夏の華――今日の夕方、家に来てほしい
端的に用件のみが書かれたメッセージを受け取ったのが今日の午後。〝来てほしい〟はいいが肝心の〝なぜ〟の部分は書かれていない。いや、敢えて書かれていないのだ。キミならこのメッセージの意図を汲みとれるだろう、とでも言いたげに。彼の言葉足らずは今に始まったことではないが、これが恋人に対して送ってくるメッセージだろうか。もっと他にあるだろう、と内心では思いつつもそれを言葉にするでなく代わりに深いため息としてジェームズ・モリアーティ青年は吐きだした。視線は手元のスマートフォンに落としつつも、机の端に置かれた卓上カレンダーに小さな印のある今日の日付を視界の隅に捉えながら。
夏至を過ぎたとはいえ七月の終わりはまだまだ日が長い。日中の蒸し暑さを未だに残す七時よりも少し前。夕方というよりも夜と言った方がいい時間だが、燃え盛るような真っ赤な夕陽は空をオレンジ色に染め上げ、混ざり合った薄い青は徐々に紫色へとグラデーションを描いている。そんな美しい風景を少しだけぼんやりと眺めてからモリアーティは先輩兼恋人でもあるホームズの部屋のチャイムを鳴らした。
ピンポーン。もちろん、中からの応答はなし。
ピンポーン、ピンポーン。計三回チャイムを鳴らしややあって、ようやくガチャリという重たそうな音を伴って部屋の扉が開き、隙間から家の主がやや不機嫌そうに顔を覗かせた。
「……家の合鍵は渡していただろう」
「先輩に呼ばれて家まで来たのにお出迎えもしてくれないんですか?」
痛いところを突かれたのだろう、気まずそうに目を逸らしながら中へ招き入れるホームズにモリアーティは小さく笑みをこぼした。
お邪魔します、と靴を脱いで薄暗い廊下をホームズの後ろについて進む。カサカサと響く手に持ったビニールの擦れる音。心なしか心臓の音も普段より速い気がする。けれど、ホームズにそれを悟られたらきっと笑われてしまうだろうから。自分を誤魔化すかのようにモリアーティは手にしていたビニールを握りなおした。
「うわっ、リビングも真っ暗じゃないですか」
「論文を書くのに夢中になっていてね。正直キミが来るまで気がつかなかった」
廊下よりは外からの光で多少明るいとは言うものの、完全に陽が落ちた時間の部屋は薄暗さで満たされていた。唯一パソコンのディスプレイだけが光を放ち、限られた一角だけを照らしている。
「もう……目が悪くなっても知りませんよ?」
半ば呆れたため息を吐き出しながらモリアーティはビニールの袋を机の上へと置いた。
「ふむ、今後は気をつけるようにしよう」
全く改善する気のなさそうな返答をしながらホームズはモリアーティが置いた袋の中身を覗き込み、部屋の電気をつけようとはしない。だが、それはモリアーティも同様だった。
「もっと早くに来てくれたら良かったのに。私は夕方に、と連絡したはずだが?」
「これを買ってたら遅くなったんです。それに間に合ったんだからいいでしょう?」
袋の中身は缶ビールにチューハイ、おつまみにスナック菓子。
そこからモリアーティは缶ビールを一本取り出し、ホームズへと手渡した。
「ねぇ、先輩?なんで今日家に僕を呼んだの?」
「キミが買ってきたこれらが答えだよ」
「そういうことじゃなくて。ちゃんと先輩の口から聞きたい」
ちょっとだけ頬を膨らませ、拗ねた素振りを見せればホームズがモゴモゴと口ごもる。もう後一押し。
「これから?」
「……花火が上がるから良ければ私と一緒に見て欲しい……」
「もちろん、喜んで!」
イタズラっぽく笑ってモリアーティはプシュ、とビールの缶を開けた。
夜の帳がおりた天蓋にドンッと大きな音と共に咲き乱れる色鮮やかな大輪の華。星が尾を引くように赤が放射を描いたかと思えば消える間際に青や黄色へと変わる。
咲いては消え、楽しませては余韻を残しての繰り返し。
「すごい……」
気付けば無意識にこぼれ落ちていた。と、横から聞こえたクスッと笑う声にモリアーティは首を傾ける。
「キミの反応は見ていて飽きないな」
「ぼ、僕じゃなくてちゃんと花火見てください……!せっかくの花火大会なんですから……!」
「あぁ、もちろんちゃんと花火も見ているさ。同じ青でも銅の割合が違えば色味も変わってくる。例えばほら、今の青なんかだと……」
「先輩!」
「ははっ、すまない。つい」
会話を遮り、呆れに近い深いため息を吐きだしたモリアーティにホームズの眉が困ったように下がった直後。ドォン、と鳴ったひと際大きな音に二人の視線が誘導される。だが、音と光。速いのは後者の方で。役目を終えた大輪はパラパラと光のカケラだけを暗闇に残し落ちていっていた。
「あぁ~!大きい花火見逃しちゃったじゃないですか!今のやつ音からして絶対に大きかったですよ!もぉ~!」
「まだそれ以上の花火は上がると思うが?」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
「モリアーティ」
「なんです――――」
重なった二つの影が夜空に咲いた大輪の色を反射し染まる。
ピンクから青、黄色から緑へと。それは一瞬の、しかし永遠に閉じ込めた万華鏡のように。
ゆっくりと離れる唇と唇の間を抜けていく昼間の暑さをまとった生ぬるい風。
「……また来年も私と一緒に花火を見て欲しい」
「それ、は……」
「それは?」
「 」
驚いたように目を見開いたホームズと、照れ臭そうに笑ったモリアーティの背ではその夜一番のスターマインが打ち上っていた。