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    DogAndFish6524

    @DogAndFish6524

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    DogAndFish6524

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    P鋭 ※創作P
    くっつくまでの話後編

    Mess-age翻る布と、踊るライト。
    うねる群衆に呼応して、跳ねる声。
    舞台袖には背中しか見せない。
    ステージへ上がれば観客に夢を見せる、みんなを笑顔にするアイドルになるのが彼だから。

    アンコール曲も終え、深々と頭を何度も客席へ向かって下げながらようやく袖幕まで戻ってきた鋭心へ駆け寄る。
    案の定膝を着くように前のめりに倒れ込んできたので、体を滑り込ませて抱き留めた。
    今日の公演は、これまで彼が魅せた中でも最高の出来だった。
    けれどもトランス状態の一種なのは一目瞭然で、明らかにオーバーワークだった。
    しかし終演のアナウンスが流れても、会場からは拍手が鳴り止まない。
    これこそが壮絶なパフォーマンスに対しての、わかり易すぎる評価だ。
    救護スタッフを呼ぶように指示し、鋭心には体位を変えると呼びかけて背中に腕を回した。

    「……見てたか」

    荒い呼吸の合間に、不安そうに囁く低い声。
    今日は鋭心のためだけに、用意された舞台だ。
    この場にいた誰しもが、彼に釘付けだったというのに。
    まだ収まりそうにない声援や拍手を聞いてもなお納得しないのは、言語化して落とし込みたいのだろう。
    たったひとりの感想を求められているとは、思いたくない。
    「うん、見てた。見てました。今日はあなただけ、ずっと」
    赤子をあやす様に背中を軽く叩いて、お疲れ様でしたと労る。
    ようやく安心したのか、もたれかかっていた体が少し重く感じた。
    深く安堵のため息をついた鋭心が静かに抱きしめ返す。
    「そうか、良かった」
    首筋を掠めた吐息の熱さに思わず心臓が早鐘を打つが、安定しない姿勢で苦しそうなので、支柱の代わりになればと前のめりに一歩踏み出す。
    穏やかな表情でゆったりと身を預ける鋭心に寄り添う自分の姿は、まるで恋人同士の抱擁にも思えた。

    ──錯覚するな。
    彼が求める、良識のある大人であり続けなければいけないのだから。
    そう言い聞かせなければ、遠慮がちに盗み見る視線に耐え切れそうにない。



