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    【現パロラギ監♀】会社の後輩ラギー・ブッチとお付き合いしてる先輩が取引先の男性と二人で飲みに行っちゃって見つかって怒られてお仕置きされる話。

    支部にあげてるやつのえろ抜きバージョンです。
    需要があるかはわからないけど抜いても話は成立するのでまだ大人じゃない方とかえろはいいやって方どうぞ。
    支部はこちら
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1767810

    ##現パロラギ監

    ハイエナ後輩は先輩を食べたい 嫉妬ブッチとお仕置き編(全年齢版)「――では、こちらの書面にて契約成立ということで」
     分厚い書類の束を揃え、にこりと向かい側に笑いかける。重要取引先の恰幅のいい専務が満足気に頷いている横で、直接やり取りを交わしていた担当部長も穏やかな笑みを浮かべていた。
     無事商談成立。何度も足を運び慎重に進めた甲斐あってなかなかの好条件でまとめることが出来た。我ながら拍手を送りたい。今夜は祝杯としてとっておきのお酒を開けよう。
     そんな胸の内を気取られぬよう涼しい顔で書類をしまう。隣で資料を片付けているブッチくんをちらりと見やると、彼の緊張した面持ちもいくらか解れているようだった。普段飄々としているものの、こんなに大きな案件はさすがに初めてだったからか珍しく表情が固かったのが印象深い。貴重だから目に焼き付けておこう。
     空になった机上を見渡しながら立ち上がる。同じく席を立った専務と今後の段取りを軽く確認し、会議室を出る。それではと頭を下げ踵を返すと、今まで控えていた部長がさっと前に進み出た。
    「エレベーターまでお送りします」
    「恐れ入ります」
     好意には素直に甘えておく。この数ヶ月、担当者として何度も顔を合わせた仲だ。専務よりかは緊張もしなかった。
     雑談を交わしながらエレベーターホールへ。狭い廊下に人気はなく、重厚な会議室の扉がいくつも並ぶ。粛然としたこの空気は私には案外好ましいものだった。
    「ああ、そういえばユウさん」
     唐突にピタリと部長が足を止めた。合わせてこちらも立ち止まる。何かと視線で問いかけるも部長は微笑んだまま何も言わない。
     私は肩越しに振り返り、困惑するブッチくんに声をかけた。
    「ブッチくん、先に行ってて」
    「はい」
     ブッチくんはおとなしく頷いて一人で歩き出した。社外ならばこうして指示に逆らうこともないんだけどと、普段の彼を思い出し心の中で苦笑した。
     ブッチくんの背中がだいぶ小さくなってから部長を振り返る。ぎこちない笑みを浮かべた彼に首を傾げながら小声で問うた。
    「…どうしました? 先ほどの取引で何か?」
    「ああいえ、違うんです。今夜のお約束を覚えていらっしゃるかなと思いまして」
    「今夜」
     復唱して、一気に記憶が噴出した。そういえば前回お会いした時意気投合して、次の夜呑みに行こうかという約束を交わしていたんだっけ。
     しまったという表情を押し殺し、私は努めてにこやかな笑みを浮かべた。
    「ええ、覚えてますよ。今晩食事に行くお約束でしたよね」
    「ああ、よかった! 店はこちらで予約してますのでご安心を。19時に駅前待ち合わせでいいですか?」
    「それで大丈夫です。ありがとうございます」
     腰を折ると、部長が破顔してようやく歩き出した。その後ろに続きながら、私はエレベーターホールで待っている部下──もとい恋人への言い訳を必死に頭の中で考えていた。





     ブッチくんとお付き合いを始めて、しばらく。
     存外嫉妬深い彼に操立てするつもりで飲み会への出席も控えるようにしていたけれど、今回の件は付き合う前からの約束だ。しかも契約したばかりの大口の取引先。プライベートが干渉するとは思っていないけど印象はなるべく良くしておきたい。
     ……さて、どうしたものか。
     まだ陽の高いオフィス街を歩きながら、無言で頭を巡らせる。目下の懸念たる黒い旋毛の渦巻く後頭部をいっそ恨めしい気持ちで見上げる。彼が悪いわけではもちろんないけれど、もう少し寛大な心を持ってくれてもいいのに。
     せめてもの癒しとぴるぴると上機嫌にはためく頭上の耳を眺めていると、その黒みがかった頭が不意に振り返ってにこりと破顔した。
    「先パイ、やりましたね」
     嬉しそうに牙を覗かせた満面の笑み。大きなハイエナ耳をぴこぴこ揺らす姿は年齢よりずっと幼く見えて、不意打ちに心臓が跳ねた。
    「う、うん。そうだね」
    「……あんま嬉しそーじゃないッスね。まだ緊張してるんスか?」
     ブッチくんが歩きながら隣に並んで顔を覗き込んできた。ずいっと無遠慮に近づく青灰色に胸の内を見透かされそうな気がして、咄嗟に一歩後ろへ下がりながら視線を泳がせた。
    「そっそうかもっ。こんなに大きな案件、なかなか関わることないから……」
    「そーッスねぇ。シシッ、これで業績アップしてインセンティブもガッポガッポ……」
     ニヤリと口角を歪めブッチくんが肩を揺らす。彼らしい欲望ダダ漏れの呟きに苦い笑みがこぼれた。
    「ねぇ先パイ、今日祝賀会やりません? 二人で」
    「えっ」
     突然の提案に、時間を確認しようと取り出したスマホを落としかけた。慌てて持ち直し、夜の予定を打ち込み途中だったことに気づいて瞬時に画面をオフにする。
     …見られてはいない、はず。表情を窺いつつ、慎重に言葉を選んで重ねた。
    「あー……ごめん、今日予定があって……」
    「え、そーなんスか? またアイ先輩と買い物?」
    「ええっと違くて……ちょっと知り合いと食事に……」
    「へぇ、珍しいッスね」
     特に問い返されることもなく、ブッチくんは納得してくれたのかくるりと前を向いた。内心でほっと息をつきながら、背を向ける彼にそっと両手を合わせた。
     ごめん。本当にごめん。今回だけ。次からは絶対に断るから。だから今回だけは見逃して、知らないままでいてほしい。
     気取られぬことだけを祈りながら、私は何食わぬ顔でブッチくんの後ろに続いた。




