Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    persona1icetwst

    @persona1icetwst

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 58

    persona1icetwst

    ☆quiet follow

    利害の一致から『結婚』したラギ監が自覚する話
    ※女監督生(卒業済)ユウ呼び
    ※盛大な未来捏造
    これ↓↓↓の続き
    https://poipiku.com/797100/4657061.html

    まだあと1話続きます。

    ##新婚ごっこラギ監

    対等関係「ん~~!! いやぁマジで美味いッスねユウくんとこのパン! ふわふわで最高ッス~!」
     トースターで温め直したクロワッサンをリスのように頬張り、ラギーは眦のさがりきった満面の笑みで歓喜の声を上げた。
     テーブルの真ん中に置いた大皿から、山盛りのクロワッサンがあっという間に姿を消していく。追加のクロワッサンをトースターから出しながら、ユウはくすりと表情を綻ばせて口を開いた。
    「気に入ってもらえてよかったです。一番の人気商品なんですよ」
    「へぇー。売れ残ったら貰って帰っていいなんて、ホント太っ腹ッスねぇ」
    「本当に。店主さんと奥さんもすっごくいい人で」
    「ふぅん。よかったッスねぇ」
     口いっぱいのクロワッサンをごくりと呑み込んで、ラギーはにかっと歯を見せて笑った。指先についたパンのクズをぺろぺろと舐めとる彼を眺め、ユウはきゅっと拳を握り、意を決して口を開いた
    「……あの、いまさら、なんですけど……先輩のお仕事って、どんなことしてるんですか?」
    「ん? オレの?」
    「はい。そういえばマジフト以外のお話ってあんまり聞いたことなかったなって…思って……あ、ええとその、話しづらいことなら、全然いいんですけどっ」
     両手を振って取り繕いながら、何でもない風を装って次の言葉を待つ。ラギーはふむと明後日の方向に視線をやり、クロワッサンをぱくりとひとくちかじった。
    「話せないことねーけど、聞いてもつまんないッスよ。毎日おんなじことやってるだけだし」
    「……それでも、聞きたいです。先輩の話」
     ずいっと、これが対価だと言わんばかりに、クロワッサンの乗った皿を押しつける。
     真剣な顔で、けれど目だけはキラキラさせて身を乗り出すユウに、ラギーはふっと息を漏らして肩をすくめた。
    「しょうがないッスね。じゃあ一緒に働いてるやつの話からしてあげる」
     滑りだしたラギーの言葉に、パッとユウの表情が華やぐ。
     やっぱり在学中と変わらず変なやつだと心の中で苦笑して、ラギーは次のクロワッサンに手を伸ばした。


