一旦休憩となった。
    鋭心も無理に食い下がらず、静かに受け入れた。
    撮影班は散り散りとなっていても、モデル自身はポーズや姿勢を黙々と確認している。
    しかし如何せん眉間の皺は深くなる一方だ。
    呼び止めて、何が気になるのか尋ねる。
    「表情をどうしたらいいか悩んでいる。今までこういったシチュエーションに当たったことがなくてな」
    溌剌とした振る舞いでも、挑戦的な不敵なポースでもない。
    これまで応じてきた仕事とは全くといっていいほど縁遠い要求を、今日この場で求められている。
    演技経験はないなりに、このシチュエーションに悩む姿は他にもたくさん見てきた。
    お節介かもしれないが、アイドルの援助を生業とするプロデューサーとして腕の見せどころでもある。
    なんとか助言を選んで、繰り出す。

    「好きな人は居ますか」

    異性でなくても、恋焦がれる相手でなくても良い。
    経験がなくて出せなければ、近いものでも良い。
    例えば、秀や百々人、他の年下へ接する優しげな面差しが適しているのではないか。
    そんな気持ちで「その人が目の前にいると考えてみては?」とアドバイスを送る。

    「好きな、人」

    反芻のように呟いて、それまで試行錯誤して頬を揉んでいた手を止め、思案顔でじっと俯いている。
    曖昧すぎたかと気を揉んで見守っていると、行けると立ち上がってカメラマンの元へ駆け寄った。
    追いかけるとすでに2回目のセッティングへ向けてスタッフが忙しなく立ち回っていて、それから間もなく撮影が再開された。
    カメラを向けたスタッフが、七五三参りの子供にかけるような声色で指示を飛ばす。
    緊張を解すための冗談なのだろうが、その後の鋭心が魅せた表現が。

    どうしてこうも、切なそうにはにかむのか。

    場に居合わせた全員が息を飲んだ、ような気がした。
    真っ先に切り替えできたのはカメラマンで、鼻息荒くシャッターを切り始める。
    視線を流すようにと言われた鋭心と目が合う。寒さからか頬が仄かに赤いのも相まって、思春期の少年の初恋を垣間見た錯覚に襲われた。
    あどけなさがあるものの、背伸びした男の子というオーダーへのアンサーとしては十分すぎるくらいだ。
    演技に臨む姿勢も素晴らしいが、それ以上に表現力の高さは元来備えていたようだ。
    プロデューサーとして、審美眼に狂いはなかったと満足してほくそ笑む。
    なのに鋭心は、今にも泣き出してしまいそうなくらい、瞳を潤ませた。
    面食らいながら撮影スタッフの声に耳を傾けると、そういうディレクションがあったらしい。
    心臓を掴まれたくらいの衝撃に高鳴った胸を、懸命に撫でて落ち着ける。
    場の空気がガラリと変わった。
    立ち会っている全員が鋭心の虜となっている。とても良い流れだ。
    危惧していた際どいシチュエーションは無く、むしろ無いにも関わらず彼が応えた演技の方が余程胸をざわつかせたくらいだった。