     Mess-age



    話は遡って、鋭心のみのワンマンライブ企画段階まで戻る。
    「頼まれた資料を用意した。時間があるときに目を通してくれ」
    鋭心からそんな本文のメールが届いたのは、業務時間内の薄暮時だった。
    C.FIRSTに初めて来た仕事は予算も少なく、彼らに企画立案もさせた。
    各々が生徒会長を務める由縁から、立ち会った会議では有意義な提案が飛び交い、話し合いで生まれた発想を活かした独自のマーケティングができた。
    小規模だったとはいえ各々の特性を発揮でき、好スタートだったと言えるだろう。
    以降、C.FIRSTに来た仕事でこちら側から何かしらアクションが求められる案件は、度々彼らに話し合いの場を設けて意見交換をさせている。
    10代の若者らしい勢いのあるプランは、業界に迎合して擦れた大人には到底出せそうにない新鮮さを纏っていた。
    彼らの共通点は有名生徒会長という肩書きだけで、趣味や信念はそれぞれがかけ離れていた。
    ともなると複数案が提出された時に、癖があると数回目に気付いた。
    秀は流行を押さえながら顧客が求めているビジョンを明確に理解している。
    確実に注目は集まるだろうが、その分予算も高くつく。
    百々人から出る案は前衛的で、他者では到底思いつかない奇抜なプランに強く興味を引かれる。
    芸術家肌ならではの個性があるが、その分現実味の少ない表現もままある。
    鋭心の提案は実現可能かつ予算案も組み込んであり手堅いが、その分冒険心も少ない。
    後輩2人の派手さと比較するとどうしても無難に収まってしまう。
    三者集まると各意見がブラッシュアップされてちょうどいいバランスになるのだが、今回は鋭心がメインのプロジェクトなので2人の力は借りられない。
    簡単なアドバイスなら梃入れを悟られないだろうか、と腹をくくって添付ファイルを開く。
    「これは……」
    画像ファイルは手書きの資料を写真に収めたものだった。
    鋭心にしてはあまり選択しない連絡手段だったことにもまず驚いたが、それよりも図案に度肝を抜いた。
    たった今受信したメールだからと踏んで、傍らに伏せてあった社用スマホを掴んだ。
    2コールも響かないうちに通話へ移行したが、メールを送信したばかりとはいえ多忙ではないとも言いきれないのではと先走った浅慮な行動を恥じて第一声に詫びれば、休んでいただけだから問題ないとフォローが入った。
    「提案してくださった企画、最高です!これならファンの皆さんも喜びます!」
    来場者に手書きのメッセージを特典として渡す。文章はテンプレートだとしても、1枚1枚が全く同じ筆跡にはならず、それは渡されたファンにとって世界でたった一葉の特別になる。
    鋭心を応援する人々の想いを汲み取ったという点では、文句なしの大きな花丸を与えたい。
    大袈裟なくらいに褒めれば、発案者は電話越しに安堵のため息をついた。
    「しかし準備に時間がかかります。これから忙しくなりますよ」
    しかし現実問題、これは鋭心でなければできない作業でもある。
    イベントを催行するために押さえてある会場の収容人数を算出すると、枚数は相当なものになるだろう。
    他の仕事やレッスンに加え、彼の所属する生徒会での引き継ぎも行っていると聞く。
    半端な気持ちではイベントまでには間に合わない。

    「だからこそ取りかかって間に合う今に提案した。やりきって、期待に応えてみせる」

    涼やかで、凛々しくて、頼りになる。強い意志を秘めた声。
    秀や百々人と共に手を取り前に進む力は、いつだって信念に支えられていた。だから、安心して送り出せる。
    「俺にしかできないこともあるが……、俺だけではできないこともある。手伝ってくれるか」
    「ぜひ!いつでも頼ってください」
    「……ああ、背中は預けたぞ」
    急激にトーンが落ちて柔らかくなった声に、反射で肩が強ばる。
    視界になくても、解けるように優しく緩める口元が思考にちらついて。
    二言三言と会話を交わして終話へ逃げ切る。画面がアクティブでなくなった後もなお、ひたと見つめる。暗い画面は鏡面のように俺の相貌を映し出す。顔色は少し曖昧で、紅潮してるのか夕暮れに反射してるのかまでは判断がつかない。
    どうして、自分を振った相手のそばに以前のように寄って来れるのか。いや、振った俺がわざわざ自滅しに行ってるのか。
    スマホ画面を伏せて、PCへしがみつくように向かう。
    メールの文面を映した画面はどこまでも機械的。

    大丈夫、“俺”は映ってない。



    ◇ ◇ ◇



    鋭心のライブ企画が進行している間にも、他のアイドルの仕事は並行して進んでいる。
    特に高校生以下の年代の少年たちには時間制限があり、遅くまでの活動は許されていない。
    かのんがファンシーグッズとのタイアップの宣材を撮影することになったが先方との兼ね合いでどうしても平日夕方からしか予定が空けられず、またあまりに近々すぎて学校側へ申し出るのに悩んでいた。
    しかし「かのんなら絶対に失敗しないよ♪」と本人が放課後でも問題ないと承諾をした上で、現在フォトスタジオに詰めているのだが。
    さすが仕事の要領と人心掌握に長けた元子役モデルなだけあって、予定より早く終わりそうだ。
    撮影スタッフも「かのんくんはすごい子ですね」と彼の魅力に心を掴まれていた。
    「わあ!この写真、すっごく可愛く撮れてる〜!ありがとうございまーす♪」
    撮影した写真の一部をざっと眺めて詳細なチェックはまた後日に送ってもらうと約束して、2人して深々と頭を下げて退席する。
    「ねぇねぇ、プロデューサーさん!かのんが言ったとおりだったでしょ?」
    「はい!さすがかのんくんですね」
    「可愛いものの魅力を引き出すお手伝いをしただけだよ」
    隣に並んでいたかのんが僅かに屈んで上体を傾け、静かに上目遣いを向ける。
    ご褒美に頭を撫でてほしいと都度頼まれているうちに、態度だけでもわかるようになった。
    「ええ、でもそれはかのんくんだからこそできるんですよ。がんばりましたね」
    つむじに掌を添わせるように何度か軽く押し付ける、いわゆる頭ポンポンをすると、満開の笑顔を咲かせて「次もがんばるから見ててね♪」とかのんは喜んだ。