    * * *


     昼時のパン屋は、戦場もかくやという忙しさだ。殺人的な混雑をなんとか乗り越え、ユウは人の少なくなった店内を見まわしてやっと息をついた。
     今日も今日とて忙しかった。ご飯時の飲食店のアルバイトは何度か経験したことがあったが、ここは群を抜いている。安くて美味しくてマジカメ映えすると今密かに人気を集める隠れた名店と、エースが教えてくれたことを思い出す。
    「ユウちゃん、ちょっと裏の方手伝ってきてもいいかしら? ここ、お願いできる?」
    「あ、はい! 大丈夫です!」
     ユウの隣のレジに立っていたローザがにこりと微笑んで、大きなお腹を揺すりながら奥の厨房へと引っ込んでいった。
     彼女は店長のジェイムズと夫婦でこの店を切り盛りしている。二人とも生まれも育ちもスラム出身で、なんとマジフト選手たるラギーのファンらしい。面接の際「まぁ、ラギー選手と同じ苗字なのね! 素敵だわ」とうっとりされたことをよく覚えている。ラギーには言わなかったが、こんなところにまでファンがいるのかと感心したものだ。
     一人になって、備品の整理をしながら店内の客を静かに見守る。小柄な女性と、線の細い男性、それから獣人属の大柄な男性がトングを片手に思い思いにパンを選んでいる。
     この瞬間が一番好きだった。強面な男性が甘い甘いクリームパンを選んでいったり、ふくよかな女性が家族全員分のパンをどっさり買い込んでいったり。店を通して垣間見える他人の日常に僅かながらでも自分が関わっているということが、自分の世界も広がっていくような不思議な感覚に通じて満たされた気分になった。
     今いるお客はみないつも見かける常連だ。小柄な女性は近所の事務員、大柄な獣人の男性は土木作業員、線の細い男性はこの地域を担当する営業マンらしい。みな混雑する時間帯をずらして休憩をとっているらしく、いつも昼の最後に見かける面々だった。
     子供や知らない客がいれば多少商品にも気を配る必要もあるが、常連なら大丈夫だろう。そう思って減ったビニール袋を補充しようとレジの下に屈んだとき、入り口のベルがカランカランと盛大な音を響かせた。
    「いらっしゃいま―――」
     せ、という語尾は、飲み込んだ叫びとともに喉の奥に押し込まれた。
     入ってきたのは初めて見る客だった。目深にかぶった大きな帽子、細身の体型を覆うオーバーサイズのジャンパー。顔ははっきりと見えなかったが若い男性のようで、彼はきょろきょろとあたりを物珍しげに見回して、ひょいとトングとトレーを手に取って店内を歩き始めた。
     無意識なのか、その背中から低い鼻歌が響き始める。ユウがぽかんと口を開けて男を見つめていると、会計のため近寄ってきた小柄な女性がそっと耳打ちしてきた。
    「……一人で大丈夫?」
    「…えっ、あ、はいっ。大丈夫ですっ」
     慌ててレジを打ちながらにっこりと笑顔を返す。女性はなお心配そうに首を傾げていたが、袋詰めされたパンを持って店を出ていった。
     続いて細身の男性も、大柄な男性も同じセリフを口にした。「一人で大丈夫か」「誰か戻ってくるまでいようか」と。ユウはそのどれもに首を振り、お仕事頑張ってくださいとにこやかに彼らを送り出した。
     この地域に置いて一番警戒すべきは『知らない人間』だ。外からスラム街に流入してくる人間は大抵が良からぬ事情を抱えている。全員が顔見知りのようなこの町で顔を隠す見知らぬ人間を警戒するのは、実にまっとうな話だ。
     だが、ユウは知っている。店に入ってきた彼が何者なのかを。
     帽子をかぶっているのは初めて見たし、トレードマークの耳と尻尾はすっかり隠されている。けれど見覚えのあるだぼついた上着と低い鼻歌を口ずさみながらトングをくるんと回す姿は、間違いようがなく――ラギー・ブッチその人だった。
     彼が入ってきた瞬間、つばの下から覗いた瞳と目が合った。一瞬だけユウに視線を注いだラギーはついと人差し指を口に当て、口角を引き上げてみせた。
     ――何も言うな。ラギーは言外にそう告げた。曲がりなりにも人気競技の選手。テレビや雑誌に露出することもあり、おまけにスラム出身のハイエナである彼はこの地域から異様なほど注目を集めている。あまり公にはしたくないのだろう。今ここでユウが声をかければ、ユウとの関係も第三者に知れてしまう。ユウだけの問題ではなくラギーにまで迷惑がかかる。そう思って、ユウは常連にも何も告げずひたすらに口を噤んでいた。
     二人きりになった店内で、素知らぬ顔でパンを選ぶラギーを待つ。ラギーはパンを6つトレーに乗せて、無人になった店内の真ん中をゆっくりとレジに向かって歩いてくる。「お願いしまーす」なんて他人行儀な声色と共にトレーを渡し、素早く周囲を見回して出し抜けに顔を寄せた。
    「お疲れ様、ユウくん」
    「先輩、何でこんな時間にここに?」
     小声の労いに合わせ、ユウも声を落として訊ねる。ラギーの口元が緩み、垂れた目尻が悪戯っぽく緩んだ。
    「たまたま近くまで来たから顔見に来ただけッスよ。…上手くやってるみたいで安心したッス」
     青灰色の瞳がもう一度周囲を窺う。パンを袋詰めするユウの腕を引き、先ほどよりも近く、ぐっと耳元に唇を寄せて囁いた。
    「ユウくん、もう上がりでしょ。オレもひと段落したんで、戻る前にご飯一緒に食べない?

