性癖パネル① 体調不良(自由後♀)ファウンデーションとの戦いによって轟沈した戦艦アークエンジェルに次ぐ新造艦の進水式を迎えるこの日、同じく世界平和監視機構コンパス所属の戦艦ミレニアムは総裁ラクス・クラインを伴ってオーブへと寄港した。開発に携わったモルゲンレーテ社のあるオノゴロ島では国家元首カガリ・ユラ・アスハを始めコンパスとは縁のある佐官も多く集まりミレニアムのクルー達を出迎えた。
「クライン総裁、この日を迎えられたこと、まずはお祝い申し上げる」
「尽力に感謝いたします、アスハ代表」
親しい間柄ではあるもののあくまで公人として握手を交わすカガリとラクスを、ラクスの後ろに控えるキラは被った軍帽の陰から見つめていた。ラクスの服の裾がゆらり舞ったような気がして、けれど肌を撫でるような風など感じられない。悪いのは自らの体の方だと、キラは微かに顔を俯け目を伏せる。まるで水底を揺蕩うような視界が酷く不快で、背筋にじっとりとした汗が浮く。それに気付かないふりをして、キラは浅く息を吐き式典の進行を見守っていた。
武力の象徴とも言うべき戦艦の進水式であるこのセレモニーにメディアの取材は入らない。抑止力としての役割を担うとはいえ、戦艦はあくまで戦艦だ。中立を謳うオーブとは縁遠くあるべきもので、矛盾を感じ得ない代物を世界に向けて大々的に報じたりはしない。それでも、かつていくつかの大戦を停戦に導いた戦艦の後継艦には注目が集まり、プラント、大西洋連邦からも組織の重鎮が詰めかけている。そんな大切な場をコンパスの要として名が知れてしまっている自分が離れるわけにはいかないと、キラはじわりと迫り上がる気持ちの悪さを飲み下した。
「それでは新造艦を見に行こうか。ラミアス艦長を始めとした旧アークエンジェルのクルー達が待っている」
「アスハ代表」
「……どうした、ザラ一佐」
和やかなムードに割って入ったのはカガリの背後に控えていた佐官、アスランだった。
「実は新造艦のメインシステムについて一点、ヤマト准将のご意見を伺いたい案件が」
「……それは今でなくてはならないのか?」
「今後の式典進行にも関わりがあり、可及的速やかに対処すべきかと」
ふと目が合ったカガリの眉がぴくりと跳ねたのが見えて、これはもう逃れられないと覚悟したキラは居住まいを正した。
「……ヤマト准将、構わないだろうか」
「承知しました」
「よろしく頼む。一佐、案内を」
「はっ……ヤマト准将、こちらへ」
「はい」
歩き出したアスランの後に続いてキラも足を踏み出した。すれ違いざまに目が合ったラクスはにっこりとした微笑みを向けてきて、それに可憐さだけではない圧力のようなものを感じキラは息を詰まらせる。これはあとで怒られるなぁと気を重くしながら、キラはアスランと共にモルゲンレーテのファクトリーに足を踏み入れた。
式典に直接関わりのない筈の職員でさえ、この日は何処か忙しない動きを見せている。それこそ式典に駆り出される人員の穴を埋めるべく文字通り走り回っているのだろう。かつてアストレイといったモビルスーツの開発に着手していた関係でモルゲンレーテでも顔が知られているせいか、キラを見かけた職員はどこか高揚した様子で会釈をしてくる。それに敬礼で応えながらキラはアスランの案内で施設の一角に位置する部屋へと入った。室内に人影は無く、それを確認した途端足からかくりと力が抜ける。倒れ込みそうになるところを腕と腰を絡め取った手に支えられ、キラは苦笑を浮かべながら少しむっとしたような表情のアスランを見上げた。
「大丈夫か?」
「……バレてた?」
「当たり前だろ」
そのまま室内に設置されていたベンチに座らされ、キラはようやくほうっと息を吐いた。その様子を見てアスランが眉を顰め、改めて大丈夫かと問うてくる。
「平気、立ちっぱなしで少し目眩がしただけ」
「よくここまで歩けたな」
「……君が途中で抱っこしようとしてくるんじゃないかってハラハラした」
「お前、結構人目を気にするだろう」
