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    GENKOPE

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    GENKOPE

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    銀糸病原体
    ホラーSFの雰囲気を持ちながらCOA🧪🎹を目指して書いてる。捏造しかないです。

    銀糸病原体銀糸病原体



    序章


    ある日、地球は正体不明の細菌に覆われた。
    大半の人口が死滅し、生き残った人々はシェルターに避難し限られた環境の中で生活を余儀なくされた。
    その中で、数少ない有識者や自発的な者が募り、正体不明の細菌の調査機関が結成された。

    とは言え、細菌の詳しい情報を得ることはできず、感染した者は体から銀糸の様な突起物が生え、次第に血液が黒く泥の様なものとなり体から漏れ出して死を迎えることと、その症状から<銀糸病原体>と名付けることしか調査は進んでいなかった。

    何故ならば、外へ出たがる者など居なかったからだ。
    外へ出れば、銀糸病原体と共存した生命体に襲われ、感染して死を迎えることとなる。

    人としてありふれた死を迎えるより先に、細菌に侵されて人としての形状を損なわれて苦しみながら死ぬなど、普通の人間ならば避けたいものだ。

    最初こそ存在していた調査隊もいつの間にか、その概念が消えてしまった。2代目までの調査記録を元にこの数十年、調査機関は研究を続けていたが、生物が進化する様に病原体も進化する可能性が高い。この数十年の間に進化してないとも言い切れない。

    そんな中で3代目の調査隊の隊長を名乗り出るものが現れた。

    その男の名はフレデリック・クレイバーグ。そして、そんな男の勇姿を讃え、調査隊の加入を希望した女、戚十一が居た。

    調査隊のメンバーは二人。臆病者ばかりのシェルター内には、もう名乗りを上げる者は居ないかと思われていたのだが、フレデリックの元に現細菌調査機関の代表ジェルムが一人の男を連れて訪れた。

    その男はシェルター内であるにも関わらず、ガスマスクを身につけており、その右手は見るからに銀糸病原体に侵されている人のそれだった。

    「彼の名はルキノ・ドゥルギ。彼は銀糸病原体に感染して2年経つにも関わらず、感染の進行が見られない。それどころか、銀糸病原体と共存をしている唯一の人間だ。」

    「……」

    ルキノという男は、黙ったまま軽い会釈をした。そのまま一言も喋ることなく、自身の輝きを失った革の手袋に視界を移し、再びその手に付け直した。

    「見ての通り、彼は銀糸病原体との共存と引き換えに言葉を発することができなくなっている。
    不便ではあると思うが、ルキノは生物学者だ。現状況で調査隊には有識者がいない。ならば、ルキノは調査隊に必要になるだろう。

    ルキノ自身も入隊を望んでいるからこそ、ここに居る。是非、彼の知識を活用してくれ。」

    "では、僕はこれで"と、ジェルムは一言告げて調査隊室を後にした。沈黙の中に残された二人、その沈黙を破ったのは意外な人物だった。

    「それで、調査の目処は立っているのかね?」

    ルキノは口を開いた。その差も当然かのような声色に、最初こそフレデリックは"ああ、"と返事を返したものの、違和感に気づき驚いたように言葉を続けた。

    「話せるのか?」

    「もちろん。」

    ますますわからなくなってきた。ルキノが何故唖の様な振る舞いをしていたのか、疑問が募った。

    何故なら、言葉というものは人類の知恵を最も表現できる物なのだ。その言葉を象る声を自ら封印するルキノが、フレデリックにとっては理解し得ない物だった。

    「何故そんな振る舞いをしているんだ?」

    「価値観が違う者と会話をするのはあまりにも効率的ではない。更に言えば、彼と私の価値観は対極的なところにあると考えているのでね。」

    その言葉はフレデリックにとって、不快なものだった。言うならばまるで、適応しているとは言え、憎き細菌に感染したルキノと価値観が近いのだと、フレデリックは感じ取った。