    「え、いいんですか?」
    「うん。じゃ、外で待ってるんで」
     ラギーは帽子の下でにこりと微笑むと、わざとらしく大きな礼を述べて、パンの入った袋を受け取り悠々と店を出ていった。しばらく見送った姿勢のまま惚けていたユウは、後ろからローザが顔を出したのにも気付かないままずっと立ち尽くしていた。
    「ユウちゃんありがとう。交代するからあがっていいよ。……ユウちゃん?」
    「ひゃっ!? あ、はい! お疲れ様でした!」
     慌てて振り返り、挨拶もそこそこにそそくさとローザの横をすり抜けて店の奥へ。仕込みを続ける厨房の面々にもおざなりな挨拶を返し、風のように更衣室の中へと飛び込んでいった。



    * * *


     店の裏手から大通りに出る細道の途中で、ラギーは塀にもたれてぼんやりと空を見上げていた。唐突に小さな足音が帽子を突き抜けて鼓膜を揺らし、しまい込んだ耳がピクリと揺れる。緩慢に視線をやれば、店の裏口から飛び出してきたユウがきょろきょろとあたりを見回し、ラギーを見つけてぱあっと顔を輝かせながら駆け寄ってくるところだった。
    「お待たせしました! 遅くなってすみません…!」
    「ん、大丈夫ッスよ。お疲れ様」
     壁から背を離して、膝に手をついて息を整える小さなつむじを見下ろす。無意識に手を伸ばして指通りのいい髪を撫でると、一瞬驚いた顔をしたユウが嬉しそうに破顔した。
    「うちに帰った方がいいッスかね。この辺飯食えそうな公園とかないし」
    「あっ、そうですね。先輩もお耳窮屈でしょうし」
    「あはは、まぁちょっとは。何か買い物ある? ついでに寄って帰りましょ」
    「それじゃ、一ヶ所だけ」
     おずおずと彼女が口にしたのは商店街にある八百屋の名前だった。そこならば帰り道の途中だから問題ない。行こうとユウを促して、薄れてきた午後の陽だまりを並んで歩いた。
    「仕事の調子どう? 困ったこととかない?」
    「はいっ! 店長さんにも奥さんのローザさんにもすごく優しくてよくしていただいて……そうそう、先輩が教えてくれたレジ打ちのコツ、実践したらすごくやりやすくなりました。ありがとうございます!」
    「そりゃよかった」
    「お給料入ったらお礼に駅前のドーナツ買ってきますね!」
    「お、やった! へへ、楽しみにしとくッス」
     他愛のない雑談を交わしながら角を曲がる。商店街の入口と入ってすぐのところにある八百屋が見えたところで、ラギーは唐突に足を止めた。
    「オレ適当に待ってるんで、悪いけど行ってきてくれる? 帰りの荷物持ちはするから」
    「はいっ! 任せてください!」
     むんっと拳を握ったユウが、意気揚々と八百屋に向かって駆けていった。ぶんぶんと揺れる尻尾が見えそうな、子犬にも似た背中を目を細めて眺め、ラギーはユウが視界に入る位置まで移動してスマホに目を落とした。
     自分とユウが一緒に歩いている姿を他人に見られるのは未だ少し気後れする部分があった。きちんと公表していない仲という負い目がついて回り、無意識に心のブレーキがかかる。もし自分と彼女に繋がりがあると周囲に認知されてしまえば、いざ解消するとなった時に困ると、そう思っていた。
    (……解消、ねぇ)
     正直、すぐに解消されると思っていた。相手はナイトレブンカレッジ以外を知らない箱入り娘。外の生活を知れば、こんな理不尽な生活やってられないと投げ出してしまうかと思っていた。
     けれど予想は華麗に裏切られ、毎日の家事をほとんど完璧にこなしたうえ、今度は仕事まで自分で見つけてくる始末。優秀すぎてため息が出そうなほどだ。
     ユウは思っていたよりもずっと『同居人』として優秀すぎた。先回りしてなんでもこなしてくれる彼女を日に日に手放しがたくなり、後ろめたさに余計拍車をかける。
     生活のためにラギーと『結婚』していなければ、もしかしたら今頃好きな男のために尽くしていたかもしれないだろうに。愛し合って、将来を誓って、人生を共にして、そんな普通の暮らしを送っていたかもしれない。もちろんラギーもユウもあの時点では納得ずくの『契約』だと信じているが、弱みに付け込んだ感は否めない。真面目なユウのことだ。ラギーのことがあれば、他に男など作れやしないだろう。
