裏返しのメッセージ「!あぁ、おはよう。モリアーティ。キミが出勤してくるのを待っていたんだ」
「…………」
オフィスに足を踏み入れたと同時。相方であるシャーロック・ホームズの朗らかな声と気持ち悪いほどの清々しい笑顔がモリアーティを出迎えた。否応なしに、眉間のシワが深くなる。
長年バディを組んでいるとはいえ、可愛げのない態度と生意気な口がデフォルトのあのホームズが、まるでいつもとは別人のような態度を見せれば当然とも言えるだろう。
目の前の異様な光景にこれ以上は足を踏み入れてはいけない、そう野生の勘が告げている。
この男がこういう態度を見せるときは決まって必ず〝なにかある〟ときか、もしくは〝キめている〟ときのどちらかだ。
一度、目頭を押さえ相変わらず笑顔を向けてくるホームズは無視して、部屋の奥に鎮座する柳生へとモリアーティは視線を移す。
「……あ~……班長?」
「なんだ?」
「今日はこのまま帰らせていただいても?」
「有給申請は出ていないが?」
「出社した瞬間、体調が悪くなっちゃってぇ」
「いつもの巧みな嘘はどうした、もりあーてぃ?」
口元は微かに微笑んではいるもののギロリと鋭い視線を投げかけられ、さすがのモリアーティも諦めたように肩をすくめた。深いため息をホームズへの当てつけに、と吐きだしながら。
だが、己の机を見た次の瞬間には絶句することとなる。
「…………なに、これ」
いつもは必要最低限のものしか置いておらずきちんと整理整頓されたデスクの上。
昨夜の退勤時にもパソコン以外はなにも残していなかったはずだ。
それなのに――デスクの上を埋め尽くすほどの書類の山、山、山。
「……これは一体どういうことかナ?ホームズくん?」
ブチ切れ寸前をなんとか冷静で装おうとするモリアーティなど、どこ吹く風とでも言いたげにホームズはキョトン、と首を傾げてみせる。
「昨日キミが帰ってから経理の人間が怒涛の勢いで来てね。溜まりに溜まった決裁を今日中になんとかしろとのお達しだ」
「は?!知るか?!お前が溜めてた書類だろ?!私関係ねぇじゃん!」
「まぁ、うん……そうだね。ただ、少し細工させてもらって半分ほどキミの名前を使わせてもらったよ」
「ふっざけんな、てめぇ!ホームズ!」
「キミ、数字は得意だろう?」
「そういう問題じゃねェ!私を巻き込むなって言ってんの!」
バンバン、と書類の山を叩きながら抗議するもホームズにはまったく響いてなどいないし、徹夜ハイも相まっているのだろう、モリアーティの盛大な舌打ちにすらクスクスと笑っている。こういう時には何を言っても無駄だということは嫌と言うほど思い知らされているが、それでもやはり一言、二言は言っておかないと負け損な気がしてならないし、悲しいかな、班長からの無言の圧も加わりなんとしてでも今日中にこの書類の山を片付けないことには帰れそうにもない。
モリアーティの口から溢れたのはこの日一番の舌打ちとため息だった。
「クソッ!今日から一週間、昼飯はお前のおごりだからなっ!」
「栄養ドリンク2本でいいかい?」
「本当殺すヨ?」
「ハハハ」
――と、ここまでが今朝の出来事で、現在時刻18時半。
「やっと終わったァ~……」
最後の一枚を終了ボックスへと放り込みモリアーティは背もたれにぐったりと倒れこんだ。ようやく解放された書類の山との闘い。昼休憩を返上したおかげでなんとか残業は免れたが、今度は腹の虫がぐぅ、と訴えかけてくる。
「さすがに何か口にしないと死ぬ……」
「モリアーティ」
自分の名前を呼ぶ声の方へ首を向ければ、一口サイズのチョコを口にくわえてイタズラっぽく笑うホームズの姿。
「……なにソレ。お詫びのつもり?」
「ひゃてね」
「……」
それが彼なりの甘えかたであるならば。望み通りチョコも唇も奪ってやろうじゃないか。だけれど。
「まさかたったこれだけでお詫びを済ませるつもりじゃないだろう?シャーロック?」
「ん、ぅ……」
とろけるような甘ったるいチョコレートは果たして毒か、薬か――