    「私とお前の価値観が同じだと?」

    「同じではないさ。ただ、近い場所にあると考えている。

    君は細菌を憎んでいる。私は細菌を愛している。」

    地雷原の様に並べられた言葉にフレデリックの不快度がますます増えていく。何故その様に言うのか、フレデリックは眉を深く顰めた。

    「それこそ対極じゃないか。同じにするのはやめてくれ。」

    「いいや、同じさ。"愛憎"という言葉があるだろう。さらには愛しさ余って憎さ百倍とも言う。
    愛情も憎しみも、どちらも何かに"執着"している。
    だからこそ隣り合わせの感情であると私は考えている。」

    「…」

    二人の会話を遮ったのは戚十一の扉を開く音だった。彼女は許可証を片手に室内へ入った。

    「クレイバーグ、所長の遠征許可証とX地区までのシェルター立入許可証を得た。これで、いつでも調査へ出ることができる。あとは、携行品や食料の準備をして出よう。…其方は?」

    「……。」

    ルキノは再び唖の様に振る舞い、最初にフレデリックにした様に会釈をした。

    「彼はルキノ…ルキノ・ドゥルギだ。見ての通り銀糸病原体に侵されてるように見えるが、代表曰く"共存"してるとのことだ。共存の代償として声が出ないそうだが、彼は生物学者だ。私と君も知識は乏しい。彼の知識量は我々の足りない点を補ってくれるだろう。」

    「そうか。…それは頼もしいな。よろしく頼むよ、ドゥルギ。」

    ルキノになんの躊躇いもなく手を差し出す戚十一。
    そして、その細い手のひらを、一回り大きな手でルキノは握った。

    フレデリックからすれば手袋越しとは言え、感染した者の手など触りたくもない。戚十一の度胸に尊敬を越して自身がズレてるのかと感じられた。

    「よし、早速調査について会議を行うとしよう。」

    自分のそんな迷いをかき消す様に、フレデリックは口に開き地図を開いた。そして、3人で地図を囲む様に立ち、何日を目処に調査するのか、どのルートでX地区のシェルターへ向かうのか。

    犠牲者が出た時はどうするか。

    時計が12の数字を指すまで彼らは話し続けた。




    第一章

    「クレイバーグさん、本当に気をつけるんだよ。」

    「あんた達は英雄だよ。まだ成果を出してないけれど。」

    「外に出るなんて本当に変わり者だ。」

    シェルターの人々の言葉が方々から聞こえてくる。
    皆、初めての調査隊の出発に心躍らせ、希望を抱く者、あるいは最初から期待はせず、我々を否定する者と、様々な声が聞こえた。

    「無事帰ってくる様に。」

    そんな中で調査機関代表のジェルムは、極めて冷静に私達に言った。そして一人ずつ握手をする。

    シェルター内の人々はジェルムに盲信的な信仰を抱いてるかの様に、ジェルムの一挙一動に悲鳴に近しい熱狂の声を上げる。


    (うるさいな)

    そんなことを思いながら、拍手や歓声を背に我々は外へと出た。

    外へ出れば、その歓声や拍手を忘れるほどに重苦しい鈍色をしていた。

    書物によれば、かつて空は青色だったと言うが、銀糸病原体が蔓延してからは空は銀糸病原体が空を覆い、光を一切通さなくなって今の空が存在するのだという。

    「皆、私から離れない様に。」

    私は音叉の形をした銀の計測機と棒を触れ合わせた。

    これは銀糸病原体の濃度を周波数で感じ取るための、言わば我々にとっての"生命線"の様な者だった。

    ガスマスクがあるからと言って呑気に散歩すれば、その銀糸病原体の濃度の高い場所へ到達してしまったが最後、ガスマスクがその濃度の高さに耐えきれず病原体に感染するリスクが高くなる。

    時間経過によって濃度の高さや、その高濃度エリアの位置は変わるが、この探知機があれば問題なく判断ができる。

    とはいえ、私が見た過去の調査記録と比べれば幾分か高濃度エリアが減少してる様にも思えた。
    あるいはこの機械が時代遅れなのか。
    そう考えれば"問題なく"という言葉は不適切なものと考えられる。

    羅針盤を頼りにしながら目標のX地区のシェルターへ向かう。
    X地区は当地区よりかつての文明の名残が残っているそうだ。そして初代の調査記録曰く、病原体の発生地は<X地区>であると考えられている。