     ユウが持ってくる求人を精査していたのは、彼女に説明した通り危ないところへ近づけさせないのが目的だったが、ほんの少し、働いてほしくない気持ちもあったからだった。よそで働けばラギーがユウに不利な契約を持ちかけているのがばれてしまう。たかだか衣食住の保証で戸籍と生活のほとんどを差し出せなんて、ナイトレブンカレッジ時代のレオナですら言わない。それくらい、酷いことを言っている自覚はあった。けれど、目の前に現れたユウに話を持ち掛けるほど、困っていたのも事実で。別にユウでなくても、他に都合のいい相手がいたならばそちらに相談を持ち掛けていたと思う。
     でも、頷いてくれたのはユウだった。請け負うなら出来る限り完璧にとわざわざ自分で調べて、行動して。休日だってラギーが心地良く休めるようにと気を遣ってくれているのが手に取るようにわかってこそばゆい気分になった。
     彼女に『契約』を持ち掛け『結婚』したことを後悔はしていない。後ろめたい気持ちは若干あるが、それとこれとは別の話。声をかけたのが彼女でよかったと思うし、今でも一緒に暮らしてくれていることにも素直に感謝している。――まぁそれも、ユウがこのまま働き続けて貯金ができれば終わりが来るかもしれないが。
     この生活の終わりを意識すると、どことなく胸が痛むような気がした。こんな楽な生活を手放すのが惜しいのだと思っていたが、どうやら少し違うらしい。その正体に気付くのが何となく嫌で、ずっと目を逸らしている。
     収まりの悪い胸の奥も、最近ユウの笑顔がどうにも眩しい理由も、妙に距離感の近づいてきている会話も、全部全部、見ないふりをした。
     これ以上近づいてはだめだ。距離を保っていないと、自分は、彼女のことを――。
     はたと、時計に目が留まり、既に十分も経過していたことを知って顔をあげた。買うものは決まっているような口ぶりだったが、そんなに時間がかかるだろうか。
     八百屋に視線を向けてユウの姿を探すと、彼女はとっくに店の入り口に立っていて、買い物袋を片手に店番の男と談笑しているようだった。
     ――いや、仲良く談笑している風に見えたのは一瞬だけ。よくよく観察すれば、立ち去りたいユウを男があの手この手で必死に引き留めているかのように思えた。
     それに気づいた瞬間――考えるよりも先に、身体が動いていた。大股で通りを横切って、まっすぐに商店街へ。目深にかぶっていた帽子のつばを跳ね上げ、ラギーはユウとの間を遮るように、ひょいと横から八百屋の男の顔を覗き込んだ。
    「おんやぁ、イアンくんじゃないスかぁ。久しぶり、元気してた?」
    「えっ、あ!? おま、ラギー!?」
     男が一瞬嫌そうな顔を浮かべてラギーを一瞥し、二度見して素っ頓狂な声を上げた。ラギーの横やりに驚いたのはユウも同じで、黒い瞳を真ん丸にしてラギーの横顔を凝視していた。
     この八百屋は昔配達のアルバイトでよく顔を出していたところだ。イアンはこの店の息子。ラギーよりもいくつか年下で、まだギリギリ十代だったはず。大きくなったものだと感心する一方で、ラギーはユウの方へ振り向いた。
    「あんまり遅いんで迎えに来ちゃったッス。買い物は終わった?」
    「え、あ、はい! 終わり、ました」
    「うぅえ!? ラギー、ユウさんと知り合いなのか!?」
     イアンが再び裏返った声をあげた。ラギーはユウから買い物袋をもぎ取りながら、横目でまだ年若い青年を見やる。
     買い物にこの辺の店を利用するように教えたのはラギーだ。懇意にしている顔見知りの店も多いし、地元の人間ばかりだから安心できる。そう思って紹介したのだが――まさか、自分の与り知らぬところで名前まで教え合っているだなんて。
     ユウの社交能力の高さを少し低く見積もりすぎていたかもしれない。心の中で嘆息しつつ、ゆっくりとイアンに向き直った。
    「……そうッスね、そんなところ。で、イアン、この子になんか用?」
     言いながら、わざとらしくユウの肩を抱き寄せた。ぎゅう、と掴んだ手の中にすっぽり収まった小さな肩が驚きに跳ねる。恐る恐る見上げてくる戸惑いの視線を完全に無視して、ラギーはただただ目の前のイアンをじっと見据えた。
     イアンはぽかんと口を開けて、乱入してきたラギーと抱き寄せられたユウを交互に見つめた。そしてみるみるうちに落胆の表情を浮かべ、肩を落として力なく首を振った。
    「…………ああ、いや、何でもない。ちっ、そういうことかよ……。……ユウさんに、いつもご贔屓にありがとーございますって、それだけ」
    「そ。んじゃあそろそろオレたちはお暇するんで。お仕事がんばって」
    「あっしっ失礼します!」
    「ああ、うん……」