    かのんを送り届けて事務所へ帰着する。電気はまだ点っているので、賢も帰宅していないようだ。
    「ただいま戻りました」
    「お疲れさま」
    扉をくぐって戻りの挨拶をすると、予想より低い声が返ってきて咄嗟に周囲を見渡す。
    「あれ……、鋭心さん?」
    内勤の事務員のデスクにはいつも柔和な笑みで迎えてくれる賢ではなく、凛々しくこちらを見据える鋭心が座っていた。
    「えっと、賢君は?」
    「山村さんなら急用で外出すると言って出て行ったが、メッセージは入ってないか」
    鋭心に促されて社用スマホを引っ張りあげれば、言葉どおり賢から「このまま直帰します。鋭心くんにお留守番をお願いしてもらってるので、一度事務所に寄ってもらえますか」と新着の通知が10分前にあった。
    メッセージに気付かなかったとはいえ、直帰しないで良かった。
    「すみません、見落としてました。留守番ありがとうございます」
    「気にするな。俺にもすることがあったし、大きなトラブルもなかった」
    鋭心が目線を落とした先には、件のメッセージカードが山のように積み重ねられていた。
    作業前と後で分けられているらしく、おそらく終わりも近いようだ。
    「無理はしないでくださいね」
    「ああ、ライブも控えてるしな。あと少しで書き終えるから、しばらく残っていいか」
    承諾して、向かいの席に座って業務日報を作成するためにPCを立ち上げる。
    鋭心はペンを取ってさらさらと静かに走らせる。
    丁寧な仕事ぶりだ。その速度ならきっと1日かけていたのだろう。
    その不器用すぎる誠実さは、ファンにも伝わるはずだ。
    立ち会ったかのんの撮影をついての報告を済ませデータを保存していると、同時に鋭心がぐっと上体を反らし腕を屈伸させた。
    「終わりましたか?」
    「ああ。見てもらえるか」
    PCシャットダウンの操作を終えて、立ち上がり鋭心の背後から仕上がりを覗き込む。
    全部に目を通したわけではないが、同一のものが1枚たりとも存在しないとわかるほど、気持ちが込められているのが伝わってくる。
    「最初は紙の質感が掴めず字が歪んだが、手書きならではの愛嬌と思えば悪くないな」
    ほら、と数枚差し出したカードは確かにペン先が引っかかったように書き出しがガタついている。
    以前なら書き直すと予備を使ってでも完璧な仕上がりを見せていたはずだ。それも悪くない。
    けれど完璧なだけがアイドルの魅力の全てとも言えないことを、鋭心がようやく知ってくれた。
    上目遣いで“プロデューサー”の様子を覗き込むあどけなさが、いじらしくて。
    「はい。鋭心さんの想いは必ず伝わりますよ」
    目の前にいる少年の表情に気を取られて、言葉を紡ぐのと同時に手が持ち上がって彼のつむじに乗せていることに気付くまで時差があった。
    気付いたのは、鋭心が息を飲んだ小さなブレスが耳に届いたから。
    まずい。さっきかのんの頭を撫でていた流れがルーティンのごとく残っている。
    こういったスキンシップを日頃より望んでいるかのんとは違うし、さすがに引かれるか、最悪セクハラで訴えられても文句は言えないよな……
    叱責を覚悟して先手を打って謝罪をしなければとまず腕を浮かそうとした、が。
    次に鋭心が表した態度が、全ての不安を覆し行動を躊躇わせた。
    口をすぼませた後、恥ずかしそうに唇を震わせながら、しかし嬉しそうに俯いて頭を無防備に晒したのだ。

