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    kasi_gi

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    kasi_gi

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    アーロン過去捏造長編小説の冒頭部分。ほぼ推敲していないので支部に乗せる時に加筆修正します。オリキャラ多発、全てが妄想/捏造です。

    青波を往く(冒頭部分) 巨大な翼を広げて魔獣が鋭い鳴き声を上げる。鋭いくちばしの届かないぎりぎりの距離を保ちながら少年は根気強く語りかけた。
    「落ち着いてくれないか。君はどうして――」
     少年の言葉を遮り、魔獣は翼を打ち鳴らす。大気を操る力が竜巻のような大風を巻き起こし、煽られた少年が後ろへひっくり返った。遠巻きに見守っていた村人たちも暴風を受けて悲鳴を上げる。
     村人たちの前に立ちはだかるのは近くの森に住む魔獣の一種で、オニドリルと呼ばれる非常に気性の荒い生き物だった。村に野生の魔獣が入ってくることはほとんどないのだが、今朝早くに突然一羽のオニドリルが降り立ち、村の中心にある井戸に陣取ったまま離れようとしなくなってしまったのだ。村人の生活に無くてはならない井戸であるが使うどころか近づけもしない。寄ろうとすれば容赦なく激しい風を起こしくちばしを突き出してくる。
     もう良いよアーロン、と後ろから村人の声がする。
    「領主様に討伐をお願いしよう。魔獣使いでもなければ手に負えない」
    「もう少し待って下さい!」
     村人を制して少年――アーロンは眼の前の獣に集中する。今は怒りが強すぎて覆い隠されているが、もう少しその中の心が分かればなんとかなるような気がしたのだ。
     オニドリルの目線が一瞬井戸を見た瞬間、それを確かに感じ取る。魔獣の中に巻き起こる怒り、恐怖、不安――そして合間から見える、誰かを案じる想い。
     アーロンは目を見開いた。
    「……もしかして、井戸に何か……居る?」
     こちらを睨むオニドリルは何も語らない。魔獣と言葉を交わすことはできないが、必死に自分の足元を守ろうとする仕草を見て確信する。そこにはとても大切なものがいる。
    「分かった、中を見てくるよ。だから通しておくれ」
     近づこうとすれば当然のように威嚇される。アーロンは魔獣の目を見つめた。視線を合わせる行為は人間以外の生物にとっては敵意を表す手段だが、アーロンは自分の場合はこの方が意図が伝わりやすいことを知っていた。
     呼吸を務めて穏やかに、心を凪に。言葉ではなく精神の状態をそのまま届けるような気持ちで瞳の奥をじっと見る。誰も傷つけない。助けたい。信じてくれないか。
     毎回うまくいくわけではなかった。しかし暫し視線を交わし合った後、オニドリルはあれほどしがみついて離れなかった井戸からそっと足を放し、ばさりと翼をはばたかせ近くの木の枝に降り立った。アーロンを見下ろす目は、おかしなことをすればすぐに顔を貫いてやるとばかりの鋭さのままではあったが。
    「ありがとう」
     村人がこわごわといった様子で投げてくれたロープを結んで井戸の中へと降りていく。日中とは言え井戸の中にまで日は差さず、少し降りただけで視界はほとんどなくなった。普通の人間なら何かを探すどころの話ではない。しかしアーロンは落ち着いたまま――目を閉じた。
     視界が瞬時に切り替わった。暗闇で閉ざされていた世界に鮮やかな波が煌めき出す。井戸の内側の壁も、ロープを握った手元も、全てが自ら光を発しているようにはっきりと『見』えていた。
     目線を動かすように意識を下へ向ければ、魔獣が気にかけていた存在が視界にはっきりと浮かび上がった。小さな獣が二匹、水の上で体をバタつかせている。水面まで辿り着いたアーロンは迷うことなく二つの命を片腕に抱えた。
    「よく頑張ったな」
     ピィ、と驚いたように鳴くかれらを落とさぬように気をつけつつ、アーロンは上にいるはずの村人たちにロープを引っ張ってもらえるかと声をかけてみる。しばらく待ったが返答はない。
    (……仕方ないか)
     自力で登ろうと覚悟を決めた瞬間、ぐんとロープが引っ張られた。かなりの勢いで上がっていくロープに振り落とされないようにしがみついていると、アーロンの体はすぐに井戸の縁まで辿り着いた。
     凄まじい力でロープを引っ張り上げたのはオニドリルだった。上がってきた姿を見るや鋭い声を上げてこちらへ向かってくる。さすがにひやりとしたが、その声に答えたのは腕の中の小さな命たち――オニスズメと呼ばれる二羽の魔獣だった。ずぶ濡れの体で甘えるように鳴きながら、迎えに来た大きな翼に飛び込んでいく。
     オニドリルはくちばしで器用に二羽の子を挟み込み、アーロンを見やり喉の奥でクルルと柔らかく鳴いた。そして翼を広げ、砂煙を残して飛び去って行った。
     はあ、と息をついてその姿を見送る。気づけば村人たちがおずおずと寄ってきた。
    「あ、ありがとうね。でも、あんたやっぱり……魔獣と話せるのかい? どうして子どもが落ちたとわかったんだね?」
    「井戸の中……見えたのか? 目が良いんだな……灯りが必要なら言ってくれればよかったんだぞ」
     その全てに曖昧に笑うことで答えた。偶然です、ただの勘です。ロープを引き上げてほしいと言った時に助けてくれなかったことを責めたりなんかしないし、仮に灯りを求めても同じことになっただけだろうとも言わない。
     彼らの言葉と心がちっとも噛み合っていないのだから、言葉を真に受けたって仕方がないのだ。表面上は心配して感謝していても、本心は恐れや嫌悪、得体のしれないものを気味悪がるドロリとした感情を纏っている。アーロンには全て分かってしまう。
     少し疲れたのでと言ってアーロンはその場を離れた。
     村のはずれに生えている一本の木の側へ行き、背中を預けて座り込む。何も見たくなくて目を閉じても、視界に広がるのは闇ではなく誰にも理解されない色とりどりの揺らめきの世界だ。
     