    * * *




    「すみません、お待たせしました」
    「いいえ、今来たところですよ」
     終業後、まだ話したそうにしているブッチくんをかわして待ち合わせ場所へ急いだ。時間ギリギリに到着すると、取引先の部長――グレンさんは既に駅前の時計塔の下に立っていて、こちらに気づくと人好きのする笑みとともに片手を掲げた。
     ヒールを履いていても見上げるほどに高い背丈の彼に足早に近寄る。ブッチくんよりももう少し高いだろうか。無意識にそんな比較をしてしまって慌ててかぶりを振った。
     行きましょうかとリードしてくれる背中を追い、隣に並んで尋ねた。
    「お店、この辺なんですか?」
    「少し歩いたところになります。10分もかかりませんので」
    「そうですか。全部お任せしちゃってすみません」
    「いいえ。むしろおすすめのお店をご紹介できて嬉しいくらいです」
     グレンさんは爽やかに笑う。まだ初老に手が届くかという年齢らしいけれど既に部長の立場にある彼は、仕事上でも手際がよく尊敬できる人物だ。
     他愛もない雑談を交わしながら隣を歩く。ブッチくん以外の男性とこうして二人で歩くのはずいぶん久しぶりだ。嫌というわけではないけれど、平日も休日も顔ぶれが変わらないものだから、なんだか新鮮な気分になる。私はグレンさんに相槌をうちながら、つかの間の息抜きのような洗われた心地を味わっていた。




     裏通りに入って数分。ひしめき合う建物の間に馴染むレトロな扉を開けると、カランカランとベルの音が響き渡った。
     落ち着いたジャズの音色。間接照明で彩られたクラシックな空間。洗練された格調高い雰囲気に、私は思わず感嘆の声を上げた。
    「わぁ、素敵なお店ですね…!」
    「気に入っていただけたようで何よりです。テーブル席もありますが、カウンターの端が特にお気に入りで…そちらでもいいですか?」
    「ええ。大丈夫です」
     促され、奥まったカウンター席へ腰を下ろす。隣の席にはグレンさん。肩が触れそうになったのを気遣ってか、少し椅子を引いてくれた。
    「ここからだと内装が一望できるんですよ。ボトルの列が圧巻で…。ああ、まずはお酒より食事を先に頼みましょうか。お腹空いていらっしゃるでしょう」
    「バーなのに軽食があるんですか?」
    「フルコースというわけにはいきませんが、パスタやドリアもありますよ。ここはランチやカフェタイムもやっていますから」
    「いいお店ですね」
    「でしょう? 場所がわかりづらいのが難点で。そのおかげで混雑も少なくゆっくり食事ができるんですがね」
     グレンさんが悪戯っぽく笑う。私は頷き返しながら、食事があるならブッチくんと来るのもいいかもしれないなと思って、来た道筋を必死に思い出していた。




    * * *




     カクテルグラスの薄い縁に照明が反射して、金の輪がくるりと円を描く。ほろ酔いで淡くなった輪郭。空になったグラスから飾りのチェリーを摘んで口に含むと、シロップ漬けの甘い味が口いっぱいに広がった。
    「お酒も食事も美味しいですね」
     素直に絶賛すると、グレンさんは目を細めて頷いた。アルコールを嗜んだからか、目元が薄赤く染まっている。包み込むような男性の視線がくすぐったくて思わず目を逸らし、空のグラスを見つめながらしどろもどろに口を開いた。
    「わ、私、お手洗いに…」
    「ああ、どうぞ。あちらです」
     促された先へバッグを手に急ぐ。壁に馴染む扉の中へ飛び込んで、しっかりと鍵をかけてから深い息を吐き出した。
     ――ひどく、落ち着かない気分だ。普段はあまり縁のない紳士的な男性と二人きり、それもこうも丁重に女性として扱われるのは初めてで、どうしていいのかわからなくなる。
     ブッチくんとはまるでタイプが違うし、仕事のような接し方をするのも違う気がした。仕事の延長だからと自分に言い訳をしたくせに、すっかりグレンさんの物腰柔らかな雰囲気に絆されてしまっていた。
     グレンさんは博識で、とんでもなく話し上手だった。他愛ない日常から、最近見た映画や本の話、仕事に関する知識やちょっとしたエピソードまで話題は多岐にわたり、そのどれもが聞き役に徹した私を魅了した。共通の経験や悩みも多く、思わず口を挟んだ私の言葉も上手く拾って話を広げていく様はあっぱれの一言に尽きた。
     あんなに出来た人なのに現在恋人はいないらしい。縁がなくてと苦笑して遠くを見つめる視線には過去に何かあったような気配が滲んでいて、横顔が少し寂しそうに見えた。
     話の流れで私も独り身だと言うと――ブッチくんとの関係はそもそも社内に秘密にしてるから、取引先のグレンさんにも知られるわけにはいかず――グレンさんは目を瞠って大げさに驚いていた。「あなたのような素敵な方に声を掛けないなんて、奥手な男性ばかりなんですね」なんて、お世辞にしたって言い過ぎだ。
     優しくされて、手放しに褒められて、共通の話題で盛り上がり、女としての価値をほのめかされる――。グレンさんと話していると、なんだか自惚れて、勘違いしてしまいそうだった。お酒が入っているせいなのか、それとも、お店のロマンチックな雰囲気がそうさせるのか。他の客もカップルが多いから、つられてそんな気分になっているのかも。ブッチくんの存在がなければ、とっくにころりと独りよがりな恋に落ちてしまっていたのかもしれない。
     そういえばと、バッグからスマホを取り出した。通知を確認するも何も無い。普段なら会えない時もこまめにメッセージをくれるブッチくんも、さすがに今日は空気を読んでくれているようだった。知り合いだと言い訳したのを思い出し罪悪感にちくりと胸が痛む。苦い気分を飲み下すように、沈黙したままのスマホをバッグのポケットにしまった。






    「お待たせしました」
    「いえいえ。――ああ、そういえばユウさん」
     私が戻るなり、グレンさんがテーブルの上を指し示した。再び席に腰を落ち着けながらその指の先を追う。空になった皿がすっかり片づけられ綺麗になったカウンターに、色鮮やかなスカイブルーのカクテルがすました顔で静座していた。
    「…これ、何ですか?」
    「ここのオリジナルカクテルです。ユウさんのグラスが空でしたので勝手ながら注文させていただきました。よかったらぜひ味わってみてください」
    「わぁ、綺麗な色ですね」
     ベースはブルーキュラソーだろうか。乳白色の混ざる透き通るソーダ色の上にちょこんと小さなチェリーが添えられている。爽やかな夏を象徴するような愛らしい見た目につられ、わくわくと胸を高鳴らせながらグラスを引き寄せた。
    「ブルーキュラソーですか? それに…ヨーグルト?」
    「それは飲んでから当ててみてください」
     悪戯っぽくグレンさんが片目を瞑る。ふむとしばし顎に手を当て、カクテルグラスの細い足を摘んだ――その時、だった。
     カランカランと、入口のベルが軽やかな音を立てた。何気なくそちらに視線をやったところで―――私の心臓が、一瞬のうちに凍りついた。
    「おひとり様ですか?」
    「そーッス。ええと、カウンターにでも…」
    「…ブッチくん!?」
    「………あれ、先パイじゃないッスか」
     椅子を蹴倒しそうな勢いで身を乗り出した視線の先で、キョトンと瞬いたブッチくんの顔が、薄く笑みの形に歪んだ…ような気が、した。