    いけないものを見た、と思った。

    この姿は、誰にでも見せてくれるわけではない。
    “俺”が相手だからこそ、赦されている。
    アイドルたちの表情をひとつでも多く世間に送り出したい。
    そう思える間なら、まだ戻れるはず──
    つむじの上に置いたままの掌がいつまでも重く持ち上がらず、触れたところから想いの熱が伝わらないようにと祈るしかできなかった。

    しばらくして掌を剥がしながら口にしたのは、何事もなかったような話題の延長。
    散々期待を持たせておいて都度なかったことにするなんて、最低だよ俺は。



    ◇ ◇ ◇



    楽屋の扉をくぐると、鋭心は目を覚ましていたようでちょうど上体を起こしたところだった。
    ライブによる体力消耗は著しく回復しきっていないのか、瞼を重そうに持ち上げているように見受けられる。
    「悪いな、片付けを全部任せてしまって」
    「いえ、それより苦しいところはありませんか」
    「大丈夫だ。処置が良かったおかげだな」
    緩めた首元を正して、枕元に並べられたアイシング代わりの保冷剤をかき集めて鋭心は頷く。
    「全部こちらでしますから。立てそうですか?」
    荷物をまとめるようにと帰宅の準備を促すと、鋭心ははたと手を止めて首を横に振った。
    「挨拶だけは許してくれるか。俺のステージのためにここまでしてくれたスタッフたちへ、どうしても」
    静かに、しかし意志の強い瞳が“プロデューサー”を射抜く。
    その実直さはどこまでも麗しく澄んで、透明で。
    とにかく美しい。
    神々しいまでの純粋さに圧倒され惚けながら頷くと、鋭心は腰を上げてそのまま涼やかに脇を抜けていった。
    一瞬見せたふらつきをなかったかのように振る舞う他者への気遣いは献身じみて、少し痛ましくも思えた。



    わざわざ手を止めて全員を集める煩わしさを省くためにと、慌ただしい中で一瞬張り詰めた気を緩める人物を呼び止めては鋭心と共に頭を下げた。ひとりひとり、カンパニー全員へ。
    本日在中していた裏方のメンバーへの挨拶を終え、ようやく帰路につくことができたのが22時過ぎだった。
    疲労も想定して送迎の準備はしていたが、23時までに鋭心を家に送り届けるとするなら、危険のない程度で少し飛ばさないといけないだろうか。
    「最後にひとつ、残したことがある」
    SNSへ掲載するための写真を撮ってほしい、と頼まれた。
    ファンへの対応は元より完璧とも言えたが、最近は想いも伴ってきたのがわかる。
    社用スマホで撮影したものを鋭心にも共有すると伝えて、懐からスマホを取り出しカメラモードに切り替える。
    夜も深く、しかし会場は煌々と輝いたままなので、画質にムラがある。
    夜景モードに切り替えた方が良さそうだ。
    操作しながら、画面越しに鋭心が柔らかく微笑むのを漠然と眺める。
    ここまで優しい印象の彼は、隣で一緒に仕事をしてきた中で見たことがあっただろうか。
    夜景モードに切り替わり、光が眩く鮮明に鋭心を包み込む。
    「お前が居たから安心してここまで来れた。ありがとう。これからも、よろしく頼む」
    スマホを僅かに傾け、画面を隔てず彼の姿を瞳に刻み込む。
    その貌は瞬きひとつした後には、凛と佇むアイドルになっていた。
    再びカメラを持ち上げ撮りますよと一声かけた一拍後に、カシャッと電子的なシャッター音が静かに落ちる。
    写真を鋭心に見せるよう画面を傾けると、彼は頷いて「今日、やり残したことはもうないな」と呟いた。
    手元に戻して検分した写真には“仕事終わりで今からオフタイムを楽しむアイドルを演じている”鋭心が居た。
    SNSにアップロードするのなら申し分ない写真だ。しかし俺の網膜には、“高校生の少年”の鮮やかな笑顔が焼き付いたまま離れない。
    プロデューサーとして世界に知らせたい表情を、1人の心の中に閉じ込めたままで良いと、僅かでも思ってしまった。
    この気持ちは職務怠慢よりもっと重い、罪。