    だからこそ我々の目標地点をX地区のシェルターとし、其処をベースキャンプとして早くて数年。下手すれば終生を迎えることになるかもしれない。
    成果を残せないまま人生の幕を閉じるのは避けたい、できるならばこの病原体と人類の因縁を終わらせたい。

    X地区までに中間地区のシェルターが存在しており、X地区のシェルターに到達するまでは、各地のシェルターを転々としながら調査記録をすることとなっている。
    初代は大規模の調査をすることなく終生を迎え、2代目はX地区を目指す途中で消息を絶った。
    つまりX地区の調査自体は我々3代目が初であり、X地区は未到の地であるということだ。

    …いや、数十年経った今、X地区以外ももはや未到の地と言えるだろう。
    何度目ともなるが、調査記録に比べて菌糸に犯された箇所が多い。

    「!」

    自身より大きく歩みを進めたドゥルギが手を横に差し出し私の歩みを制止する。

    「どうした、ドゥルギ。」

    その問いかけにしぃ、とガスマスク越しに指を口元まで持っていき、彼自身が手に持つペンライトを向こう側へとやった。

    そこには病原体と共存進化を遂げた生命体がいた。

    肉体は鹿だが、すでに頭は菌糸に侵されて腐敗したかの様な見るに耐えない形状をしている生命体は、恐らく眠りについているのであろう、我々には気づいていなかった。

    調査機関での研究の結果、病原体には凶暴性を助長させる作用があるようで、この生物も起きればどうなるかなど想像が容易につく。むしろ、ドゥルギが凶暴性を見せない事自体が異例と言うべきだろうか。あるいは生物の中で理性という鎖を持つ人間だからこそ、成せる適応なのだろうか。

    (とはいえ、目を凝らしたとてペンライトなしでは気付けない距離だろう。)

    彼の視力の良さもまた適応結果なのだろう。

    「このルートのシェルターは諦めて別ルートから行こう。」

    「なかなか堪えるものだな。」

    私がそう言うと、戚十一がそうポツリと呟いた。しかし、彼女の言葉尻はどこか笑みを含むもので、おそらくジョークの一環であると考えられた。

    「この程度で弱音を吐いていたら、私達も眠っていた生物の仲間入りをするかもな。」

    ドゥルギは肩をすくめて反応を示した。
    今はこうして余裕を見せているが、調査は始まってすらいない。
    これからが本番なのだ。





    各地のシェルターを転々として、ようやくX地区を目前としていた。

    目標地点へ到着するまでに、1ヶ月という時間を要した。ここまで来るのに犠牲者が出なかったこと自体奇跡とも言えるだろう。

    しかし、その代わりと言ってはなんだがまだこれと言って明確な調査の記録を残せていない。
    というのも、先代の調査の記録となんら変わらないのだ。

    X地区に至るまでのシェルターには研究機関がない。あるのは、どこも病原体に感染していない食料用の養殖場と病原感染した人を隔離する施設くらいだった。
    ドゥルギの扱いは基本一般人と同じだが、時には病原感染者隔離施設で就寝させられることもあった。
    酷い時には、感染者にやるものはないと食事を与えられないこともあった。

    そう言った時には我々が隔離施設へ出向き、食糧を分け与えて、空腹を凌ぎながら次の目的地へ向かった。

    そうして調査を続けながらドゥルギと戚十一と共に行動をしているが、一向にドゥルギの素顔を見たことはなかった。

    知的好奇心が働かないわけではないが、無理な詮索をするのも失礼なものだろうと今に至る。

    (しかし、妙だ。)

    ジェルムはなぜ、唯一の適応者だったドゥルギを調査隊に入る許可を与えたのだろうか。

    私が代表であれば、彼を解剖なりなんなりして研究を進めているが…

    あの時の扱いもそれはまるで——

    「クレイバーグ、ドゥルギがこの道はやめた方がいいと言っている。」

    戚十一に声をかけられて我に帰り、ふと彼女らの方を見ると"止まれ。この道はよくない。"と書かれた紙を手に持つドゥルギがいた。

    「理由を説明できるか?」

    <先ほどから共存生物の数が増えている。おそらくこの先に巣がある。必然的に病原体濃度も高くなるだろう。>

    走り書きをしているからか、スペルミスが目に余る。
    私は濃度計測機を取り出して音を鳴らした。
    それと同時にドゥルギが、突然私に向かって手を伸ばした。