     どうして、こんなものが見えてしまうんだろう。
     どうして、人の心が分かってしまうんだろう。
     どうして――僕は他の人と違うんだろう。
     
     教えてくれる人は、少なくとも側にはいなかった。
     
     ■■■
     
     アーロンはこの村で生まれた人間ではない。
     幼い頃に故郷の村が戦に巻き込まれて両親を亡くし、通りかかった旅人に拾われてこの村に預けられた――というのが、物心ついた時に育ての村人から聞いた話だった。正確な歳も分からないが、村にやってきたのが三つか四つくらいの頃だったと言うから、今は大体十三か十四歳なのだろう。
     戦争に巻き込まれた時のことを含めて当時の記憶はほとんど残っていない。両親の顔すら覚えていないが、とにかく辺りが酷く熱くて恐ろしかったことと、誰かに手を差し伸べられたような記憶だけは薄っすらと残っていた。心を守るために自ら記憶を閉ざしてしまったのかもしれない。
     生まれた場所が違うということ以外は、アーロンは他の村人と同じだった。村には穏やかな人が多く、孤児であることを理由に差別してくる者もいない。おかげでアーロンはそれなりに活発で健やかな少年として成長することができた。本当の親がいないことを時折寂しく思わなくもなかったが、育ての親も友人もいてくれる。
     