    ◇ ◇ ◇



    ソロコンが終わったといっても多忙から急に解放されるわけでもなく、後片付けや次の仕事に時間を追われて気付けば次の週末を迎えようとしていた。
    今日も事務所には鋭心宛のファンレターが届き、危険物や彼の視界に入れては支障がありそうなものがあればと軽く目を通すが杞憂に終わった。
    一通り読み切った手紙の山は、全てファンからのラブレターだ。
    実際に恋愛感情を綴ったものもあったがいずれにしても熱烈な愛をしたためてあった。
    本人すらも無意識で振る舞ったであろう一挙手一投足を、賛美する言葉たち。
    そして今しがた届いたメールはエンタメニュースサイトの取材協力のお礼で、閲覧数も伸び続けているようだ。
    リンク先へ飛べば、遠い日の記憶にも思える眩ゆいステージが小さな画面に再現されている。
    掲載された写真のどれにも鋭心が中心に据えられている。
    取材スタッフの感想も、そろそろ諳んじることができるくらい読み込んだ。

    『鋭心が楽しそうだった』

    ファンも、どのメディアも、口を揃えて今回のステージへ向けた賛辞。
    画面の中にはカメラを意識していないであろう、前を力強く見据える鋭心。
    その先には何がたるかは言わずもがな。
    表情は会場にいたファンの想いを映しているのだろう。
    しかも無理につくった紛い物ではない、本心からの笑顔だ。
    長らく隣にいたから、わかる。
    静止した画像の鋭心に釣られて唇を綻ばせる。
    周囲の人々が言うように、鋭心は以前より表現方法が柔らかくなった。
    それに彼も固く閉ざしていた口を開いて自身の気持ちを、良い感情を素直に伝えてくれるようになった。
    アイドルになったことが直接的な原因かは不明だが、いい傾向なのは間違いない。

    『俺は、……お前が好き、だから』

    この事務所の方針として、所属しているアイドルたちに恋愛は自由にさせている。
    派手な交友や法律を破るような不祥事さえなければ基本的に制限していない。
    もっとも異性との接し方がわからない、恋愛に興味がないと主張する者が多いため、少なくとも見える範囲では危うい交際をしている姿は把握できず助かっている。

    自由恋愛を謳いながら、なぜ俺は鋭心を拒むのか。
    学生といえど成人と扱われる年齢になっている。
    しかし。
    少年から青年へ過渡したはずの彼が、未だに門限を律儀に守り、頭を撫でられて嬉しそうに目を細める、幼げな振る舞いがどうにもちらついてしまう。
    自身の立場も要因のひとつであるが、障壁はこれが一番大きい。

    『……見てたか』

    低く囁かれた声が、首筋に触れた熱い吐息が、残り香のように身体から離れてくれない。
    事務所の広報SNSにアップロードした画像を過去へ過去へと遡る。
    1週間前まで追想すれば、会場を背に気高く君臨する精悍な少年がいた。
    見慣れたはずの表情が、今は精一杯背伸びしている子供のように映る。
    『頑張ったから褒めてほしい』と瞳が呼びかけてくる。
    画面越しに額に触れれば、息遣いがすぐ耳元に聞こえてきそうで。
    ああ、手元のファンレターのように素直に想いを告げられる立場だったら──