    「待て!」

    唖の振る舞いすらも忘れてそう話すドゥルギに、戚十一は驚きを見せた。

    そして私もそうだった。突然言われた二文字に動きを静止してしまう。

    「突然どうした。ドゥルギ——

    「クレイバーグ!後ろ!」

    戚十一が対共存生命体用の武器を手に持ち、呟いた。

    しまった。

    振り返った時、共存生物がすでに目前にいた。
    よりによって、X地区目前にして私は感染してしまうのだろうか。そんなことを思った瞬間視点が横になった。

    誰かに体当たりをされたのだ。

    「ぐッ…!」

    その与えられた衝撃の先を見れば、正体はドゥルギだった。彼は左肩の防護服は裂けて赤黒い血と青白い肌を晒していた。

    彼の拳が一度その共存生物の顔にぶつけられれば、共存生物の体はよろめき、ドゥルギは迷いなく携行していたガスバーナーを取り出してその顔面に噴射した。

    きゅうぃ、と、まるで金属音の様な音を立てれば共存生物は倒れてしまった。

    …まて、この音は聞いたことがある。

    「走るぞ、クレイバーグ!戚十一!」

    ドゥルギがそう言って、迷いなく走り出す。
    我々もつられて走り出した。
    何故ならその鳴き声につられて共存生物たちがこちらに向かい始めたのだ。

    ドゥルギは走りながら火炎瓶に火をつけ、共存生物の足止めをした。
    共存生物は火に弱いのか、そんな調査記録も、研究結果も聞いたことがない。
    何より、ドゥルギは大丈夫なのだろうか。


    二章


    X地区のシェルターに辿り着いた。ドゥルギは自ら望んで一晩は感染者隔離施設にて過ごすことを選んだ。
    X地区に辿り着くと、そこにはメスマーという女性がいた。どうやら、X地区シェルターの所長の指示でエミールという男性と共に我々とX地区の調査をする様に言われた様だ。

    エミールという男はX地区の感染者隔離施設に収容されているらしい。

    感染者隔離施設というのはどこも今となっては収容者がいない。何故なら外に出るものがいなければ、菌を持ち帰る者もいないからだ。

    しかし、エミールはこの十数年の中で、唯一好奇心から外へ出てしまったようだった。

    おそらく所長も、扱いきれず"厄介払い"のために外へ放流することを選んだのだろう。

    感染者隔離施設にまでわざわざ食事を運ぶということはその際に病原体を持ち込むリスクがあるということだ。
    シェルター出入り口には病原体を取り払うバイオセーフティーが存在するが、もし食事を運んだ人間がエミールに襲われたとしたら…?

    銀糸病原体は感染者が死んだ際に一際濃い病原体のガスを放って死ぬという結果が出ている。
    下手に処理もできない。

    そう考えた結果なのだろう。他所のシェルターから来た人間など感染して外で野垂れ死んでもかまわないからこその押し付けであることは推測できる。それだけでなく、メスマーはエミールと恋愛関係にあるように見える。おそらく彼を放って置けず自身も調査隊に名乗り出たのだろう。

    心理学者であるメスマーはエミールに催眠をかけることで、感染者特有の凶暴性を抑えることができるらしい。それもまた理由の一つなのだろうか。

    扉越しに彼に軽い挨拶を済ませれば、私はまた別の扉の前へと立った。

    「入るといい。」

    ノックする前から、投げかけられた声にフレデリックはドアノブに手をかけて開いた。
    ドゥルギはタンクトップ姿で、怪我をした左肩はおそらく逃走の際に止血の為に火で炙ったのだろう。痛々しい火傷へと変わっていた。
    あの時、私が計測機を鳴らさなければ。

    そう、あの時の共存生物が挙げた鳴き声と計測機の音は酷似していた。
    共存生物はどうやらあの周波数を感じ取りやすいらしく、仲間の危機だと思い込み駆け込んできたのだ。