    * * *





    「いやぁ、偶然ッスねぇ。こんなとこで先パイに会えるなんて思わなかったッス」
    「そ…そうだね…」
     にこにこと隣で微笑むブッチくんを視界に入れることができず、私はひたすらテーブルの一点を凝視して縮こまっていた。
     グレンさんの是非ご一緒にという言葉に甘えて隣にきたブッチくんは、鼻歌でも口ずさみそうなほど上機嫌だった。友達にオススメだと紹介されたから、気まぐれに来てみたらしい。それは、なんという――『偶然』、だろうか。
     上機嫌な彼に対し、私の気分は氷河期のように凍りつくばかりだった。誓ってやましいことは一切ないけれど、嘘をついた手前合わせる顔がない。グレンさんとブッチくんに挟まれ逃げ場をなくし、私はただただ小さくなるより他なかった。
    「先パイ、それ何スか?」
    「え?」
     メニューを広げたブッチくんが私の手元に目を留めた。視線を追いかけ、それが先ほどの青いカクテルを示していると気づく。グレンさんの方を窺いながら、私はおそるおそる口を開いた。
    「ここのオリジナルカクテルだって。綺麗だよね」
    「へぇ! オレ、青いお酒好きなんスよね。ねぇ先パイ、ひと口くれません?」
    「え?」
     思わずギョッと目を剥いた。気心知れた面々での席や二人きりの時ならともかく、他人の、しかも頼んでくれた人の前で回し飲みするのは流石に憚られる。
     ずいっと身を乗り出すブッチくんからグラスを遠ざけながら、私は必死に断る理由を探した。
    「お、同じの頼んだらいいじゃない」
    「喉カラカラで待てないッスよ。ね、ひと口だけ」
     お願いと、年下の特権をフルに使って上目遣いのブッチくんがねだってくる。会社の飲み会でもこんな風に食べ物をねだってきては必ずかっさらっていったのを思い出す。これは渡すまで絶対に引かないやつだ…。
     私は根負けして、はぁとため息をつきながらグラスを彼の方へスライドさせた。
    「もう、意地汚いんだから……はい、どーぞ。すみません、同じものを」
    「かしこまりました」
    「え、全部貰っちゃっていいんスか? やった!」
     子供みたいな笑みを浮かべてブッチくんがいそいそとグラスに口をつける。すきっ腹じゃまずかろうとおつまみも横流しして、私はグレンさんに小さく頭を下げた。
    「すみません、せっかく頼んでくださったのに」
    「いえいえ、お二方に味わっていただけて嬉しいですよ。ああブッチさん、食事のメニューはこちらです。どうぞ」
     グレンさんはどこまでも穏やかに笑った。凪いだ海のような優しい笑顔に、嵐のような隣の後輩を比べてしまって、人知れずため息をついた。





     最初の失礼を除けば、ブッチくんはそれはそれは巧みにグレンさんとの会話を弾ませていった。
     話題は自然と仕事に関すること中心になり、時事的な知見も含め、ブッチくんは的確に受け答えや質問を返していた。もともと頭の回転が早くて仕事で助けられることも多い私は途中から完全に聞き役に徹して、両側から飛び交う会話のラリーに水飲み鳥のように相槌を繰り返すだけになっていた。
     空になったお皿とグラスが徐々に増え、アルコールでぼんやりと意識も鈍ってくる。お皿の縁がたわみ、照明の明かりが明滅する。……いま、なんじ、なんだろう。
     お酒にはそこそこ耐性がある自信があった。ここまでぼんやりしたことは今までの人生でも数えるほどしかない。調子に乗って飲みすぎたんだろうか…。軽くかぶりを振ると遠くで銅鑼でも叩いたような低くくぐもった音が響き、不意に現実が遠くなった。
    「……あれ、先パイ?」
    「…………ん、だいじょ、ぶ」
     ブッチくんが覗き込んでくるのを振り払って鞄を手に取る。一旦お手洗いに行って落ち着こうと立ち上がったところで――突然鞄から響いた振動に、ぱっと頭の靄が晴れた。
    「えっ」
     慌てて中に手を突っ込んで振動の元を探り出す。着信を知らせるスマホのランプが忙しなく点滅している。ひっくり返して電話の主を確認すると、そこには、夕方別れたはずの同僚の名前が表示されていた。
    「え、どうして……ちょっとすみません」
    「お構いなく」
     グレンさんに断って店の外へ。業務時間外に電話だなんて、何かあったんだろうか。
     扉を押し開けながら、震える指で通話ボタンをスライドして、ゆっくりと耳にあてた。
    『ユウ、アンタ何したの?』
     途端、電話口から挨拶もなしに飛び出してきたのは──同僚の呆れ果てた声、だった。
    「え、な、何って」
    『今外? じゃあ伝えるけど――』
    「伝えるって…何を?」
    『職場から呼び出されたってていで今すぐ帰れ……って、ハイエナくんからの伝言』
    「は――?」
     ……誰が、何と?
     電話口から飛んできた言葉に弾かれたように店の入り口を振り返る。件のハイエナくんは今店の中にいるはずだ。一緒にいるのだから直接言えばいいのに、どうして――?
    「い、いや、意味わかんない。何それ、何でそれをアイから――」
    『私だって知らないわよ。言えって頼まれたからこうして電話してるの。代わりに今度こっちのヘルプしてもらう約束でね。――いい、ユウ?』
     電話口の声が低まる。滅多にない同僚の真剣な声に、ごくりと息を呑む。
    『あのハイエナくんが、自分に不利な交換条件呑んでまで私にお願いしてきたの。この意味、わかるよね?』
    「――――」
    『アンタ、本当に何したの? あんなに焦ってるハイエナくんの声初めて聞いたんだけど』
    「……ごめん。今度、説明する」
    『あ、ちょっ……』
     追い縋った声を無視して終了ボタンを押す。
     頭から冷水をぶちまけられたように全身が冷えていた。肌寒さなんて感じる気温ではないのに、指先が今にも凍りそうなほど冷たくなる。
     ――事態は、私が想像していた以上に深刻だった。自分の軽はずみな行動が、彼にここまで心配させて、傷つけた。そんなことに今更気がついて、震えるほどの後悔が一気に押し寄せてきた。
     ……とにかく、言われた通りに理由をつけて帰らないと。




