その雪はまだ空高くありがとうございました、と店員のかける声を背にカフェを出る。いくつかの用事を済ませ、こうしてひと息ついたら後は家に帰るだけだ。大好きな皆さんのいるあの家で、今日はどんなセクシーなことが起きるだろう。想像するだけで胸は高鳴り、自然と歩幅が大きくなる。
すると突然、進行方向にある店の扉が開く。中から誰か出てくるのだろう、ぶつからないように少し車道側に避けようとした時だった。扉の影から出てきたのは見慣れた特徴的な海のような色の髪だった。
「大瀬さんじゃないですか!」
「わあっ」
思わず声をかけると大瀬さんは驚き、肩を跳ねさせる。持っていた大きなトートバッグを落としそうになるのを慌てて抱え直しながらこちらを見上げる。
「あ、天彦さん……どうしてここに……?」
「こちらの台詞ですよ。こんな街中で大瀬さんと出逢えるなんて思っていませんでした。思わぬラッキーセクシーに天彦はとてもワクワクしています」
大瀬さんは、あの家の中では一番外に出る機会が少ない人物だ。いつも家の中で創作活動に没頭しており、一緒に出掛けようと僕や他の住民の皆さんが誘っても断られてしまう事が多い。一人で出掛けることもあるらしいが行先は河原や公園で、僕の行動範囲とはほとんど被っていないこともあり、こうして外でたまたま遭遇するなんてことは一度もなかった。テンションが上がらないわけがない。だが大瀬さんは相変わらず眉を下げて困った顔をしている。
「せっかくのお出かけ中にクソ吉と会うなんて不運以外の何物でもないと思いますが……」
「そんなことはありません。そうだ、大瀬さん。もう用事は済みましたか?」
大瀬さんはきょとんとしながらも頷く。
「でしたら、これから家まで一緒に帰りませんか?」
それからしばらくの間、自分と一緒じゃ天彦さんが嫌なんじゃないかとか、急に天気が悪くなったらすみませんだとか様々な懸念が大瀬さんの口から飛び出したものの、家まで一人で歩くのは寂しいと伝えると一緒に帰ることを了承してくれた。
「天彦さんは……なんのご用事だったんですか?」
「フフ……今度のセクシーショーで着る衣装を少し。完成したら大瀬さんにもお見せしましょう」
大瀬さんは顔を赤くしてブンブンと首を振った。大袈裟なリアクションに笑みをこぼすと、大瀬さんもつられたようにふにゃりと笑ってくれた。
「大瀬さんは写真屋さんでしたね。もしかして、あの時の写真ですか?」
数分前、大瀬さんが出てきた店は少し古びた写真屋だった。入ったことはなかったが、外から見た限りではカメラに関する物が売っていたり、写真の現像などが出来る店のようだった。
「はい、あの温泉旅行の時の……!どれも、すごく綺麗に現像してもらえたんです」
楽しかったなと、そう言いながら大瀬さんはトートバッグを胸に抱える。大切な宝物を抱きしめるような、柔らかな表情だった。
「それは見るのが楽しみです。……そうだ大瀬さん、少しだけ我儘を言ってもいいですか?」
「えっ……クソ吉なんかが叶えられることであれば、もちろん……」
「こういった封筒に入れて渡されるんですね。中を見ても?」
「は、はい……どうぞ」
ベンチに二人で座り、店で現像されたという写真の入った、洋封筒のような形のそれを受け取る。
みんなよりひと足先に写真を見せてもらいたいという天彦のお願いを大瀬さんは戸惑いながらも聞いてくれ、こうして近くにあった公園に立ち寄ったのだ。封を開けると、真っ先に飛び込んできたのは出発前の楽しそうな皆さんだった。表情はあまり変わらないが心做しか嬉しそうに見えるふみやさんや、大量の荷物を一人で持とうとする依央利さんの生き生きとした表情が切り取られている。
一枚めくると、今度は旅館までの道中で見かけた小さな蛇と、それに気づいていないテラさんの写真。この後に蛇を見たテラさんが飛び跳ねて驚いていたのをよく覚えている。
それから、その蛇の接写。料理を美味しそうに食べる皆さんを見て心躍らせている僕のセクシーな表情までも映し出されていた。
「どの写真も素晴らしいです、大瀬さん。こうして写真を見ていると、昨日のことのように感じますね……おや」