    「すまない、私のせいだ。」

    「いや、いいんだ。私も説明不足だった。2代目の調査記録を見ての憶測だったから、伝えるか悩んだんだ。」

    「私を庇う必要はなかっただろう。あと少しでお前は死ぬところだった。」

    「いいや、私は病原体と適応している。怪我をするならば私の方がよほどいいだろう。」

    「……。」

    「それに、一人で研究していた試験品が病原体に効果があると知った。結果は十分だ。」

    ドゥルギは試験品と呼ぶガスバーナーを愛おしそうに撫でた。

    「そのガスバーナーは一体なんなんだ?研究結果には病原体は灼熱の火で炙っても変化は見られなかったとあったが。」

    「その研究結果は嘘だ。…代表であるジェルムは嘘をついている。そのことについては今はまだ推測の限りで話せないが…いつか、話そう。」

    ガスマスク越しに表情を読み取ることはできなかったが、声色からしてドゥルギは真剣だった。何か話せない理由があるのだろう。無理に話を聞き出そうとしたところで、この男は確実に話さない。

    1ヶ月過ごした中でこの男の性格はなんとなくわかる様になっていた。

    最初こそ自己中心的に思えたこの男は誰よりも調査隊のことを思っており、

    誰よりも病原体に対しての想いが強かった。

    「…なぜ、愛していると断言した病原体を滅ぼそうと考えている調査隊に入ったんだ。」

    「…愛しているとも。愛しているが、人類は生きるべきだ。生き延びるだけの生活は…私も正直うんざりだ。なら、取捨選択をするべきなんだよ。私は病原体を愛しているが、それと同時に青い空に恋焦がれている。私が生まれる数年前には存在していた青い空。…澄んだ空気。今研究機関にて保護されてる生物たちが外を歩く光景を見たい。
    人類は滅びるべきなのかも知れないが、我々が人類である以上出来る限りのことをして生き延びるのが生命の道理だ。
    何より、」

    「?」

    「いいや、なんでもないよ。」

    不思議と、ドゥルギがガスマスク越しに優しく笑いかけてくれた様な気がした。







    それから、調査隊の数が増えた事で調査チームを分ける事に決めた。

    ドゥルギを副隊長とし、エミールとメスマーを指揮することを任命した。

    「やれやれ、これじゃ自由に調査ができないな。」と笑うドゥルギを見て、呆れを通り越して尊敬すら覚えてしまった。

    あれからというものの、ドゥルギは唖のふりをすることをやめた。そうすれば必然的にドゥルギは周囲とコミュニケーションを取り始める。

    彼は言葉少なではあるが、社交性があり、すぐに周囲に馴染んだ。

    その姿を見て、私は最初こそは私の前でしか話さなかったのにと、考えてしまう様になった。



    X地区の調査を本格的に始めてから数日が経った。

    X地区は確かにかつての文明が色濃く残っており、摩天楼は菌糸に侵されて、異様な建造物となっていた。

    新たな発見はなく、探しあぐねていた私と戚十一はこの摩天楼の中へと入るか悩んでいた。

    未知の領域、この中に新たな情報があるかもしれない。
    しかし、計測機は危険信号を出している。
    戚十一は指示を待っていて、私は決断を余儀なくされた。
    やはり、チーム分けをするべきではなかった。

    きっと、ドゥルギならば進言をくれただろう。
    ドゥルギさえいれば何も怖くなかっただろう。
    彼は私にとって心強い存在になっていた。
    いつだって彼は私の気持ちに寄り添い、否定はせずに受け止めてくれた。