     重たい足取りを引きずってなんとか席に戻る。談笑していたグレンさんとブッチくんが同時にこちらを振り返った。
    「先パイ、おかえんなさい」
    「電話、大丈夫でしたか?」
    「ああ、はい……」
     生返事を打ちながら、ちらりとブッチくんを窺う。
     一瞬だけ視線の交差した彼の瞳が無表情の真ん中で鈍い光を放った。けれどそれはほんの一瞬ことで、ブッチくんはふいっと顔を背けてグラスの残りを傾けた。
    「ユウさんのグラスが空ですね。じゃあ次を…」
    「……あの、グレンさん」
    「はい?」
    「申し訳ありません。会社でトラブルが起きたみたいで、いますぐ戻らないといけなくなって」
     動揺を悟られないよう、平坦な口調で告げる。
     グレンさんは「おや」と目を見開いた後、すぐに穏やかな笑みに切り替えて頷いた。
    「それは大変だ。ああ、会計は結構ですよ。今日は私がお誘いしたので…」
    「いーえ。そういうわけにはいかないッス」
     私が口を開く前に、すっと、私とグレンさんの間に割って入る影があった。
     ブッチくんが自分と私の鞄を抱え、テーブルの上にお札を数枚置いた。
    「これで二人分足ります? 足りなかったらまた後日にでも。先パイ急ぎましょ。会社のトラブルならオレもついていくッス。ほらはやく」
    「え、ちょ、ブッチくん!?」
     ぐいぐいと腕を引かれ、挨拶も詫びもろくすっぽできず引きずられるようにテーブルを離れる。
     グレンさんは追いかけてこない。というか、あのブッチくんがお会計を? 奢りの飲み会しか顔を出さないブッチくんが?
     いろんな疑問がぐるぐる渦巻いて、私は店を出るのも待てずに引っ張る腕に飛びついた。
    「ちょ、ブッチくん、いったいどういう……」
    「先パイこそ、どういうつもりなんスか?」
     低い声が、冷や水のように耳朶を打った。
     恐る恐る視線を上げる。私を見下ろす冷たい視線が、矢のように突き刺さる。
     逆光に沈んだ表情の中心で、獣の目が二つ、爛々と鈍く輝いていた。
    「オレに嘘ついてまで男と二人で呑みに行って、本当に、どういうつもりだったんスか?」
    「―――ッ!」
     それっきり、私は言葉を封じられた。
     硬直した私の腰に手を回し、ブッチくんが店の外へ促す。
     恋人特有のその距離の近さも振り払えないほど、私は蛇に睨まれた蛙のように、彼の視線に震えることしかできなかった。




    * * *




     ブッチくんに痛いほど手首を掴まれて、無言のまま繁華街を歩いていく。眩しい街の明かりに目を細めると、ずんずん前を進む広い背中まで光の中に溶けていきそうだった。
    「ブッチくん、あのっ……」
    「……………………」
    「……謝る、から……手、いたいよ……」
     思わず言葉が尻すぼみになる。なんて都合のいい言い草だ。嘘をついて男の人と二人で食事だなんて、怒らせても仕方ない。いくら仕事だと言い訳したところで、事実は何も変わらないというのに。
     ブッチくんはどんどん歩いていく。どこへ向かっているのかと問うても返答はない。だんだんと通りの明かりが落ち着いて、人気のない道に入り込んで、帰りの駅へ向かう方向ではないことに気づいたのはずいぶん進んでからのことだった。
    「…………先パイ」
     唐突にブッチくんが足を止めた。ぶつかりそうになってびくりと私も立ち止まる。身を縮こめた私の腕を掴んで引き寄せ、ブッチくんが正面から目を合わせてきた。
    「あっ……」
     ブッチくんは、仕事でもプライベートでも見たことないくらいに、怒っていた。いつも飄々と笑っているから、その怒りを湛えた無表情が余計に胸に来る。
    「……楽しかったッスか? 男にチヤホヤされんのは」
    「………え、」
    「優しくエスコートされて、雰囲気のいいバーで美味しい酒飲んで、楽しくお話しながら手放しに褒められて……ねぇ、オレといる時より楽しかった?」
    「そ……んな、こと」
     喉が渇く。声が掠れる。否定の言葉は氷の槍のような瞳に見据えられ、喉の奥へ消えていった。
     そんなことない。ブッチくんと一緒にいる時より楽しいなんて、そんな、こと……。
     ……でも、新鮮な気分だったのも、紛れもない事実だった。
     なんせ、今まで周りにああいう男性がいなかったのだ。物腰が柔らかくて、紳士的で、そんな男性に女性として丁重に扱われたことなど、今までの人生で一度もなかった。
     だから、浮かれていたのかもしれない。それは、どうしても否定できなかった。
     答えに困って項垂れる私の頭上に、再び氷塊のような冷えた声がぶつけられた。
    「……先パイ、ああいう男が好みなんスか?」
    「…………ぶっち、く」
    「年上で物腰柔らかくて、雰囲気のあるバーで静かに呑める男の方がいい?」
    「ちがッ…そんなわけ…!」
     咄嗟に否定が口をついて出た。それは紛れも無い本音だったけれど――今の私に、それを口にする資格はあるのだろうかと、そんな思いが頭をよぎって、唇を噛んで俯いた。
    「……ご、ごめ…ごめんなさい……」
     小さく謝罪を重ねることしか出来なかった。悪いのは私なのに鼻の奥がツンとしてきて、咄嗟に目を逸らして俯く。
     どうしよう、どうしよう。取り返しのつかないことをしてしまった。
    「……はぁー」
     唐突に、頭上から深い深いため息が降ってきた。
     恐る恐る視線を上げる。眉根を寄せて目を伏せたブッチくんが、尖らせた唇を開いて言った。
    「そんな反省されたら、怒れないじゃないッスか……」
     ぐしゃりと、大きな手がくすんだ金の髪を掴んでかきむしる。
     ぽかんと口を開けた私の前で、ブッチくんは露わにした怒りをほんの少しだけ和らげた声色で言った。
    「何で言わなかったんスか」
    「だ、って、言ったら絶対止められると思って……」
    「当たり前ッス。カワイイ彼女が男と二人で呑みに行くっていうのを許可するやつがどこにいるんスか」
    「そ……だよ、ね」
     私がカワイイ彼女かどうかは置いておいて、普通そうだと思う。恋人が異性と二人でお酒を飲みに行く。それだけで浮気認定されたって文句は言えない。
    「でも、取引先だし、約束してた手前断れないし…」
    「そういう時はオレも連れてってくださいよ。何のために一緒に仕事してると思ってんスか」
    「いやこういう時のためじゃないと思うけど……で、でも、ブッチくんがいないところで勝手にした約束だから…巻き込むわけにはいかなくて……」
    「次からは呼んでください、絶対。ほら、約束」
     強引に小指が絡められて、子供みたいに指切りを交わした。針千本なんて、ブッチくんが言うととても冗談に聞こえない、なんて思いながら、握られるままに任せていた。
     小指を結んで、そのまま手が握られる。私の拳くらい簡単に包み込める手のひらが、確かめるように指の関節をひとつひとつ丁寧になぞっていく。
    「――そんで、先パイ」
     ブッチくんが息を潜めるようにして顔を近づけてきた。吐息が混ざり合って、薄暗い中、街灯の僅かな明かりを拾って爛々と光る瞳が私をその場に縫い留めた。
    「出来れば次がないようにしたいんで、オレとしては先パイにお灸を据えておきたいんスよね」
    「え、いや、さすがに次はっ」
    「先パイ仕事だって言われるとホイホイついて行きそうで心配なんスよ。だから――」
     緩やかににまりと、その口元が弧を描く。鋭い牙を覗かせたハイエナが、掠れた嗤い声を滲ませ肩を揺らした。
    「お仕置きの時間ッス、先パイ」
     ――首根っこを掴まれた獲物に、もう逃げるすべはない。
     反論をなくした私は観念して、抱き寄せられる腕に任せて目を伏せた。