     何も問題はなかったのだ――今の悩みの種である「不思議な力」が目覚めるまでは。
     
     四年前のある夜が全ての始まりだった。いつものようにアーロンが寝床に入り目を瞑った瞬間、世界は完全に変わってしまったのだ。
     慣れ親しんだ真っ暗な闇ではなく、まるでぱっと明かりを灯したかのように、部屋の様子が色とりどりの光の揺らめきとして「見えて」いた。机も椅子も壁も、何もかもが自ら波のような光を発しているのだ。自分や他の家族までも体から燃えるような揺らめきを立ち上らせている。
     悲鳴を上げて家族を仰天させ、夜にも関わらず隣村の医者まで走らせてしまったが原因は分からず、疲れか何かで幻覚を見ているのだろうと言われた。しかししばらく様子を見ていても症状が収まる気配はない。
     会う人会う人に相談したが、結局分かったのはこの不思議な世界は誰にも見えないということだけだった。目を開ければ普通の景色、閉じれば揺らめく光の景色では視界の休まる暇がなく、アーロンはしばらく不眠と精神的な疲れに悩まされた。
     その頃から少しずつ、家族を含めた村人たちの己を見る目が変わっていったように思う。今までは村の生まれでないことを理由に態度を変えられることはなかったのに、その出来事をきっかけに何となく「余所者」という空気を纏って接してくるような感覚があった。
     
     その感覚はやがて確信に変わる。何故ならば、二つ目の異常が時を待たずに訪れたからだ。
     
     最初は小さな違和感だった。仲の良いお喋りな友人と話していた時のこと。いつもならその場の勢いで楽しく会話できるのに、彼の話を聞いていると不思議とずっとボタンをかけ違えているような気持ち悪さが拭えなかった。何だか友人の言葉とその奥にあるものがズレているような感覚がある。
     だからつい聞いてしまったのだ。「それ、本当のこと?」と。
     友人は目を見開いた。なんでそんなこと聞くの、と言う彼から突然それは流れ込んできた。見えたのではなく聞こえたのでもなく、ただ感じたのだ。
     
    (なんで)(こわい)(きもちわるい)(こわい)
     
     アーロン自身が思ったことでは絶対になかった。感情が二つに重なるような気持ち悪さにぐらりと視界が揺れ思わず目を押さえる。どうしたの、と言われるが首を振るしかなかった。
     他人の心を読んでしまった? 馬鹿な! しかしそれ以外に説明のしようがない。彼との会話に違和感があったのも、表面的な言葉と内面の感情にズレを感じてしまったからだ。それが結果的に嘘を見破るようなかたちになってしまったのだろう。
     自分以外の負の感情を流し込まれる感覚に吐きそうになりつつなんとか誤魔化し、体調が優れないと言って別れた。しかし友人は決定的に異質さを感じとったらしい。そのお喋りで話を盛りつつすぐに他の友人や大人たちにそのことを広め、アーロンは瞬く間に遠巻きにされるようになってしまった。
     村の中で取り立てて理不尽な扱いを受けることはなく、育ての親も変わらず家にいさせてくれる。声をかければ無視をする人はいない。ただ、自ら近付こうとはしてこないし用が終わればさっさと立ち去ってしまう。突然訪れた孤独は、体の異常に苦しむ心に激しく追い打ちをかけた。
     何故、と問い詰めたい気持ちで一杯だった。僕がなにか悪いことをしたのか、僕だってこんなもの見たくもないし知りたくもないのだと。だが言葉は出なかった。相手の前に立てば問い詰めるまでもなく、瞬間的になだれ込んでくる感情が全部教えてくれるから。
     怖いからだ。不安だからだ。自分たちとは違うから、近づきたくないのだ。それが全ての答えだった。
     やがてアーロンは自ら一人を好むようになった。ある程度離れれば感情は届かない。知りたくないものを知らないためには元から距離を取るしかなかったのだ。
     でも、本当は人と一緒にいるのが好きだった。ずっとそうやって生きてきたから、心に一つ大きな穴が空いたようだった。
     