    初めて会った時の彼に対する偏見も、調査をするにあたっての不安も、病原体に対する憎しみも。

    彼がそばにいてくれたなら、私はこの状況下も迷い無く判断ができた。

    「…」

    「よし、進もう——」

    「クレイバーグ!危ない!」

    歩みを進めた私の前に立ち塞がったのは、人の形状をした菌糸。

    いや、人そのものだった。

    私はそのまま、人型のそれに押し倒され、おそらく

    噛まれた。

    勢いよく倒れたせいで脳震盪を起こしたのか、意識が朦朧としている。

    戚十一が必死に何かを叫んでいる。

    誰かが駆け寄る足音が聞こえて、私の意識はそこで途絶えた。



    三章


    目を覚ますと、手入れされず埃が氷柱のように、糸を垂らしている天井が視界に入った。

    ゆっくりと身体を起き上がらせて周囲を見渡すとそこは感染者隔離施設であることが分かった。

    「起きたかね」

    ドゥルギの問いかけに「ああ」と答えた。
    彼は病原体によってわずかに変形をした手で、私の手を優しく握り続けていたのだろう。手汗でわずかに湿っていた。

    その手を見ると違和感を覚えた。

    「なぜ、感染者の症状が出ていないんだ。」

    右腕の痛みからして、私は確かに右腕を噛まれたことがわかる。
    ならば右腕はすでに銀糸病原体の感染者特有の青白い肌と菌糸が浮いていてもおかしくないのだ。

    なのに、私は<健康体>と何ら変わらない状態だった。

    「血清療法だ。私の血清を使い、君の体内に抗体を作り上げた。試験品にも私の血液サンプルから取った抗原を利用して、共存生物に反応があったから…可能性を信じた。」

    「……つまり、私は感染したが…治ったのか。」

    「ああ、おそらくエミールほど進行が進んでいたら治らなかったが、早期だったから血清治療が上手く行った。これは進歩だ。ようやく私達は銀糸病原体に対抗する術を」

    「こわかった。」

    「…」

    「こわかったんだ。」

    「そうか。」

    安堵から、私は思わずドゥルギを抱きしめていた。
    生物学者でありながら逞しい身体を持つ彼の体は硬く、そんな彼の武骨な手が私の細い背中に触れる。

    「私もね、怖かったんだ。」

    「君がいなくなってしまうのが、怖かったんだよ。」

    一つ一つの言葉を丁寧に話しながら、子供の様に背を撫でる彼に私は彼の優しさと、その中に隠れる感情を理解し始めた。

    「君と出会って、君と言葉を交わして、君と過ごして、私は初めて人なんだと実感した。

    私は…ある日、青い空が知りたくなった。
    私は本来の世界が知りたかった。
    そんな好奇心のままに外へ出てしまった。そんなはずはないのに青い空が見えて、私はガスマスクを外した。そして、私は銀糸病原体に感染した…はずだった。


    私は銀糸病原体と適応し、その日から私以外の人間を見下していた。
    私は一歩を踏み出した。だからこそ新たな世界に立っているのだと。
    彼らは新たな知見を得ることに怯えているのだと。未知を知る事に怯えているのだと。

    だが恐怖という感情こそが未知の正体であり、未知を知ればその恐怖を克服することができるのに、と。

    でもね、違ったんだ。
    私はただの愚か者だった。神の気まぐれで生かされているにすぎない。
    恐怖なんて克服できてなかったし、むしろ…私はますます臆病者になったと思う。