     控えめなネオンが瞬くホテルの入り口をくぐった。入るところが壁で見えなくされている奇妙な建物。ブッチくんに手を引かれるまま、深紅の絨毯の上を引きずられるように歩いていく。
     フロントは無人。ロビーとも呼べない狭い空間の壁には大きなパネルが設置されている。部屋の内装を表しているらしいそれを眺めながら「どれがいいッスか?」とブッチくんが楽しげに問いかけてくる。私はただただ熱くなっていく顔を伏せたまま、ひたすらにぎゅうっとブッチくんの手を握ることしかできなかった。
     部屋を選び終えた彼に促されてエレベーターへ。狭い箱の中、肩が触れ合う。速まる鼓動を服の上から押さえつけると、不意にブッチくんの吐息が耳朶を撫ぜた。
    「……先パイ、緊張してるんスか? それとも――期待してる?」
     ふぅ、と息を吹きかけられ、肩が大げさに跳ね上がる。声の出せないままパクパクと口を動かしながら見上げる私に面白そうに口の端をあげ、ブッチくんは緩慢に開いた扉から、私を抱きかかえるようにして大股で廊下に進み出た。




    「わ、ぁ…!」
     部屋の中は、思っていたよりもずっと綺麗だった。
     丁寧にベッドメイキングの施された広々とした寝台に控えめなダウンライト。垣間見えた洗面所は明るくキラキラしていて、ビジネスホテルのユニットバスとは大違いだ。
    「先パイ、こういうとこ来るの初めて?」
    「うん! ベッド広いし綺麗なんだね。なんか思ってたのとちが………」
     後ろから鞄をもぎ取られて、浮き足立っていた気分がさっと凍りついた。
     こういうところ。そういうことをするための場所に、ブッチくんと二人きり。
     ――つまり、今から、そういうことをするってことで。
     急に心臓がばくばくと弾けそうなほど波打った。出し抜けに後ろからするりと長い腕が巻きついて、ふっと耳元で吐息が笑った。
    「……お仕置きって言われたのに黙ってついてきちゃって。そういうとこッスよ、先パイ」
     唇が耳朶をなぞる。触れるか触れないかの距離から生温い吐息がかかる。ぞわりと寒気に震えた腰を、強引にブッチくんに抱き寄せられた。
    「あっ」
    「ほら、こんな入り口に突っ立ってないで、奥に入ったらどーッスか? ……自分が今からナニされるのか、期待した顔しちゃってさァ、ねえ?」
     ブッチくんの揶揄を否定できず、頬を辿る手に俯くより他なかった。



     どさりと背中からベッドに倒される。視界に入る豪華な照明。照明だけじゃない。天井にも細やかな模様があって、いつも出張で泊まるビジネスホテルとは何もかもが大違いだ。
     照明との間に入り込んだブッチくんがぺろりと唇を舐めてネクタイに手をかけた。いつの間に脱いだのか既にジャケットはなく、白いシャツを直視出来ずに顔を逸らした。
    「っ……ブッチくん、あの、シャワー、シャワーあびたい…」
    「ダーメ。これはお仕置きだから、先パイのお願いは聞けないッス。それとも風呂で抱かれたい?」
    「うぅっ……」
     ブッチくんがシシシッと楽しげに笑う。そして、ネクタイを緩める手を途中で止めてついと伸ばし、上半身を起こした私の胸をつんとつついた。
    「オレが脱がすんじゃいつもと変わんないッスね。先パイ、自分で脱いでくれます?」
    「…………え?」
     にこにこと笑うブッチくんは、口の端を釣り上げたまま言った。
    「だから、自分で脱いで欲しいッス。別にストリップショーしろってわけじゃないんで、普通でいいッスよ。先パイが脱ぐの嫌なら着たままでもオレは構わねーけど……明日の朝、お楽しみだったのが丸わかりのくしゃくしゃになったスーツで帰る羽目になるのは先パイですからね」
     どうする?と目で問われて、ぐっと唇を噛む。
     そんなの…答えなんてわかりきっているのに、そんなの、卑怯だ。
    「…もう!脱げばいいんでしょ!脱げば!」
     吐き捨てた勢いのままジャケットから腕を抜いた。乱暴に放ったそれをブッチくんが受け止める。続いてボタンに手をかけたところで、ブッチくんが立ち上がったままこちらを見下ろしているのに気づいて手が止まった。
    「……あ、あの」
    「何?」
    「……あっち、向いてほしいんだけど」
    「それも聞けないッスね」
     白々しく言い切った顔に、わなわなと唇が震えた。
     そのまま沸騰しそうになったのをすんでのところで堪える。怒鳴りつければブッチくんの思うつぼだ。代わりに私はばっとシーツを手繰り寄せて、その下に潜り込んだ。
    「あ、隠れんのもダメッスよ。ショーはしなくていいけど、脱ぐとこはちゃんと全部見せて」
    「ばか! えっち! ブッチくんの変態!」
     被っているシーツを掴まれる気配がして、私はあせあせと手を速める。脱ぐのは別に構わない。いや、構わなくはないけど、正直裸になるより、その過程を見られたくはないというか…。
     いつもなら──ブッチくんと会う予定があるのであれば、それなりに私もいろいろと気を付けていた。と言っても薄暗い中服ごと脱がされてしまうことも多かったから、こんな明るい中、一枚一枚脱げと言われたのは初めてで。だというのに、よりにもよって、今日に限って——!
     もっと気を遣っておけなかった今朝の自分に歯噛みする。後悔したってどうにもならないけれど、とにかく、見られる前に早く脱がなきゃ…!
    「はいはい、いーから、ほら!」
    「やっやだやだまって…きゃああっ!!」
     いつか剥ぎ取られるかもとは予感していたけれど、タイミングは最悪だった。早く下着まで脱いでしまおうと焦っていたのが仇になり、よりにもよって下着姿になった瞬間、シーツを剥ぎ取られてしまった。
     慌てて両腕で自身の身体を覆う。でもそんな努力などまったくの無意味で、じっと注がれる視線が無慈悲にも肌の上を這っていくのがわかった。
    「やっ、ちょ、ほっほんとにっ、み、みないでっ…! 今日はっ…!!!」
    「……その下着、いつものよりえらくシンプルッスね。いつもはもっと色があるってか……そういうの、持ってたんスか?」
    「…………ううう……」
     ブッチくんの言う通り、今日の下着は色気の欠片もないベージュの上下。機能性だけを重視したそれを、不躾な視線から守るようにぎゅうと抱き締める。
     だから、だから嫌だったのに。
    「……だって、こうなる予定、なかったから…………今日の下着、可愛くない、から……だ、だから、こっち見ないで……」
    「………………………」
     ブッチくんは無言だった。ベッドの上で縮こまりながら視線だけで見上げると、ブッチくんの眉間のしわがさらに深くなった。
    「……先パイ」
    「…?」
    「それ、わかってやってます?」
    「え」
    「……あーもー! …もういいから、はやく脱いだやつ寄こして」
     ばさりと、投げ出すように剥ぎ取られたシーツが再び私の身体を覆う。
     不機嫌もあらわに忙しなく耳をばたつかせる彼の唸り声に急かされて、私は慌ててシーツの下で肌色の下着に手をかけた。




