ざくろ「いで、召し給え」
薄暗い部屋にふかふかの座布団。呼吸するたびに肺を侵蝕する生きた花の香り。息を呑むほど立派な黄色をその身に宿す彼が、ひとつ、果実を割り開く。
ぎっしりと詰まったひと粒をつまみ上げて、そして私に差し出した。
「今年の柘榴はめざまし」
「……そうだね、でも……まだダメ」
彼は瞳を金色に輝かせて、驚く。私が拒絶するなんて思わなかったんだろうね。
「されどよく熟れたり……いと甘きぞ……?」
ぴかぴかで、同じ名前の宝石があるくらい立派なひとつぶ。きっと極上の味がするだろう。
彼に寄り添い、それを彼の手ずから味わうのは、至福のひと言に尽きるに違いない。
「……今はまだダメ」
だから私は緩やかに立ち上がる。
ここにはきっと、私が望むものしかないだろう。熱望が途切れ、今まで見ないふりをしていた自分の傷や歪みが一挙に押し寄せ、疲弊している今の私にとって、あまりにも魅力的な彼の柘榴は、喉から手が出るほど欲しい安寧だ。
だけども今は応えてあげられない。彼らが私をよんでいるから。彼らにはきっとまだ、私が必要だから。
障子を開けて出ていこうとした私の裾を、白い手がくん、と引く。
「……もう少しだけだよ。どうか待って」
「充分に待ちし」
「もうちょっとだけ」
「いまえ待たず」
紅色と緑色が交じる枝が伸びて、私を捕らえる。ぱき、みし、と音を立てて揺れる枝。触れても痛くは、ない。彼は優しいから、私が苦しむことは絶対にしないし、無理強いもしないんだ。
ただ、彼の胸のうちに溜まりに溜まった願いの慟哭が、彼の喉を突き破らんとしているらしい。部屋に満ちる生きた花の香りがますます強くなって、窒息してしまいそうだ。
「……イサン」
名前を呼ぶと、彼の腕が覆いかぶさるように私を抱きしめる。引き寄せる。閉じ込める。
いかないで。ここにいて。そう訴える腕は震えていて……きっと私は彼にとって酷いことをしているのだろう。だけどまだ、止まれないんだ。
私は彼の頬に口づけを落とす。……これでご機嫌が治ったりなんかしないのはわかってる。むすくれ顔のほっぺをむいむい、子どもにするようにつまんで、笑ってみせた。
「どのみち私はもうあなたのものなんだから、大丈夫だよ」
「……心もとなし」
「今度はちゃんと自分の足で来るから、それまで待っていて……たくさんお土産話を作ってくるから」
「…………はあ、しかたなし」
どちらともなく唇を重ね合う。
ぴりりと辛くも濃厚な花の香りに酔って、ああ、このまま時が止まってしまえばいいのに……そんな戯言を思うのだ。
「……っ、は。……またね」
「ン……、また」
最後にもう一度だけ口づけを交わし合って、私は障子を開け放った。
「……、ん」
目が覚めればそこは静かな私の研究室。知り合いからもらったおすそ分けの柘榴がテーブルの上を占拠している。
……あとおまけに、私の膝の上を濡鴉色の頭が占拠していた。
「…………んン? ダン、テ……」
「おはよう、イサン」
のそりと起き上がる彼はぷわ、とあくびをする。私にも移っちゃって、くぅっと奥歯で噛み締めつつ、私はずっしりと重たいそれをひとつ手に取り、静かに割り開く。
「ざくろ……」
「うん、知り合いからのおすそわけ。はい、あーん」
「ん……」
彼が差し出してくれたものほどではないけれど立派でつやつやのぴかぴかなひと粒を、彼へ差し出した。