カヴェアル1「父が結婚した時、周りの人は酷く驚いたらしい」
普段本を持っている少し角張った指が今は珍しくそれを置き、少し前のバザールでカーヴェが一目惚れして買わせたグラスを持っている。それにどこからか取り寄せた度数の高いアルコールがグラスの動きに少し遅れて波を作っていた。
「君、そんなことよく知っているな。父から聞いたのか」
「父ではなく、お祖母様から聞いたんだ。俺はあまり父との記憶が残っていない」
「あぁ、そうだったっけか」
「お祖母様も随分と驚いたらしくてな。何度も聞いたんだ」
珍しく意識が残っているカーヴェは、それでも頭をあまり働かせずに頭に浮かんだものをそのまま口に出した。それを咎めることもせずに、アルハイゼンはいつもより少し語尾が伸び柔らかいトーンで返す。きっと彼を知ってる人が見たらいつもとの違いに随分と驚くだろう。
しかし目の前にほぼ横たわった体勢でいる男は見慣れたもののようでアルハイゼンの手にあるものと対になっているグラスになみなみと注がれたアルコールをグイと1口で飲み干した。
炭酸。それと苦味と甘みとが混ざりあい、不思議なことにとても美味く感じる。人間の舌の仕組みは本当に訳が分からないものだ。
「いいことじゃないか」
「祖母はきっと嬉しかったんだと思う。あんなに同じ話をすることもなかなかなかった」
「そりゃあ、家族が増えるんだからな。誰だってそうだろう?」
目線で、空になったグラスに酒をつぐよう相手に訴えるがどうやらそれも無駄なようで、直ぐに諦めると手に瓶を持ち自分のグラスにとくとくと入れる。ついでに生意気な後輩のグラスにも少し足してやると、アルハイゼンは礼も言わずにそれに口をつけた。
答えない彼にカーヴェは新たに話を被せる。
彼が答えないのはいつもの事だからだ
「君の父はきっと君にそっくりだったんだろうな」
「……だといいのだが」
「君が結婚の報告をするときっとみんな驚くぞ」
「そうだな」
いくらか酒の場を盛り上げるようなものでもないたわいのない話を続ける。しかしどうやら彼は大分酔いが回ってきたらしい、何かを話す時以外はピクリとも動かない唇がゆったりと美しい弧を描いていた。紡ぐ言葉も段々と短くなっていき最後は同調ばかりだ。
きっと眠いんだろう、いつものアルハイゼンなら布団の中で寝息をたてている時間であるから。
今の時刻でスメールシティで明かりと呼べるものはとうとう月明かりのみになった。
「アルハイゼン、そろそろ寝ようか。」
彼にそう伝えても「あぁ」と小さな声で返事するだけで、起き上がり移動しようとするどころか、そのまま瞼がゆっくりと降りてきている。
この状態で風呂に入れる訳にもいかないから、せめて寝室で寝かせてやろうと、移動するため立つように促すと彼は当たり前のように肩に腕を置き全体重を乗せてくる。ずしりと伝わる重量と、普段よりずいぶんと高い温度はゆったりとした心地良さを与えてくる。
いつもと逆だなとか、当たり前のように自分を頼るんだな、とか。酒で沸いた頭は湧いては出てくるセリフを吐き出す前に忘却の彼方へ運んでしまう。
自分よりも背も高ければ、重さもずっとある彼を支えることにもそろそろなえ、彼の方から寝息が聞こえる前にさっさと寝室まで運ぶことにした。
ベットに彼を転がすと、ボスっと柔らかい音ともにアルハイゼンの体はやんわり受け止められる。
やはり慣れないことはすべきでは無い。アルハイゼンはもちろん、カーヴェ自身もあちらこちらと足が思うように動いてくれずいくつかの痛みと痣に迎えられ頭がすうっと冴えてきた。
それを労ってか、はたまた違う理由か、アルハイゼンはコロコロと幼子のように転がり、人一人分のスペースを開けた。彼の領域に侵入を許されているのは今はたったひとりだ。
首をかしげ、指を指すとアルハイゼンは一つ頷いた。それを隣に寝る許可と認識し、カーヴェは正しくそこに寝転がる。
わざわざ彼の部屋に運ぶ義理はないので、カーヴェは自身の部屋に堂々とアルハイゼンを連れ込んだ。いつもならここから更に熱い夜を迎えるのだが、生憎今日は2人ともそんな体力は残っていない。
出会ってから随分と時が経ったのだ。
ずいぶんと昔なら一徹二徹して共同研究を行ったものだが、2人の肌に小じわができた分、彼らはすっかり歳を重ねてしまった。
しかしご機嫌そうに昔ふと見せた時(カーヴェが一目惚れしてしまった時と言っても良い)と変わらない笑みをみせた彼にカーヴェは問いかけた。
「なぁ、誰に1番に伝えよう。ティナリはどうだ、きっと驚いてくれるぞ」
狭いベットに大の男2人が横たわると少しの動きでミシミシとベットが悲鳴をあげる。しかしアルハイゼンにはそれすら子守唄に聞こえるのか、ゆっくりと瞼が下がっていく。
問いかけに答えようとはくはくと動く唇からは、空気の漏れる音がするだけで、落ち着いたテノールはひびくことがない。あまりの愛おしさにそっと唇を静かに重ねるだけのキスとすると、何がおかしいのかまたアルハイゼンは少し笑う。
赤く染った頬は暗い部屋の中でもよく見える。
「お祖母様、は、どう思う、だろうか」
ゆっくりと降りてしまったまぶたはそのまま、それっきりアルハイゼンは眠りに落ちていった。
どうやら答えは求めていないらしい。いや、答えを聞きたくないのかも知れない。どちらにせよ彼の問いかけに対する回答期限はとうに過ぎてしまった。
きっとアルハイゼンはずっと考えていた。カーヴェと結ばれることについて。
当たり前だ。それはカーヴェだってそうだ。しかしスメールが誇る大天才・カーヴェにしてもそれに答えを出すことは出来なかった。だってそういうものだ。恋や愛や情に簡単に答えを見つけ出すことは出来ない。そのような悩みなら一緒に考えて答えを見つけ出すことができたかもしれない。というか、一緒に悩んでいるつもりだった。
しかし、アルハイゼンはどうやら違うものについて悩んでいたらしい。
祖母から貰った愛。
その行先に迷いが生じていたようだった。
カーヴェはその答えを探してやることは出来ない。彼は頑固だから、きっとカーヴェが正解を示したとしても彼自身が納得しなければこの問は続くのだろう。
祖母から貰った愛を自分で終わらしてしまっていいのかと。
カーヴェは優しく、壊れ物を扱うかのようにゆっくりとアルハイゼンに触れた。嫌がる素振りは見えないため、そのまま腕をまわし強く抱きしめる。
だが、何を悩むことがあるのだろう。
カーヴェがそう考えてしまうのもおかしくはないだろう。
「きっと驚くさ。君の父の時のように」
彼女は家族の幸せを喜んでいるのだから。