    ◇ ◇ ◇



    学生とはいえ18歳であれば問題ないだろうと呼び止められ、データの確認をしていたら宵が深まっていた。
    電車で帰らせたら乗り換えで遠回りになるだろうからと鋭心から相談を受けたので、事前に用意した送迎の車に乗り込ませる。
    夜の首都高は連休も相まって、遅い時間だというのにテールランプが連なって一般道と同程度のスピードしか出せない。
    「もしかすると到着が23時を過ぎるかもしれません。必要でしたら親御さんへご連絡してくださいね」
    秀や百々人と異なり法的に自由が利く年齢だが、一人息子だからと眉見夫妻は酷く気にかけているようだ。
    鋭心自身も両親を困らせまいとしているのか、日頃より23時以降の外出には注意を払っていた。
    なのに横目で見た助手席に座る彼は、今日は小さく頷くだけで何をする訳でもなく虚ろに手元を視線を落とすだけ。
    仕事では絶賛されたほど怪演で魅せたくらいだからコンディションは好調だろうが……むしろ活躍した反動で疲労したのか。
    小さなため息が耳に入ったので仮眠でも取らせるかとオーディオの音量を下げると、続け様に言葉が紡ぎ出された。
    「……今日の俺は、お前の目にはどう映った?」
    求められたのは、感想。
    これは仕事の成果に納得していないのか?
    あれだけ今日の関係者を魅了したというのに、彼の飽くなき探究心には舌を巻く。
    「文句のつけ所なんてありませんでした。クライアントからも絶賛されていたでしょう」
    向上心があるのは喜ばしいが、ただしあまり追い詰めすぎも良くない。
    特に今日は最高記録を叩き出したと言っても過言ではなく、褒めることも必要だ。
    アイドルたちの仕事ぶりを把握しているプロデューサーとしてだけでなく、私人としても息を飲んだくらい魅せられたから。
    「……本当にそれだけか」
    「何に、納得できませんか?」
    焦れているのか、先程まで疲弊したように投げ出されていた指先は隠すように強く握りこまれている。
    前を走っていた車両のハザードランプが点灯したのを視認して、こちらも点滅灯のスイッチを押してシフトレバーを引き倒しながらエンジンブレーキで徐々に速度を落とす。
    ついに渋滞の只中へ突入したようだ。ここからは長期戦になるだろう。
    動かないと運転に集中する神経も僅かに緩まって、つい横目で鋭心を盗み見る。
    まるで痛みに耐えているような苦悶が滲んだ横顔が、罪悪感を掻き立てた。
    優秀な結果を残したものかと評価していたが、彼にとっては望まない仕事だったか。
    悪質な指示はないと思ったが、10代の少年にとって耐えられないものがあったか。
    グルグルと嫌な予感が渦巻いては押し寄せるが、まずはヒアリングをしてから予防策を練るのが優先だ。
    「苦手な仕事でしたか」
    その問いかけには半ば食い気味に首を横に振る。
    ならば原因は別にあるのか。
    気のせいだと跳ね除けられなかった以上、禍根がどこかにあるのは確実なようだ。

    ──好きな人は居ますか。

    今日の行動を省みて、カメラマンよりセクハラめいた発言をしていたのは自分ではないかと思い至る。
    これはコンプラ的にかなり問題がある。
    緊張を解すつもりが、逆に萎縮させたか。
    「もしかして、私が原因ですか」
    反応がない。
    それどころか唇を揉み合わせてばつが悪そうに、さらに深く俯いてしまった。
    最近彼は会話中に黙り込んでしまうことが度々ある。
    自分が思い至らないだけで、知らぬ間に傷つけるような発言を繰り返しているのかもしれない。
    誤解を解かなければ。
    言い訳に聞こえるかもしれないが、せめて悪意を持ってからかったわけではないのだと弁明はしたい。
    「申し訳ありません。鋭心さんの力になればと思って助言したつもりでしたが、私はあなたを傷つけてしまいました」
    きつく閉ざされていた瞼がゆっくりと上がって、俺を捉える。
    前方の車のテールランプが、弱々しい瞳に比例して西陽より赤く反射している。
    「酷いことを言った手前で無神経ですが、私は鋭心さんをそばで見ていたいんです。だからどんなことでもいい。鋭心さんの気持ちを教えて」
    輝き始めた才能をこんなつまらない理由で投げ出してほしくない。
    傷つけた立場から許せなんておこがましいにもほどがあるが、ステージに立つ彼を支え続けたい。
    この役職だけは、他の誰にも渡せない。
    エゴだらけだけどそれだけは譲れない一心で、つい語気が荒くなる。
    どんな叱責だって受け入れるけれど、せめてそばに置かせてくれと。
    祈る気持ちでレバーを握る掌に力を込める。
    鋭心が、諦めるように、決起するように、瞳に光を灯す。
    手が伸べられて、静かに着地する。
    その指先が冷たいと思ったのは、俺の手の甲に重ねられたためか。

    「俺は、……お前が好き、だから。……お前が見て、俺がどう映ったのか聞きたかった」

    だけなんだが、と尻すぼみになってついに消えた言葉の意図が、よくわからない。
    とりあえずアドバイスはセクハラと認定されなかったことだけはじわじわと浸透し始める。
    「え……っと。お、私も鋭心さんのことは素敵だと思ってます。お若いのに堂々として、かっこいいなって、今日の……撮影」
    まるで握手会に初めて来て緊張で喋れないファンのような、たどたどしい口調でなんとか話を繋げようと試みる。
    俺が思い違いしているのか、どうしてこんな話の流れになったのか理解できないなりに苦し紛れに常日頃から彼に抱いている感情と今日の感想を吐露した。