     ユウの肩を強引に抱いたまま、項垂れるイアンにさっさと背を向けた。ユウの肩から手を離し、代わりに指先を恋人のように絡める。戸惑う小さな手のひらをぎゅうっと握りしめて、振り返りもせず帰り道をずんずん突き進んだ。
     商店街を抜け、大通りから脇道へ。狭い路地の隙間を縫うように進む。普段の通勤は行きも帰りも箒だから、こうして狭い空を見上げるのは久しぶりだ。どことなく懐かしいような新鮮な気持ちが綯い交ぜになって、歩みが少し緩んだ。
     ようやく、急勾配の坂の上に愛しの我が家が垣間見えた時、ずっと口を噤んでいたユウが出し抜けに掠れた声を上げた。
    「あっあのっラギー先輩!」
    「………何スか」
     思わず声が低くなる。もう家は見えているのだから帰りついてからでもいいだろうにという気持ちが滲み出て、グルルという唸り声に取って代わる。ユウがひっと一瞬言葉を詰まらせ、それでも戦慄く唇を開いて言った。
    「あ、あの、もう、大丈夫、ですから………先輩、手…」
    「……………………え、あ」
     言われてやっと、手を握りしめたままだったことに気づいた。恋人のように絡めていた指を解きパッと放す。汗ばんで強張った手をそっと引き寄せて、ユウは俯いて胸元で両手を握り締めた。
    「あ……えと、ごめん、痛かったッスよね」
    「い、いえ……」
     しんと、気まずい沈黙が満ちる。見下ろしたユウの耳が、ほんのりと朱く染まっている。いまさら自分の行動を思い返して、ラギーは唐突に頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。
     ユウの気持ちも確かめずに、一体何をしているのか。もし嫌がっているように見えたのが勘違いで、ユウがイアンを慕っていたのだとしたら――。
    「……っ」
     無意識に、唇を噛んだ。行き場のない感情が渦を巻いて、黒々とした靄に変わる。前髪をぐしゃりと握り潰し暴れたい気持ちを押し殺したところで、ちょいちょいとユウがラギーの腕をつついた。
    「あ、あの、先輩」
    「何」
    「ありがとうございました、さっきの」
    「は?」
     ぽかんと、口が開いた。呆然とユウを見下ろすと、小さなつむじが俯いたまま目の前で揺れた。
    「イアンさん、最近強引で。今日もお茶でもって誘われて……そういうのはちょっとって何度も断っていたんですけど…なので、助かりました」
    「……いや……」
     ユウの素直な謝辞に、より居心地が悪くなる。
     助けたんじゃない。そう心の中で叫ぶ。ユウとイアンが談笑している姿が何故だか無性に苛ついて、遮りたい衝動に駆られただけだ。ユウの気持ちなんてこれっぽっちも考えていない。礼を言われる筋合いなど、欠片もない。
     目を合わせられずそっぽ向いていると、ふっとユウが薄く唇を開いたのが視界に入った。
    「―――私にはもう、先輩がいるのに」
     その言葉に息が詰まって、ぱっと視線が吸い寄せられる。
     薄い紅色が差した頬。長いまつ毛が影を落とす瞳は僅かに潤んで、熱のこもった吐息の音を、ハイエナの耳が敏く拾う。
     誰かを想うような顔。それが誰なのかは考えるまでもなく、ラギーの心臓が、飛び出していきそうな勢いで跳ね上がった。
    「…………え」
    「あっいえっなんでもないです!」
     ユウはすぐに表情を消してぱたぱたと両手を振り、困ったように眉尻を下げて俯いた。
    「でも、勘違いされちゃったかもしれないですね…。その、人が、たくさんいたので…」
    「……勘違い?」
    「いえ、あの……私と先輩が、その、」
     言いにくそうに語尾を濁し、ユウが唇を噛んだ。先ほどとは打って変わり、かぁっとわかりやすく頬が赤くなる。
     彼女が言わんとするところが何なのかはなんとなくわかった。それを承知していてなお、ラギーはぶっきらぼうに言った。
    「――別に、いいでしょ。勘違いじゃないんスから」
    「え、あっ」
     もう一度、ユウの手を取り、くるりと背を向けて家までの坂を上り始める。細い指を離さないよう、汗ばんだ手で握りしめる。
     今度はユウも放せとは言わずに、ただ黙って握られるままラギーの後ろに続く。
     ――勘違い、じゃない。もう負けだ。認めよう。
     あんな顔を見せられてしまったら、目を背けるなんて不可能だ。
     傾いた午後の陽射しが、無言のまま繋がって歩く二つの影を、地面に映し出していた。