また一枚と写真をめくると、突然誰も映っていない、背景だけの写真が現れる。季節柄、すべての葉が落ちて枝だけが残った並んだ木と、そこに降り積った雪。夜に撮ったのか、辺りは薄暗く生命の気配は感じられない。まるで撮ろうとしていた被写体がどこかへ逃げてしまったかのような、少し寂しくもある写真。だが大瀬さんは、僕がめくる手を止めたのを喜ぶかのような嬉しそうな声を出した。
「その写真、お気に入りなんです……!あそこ、すごく雪が綺麗に積もっていて……」
大瀬さんはその情景を思い出すように目を瞑り、うっとりとした声で話し続ける。
「こうやって印刷された景色はあの時の雪の色とはちょっと違いますけど……でも、綺麗だったなって……」
「大瀬さん」
僕が名前を呼ぶと、大瀬さんは我に帰ったように目を見開き取り乱し始めた。
「ご、ごめんなさい一人で語ってしまって!キモかったですよね、あの」
「違いますよ、落ち着いてください。……良い写真ですね」
大瀬さんが嬉しそうに語っていたその写真を手に取りそう言うと、大瀬さんは目を丸くして、それから照れくさそうに座り直して「ありがとうございます」と呟いた。
一枚めくると、大きな枝を持った猿川くんが虎さんを追い回して困らせている写真が現れる。次の写真では、理解さんに叱られていた。こんなところまでカメラに収めているとは、大瀬さんも浮かれていたのだろう。そこからはずっと皆さんの楽しそうな写真が続いて、最後の一枚をめくり終える。
その中に、大瀬さんの写った写真は一枚もなかった。
「……大瀬さん、ありがとうございました。大瀬さんの見ているセクシーな景色をおすそ分けしてもらえたようで、天彦はとても満たされた気持ちになりました」
「ほ……本当ですか……?」
「もちろんです。……そろそろ帰りましょうか。皆さんにもこの写真を見てもらいましょう」
大瀬さんは恥ずかしそうに笑いながらも少し嬉しそうに立ち上がり、再び二人で帰路へと歩み出した。
こうして公園に立ち寄ったのは、写真を早く見たいという気持ちももちろん本当だったが、大瀬さんの疲れが心配だった。家までの道のりは長く、ずっと歩き通しだと大瀬さんの体力では家に着く頃にはヘトヘトになってしまいそうだから。だからこそ、こんなに遠くで大瀬さんを見かけたことに驚いたのだが……それでも、近所の家電量販店でなくわざわざ遠くの写真屋まで現像しに来たのは何かこだわりがあったのだろう。きっと大瀬さんにしか分からない、大切な何かが。
天彦よりも歩幅の小さな大瀬さんに合わせて、いつもよりゆっくりと足を進める。家に帰るまでの間も、旅行の思い出話に花を咲かせた。隣で笑う大瀬さんは相変わらず眉を八の字にしていたが、それでもこうして並んで話せるだけでも随分打ち解けたものだと思う。出会ったばかりの頃は、ずっと怯えられてしまって目すら合わせられなかったのだから。
「いつかまたあの旅館に行きたいですね。桜の季節なんか、また違った魅力があると思うんです」
「そうですね……でも、また雪も見れたら嬉しい、です」
そう言いながら、緑の葉をつけ始めた街路樹に目を向ける大瀬さん。あの葉が落ちて雪が積もる季節まではまだ遠い。
「次は天彦もカメラを持っていこうかな。そうしたら大瀬さんの撮った写真と見せっこしましょう」
「いいんですか……天彦さんが撮る写真、見たいです」
まだ次に旅行に行く予定も決まっていないのに、大瀬さんはテーマパークに行く前の日の子供のようにご機嫌に笑う。大瀬さんが撮らなかった分まで、次は天彦が貴方のことも撮りましょう。なんてことを告げたらきっとこの笑顔を濁らせてしまうから、今は言わないけれど。貴方が大好きな雪や、大好きなあの家の皆さんを見ている時のセクシーな笑顔。それらを収めた写真を見たら、大瀬さん自身の素敵なところも少しは伝わってくれたら良いのだけれど。
そうして、その時にはきっと僕にも解るだろうか。あの寂しい雪の写真の魅力が……あれが美しいものだと知っている貴方の心が。
「待ち遠しいですね」
そう言って空を見上げると、隣で大瀬さんも待ちわびるかのような微笑みを宙に向けた。