    ノック音を拾って面を上げると、窓の外は夕焼けで世界が赤く包まれていた。
    上階だがその気になれば遠くからでも覗くことが容易なので、ブラインドを下げているとドアの開閉と共に鋭心の姿が現れる。
    「お疲れさま。悪いな、遅くなった」
    「いいえ、むしろお休みの日に呼んでしまってすみません」
    デスクの中にしまった紙袋を取り出して手渡すと、鋭心は覗き込んで唇を綻ばせた。
    それもそうだろう。中には彼に宛てた数十のファンレターが詰まっている。
    しばらくは手紙が届く日が続きそうだが、1週間でこれだけ量が貯まったのなら先に渡した方が良いと判断したのは間違いなかった。
    「読むのが楽しみだ」
    不意に一葉を取り出して、鋭心は微笑みながら頷く。
    その姿が、ふと以前LINKであったやり取りを思い出させた。
    今日のようにファンレターを渡し、読んだ鋭心が向上のために手助けしてほしいと乞うたことがあった。
    それに対して「ファンと一緒に楽しんで」と返信すると拒絶の言葉が戻ってきた。

    楽しむ必要がない、と。

    その時だったか、鋭心に世間へ見せている顔と別の表情があるのではと初めて気付いたのは。
    それから幾度となく、彼の本心を引き出そうとして、トラブルまでには発展しなかったが衝突もあった。
    今ではこうして心根まで晒してもらえるようになったことが、幸せに思える。
    プロデューサー冥利に尽きる以前に、子供の成長を側で見届けた親のような充足感。

    「よかった。その笑顔がずっと、見たかった」

    安堵のため息とともに零したのは鋭心への礼賛であり、俺の失態でもあった。
    「っ……」
    それまで朗々としていた鋭心の瞳が一瞬にして曇って、ようやく自分がしでかしたことの重大さを思い知る。
    彼の想いに対して「何も返さない」と言った口で、俺はまた気を持たせるような発言を繰り返している。
    何度なかったことにしようと誤魔化して、傷つけるつもりなんだ。
    この悪習は断ち切らねば。
    離れた心を適切な距離だと拒んだ鋭心に注意したことがあったが、今は近すぎる。

    近すぎて、彼を見ていなかった。

    「すみません、出過ぎた真似をしました」
    深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にする。
    許さなくてもいい。
    前の距離感に戻れたら、それで……
    甘い考えだった。
    降ってきたのは断罪ではなく、泣き出しそうなブレス。
    堪えたのか、呼気は続いて聞こえてこなかった。
    なんでこうも悪手ばかり打ってしまうのか。
    頭を上げれば、鋭心は深く俯いて黙り込んでいる。
    その感情は、ひとつも伺えない。
    貌を見せてほしい。
    泣いてるなら、笑えるようになるまで側にいて謝るから。
    反射にも似た想いで手をとろうと指先で触れると、鋭心らしからぬ緩慢な仕草で払い退けられた。

    弱々しくも明確な、拒絶。

    衝撃は物理的に殴打されたと錯覚するほど大きく、痛い。
    瞬間、冷静さを取り戻すとともに、すとんとひとつの感情が落とし込めた。
    踏み込むなと示されたら引くのが筋だ。
    それが真っ当な大人の対応。
    だからこうして手を伸べる行動は、間違いのはず。
    都合のいい自己肯定で誤魔化すのは罪だけれど、背負う覚悟はできた。
    スマホで勤怠システムを起動し、画面を鋭心が見えるように傾けた。
    「……プロデューサー?」
    ようやく見せてくれた面は強く眉間に皺が寄って、怒ってるのかはたまた苦しんでるのかの判断もつかない。
    でも見たいのはそんな表情じゃない。
    鋭心を困らせる“プロデューサーになっているのだとしたら、さらに踏み込む方法はひとつだけ。
    「退勤したから、今はプロデューサーじゃない。今の“俺”は、きみを誑かした悪い大人だ」
    距離を詰め、鋭心の背中に腕を回して、後頭部を掌で撫ぜる。
    何か言おうと口を開閉させているのは、耳元より伝わってくる。
    言葉を結べないのなら、先に全てこちらから言おう。
    そうすれば、少しは負担を肩代わりできるだろうから。
    「答えるよ、この間してくれた告白。前に答えたプロデューサーじゃなくて、今度は俺から」
    腕の中の身体が強ばって、少し小さくなった気がした。
    だからもっと強く抱きしめて、頭をゆっくりと再び撫でさする。
    「この事務所にいる人たちと同じで、俺もたくさんの人の笑顔が見たくてこの仕事に就いた。俺には人前に出る才能はないけど、俺が送り出したアイドルたちが見せる笑顔でみんな笑ってくれるのがなにより嬉しい。それはきみに対しても同じ、だった」
    アイドルは、ファンの気持ちを等身大で映す鏡なのかもしれない。
    観客が見たいものを示して喜ばせる、ピカピカの姿見。
    「でもいつの間にか、きみの笑顔だけが特別なものになってた。好きって言われてからなんて、都合良すぎるけどさ」
    身体を僅かに離して、でも腕はしっかりと巻き付けたままで覗き込んだ。
    良かった、泣いてない。
    険しかった雰囲気も緩く解けている。
    何が起きてるのかわからずまだついて来れてなく、むしろ困惑しているようだ。
    「あんなに本音で喋ってって言った方が嘘つくなんてフェアじゃない。だから……うん、素直に認めるよ」
    大きく開かれた瞳に映る自分がはっきり見える。
    仮説は間違えてなかったな。
    特にこの少年は細部まで再現できる正確な写し鏡であろうとする。
    でも今は完全に無意識だろう。