    「そうじゃなくて、……っ。お前の恋愛対象として、見れたのかと聞いてる」

    恋愛、対象。

    情報が大きくて、多くて、キャパオーバーで思考が止まる。
    再び俯いてしまった彼のつむじを眼下に見ながら、静かに流れたサイドバングから覗いた外耳が光源がなくとも真っ赤に染まっていることに気付く。
    車両の後方でクラクションが鳴って弾かれるように視線を巡らせ音源を探すと、追い越し車線側が少し動いただけで自分が成すことは現在無いと安堵する。
    いや、看過できないことは眼前にまだある。

    どうして俺なのか。
    見目麗しく心根の優しい仲間なら周りにいるではないか。
    いや、そういうことじゃない。
    アイドルが恋をするな、なんて言うつもりは毛頭ない。
    けれど選ぶ相手がこんな冴えない大人の男でいいのか。
    しかし俺は彼の想いに応えてはいけない。

    ビジネスパートナーとしても、成長を見守る年長者としても。
    同性が、なんて拒絶の理由にはなり得ない。
    逃げの言葉を探す。
    「待って、誤解だ」
    ついて出た言葉は明らかにチョイスミス。
    伏せたままだった鋭心の瞼が即座に上がって、切なそうに歪む。
    泣かせるつもりなんてなかったのに。

    「好きという気持ちに、誤解なんてあるのか」

    涙を零しそうに声を震わせ瞳を潤ませながらも、耐えて食い下がってくる。
    何が彼を駆り立てるのか。

    縋ったとしても、俺は応えられない。
    応えるわけには、いかない。

    「違う。でも良くないことだ」
    シフトレバーに接した皮膚が汗ばむのに対し、重なった鋭心の指は凍てつくように冷えていく。
    なのに、離したら今生の別れになるのかと思うほど強かに握られては緩めてくれない。

    「なら、俺の気持ちは、……俺の“好き”はいけないことか」

    その言い回しをされては、拒絶できない。
    拒絶したら、鋭心は全ての“好き”を手放してしまう。
    感情をひた隠しにしてきた元の彼に、戻ってしまう。
    注意を逸らすとちょうど前の車のブレーキランプが消えたのでフットブレーキを緩めれば、亀のような速度で5メートルも進まないうちにまた詰まってしまった。
    「なんで俺を……いえ、どうして私なんですか」
    さっきから取り繕えず、ビジネスに適した態度とワードが選べていない。
    何度か敬語も外してしまったようだが、実情は把握できていない。
    すると鋭心は僅かに緊張を緩ませ、指先の力を抜く。
    おずおずと相手の様子を探るような視線は、幾度となく浴びた。
    それはいつだって、彼の趣味を問うた次の瞬間に浮かべる、わがままを咎められるのかと怯えるような瞳。
    「俺がこの事務所で事を成すためには、私情を挟むべきでは無いと思っていた。周囲が求める、“アイドルの眉見鋭心”であればいいと」
    思い詰めたような言い方にかぶりを振ろうとするが、彼の眼差しには続きを聞いてほしいと強い意志が含まれていた。
    「けれど、それは間違いだと。俺が楽しむことこそが周囲が求める姿なんだと教えてくれたのが、お前だった」
    口早に言い切って、深く息を吸う。
    まるで憑依型の俳優が本来の自分に戻ってくる瞬間の、切り替えるような長い沈黙。
    「嬉しかった。本来喜ぶべき立場ではないのに、許してもらえたことが」
    いつ以来だったか、と聞こえたが何分口内で小さく呟いて飲み下したから、本当にそう言ったか定かではない。
    下向きになった睫毛が、細くライトを跳ね返す。
    留守番が怖いと震える幼子のようだと感じたのは、何故だろう。
    「その喜びが恋だと、自覚してしまった。でも言うつもりは、なかった。しまいこんだまま、抱えていくつもりだった。……お前を困らせたくなかったから」
    不安そうに伏せていた瞼が、不意に和らぐ。
    手の甲に重ねられた掌が、熱を持って、しっとりと汗ばむ。
    「お前が言うとおり、良くないことだ。けれど一度希望を知ってしまったら、本音を言えば喜んでくれると期待してしまったら」
    この貌、さっき見た。
    好きな人のことを考えてごらんと伝えた時と、同じ。
    もしかして、俺を当てはめてたのか。
    じゃあ最近話しかければ黙ってしまう瞬間があったのは、あれも俺のことを恋愛対象としていた所以か。
    手繰り寄せた記憶の中で俯く鋭心は、いつだって頬を赤く火照らせていた。
    嘘だろ。
    でも告白が本当なら、全部がパズルのピースみたいにぴったりとはまる、納得できる場面ばかりだ。
    「……、……っ!」
    突如、鋭心の顔が急速に色を失くしていく。
    砂の城が打ち寄せる波にさらわれるような、崩れ方。
    思考に一辺倒になるがあまり相槌を忘れてしまったのが、俺が引いたのだと誤解させたみたいだ。
    「悪い、忘れてくれ。明日からはちゃんとお前の指示は守る。今日はここで」
    「ごめん、違うんだ!きみに見とれて、あっ。いえ、すみません!こんなこと言ったら困りますよね……」
    シートベルトに手をかけて逃げ出そうとする鋭心の手に、今度は俺が縋る。
    渋滞の最中とはいえ高速道路上で車より降ろすわけにはいかないが、何よりこのまま帰せない。
    明日には、素直な笑顔がなくなっているだろうから。
    普段は秀や百々人と比較しても口数が多いとは決して言えない、しかも唱えるのは一般論であり彼が抱く想いを紡いでくれなかった鋭心が。
    苦しそうに、でも考えていることをこんなにもたくさん話してくれたことが、一重に嬉しかった。
    「困るわけ、ない……見ていてくれたのが、嬉しい」
    彼の望むように本音を告げれば、先ほどの真っ青な顔面はどこへやら鋭心は噛み締めるようにはにかんでいる。