     裸の上にシーツを一枚巻いた頼りない格好でブッチくんに脱いだ服を渡す。ブッチくんはスーツをハンガーに掛けその他を丁寧に畳んでクローゼットにしまってから、薄ら笑いを浮かべてこちらを振り返った。
    「先パイ、両手出して?」
     もう何もかも諦めて、言われた通りに素直に両手を差し出す。
     ブッチくんは解いたネクタイをくるくると器用に私の手首に巻いて、満足げににっこり笑った。
    「ふは、リボン結びしたらプレゼントみたいッスねぇ。ライオンに囲まれたトムソンガゼルみたいにおとなしくしちゃって」
    「…………これ、何のつもり」
    「お仕置きって言ってんじゃないスか。逃げたりしないよーに、予防策ッスよ。それに、これで顔も口も隠せなくなるでしょ? 先パイいっつも声我慢するわ顔隠しちゃうわだからさァ」
     元よりそのつもりはなかったけれど、裸にされているのに逃げるも何もないだろう。試しに横に引っ張ってみたけど、案外きっちり結ばれているようで緩みもしない。
     しばらく格闘してため息をつき、手首から視線を上げて目の前に仁王立ちするハイエナ耳を睨みつけた。
    「…へんたい」
    「あれあれ~、そんな反抗的な態度でいいんスかぁ? よっぽど酷くされたいみたいッスねェ、シシシッ!」
     笑い声からぷいっと顔を背ける。酷くできるものならしてみればいい。結局彼は女の子に甘いから、大したことなんてできまい。
     ツーンとつっけんどんな態度を崩さずにいると、空気を揺らしていた笑い声が不意に止み、代わりに、氷柱つららみたいな声が頭上から降ってきた。
    「んじゃ、まずお仕置きの前にお説教ッス」
    「…え」
     ぐいっと、手首が上に引っ張られる。
     そのまま後ろに引き倒され、まともな受け身もとれず柔らかなシーツの海に沈む。
     数度身体が跳ね、落ち着いた頃にそろそろと瞼を押し開くと、剣呑な光を宿した青灰色の垂れ目が、まつげの触れそうな距離で私をじっと見据えていた。
    「先パイ、あの青い酒、自分で頼んだんじゃないでしょ。ああいうの飲んでるの見たことないし」
    「う、うん…お手洗いから戻ってきたら注文してあって……」
    「何で飲もうとしたんスか?」
    「え、だってせっかくお勧めされたお酒だし」
    「……人に用意された酒を無警戒に口にして、何か入ってたらどうする気だったんスか?」
    「!?」
     ブッチくんの言葉に、背筋がスゥっと寒くなった。
     何か、って……何の、こと?
    「何かって……そんなわけ、」
    「睡眠薬ってさァ、酒に入れると青くなるんスよ。だから男から渡された青い酒には要注意って、聞いたことありません?」
    「……え、と……?」
     ……聞いたこと、ない。
     お酒の席で女の子を酔わせて乱暴するという事件はテレビで見たことがあるけれど、まだお酒に慣れてない大学生の女の子を狙った犯罪ばかりだったし、だったらそこそこ耐性のある私は大丈夫なはずだ。お酒に薬を入れるなんて、そんな悪いことを考えるような人と飲みに行かないし、そこまでして私を狙う人がいるとも思えない。
     疑問符を浮かべ首を傾げた私に、ブッチくんが盛大なため息を漏らした。
    「でしょうね。ま、そんなの有名な話なんで、たぶん先パイを試したんでしょーけど。無警戒に飲んだらイけると思われてもっとヤバい薬盛られてたかも」
    「そんなっ…! だ、だって、グレンさんそんな悪い人なんかじゃ」
    「悪い人じゃないって言いきれるほど付き合いあったんスか? ちなみにあの人、子会社にある製薬会社の取締役も兼任してるッスよ。知ってた?」
    「っ!?」
     ――それは、知らない。
     今までのやり取りが、走馬灯のように頭を巡る。
     穏やかで、博識で、こちらを尊重してくれる優しい人。絵に描いたような、理想の男性。
     あれが……まやかし?
     理想の男性を演じ、雰囲気とお酒で惑わし、油断したところでさらに薬で追い打ちをかける――それが、彼の本性?
     あの仮面の下に、本当にそんな邪な下心を隠していたのか――私には、わからない。
     何もわからない。思い返せば私は、彼の名前と役職以外、なんにも、知らなかった。
     混乱して唇を引き結ぶ私に、ブッチくんの口元がふっと意地悪く吊り上がった。
    「ま、ホントに薬が入ってたかどうかは知らねーけど…知らない人からものを貰わない、子供でも知ってる常識でしょ?」
    「……で、でも、そんなこと、される理由が」
    「男と女ってだけで十分な理由でしょ。しかも一声かけたらあんな薄暗いバーにのこのこついてくる警戒心の無さ。食ってくれと言わんばかりじゃないッスか」
    「そんな言い方…!」
    「オレ、結構怒ってますからね」
     冷たい視線に射抜かれて、ひっと喉の奥が引き攣る。
     でも、それだけの怒りをぶつけられることには意外にもすんなり納得していた。改めて言葉にされるとなんともまぁ間抜けなことだ。あまりよく知りもしない男性と二人でお酒を飲む。どう勘違いされてもおかしくない。そこに何の気持ちも出来事もなかったとしても、隠すことなんていくらでもできる。気持ちだって行動だって、いくらでも疑う余地は尽きない。
     それでも私は、何もなかったと主張するより他ない。本当に、何もなかったのだ。それだけは、信じてほしかった。
     会話を反芻して言い訳の糸口を探りながら、ふと私はある一点に気が付いた。
    「あ、あの、ブッチくん」
    「何」
    「えと、もし、何か入れられてたとしたら、ブッチくん、だ、大丈夫なの…?」
     あの時のお酒はブッチくんが横からかっさらっていったはずだ。思えば、ブッチくんは警戒したからこそ、あんな強引に私のお酒を奪ったのだろう。なんてことだ。最初から、ブッチくんは私を守ってくれていたのに。
    「……この期に及んでオレの心配? ハイエナの胃は丈夫なんで、あの酒に入ってた程度の量じゃどうこうしないッスよ」
     ブッチくんがむっと唇を尖らせたまま言った言葉に、私はほっと胸を撫で下ろした。
     良かった…。もし私の軽率な行動のせいでブッチくんに何かあったら、それこそ目も当てられないところだった。