     やがてアーロンの心の穴を埋めるようになったのは、魔獣の存在だった。
     
     火や水、大気などを操る特殊な力を持つ彼らは「魔の力を持つ獣」と称される。人と共存するものもいなくはないが、基本的に魔獣は人間にとっての脅威であった。別の村や国へ渡る時には盗賊などへの備えに加えて、野生の魔獣への対策もしなければ命の保証はない。
     専門の訓練を受けた「魔獣使い」と呼ばれる者たちが調教を施すことで、初めて脅威は頼もしい労働力となる。騎乗や荷引き用にポニータやギャロップなどの草食獣、野生の魔獣への対抗策としてガーディなどの見張り番のできる肉食獣が使われることが多かった。
     ただ魔獣使いは国内でも数が少なく、一度に何頭も調教することはできない。まず捕獲する手間が並大抵ではなく、年に何度か国を挙げて森や山狩りが行われるほどの大事となっている。そんな貴重な魔獣がそうそう身近に置けるはずもなく、国端の小さな村では、近隣の村と共有する農耕用の魔獣が数頭いれば良い方だった。
     
     アーロンが相手にしていたのはそのように飼い慣らされた獣ではなく、純然たる野生の魔獣であった。
     基本的に人里に野生の魔獣はいない。恐ろしい力を持つ彼らを入れぬよう様々な工夫が凝らされているためだ。ただ小さく素早い生き物は時折食べ物を求めて入り込んでくることがあった。
     小さいとはいえ人外の力を振るう生き物である。村人が総出で叩き出せれば御の字、どうにもならなければ領主に討伐のための人員を派遣してもらうことになっている。しかしアーロンの力があれば傷つけずに捕まえて外へ逃がしてやることもそう難しくはなかった。それを繰り返す中で段々外の魔獣との交流が増えていったのだ。
     人を避けた結果として村のはずれが定位置になっていたアーロンは、必然的に外の魔獣たちと出会う機会が増えた。一度捕まって逃されたのに懲りずにまた入り込もうとする獣も少なくない。彼らの侵入を阻みながら時間潰しがてらに遊び相手もするうち、やがて自然と懐かれるようになった。
     会話はできないしこちらの言葉もきっと正確に伝わってはいない。それでも相手の感情さえ分かれば心が通じる精度はより高くなる。誰も話し相手のいない中、アーロンにとって彼らの存在がどれだけ支えになったか言葉では言い表せなかった。
     
     獣と触れ合うアーロンの姿を遠巻きに見た人々は密やかに言い交わす。あれは魔獣が化けているのではないかと。アーロンはそれを聞くともなく理解する。本当にそうなら楽なのかもしれないと思う。
     魔獣のような異能を持つものが人の姿をとっている理由を、誰かに教えて欲しかった。
     