    「今、俺の中の一番は間違いなく鋭心さんだ」

    愛しい気持ちを解放することが、世間から愛される人を占有する後ろめたさより上回った今、想いをそのまま言葉に乗せる歓びが心地いい。
    何度も躊躇った理由がわからなくなってしまうほどに。
    ぱたぱたと雫が一滴二滴と頬に触れる。
    優しい涙は春の海に似た温かさで、心へ穏やかな感情を満たしてくれる。
    湧き出づる源泉の瞳はどこまでも透明で、奥底まで全て見えてしまいそうに綺麗に輝いている。

    泣かなくていいんだよと囁けば、不器用そうに、でも世界一優しい微笑みを見せてくれた。



    ◇ ◇ ◇



    昨日に比べて今日は随分と暖かい。
    週間の天気予報は気候の乱高下を示している。
    三寒四温の時期に入ったのなら、春は近い。
    薄手になった上着の人々が行き交う駅前では、ビラ配りのアルバイトが歩行者へ何かをしきりに差し出している。
    今どきここまで元気いっぱいに対応する日雇いは珍しいなと遠巻きに観察してると、バイトの青年は視線が合った瞬間に駆け寄ってきた。
    断る定型文を出す間もなく突き出されてしまい、咄嗟に受け取る。
    着ぐるみアルバイトの職歴があるピエールを思わせる人懐っこさだ。
    「サンプルです、どうぞ」
    手元にはメンズコスメのサンプル。
    チラシには誰のものでもないと謳う、何度読み返したかわからないほど馴染んだフレーズ。
    ここのシェービングクリームは家に余ってるくらいなんだよな、と苦笑いしながらチラシとともにカーゴパンツのポケットへ差し込んだ。

    IT業界大手企業の動画広告を流すデジタルサイネージの間を縫って、待ち合わせ場所へ向かう。
    駅の改札前に着いた途端に人の往来が増えてきた。
    自動改札機は忙しなく電車の乗客を吐き出していく。
    その中の一機から出てくる人を待っていた。
    目が合うとひらひらと手を振られ、こっちも振り返して近寄ろうとするが、人波に流されてあわや彼と会話も交わさず文字通りお流れになるところで引っ張り上げられた。
    「どうして仕事がない時はこうも要領が悪くなるんだ、お前は」
    強く手を引かれ、人を避けて柱の影で息を整え小休止する。
    呆れたと口にしながら声のトーンは明るく優しい。
    新たな発見が楽しいといった口ぶりだ。
    「使い分けてるわけじゃないんだけどさ。仕事中は少し緊張してるくらいで、いつも変わんないよ」
    「それは使い分けてると言うんじゃないか?」
    腕時計を一瞥した彼に促され、隣に並んで2人同時に目的地へ足先を向ける。
    封切りより日数が経った映画で中規模以下の劇場では放映されていなく、今でも興行しているシネマは都内でも有数の大型劇場を残すのみとなっていた。
    「今日観るのって……あれ、」
    「どうした」
    颯爽と隣を歩く彼から薫る香料が以前と違う。
    少し甘いノートは瑞々しいフルーツを彷彿とさせる。
    ユニセックスでも通用しそうだ。
    「ワックス変えた?」
    「ああ」
    毛先を軽く摘んで持て余す姿は、高校生にしては堂にいってる。
    イケメンと言うよりはハンサムと表現するとしっくりくる。
    同性でも視線を奪われてしまうくらい。
    「きみが広告のサンプル、まだあるって言ってなかった?」