    * * *


    「アニー、スコット」
     夜の練習が終わり、ベンチに戻る道すがら、ラギーの呼び声に二人は振り向いた。
    「この後、ちょっと飲みにいかないッスか?」
    「え、珍しい。ラギーから誘ってくるなんて初めてじゃない?」
    「槍でも降るのか? 奢れとは言わんが、どうした?」
    「いやちょっとさすがに奢りは無理だけど……ちょっとまぁ、相談、っていうか、それ肴にしてくれていいんで」
     ラギーが初めて口にした『相談』という単語に、スコットとアニーの目がギラリと光った。一歩離れていた距離を一瞬で詰めて、二人してラギーに詰め寄った。
    「相談!? 何それ、ラギーが!?」
    「お前どうした、頭でも打ったのか!?」
    「だァーッもう近い近い!! 人のことなんだと思ってんスか!!」
    「だってお前、仕事も人間関係もそつなくこなすだろ? 相談どころか雑談も混ざらねぇじゃねぇか」
    「そりゃまぁ、一回やったことは出来るし、他人に興味ないんで雑談も別に混ざんないでいーけど―――奥さんに何したらいいかなんて、さすがにわかんないッスよ」
    「………………………奥さん?」
     およそラギーから出てくるとは予想していなかった単語に、スコットとアニーは目を瞬かせて同時に首を傾げた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏🍩🍩🍩🍞💕💕😭❤💘💘💖☺💘💯💯💯💯💯💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖❤❤❤💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖😭😭👏💴💯
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works