    “好き”を知っている人は美しい。
    その“好き”が、俺個人に向けられているってだけで、一等星よりも輝いていると選んでしまう。

    贔屓なんて褒められた行為ではないけれど、プロデューサーだって所詮は1人の人間だ。
    仕方ないと開き直りはしないけれど、認めなければならない。
    視界の隅でテールランプの光度が弱まったので、慌てて正面を向いてシフトをニュートラルに切り替える。
    「ごめんなさい。せっかくたくさん好きを教えてもらいましたが、“私”には応えられません。“私”はあなたの、アイドルである鋭心さんのプロデューサーですから」
    今はまだ業務中だから、“俺”に回答する権利はない。こんな頓智めいた答えは許してくれるか。
    「……わかった。ただこれだけは伝えたい」
    視界の前方には故障車の撤去作業が行われている。
    どの車両も脇目で眺めながら減速している。
    だから俺が脇見運転していたって、誰も知らない。
    ──助手席に座る、鋭心以外は。
    「お前に拒絶されるのはわかってた。けれど諦められるかと問われたら、無理だ。許してくれるか、お前のことを想うことくらいは」
    不器用そうな、でも彼と過ごした今までで一番優しく穏やかな微笑み。
    つん、と鼻の奥が痛い。
    俺が振った方なのに、どうしてこんなにも心が苦しいのか。
    声にしたら涙で濡れていそうで、情けないところはひた隠しにしたくて視線を逸らし静かに頷く。
    路肩には『速度回復願います』と電子看板が点滅している。
    あれだけ道路が車で詰まっていたのに、いつの間にか車間距離が広く取れている。
    アクセルを深く、重く、踏み込んで加速する。
    夜景が溶けるほど、速く。

    ……早く見限ってくれ。
    こんな未練がましくめそめそと縋ってしまいそうになる大人のことなんか。



    ◇ ◇ ◇



    改札を抜けた途端、鋭心の瞳に射抜かれて思わず足が竦んだ。
    そうか、今日から1週間デジタルサイネージの掲示が始まるのか。
    以前主題歌にC.FIRSTが採用されたドラマは人気を博し、ありがたいことに続編も続投となった。
    そのテーマソングのCD発売と配信開始を華々しく宣伝している。
    柱を横切る度に鋭心のカットばかりが俺を見据えてくる。
    なんてタイミングだ。
    電子広告にスマホのカメラを向けている、ファンと思われる女性の後ろを足早に抜けた。