     ■■■
     
     木に体を預けながらいつの間にかうたた寝していたらしかった。遠くの方から人が会話する声が聞こえてふと意識が戻る。
     村の外の曲がり道から荷馬車が近づいてきていた。馬車を牽くのは二頭のギャロップ、その横に数人が連れ立って歩いている。年に何回か国を訪れる行商人だろう。国内の村や町を巡って品物を売ったり仕入れたりし、やがてまた別の国へ旅立っていく、アーロンの知らない世界をたくさん見ている人々だ。
     荷馬車が目の前に差し掛かり、ギャロップの手綱を取っていた中年の男がアーロンに笑いかけた。
    「こんにちは。この村の子かい?」
     はいと答えると、男は夫婦で旅をしながら行商をやっている者だと自己紹介した。後ろから妻と思われる女性が会釈する。彼らの感情に裏表は見えず、久しぶりに優しげな空気感に触れて少しほっとした。
     荷馬車の後ろには護衛のため雇われているという二人の男がついていた。どちらも歳は三十半ばというところだろうか。一人は体格が良く剣を携えたいかにも用心棒という風情で、目が合うとニッと笑いかけてきた。もう一人は細身に黒いマントを纏った無表情な男で、目立った武器は身に着けていない。用心棒と呼ぶには少々異質な感じがした。こちらの男とも一瞬目が合ったがすぐに逸らされた。
    「我々はこの国に来るのは初めてなんだ。もしかしたら掘り出し物があるかもしれないから、後でぜひ見て行ってくれよ」
     朗らかに告げた行商人は、それじゃあと手を上げて村の中へと歩き出す。アーロンは頭を下げて見送ろうとしたが、
    「あ」
     発するつもりのなかった声が出てしまった。行商人が不思議そうに振り返る。
    「どうかしたかい?」
    「――あ、えっと」
     一度発した声は取り消せない。アーロンはなるべく不自然にならないようにと頭を巡らせながら言葉を選んだ。
    「……すみません、余計なお世話だと思うのですが……左のギャロップ、もしかしてどこか怪我をしていませんか? 少しだけ歩き方が気になってしまって……」
     行商人が片眉を上げた。同時に流れてきた感情は訝しげというよりは驚きに近いようだ。
    「分かるのかい? いや、実は村の外で溝に前脚を突っ込んでしまってね。歩き方はおかしくなかったんでそのまま歩かせてきたんだが……見て分かるならやはり引きずっているのかなぁ」
     アーロンにもギャロップの歩き方自体には問題は無いように見えた。ただ目の前を通った時にふっと感じ取ったのだ。痛い、痛いという苦しみを必死に外に出さないように足を運んでいるのが分かって思わず声が出てしまった。なんと気丈なのだろう。
    「……結構、頑張り屋だったりします?」
    「ああ、言われてみれば……なあ、前にうっかり荷物を積みすぎた時もひとりで無理して牽こうとしてくれたよな」
     連れの女性もそうねと頷く。
     アーロンは改めてギャロップの纏う感情に焦点を当てた。痛みからくる不快さはあっても、周りの人間に対しての怒りや恐怖といった負の感情は見られない。少なくとも悪い意味で不調を隠そうとしているのでないことは分かった。
    (――お前は我慢強いんだな。でも無理しすぎたら逆に皆が悲しむぞ)
     話しかけるように澄んだ目を覗き込めば、通じたのかは分からないがギャロップはぶるると鼻を鳴らした。アーロンは行商人に向き直る。
    「……この子、皆さんに心配かけるのが嫌なのかもしれませんね。良かったら後で診てあげてください」
     やっぱり余計なお世話だなと思いながら告げる。変な目で見られるのは慣れっこだったからどうとでもなれという気持ちだったが、行商人は得心したような顔をして礼を言ってくれた。
    「我々の大切な足となってくれる仲間のことをもっと気にかけるべきだったな。この後すぐにきちんと手当てをしよう。教えてくれて本当にありがとう」
     左のギャロップから牽引用の金具が外され、代わりに行商人の男と体格が良い護衛の男が二人で馬車を牽く役に回る。君は獣の気持ちがわかる魔獣使いなのかい?と聞かれたが偶々ですと返した。
     それでは、と告げて今度こそ行商人の一行はアーロンの前を通り過ぎていく。先程のやり取りに何一つ興味のないという態度だった黒マントの男は、馬車の後ろから幽鬼のごとく付いていく。
     男は相変わらずの無表情であったが、アーロンの前を横切る瞬間に僅かに顔をこちらへ向けた。え、と思った瞬間――突然刺すような鋭い視線でアーロンを射貫いた。
    「ッ?!」
     本当に刺し殺されるのではないかと思ったがそれも一瞬だった。男は何事もなかったかのように再び覇気のない姿勢で一行のしんがりを歩き続け、やがてアーロンの視界から消えていった。
    (……なんだ、あれ)
     姿が見えなくなってからもアーロンの動悸は収まらなかった。
     理由も分からず睨まれたからというだけではない。目の前を通り過ぎたにも関わらず、黒衣の男からは――なんの感情も感じられなかったのだ。
     生きている人や獣を相手にすれば否応なく本心を感じ取ってしまうのが常なのに、無機物か何かかと疑うくらいに全く分からなかった。こんなことは力を得てから初めてだった。
    「本当に……生きてる人間なのか……?」
     独り言は誰に聞かれるでもなく、虚空に消えていった。
     
     
     