    なんせ、君がいなくなるかもしれない現実に直面した時、何もかもを投げ出して君と共に死のうと思ったほどだ。」

    「まるで、恋をしてるようだな。」

    「そうだよ、君に恋してる。」

    ガスマスク越しに告げられた言葉はあまりにも、目が覚めたばかりの私にとって理解が追いつかないものだった。

    夢なのではないだろうか、菌糸に覆われたこの世界で、私は幸せを得ていいのだろうか。

    「それなら、お互い価値観を持ってるという事だな。」

    「それはつまり?」

    「お前と隣り合わせがいい。」

    「可愛いことを言う。」

    ドゥルギはガスマスク越しに額を擦り合わせて、愛おしそうに笑う声を漏らした。

    「なあ、ドゥルギ。」

    「どうしたんだ、クレイバーグ」

    「もし、この世界が変わったら——」

    「クレイバーグ!二代目調査隊の調査記録が新たに!」

    「「…」」

    「取り込み中だったか、すまない。だが、二代目調査隊の新たな調査記録が見つかった。

    調査隊はX地区に到達していたんだ。たった一人だけ。」




    調査記録によると、彼らはX地区へ向かう際に車というかつての文明の乗り物を使って迷った際に<大穴の地>に辿り着いたそうだ。

    摩天楼を目印に西へ向かった先にあり、その大穴の地こそがこの銀糸病原体の<発生源>であると、この調査隊の一人は仮定した。

    そこで彼らが見たものは巨大な生命体。

    他の調査隊はその異形の生命体を見て、ガスマスクを外して感染。

    その調査隊もその生命体に圧倒され、感染してしまったが、本来の目的を思い出してX地区まで向かった。

    しかし自身の時間が残されていない事に気づき、その場で記録を残した。


    あの巨大な生命体に抗う術はたった一つ。X地区シェルターにある軍事兵器のみだろうと。

    我々は手順を間違えてしまった。

    後悔の念と共に、最後に書き記された名は「ルチアーノ」。

    ルチアーノの書き残した記述は奇しくも現メンバーとポジションが同じで、数奇な運命すら感じられた。


    何より巨大な生命体など、私たちが敵うのだろうか。

    そんな不安を胸に抱いた時、ドゥルギはすぐさま立ち上がった。


    「ドゥルギ、どこへ行くんだ。」

    「X地区シェルターの所長に軍事兵器の使用許可をもらえないか掛け合ってくる。」

    「私も行こう。」








    「すまないが、研究機関代表のジェルムからは軍事兵器の使用許可を下さない様に言われているんだ。」

    「何故だ。この調査記録を見れば軍事兵器が必要なことは一目瞭然だろう。」

    「しかし、代表から言われてる限りはね。」

    所長の言葉にドゥルギは「やはりか」と声を漏らしたような気がした。

    「彼は代表としての立場に心酔している。自分を神格化して心地良くなっているのだろう。銀糸病原体がなくなれば、機関も解体する事になる。彼はそれを避けたいのだろう。

    所長、君はこのまま彼の共犯者になりたいかね。それとも我々と共に英雄になりたいかね。」


    ドゥルギが、代表であるジェルムを避けていた理由がなんと無くわかった。
    そして、彼が何故厄介払いをする様にドゥルギを調査隊に任命したのか。

    それはドゥルギが"適応者"だったからだ。彼を研究すれば、銀糸病原体の治療法は少なからず見つかってしまう。

    そうなれば人々の銀糸病原体に対する恐怖心は薄れ、代表であるジェルムへの盲信的な心酔が薄れてしまう。

    ドゥルギが言った"新たな知見を得ることに怯えている"者というのはジェルムのことだったのだろう。


    「…わかった。」


    「よし、そうと決まれば作戦会議を始めよう。」







    作戦といっても、我々はその生命体を知っているわけではない。

    ルチアーノの記述によれば生命体には黒いコアがあり、そこから銀糸病原体を発生させていることだけ。

    我々は軍事兵器を大穴に運び、そのコアに向けて集中砲火をし、一か八かを狙う大博打に出ることとなった。

    ドゥルギは期間を設けてほしいと、X地区の研究機関とともにジェルムには秘密裏に自身の抗体を調査した。もちろん、私自身も抗体を持ったことで研究に協力する事になったが、その期間はX地区に到着する期間よりも掛かった。


    そして、作戦決行の日が訪れた。


    いつの間にか車の運転技術を身につけていたドゥルギは、調査隊と軍事兵器を運び大穴の地へと向かった。


    車を出る前に、心理学者であるメスマーからこれから起こる出来事に備えて、エミールだけで無く我々にも衝動に駆られない様<催眠>をかけてもらった。

    巨大な生命体に出会ったことで恐怖心を超越した感情を抱いた彼らが、ガスマスクを外して全滅したことから、おそらく我々もそのリスクが高いと考え、自制心を保つために催眠をすることを選んだ。

    最後にメスマー自身も自身に催眠をかけて、準備が整ったならば大穴の地へと踏み入れた。

    そこは完全に菌糸に覆われており、妙な肌寒さが我々の恐怖心を煽った。


    「ありえない。こんなの。」


    メスマーはポツリと呟いた。

    確かにこの空間は現実離れしているように思えた。
    しかし、今更怖気付いて逃げるわけにもいかない。


    我々は最深部へ向かった。そこには確かに黒く蠢くコアを露わにした巨大な生命体がいた。巨大な生命体はすでにこの土地と一体になっているのか、半身のみが地面から剥き出しており、それはまるで<外から>来たのでは無く、<元から>此処にいたかのように思えた。

    忍び寄る菌糸をドゥルギがピストルで弾き、戚十一が火炎放射器で炙った。

    私はコアに向けてRPGを向けるが一抹の不安を抱く。

    この巨大なコアをたった一発でどうにかできるのか?