    事務所の扉をくぐると、賢が「お疲れ様です」と労わってくれた。
    聞けばオフィス内を空にする訳にはいかないと昼休みを取っていないと言うので、ゆっくりと過ごすようにと休憩を促せばペコペコと何度も頭を下げて退室した。
    茶でも沸かすかとキッチンへ行くと、茶箪笥の前でこちらに振り返ったばかりの鋭心と目が合った。
    「お疲れさま」
    「……お疲れ様、です」
    他に誰も居ないと思い込んでいたのもあったが、告白された日からやはり気まずい。
    2人きりなんて、あれ以来じゃないか。
    否が応でも意識させられてしまう。
    「淹れようか」と紅茶のキャニスターを掲げながら涼しげに問いかけられ、ぎこちなく頷いて手元の紙袋を掲げる。
    「今日、取引先からお菓子もらったんです。鋭心さんはこれ……好き、でしたよね」
    「ん。……ああ、そうだ。よく覚えてたな」
    「……当然ですよ!私を誰だと思ってるんですか」
    「俺のプロデューサーだな」
    くつくつと笑いながらケトルを火にかける鋭心の隣に並んで、内心ほっと力を抜く。
    身構えすぎたか。
    いつもどおりに過ごせばいい。
    今は彼の気持ちに応えなくてもいい、否、応えてはいけない“プロデューサー”なんだから。
    「そういえば、お前も昼休憩はまだなんじゃないか?」
    賢に休憩を取るよう指示したが、彼の慧眼は見抜いていた。
    脱力した瞬間に腹の虫が抗議の声をあげる。
    「よく気付きましたね」
    「急いで帰ってきた様子だったからな。大方、山村さんのために走ってきたんだろう。お前も休んだらどうだ」
    気遣いはありがたいが、やはり事務の心得がない学生を一人置いて外出はできない。
    賢が戻って来るまでは、軽めのお茶会で身体を休ませる折衝案でなんとか落ちついた。
    先程の土産をお茶請けに、向かい合って一息いれる。
    卓を挟んで座っている鋭心が、ドライフルーツのチョコレート掛けを食みながら目元の緊張を緩める。
    慣れた表情になったはずなのに、どうにも胸が弾む。
    「食べないのか。疲れてるのなら、なおさら腹に何か入れておけ。これは俺も好きな味だ」 
    鋭心がおすすめだと箱を突き出して指さしたいちじくを摘んで、口の中に放り込む。
    チョコレートの甘味と果実特有の僅かな酸味が絶妙なバランスで、ふわりと口内で解けた。
    疲れた身体に糖分がよく沁みる。
    指先に至る末梢にすら浸透していくような心地良さすら感じる。
    絶妙な甘さに疲労が溶けて思わず目を細めると、鋭心が釣られるようにいっとう優しく微笑んだ。

    「お前が楽しそうで、嬉しい。勧めた甲斐があったな」

    眼前の柔らかな面差しに反比例するように、俺の心が萎む。
    年齢相応に恋愛もしてきたはずなのに、振った相手が優しくて、こんなにも後悔して苦しいことはあっただろうか。
    いけない、今は就業中だ。私事は持ち込むな。
    打ち払うようにかぶりを振った拍子に、傾けた湯呑みから熱湯が零れ落ちて、思わず汚い悲鳴をあげた。
    「あっつ!……っ、ゲホッゴホッゴホッ、うわ、湯呑み落とす……!」
    噎せたり湯呑みを落としかけたりと下手なコメディより過剰に騒いでいると、鋭心が声を上げて笑い始めた。
    「お前の側にいるといつまでも飽きないが、少し落ち着いたらどうだ」
    「ん、ごめん……、……いえ、すみません」
    つい口調を崩してしまい、慌てて釈明に入る。
    水飲み鳥のように何度も頭を下げていると、鋭心は思い出し笑いのように吹き出す。
    「前に聞いた時にも思ったが、そっちの方がお前らしいんじゃないか。俺が言えた義理はないが、少し堅苦しすぎる」
    それは。
    プロデューサーではない俺まで見通していると。
    プロデューサーの肩書きを持つ社会人どこにでもいるおとなに恋することで背伸びしている錯覚に囚われているわけではないと。
    「いきなり他の人々へするのも驚かれるだろうし、まずは俺で試してもいい」
    それだけ、おとなではないひとりに本気だと宣戦布告された。

    アイドルだって感情を持った人間だから、恋愛の制限は他人が設ける権利はない。
    でもプロデューサーが手を取っていい資格はない。
    誰のものでもない、誰かのものになってはならないのは他の誰でもない『プロデューサー』だ。
    頼むから、揺さぶらないでくれ。
    落ちる先が天国じゃないのは知ってる。
    この迷い自体がすでに、恋の奈落に堕ちているのだと、自覚することから目を逸らした。



    to be continued…
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