     村についた行商人たちは瞬く間に村人たちに取り囲まれた。
     生まれた土地から外に出ず一生を終えることも少なくない人々には、外からやってくる行商人が持ち込む品物や物珍しい話が何よりの娯楽である。大人も子どももワイワイと荷馬車に群がるさまをアーロンは遠巻きに眺めていた。
     アーロン自身も村の外に出る機会はほとんどない。もちろん興味はあったがあの賑わいの中に入っていけるほどの図太さは持っていなかった。行商人と目が合って手招きされても困ってしまうので静かにその場を離れる。
     また村近くの魔獣たちに会いに行くか――と思ったところで、先程のギャロップのことを思い出した。今は厩舎に繋がれているはずだ。少し様子を見るくらいなら怒られはしないだろう。
     そっと厩舎に近づくと、二頭のギャロップが藁の上に寝そべっていた。片方は前足に布を巻かれている。もう片方は負傷した片割れを案じて側に寄り添っているらしかった。しっかり手当をしてもらえたようで、出会った時より痛みは収まっている様子だったので胸をなでおろす。
     アーロンはしゃがみこんでギャロップを眺めた。怪我の処置をしてもらえたこと自体は良かったが、必死で不調を隠そうとしていたのに勝手に暴くことになってしまったのは申し訳ないとも思う。
    「……余計な世話だったら、ごめんな」
    「全くだ」
     答えは予想外に背後から聞こえた。ばっと振り返ると、黒衣を纏ったあの男が亡霊のように立っている。側に寄られた音も気配も感じられなかった。
    「人の管理するものに軽率に口を出すな。こちらにはこちらの都合がある」
     男は静かに柵の前に進み出て二頭の獣を見やる。やはり男の感情は見えず、無表情も相まって何を考えているのか分からない。アーロンは慎重に口を開く。
    「……すみません、気をつけます」
    「何に」
    「――は?」
     端的な言葉の意味がよく分からなかった。しかし続いた言葉にアーロンは絶句する。
    「何に気をつけるんだ。口を出さないことか、それとも次からは感情を勝手に読まないように、か?」
     ごく普通の調子で言われた普通でない言葉に頭がついていけなかった。舌が凍りついたようになってしまい言葉が出ない。この男、なぜ力のことを知っているのだ。
     男はあの時にアーロンを射抜いたのと同じ鋭い目をこちらに向ける。
    「お前、異常だな」
     氷の視線と共に、何の感情も読み取れない声を投げつけられた。
     得体のしれない空気に肌が粟立ち心臓が跳ねる。だがアーロンは同時に、思わず拳を握っていた。
     不気味な男への恐ろしさは誤魔化せないが、自分が今まで悩み苦しみながら共に歩んできた不思議な力のことを、初対面同然の人間に雑に扱われて良い道理がないことははっきりと分かっていた。
    「っ、あ……あんたに言われる筋合いは、ないだろ」
     言い返されると思っていなかったのか、男が僅かに片眉を上げる。
     元来アーロンは争いが苦手な方だ。誰かに口答えをするのも何年振りかというくらいだったが言葉が止められなかった。
    「僕の何を知ってるって言うんだよ。いきなり訳わからないこと言ってくるあんたの方が余程異常じゃないか」
    「――おい」
    「ッ、僕、だって……おかしいって、皆と違うって知りながら、生きるしかなかったんだ。どうすればいいのか全然分からなくて、でも全部受け入れて生きるしかなかったんだ! 変だなんてこと、言われなくても分かってる……!」
     男を前にしながらいつしか、自分が本当はずっと周囲に言いたかったのかもしれない思いを吐き出していた。今でも人のことは好きだ。でもこちらが異質だと知れば皆離れて行ってしまう。仕方ないことだととうに折り合いをつけていたつもりだったが、心の底ではちっとも納得できてはいなかった。
     激昂をぶつけられた男は目を瞬いた後、待て、と制止するように片手を前に出す。
    「お前を侮辱したつもりはない。――ああ、言葉が足りんと言われるのはこれか……」
     目元に手をやってため息をつき、男はアーロンに向き直った。