     ……でも、胃洗浄とまではいかなくても、水くらい飲んだ方がいいんじゃないだろうか。
     思考が別の方向へ走り始め、何の気なく視線を外す。冷蔵庫くらいあるだろうかと部屋に視線を巡らせる私の耳元に、不意にブッチくんが身を屈め、ふっと耳朶をに唇を寄せた。
    「でも……そうッスね。理性飛ばす薬でも飲まされてたら、先パイどうします?」
    「……え?」
     ……今、何と?
     慌てて視線を戻す。今にもぶつかりそうな至近距離で、にやりと歪んだ青灰色が昏い光を放った。
    「薬が効いてきたら前後不覚になって、先パイのことケダモノみたいに無理やり食い荒らして、嫌だって泣こうが暴れようがオレが満足するまで乱暴に犯し抜いて――骨の髄までしゃぶり尽くしちまうかもしれないッスよ?」
    「………………そ、れは」
     青灰色の奥にくゆる、静かな炎。
     ゾッと、背筋が粟立った。その言葉が決して比喩などではないと、冷たく燃え盛る肉食獣の瞳がそう告げていた。
     彼は優しいから女性に乱暴なんてできない。それは『普段の彼』であればの話で、怒りに身を任せ、薬で理性を崩されてしまっていたら――それは。
     無意識に、ずりずりと距離を離そうと身じろぎする。ブッチくんの口の端から牙がのぞき、ぽっかり開いた三日月のような口から、はぁ、と熱い吐息が漏れる。首筋にかかる生温い吐息。獣の息遣いに似たそれに首筋をかみちぎられる妄想が頭をよぎり、ぎゅうっと心臓が縮みあがった。
    「や、やだっ……いっ痛いのはっ…!」
    「……だァから、大丈夫ですって。あの量でどうこうなる薬だったら飲む前ににおいでわかるっつの」
     宥めるような声でブッチくんは私をあやす。
     ――でも、これが仮面でないと誰が保証してくれる?
     今のブッチくんだって、グレンさんと同じように、仮面をかぶって虎視眈々と隙を狙っているのかもしれない。そう思うと視界が潤むのが止められなかった。
    「う……あ、ぅ……」
    「…先パイ、オレが怖い?」
    「ひぅ…」
    「……怖がってくれていいッスよ。男がみーんな優しいんだって思って警戒されないより、怖がられる方がずっとマシ。…ねぇ先パイ?」
    「な……なに…」
    「もし誘ったのが付き合ってないときのオレでも、ついてきてくれました?」
    「……え」
     突然、何を言い出すんだろう。
     必死に逃げ道を探していた私は、唐突に落ちてきた寂しげな声音に顔を上げる。
     私に覆いかぶさるように手をついたブッチくんは、さっきとは打って変わって、捨てられた仔犬のような顔をしていた。
    「オレじゃなくてジャックくんやエースくん、会社の他の男だったら?」
    「……それ、は、…」
     質問の意図が分からず視線をさまよわせる。
     返答出来ずに黙りこくっていると、数秒も経たないうちに「チッ」と頭上で舌打ちがした。
    「――だから、誰にでもああやってホイホイついていくのかって聞いてんスよ」
     聞いたことも無い、低い声。
     思わずひっと喉が引き攣って、背筋が一瞬で凍る。
     今日のブッチくんは不安定だ。傷ついた仔犬のような顔をしたかと思えば、怒りをむき出しにして唸る。その繰り返し。
     そんな風にしたのが自分だというのが一番胸が痛い。反省も後悔も何もかも遅くて足りなくて、今の私に出来るのは、彼の気が済むまでその怒りを受け止めることだけだった。
    「………まぁ、いいや。あーあー、そんな顔されちゃ、まるでオレが虐めてるみたいじゃないッスか。浮気された被害者はオレの方だってのに」
    「浮気なんて…!」
    「はいはい、食事しただけ、ですもんね。……でもさぁ、先パイ。オレが同じように、先パイが知らない女の人と食事に行ったら、どう思います?」
    「………え」
    「知らない女の人じゃなくて、たとえば会社の事務の子とかさぁ。相手がオレに色目使ってるのが目に見えてわかってて、それでも仕事だからって二人きりになりにいったら……さすがの先パイでも嫌でしょ、ね?」
     私の頭の中に、よくブッチくんを取り巻いている女性陣の姿が浮かんだ。
     ブッチくんはモテる。それはもう、社内でもトップ10に食い込む勢いで目に見えてモテる。見栄えのするルックスに、気配り上手で人懐っこい性格ときたら、万人に好かれないわけがないから当然の帰結だ。
     そんな彼がどうして特別秀でたものを持たない私なんかに固執しているのかは未だに疑問だった。私よりずっと美人で、スタイルが良くて、愛嬌のある人なんてたくさんいる。それこそ、ブッチくんがしょっちゅう声をかけられているのもそういう人たちだ。
     そんな人たちが本気になってブッチくんにアプローチして、食事に行ったり、ましてやお酒を飲む場に連れだしたりしたら……。
     ――急に、息ができなくなった。どんなに頑張って肺を膨らませようとしても呼吸は浅くなり、内臓から急速に冷えていく。痺れていく頭の中に浮かんだ去っていくブッチくんの背中を、慌てて脳内から打ち消した。
     勝ち目なんて、ない。周りが本気になったら、ブッチくんの目が覚めてしまったら、私なんて、絶対。
     ぎゅうっと唇を噛んだ私を見下ろし、ブッチくんは一瞬だけ不思議そうに目を丸くした。
     しかし驚愕をすぐに消して薄い笑みを浮かべた彼は、シーツに浮き出る私の身体の線を下卑た目でなぞりながら呟いた。
    「ま、男女逆なんで危機感とか全然違うし、オレの気持ちなんてわかりゃしないでしょーけど。オレはハイエナなんで、ご馳走かすめ取られそうになっておとなしくしてられるほど紳士な生き物じゃないんスよね」
     嗤う瞳が近づく。耳元に寄せられたくちびるから掠れた笑い声が漏れ、鋭い牙がぶつかる音が、首筋のすぐそばで鳴った。
    「今から先パイが嫌だって泣いても止めない。二度とこんな馬鹿な真似しないよーに、身体の方からしっかり言い聞かせるんで……途中でトンじゃ、ダメッスよ」
     シャツをかなぐり捨てたブッチくんのギラギラした目に上から下まで撫でられ、ぞわりと、全身に鳥肌が立った。
    瞳孔が縦に伸びた捕食者の目に見据えられ、逃げ場をなくした獲物は、俯いて沙汰を待つすべしかもたなかった。