    このRPGのロケット先端部には抗原が入っており、これはこの数ヶ月の研究の成果だった。

    研究の結果重度の感染をしていたエミールを治すことができたし、共存生物を弾丸一発で殺すこともできた。


    「大丈夫だ。」

    ドゥルギの言葉に背中を押され、私はコアに向けて引き金を引いた。

    そして、ロケットは噴出されて、音を立てることなくコアはロケットを飲み込んだ。

    やがて地鳴りが始まり、菌糸たちの動きが過敏になり始めた。


    「早く此処から出るぞ!」


    私は速やかに指示を下してその場を後にした。







    最終章






    あれからというもの、X地区の所長の証言により、ジェルムの信頼はなくなり、ドゥルギが調査機関の代表として指揮を回すこととなった。


    大穴の地の生命体が生き絶えた事により病原体の濃度は薄くなり、病原体そのものが無くなるのに5年という時を費やした。

    「もう君も30代か。」

    ドゥルギは笑いながらコップを左手に取った。彼はその後、病原体の治療をした結果右手の握力が著しく低下してしまい、一人での生活が困難になってしまった。

    「時間の流れは早いものだ。…だが、有意義なものだった。」

    空は青く澄み渡っており、あたり一面緑に生い茂っていた。

    「これからも有意義なものになるだろう。まだ人類の復興の途中なのだから。とはいえ、今となっては私は足手纏いだが。」

    「いや、お前は英雄だ。ルキノ。」

    「それは君もだろう。フレデリック。あの調査隊は皆優秀だった。あのメンバーでなければ確実にこの青空を拝むことはできなかった。」

    ドゥルギは、ぼふりと芝生に倒れ込んで呟いた。

    私は隣に座って、後遺症として皮膚に色素異常が発生している彼の頬を撫でた。


    「私は、お前がいなければ頑張れなかったと思う。

    私も結局臆病者だった。それを鼓舞してくれるお前は本当に心強く、頼もしかった。

    それは他のメンバーもそう考えているだろう。」

    「…そうか。素直に気持ちは受け取ろう。

    ただ、私も君のおかげで頑張れたのだよ。

    こうして君と二人で青空を見るために。」


    ゆっくりと起き上がったドゥルギは、その右手を伸ばした、やさしく触れる手はわずかに震えており、私はその手を取り己の頬に触れさせた。

    「…これからは私が支えるから、」

    「ありがとう、フレデリック。」

    ドゥルギは優しく微笑み、こちらは顔を寄せた。

    ゆぅっくり、ゆぅっくりと。

    呼吸が触れ合う感覚すらも愛おしく感じられて、私はそのまま甘受するように目を閉じた。

    触れ合う唇はわずかにカサついていてくすぐったさを感じながら、唇を何度も重ね合わせた。

    ああ、このまま時が止まってしまったって構わないのに。

    そんな甘ったるい気持ちを抱えながら彼の背中に手を這わせた。

    「取り込み中失礼。5年経ったいま、記者があの調査隊の活動をどう考えているのかインタビューをしたいらしい。」

    「「…」」

    戚十一が気まずそうに声をかけた。

    気まずくなるくらいならばもう少し時間をおいて話しかけてくれればいいのに、彼女のそういった正直なところは5年経ったいまでも変わっていない。

    「なら、続きはインタビューの後だな。」

    「それは、どういう、」

    「さあ。」

    わずかに頬を赤く染めるドゥルギの唇に人差し指をやった。
    戚十一が複雑そうな表情をしていることには気付かぬふりで我々は再び調査隊としてインタビューを受けに向かった。
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