    「私が異常だと言ったのは、お前の才覚のことだ」
    「……は?」
     何のことだか分からず眉を寄せる。先ほどの言い方からは喧嘩を売られた以外の解釈ができなかったが、何とか言葉を選ぼうとする男の様子はそれとは明らかに違っていた。
    「波導を感知する力が桁違いだと言いたかった。波導使いである私でさえ気づかなかったギャロップの不調に勘づいたのだから末恐ろしい」
    「……え?」
    「誰かに教えを受けたことは……あるわけないな。この村は好きか? お前、波導使いに興味はないか」
    「待って待って待って」
     情報が多い!と悲鳴を上げそうになる脳を何とか抑えて、今度はアーロンが両手で制止をかける。本人が言う通りの「言葉が足りない」を立て続けに実感することになるとは。
    「あの、順序だてて説明してもらっていい……ですか?」
    「……構わないが、何が分からなかった……?」
     あっこれ一問一答じゃないと駄目なやつだ、と悟る。まず「はどう」という聞き慣れない言葉について説明を求めると、得心した様子で男は話し出した。
     曰く「波導」とは、生物無生物を問わず全ての物質が発している、いわゆる気やオーラなどと呼ばれるものの別名らしい。普通は見えることはないのだが、ごく稀に波導を見たり感じたりすることの出来る者がいるのだという。そうした人間を「波導使い」と呼ぶことがあるのだそうだ。
    「……それが、貴方なんですか?」
    「ああ、そしてお前もな。ギャロップの感情を読んで不調に気が付いたのだろう」
     波導はそれを発する者の感情や心身の状態と深く関わっており、喜怒哀楽や快調不調を事細かに反映するらしい。波導を感じられる者が生物の発する波導を察知すると、そこに含まれるものを自動的に受け取ってしまうのだという。
    「ただ相手が意図的に隠そうとしていれば分かりづらくはなる。今回気づけなかったのはこいつがひた隠していたからというのに加えて、私の方に見抜いてやろうという意識がそもそも無かったからでもあるんだが」
    「……それに、僕は気づいた……」
     男がほんの少しだけ口角を上げたように見えた。
    「そうだ。一瞬目の前を通っただけでな。全く、末恐ろしい」
     感受性の高さを褒められているらしいが、そのアーロンの感覚を持ってしても男の感情だけはどうしても分からない。理由を問うと、自分は波導に感情を乗せないようにしているからだと説明された。
    「鍛錬すれば出来るようになる。他の波導使い連中に読まれたくないからな」
    「……恥ずかしいから……?」
    「……本気で?……本気だな波導で分かる」
     波導は情報の塊だ、と男は言う。
    「一つ質問をしたときに、相手からどんな感情が返ってくるかだけで答えが分かることもある。反射的に湧く思いは偽装できないからな。こちらが探られる立場になった時にむざむざ情報を渡してやることはないだろう」
     さて、と仕切りなおすように男が手を広げた。
    「改めて質問だ。この村は好きか?」
    「……、」
    「答えはいらん、もう分かった。情報の塊というのはこういうことだ」
    「……そんなにはっきりした気持ちが駄々洩れでした……?」
     良いのと悪いののどちらだろう、と少し怖くなる。
     ここ数年は悲しいことの方が多かったが、アーロンとしてはどこの誰とも知れぬ幼子を見捨てず育ててくれた人々への感謝はずっと持ち続けているつもりだ。けれど、もしや自分がそう思い込もうとしているだけで、根っこは怒りと憎しみで一杯だったりするのだろうか。
    「いや、そう単純ではない。良いも悪いもそれ以外も複雑に絡み合っているから一言で表すのも容易ではないしな。まあ今のお前の感情をあえて言葉にするなら、村のことは好きだが居場所が無いから苦しいというところじゃないのか」
     複雑だと言いつつさらりと言語化されて頷くしかなかった。波導使いとして思いに触れることが多いためか、感情を言葉として即座に組み立てる力が高いように思える。本人が発信する言葉は基本的に足りていないようだが。