     * *




    「……先パイ、ゴメンなさいってば。さすがにやりすぎたなーって反省してるッスよ」
    「…………………………………知らない」
     ――翌朝。
     足腰どころか身体も起こせないほど疲弊しきった私は、ブッチくんに子猫のように運ばれ、洗われ、そして今、広めの湯船の中で後ろから抱きかかえられて、顎まで沈めたお湯にブクブクと不満の泡を吐いていた。
     柔らかな桃色のライトに照らされたお湯がとぷんと揺れる。自宅よりも粘度が高いような気がしなくもないけど、入浴剤か何か入っているんだろうか。ゆっくりと広がる波紋を目で追っていると、耳元で情けない声がした。
    「……でも、先パイもあんなかわいくおねだりしてくれたじゃないッスか。たくさんイってたのに、気持ちよくなかった?」
    「…もう知らない知らない!! ブッチくんなんか知らない!!」
    「あっこら、立てないのにどこ行く気?」
     這うように湯船から逃げ出そうとした私を難なく捕らえ、ブッチくんがお湯の中に引きずり戻す。再び腕の中にすっぽり収められた私は精一杯の抵抗として、不機嫌と書いた顔をぷいっとそっぽ向けた。
    「……誰のせいで立てなくなったと」
    「ホントごめんなさいって。ここチェックアウトの時間遅いんで、ゆっくりしていいッスよ」
    「…………そう」
     ふっと、心に影が落ちた。
     私はこんな場所初めて来たけれど、ブッチくんは知っているのだ。場所も営業時間も、入室の所作から備え付けのアメニティまで全部頭に入ってるくらいに。
     なんだかすごくモヤモヤした。口を開けば八つ当たりのような文句が出そうできゅっと唇を引き結ぶ。会社であんなにモテているのだから、今まで彼女の一人や二人いたって、いや、いない方がおかしい。そんなの十分に理解していたはずなのに、こうしてまざまざと見せつけられると、もやもやした気持ちはどんどん膨れ上がっていく。
     ――今までの女性ひととも、同じようなことをしたんだろうか。私に向けるような甘い声と表情で、触れて、肌を重ねて、愛を紡いで。今私の肩を抱きしめている大きな手で、私でない誰かを優しく撫でたり……とか。
     ちり、と胸の奥が焦げた気がして、私はかぶりを振った。いけない、余計な詮索だ。誰にだって過去はあるのだし、それを咎める権利は誰にもない。ブッチくんが今までどんな女性とお付き合いしていようが、私に、踏み込む権利は、ない。
    「……先パイ?」
     不意にブッチくんの顔が視界に入り込んできて、私は唐突に思考の海から引き上げられた。突然現実に戻り目を瞬かせる私を見て何を勘違いしたのか、出し抜けにブッチくんがむっと唇を尖らせた。
    「もー、まだご機嫌ナナメなんスか? ……しょーがない。先パイが好きなスイーツ、オレが出すんで買って帰りましょ。ね、それで機嫌直してくださいよ」
    「……駅前のふわとろプリン」
    「いいッスよ。あれ、オレも好き」
     私がようやく態度を緩めたからか、ブッチくんがほっとしたような声色で頭を擦り寄せてきた。クルクルと喉を鳴らしながらこめかみに唇を押し当ててくる。甘え方が猫みたいだ。猫にしてはずいぶんと大きいし、どちらかと言うと性格は犬っぽい気もするけれど。なんて言ったらきっと彼は「オレはハイエナッス!」と即座に反発するのだろう。
     拒む理由もないのでするに任せていると、ぎゅうっと抱きしめる腕の力が強まった。同時に後頭部に額が押し付けられ、聞き逃しそうなほど微かな呟きが、ぽつりとバスルームに響いた。
    「…先パイは、先パイが思ってるよりずーっとモテモテなんで、もうちょっと自覚してください。こっちは気が気じゃないんスよ」
     それは、今にも泣き出してしまいそうなほど、頼りない声音で。いつも飄々と掴みどころのないブッチくんの、紛れもない本音に聞こえた。不意に弱々しい部分を垣間見せられて、心臓がどくんと跳ね上がる。
     ずるい、ずるい。自分に人目を引くような魅力があるとは思えないけれど、そんな風に言われては下手に反論することもできやしない。
    「例え最初は何もする気がなくったって、あんな風に無防備に喜ばれて微笑まれたら、男なら誰だって勘違いしちゃうッス。……ホントはオレ以外にそんな顔しないでほしいけど、それは無理なのは分かってるんで…だから、せめて、一緒に連れて行ってください」
    「…………………」
     何も言えず、返事の代わりに抱きしめてくる腕にそっと手を添えると、大きな手のひらが縋るように肩を掴んできた。しばらくその姿勢のまま微動だにしなかったブッチくんは、不意に顔を上げて掠れた声で言った。
    「…そろそろあがりましょーか。のぼせちまうッスね」
     言うが早いか、私を抱えたままざばりと湯船から立ち上がる。私を抱いたままスタスタ歩く彼にもう立てるからと抗議しようかと思ったけれど、もう少しだけ甘えることにして、こてんと広い胸に頭を預けた。
     とくとくと伝わってくる私のよりも少し速い鼓動が心地よくて、耳を澄ませながらゆっくりと瞼を下ろした。



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