    ──ねえ、鋭心さん。

    問いかけた先にいる少年が静かに視線を寄越し、……突如険しくなった。
    その様子を視認して、自分の失態を理解する。
    「ごめん、まだ慣れなくて」
    「……気にするな。俺がわがままなだけだ」
    反射的に浮かべた表情に気付いたのかバツが悪そうにまつ毛を伏せるが、求めるものが手に入らないと拗ねているのは隠しきれていない。
    こういうとこがさ、ほっとけないんだよ。
    「今日はどこの使ってるの?ね、鋭心」
    歩むテンポが速まる彼を引き留めるように、そっと手を取る。
    半歩先を行く鋭心が勢いよく振り返り、小さく唸ってから空いた方の手でまた髪を弄び始めた。
    スピードも足並みが揃って再び真横を歩けるようになる。
    「広告塔を務めたメーカーの、別の商品を使ってる。貰った試供品もまだ残ってるが……」
    「他の人に勧められたのを使ってるとか?」
    言い淀む鋭心に、以前「こだわりはない」と耳にしたことを思い出して問うが、違うと首を横へ振って否定された。
    「ジンクスがな」
    彼にしては妙に歯切れが悪い。
    踏み込まない方が得策か。

    しかしもう、鋭心に関わると決めてしまった。
    なりふりなんて構ってられない。
    喋って楽になるなら、吐き出させるまで。

    単語だけでオウム返しして暗に誘導すると、鋭心は軽いため息を漏らし、こちらに向き直ったときには告白する勇気を見せてくれた。
    「あの撮影のとき、俺は『片想いの相手から意識されてなく、振り向いてもらえるように接する』イメージで挑んだ。しかもその後、実際に告白したら振られているしな」
    商品に悪意がなくても苦手意識があるんだと、諦めたような弱々しい笑みを浮かべている。
    『誰のものでもない』を自分ではなく相手と踏まえ演じたというのは初めて聞いたが、捉え方の相違は年代の違いか、それとも鋭心特有の視点か。
    どちらにせよ先程カバンへねじ込んだフライヤーに写った彼の潤んだ瞳は、そんな事情があったのか。
    それについては、まあ。
    ……あの日に戻れるわけじゃないし、謝ることしかできない。
    でも名誉挽回の機会や代わりにできることは、これからたくさんある。
    「もう一度手に取って使い切れるようになるまで、信用回復に努めるよ」

    まずは手始めに。
    触れたままの指先を絡めとって、ぎゅうっと力強く握りしめる。
    今日は初めてのデートなんだ。
    恋人同士、手をつなぐのはなんら不思議は無い。
    突発的な行動に付き合わされた鋭心が、きょとんと目を丸め、そして楽しそうに優しく目を細める。
    ほら、ちゃんと見てるとこんなに目まぐるしく表情を変える子だ。
    何も教えてくれないんじゃない。
    いつも態度で示していたのに、気付かなかっただけ。
    でも今は、知らないフリなんかできないところまで来れた。
    付き合うならばとことん、最後まで。
    私人としての成長と、トップアイドルまで駆け上がる姿は全部見届けたい。
    あのキャッチコピーの空白に対する答えは、今ならわかる。

    眉見鋭心は、誰のものでもない。
    『眉見鋭心』自身のものだ。





    end
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