    「それで、どうする?」
     やはり伝える気があるのかないのか分からない。
    「……すいません主語を……」
    「最後にした質問の話だ。波導使いに興味はないか?」
    「――あ」
     怒涛の情報量に押し流されていた言葉をようやく思い出した。
    「お前の持つ波導の力は無数の可能性を秘めている。この村に居たいのなら無理にとは言わんが、共に来るというのなら多少伸ばす手助けをしてやることはできるぞ」
    「僕を……一緒に? ど、どうして」
    「お前の才の行く先を見てみたくなった。まあ、私は良い師にはなれんと思うが」
     どくん、と一つ心臓が跳ねた。睨まれて竦んだ時とは正反対の意味を持つ鼓動だった。
     無数の可能性という言葉に脳裏を様々な思いが巡っていく。目の前の男はその感情を余すことなく読んでいるはずだが、何も言わずにただアーロンを見つめている。
    「……答えはすぐでなくてもいい。こいつの回復も待たねば動けんしな」
     指をさされた先でギャロップは我関せずと眠っている。思考を一時中断してアーロンもそちらに目を向けた。
     今は痛みもそこまで強くはないようだし、走れるようになるのもさほど先のことではないだろう。けれど先ほど男に言われた言葉を思い出して少し気持ちが沈んだ。
    「余計なお世話……だったでしょうか」
    「ん?」
    「人のものに口を出すなと言いましたよね。……でも、僕はきっと放っておけないと思うんです。波導を読む力で気づいたなら、これからも多分同じことをしてしまう」
     うっかり声を出してしまっても、何でもないと誤魔化せばそれで済んだのだ。けれど目の前の痛みを見過ごすことはできなかったし、忠告された今となってもその思いは変わらない。
     男はそろりと口元に手をやる。表情も感情も分からないが妙に気まずそうだった。
    「……いや。嘘だ」
     二秒ほど意味が分からずに沈黙が流れた。
    「……は?」
    「あのまま誰も気づかずに進んでいたら本当に歩けなくなっていたかもしれん。正直助かった」
    「は?」
    「違う、理由はある」
     男が言うには、波導の力を使える者はとにかく重宝されるらしい。手懐けるのが難しい魔獣も感情が分かれば相手にしやすいし、医療においても波導で体の状態が分かれば診断の役に立つ。逆に感情を手玉に取って人を騙すこともお手の物だ。そのため不用意に力を見せてしまうと、利用してやろうという人間がわらわら寄ってくるのだそうだ。
    「そもそも波導のことを知っている人間の方が少ないから普段はそこまで気にしなくてもいいが、権力者は大体把握しているし悪用しようという連中も少なくない。人前で軽率に力を披露するな――という意味でああいう言い方をした。悪かった」
    「はあ……もしかしていきなり睨んできたのもそれですか……?」
    「…………」
     無言。気持ちは理解できたがそれそのまま言ってくれたら良かったのにな――と思わなくもない。
     波導使いの能力を発揮できる場が想像以上に多岐に渡っていたことに驚きつつ、彼はなぜ護衛を選んだのだろうと思う。その理由と、他にも今まで色々活躍してきたのかを問うてみたが曖昧に濁されてしまった。
    「私はそろそろ戻る。急ぎはしないが我々が村を出る前に結論を出しておけ」
    「分かりま……あ!あのっ」
     黒衣を翻した男にアーロンは慌てて声をかけた。
    「貴方が良くても他の人たちは大丈夫なんですか。いきなり僕みたいなのがついてきたら」
    「心配いらん、護衛が一人追加になるだけだ。無償で戦力が増えるなら文句もあるまい。もう一人の護衛は雑な奴だから気にもせん」
    「ええ……」
     思わず漏れた不安の隠せない声に男が振り返る。
    「彼らの波導に触れただろう。お前の感じたことはほぼそのまま合っているよ。保証する」
     纏う感情の見えない男は、そう言って少しだけ目を細めた。


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