「これでも准将だからね、一応」
女だ、オーブの身内人事だと食って掛かろうとする者は少なくない。戦場に身を置き続けるのは本意ではないが、それでも世界の平定に向けて心血を注ごうとする姉や友人達の為を思えば与えられた役職に見合った行動を心掛けなければならない。威厳の為には多少の虚勢も必要で、おいそれと弱みを見せるわけにはいかないのだ。
それでメインシステムって?と問いかけたキラに、アスランはあっけらかんとした様子でそんな案件などないと宣ったので、目を丸くしたキラは溜息と共に肩を竦めた。
「君があまりにも真面目な顔で言うから本当なのかと思った」
「ポーカーフェイスが上手いと言って欲しいな」
「ポーカーフェイス、ねぇ……」
「随分含みがある言い方だな」
「普段僕の前じゃ緩み切った顔しかしてないのに」
ふふっと笑いかければ、少しばつの悪そうな顔をしたアスランはそっと伸ばした手をキラの頬に添えた。冷えていた肌には焼けるように感じる体温が、それでも心地よくてキラは目を細めた。
「恋人の前で気を張ってたって仕方ないだろう?」
そう言って甘く蕩けたような表情を浮かべたアスランが顔を近付けてくる。キスされる、と身構える体とは裏腹に、心臓が大きく打ち震えた。彼のエメラルドグリーンの瞳に、期待に染まり切った自分の顔が映り込んでいるのが恥ずかしい。互いに忙しくてこれが久しぶりの逢瀬だ。体調不良で式典を中座している身分でどうなのという理性を蚊帳の外に追いやって、キラは顔に熱が集まるのを感じながら目を伏せようとした。
しかしそれ以上アスランの顔が接近してくることはなく、それどころか下瞼を指で押し下げられて一気に頭が冷える。
「貧血だな」
「……そうですね」
「キスされると思った?」
「あー……なんかムカつく」
期待したのが馬鹿みたいだ、と口を尖らせたキラの視界を手で覆ったアスランが体をゆっくりとベンチに押し倒した。足元には高さをつける為か折り畳んだタオルを敷かれ、制服の胸元が寛げられる。本当に甲斐甲斐しいというか、過保護というか、と溜息交じりに睨め付けてもアスランには全くと言っていい程響いていない様子だった。
「ちゃんと食べて寝てるんだろうな?」
「ミレニアムクルーの監視の目が厳しいからちゃんと食べてるってば……今日はたまたまだよ、何か朝から調子悪くて」
「キラは生理中より生理前の方が具合悪くなり易いからな」
あまりに自然に紡がれた言葉の意味をはたと考え、聞き間違いかと頭の中でアスランの声をリピートする。しかしやはり意味が分からない。
「……は?生理が、なに?」
「だから、もうそろそろだろ?」
「もうそろそろって……」
視線だけを巡らせたキラは、室内にあったカレンダーを見つけてその日付をじっと見る。それこそ新造艦のシステム開発に加わっていた事で多忙を極めていたせいかすっかり忘れていた事に気付き、キラはぽかんと口を開いた。
「お前な、自分の生理周期くらい把握しろ」
「……ねぇ、僕以上に僕の周期を把握してる君の方が異質だって気付いてる?」
「宇宙と地球で離れていてもお前の体調管理は俺の役割だからな」
「式典に戻ったらアスラン・ザラ一佐はデリカシーの欠片もない上に変態だって触れ回ってもいい?」
「キラ・ヤマト准将は俺のものだって触れ回ってもいいならな」
「恥ずかしいから絶対やめて!」
傍らに腰かけたその体を目一杯叩いて、それでもどこか上機嫌のアスランはにこにこと見下ろしてくる。この状況下で不謹慎ではあっても、会えて嬉しいのは彼も同じなのだと読み取れるくらいには目の前にいる恋人はやはりポーカーフェイスとは程遠い。不調などどこかへ飛んでいきそうな単純な自分があまりに恥ずかしくて、キラは苦し紛れにアスランの軍服を掴んでその体を引き寄せた。
「アスラン、僕生理前だからイライラする」
「どうしてほしい?」
「キスして」
「そんな事なら喜んで」
さっきはしてくれなかったくせに、と不満を漏らそうとした口はアスランによってものの見事に塞がれたのだった。