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    hinominoru

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    hinominoru

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    古代中国パロ趙イチ。頭領の息子趙さん×龍魚一番くん
    私の力不足により最後まで書けず、未完です。せつないところで切れておりますが、いつか続きを描く気力が出たら描きたいと思います……!

    雲外を穿ちて青天に ところは中国、まだ人前に神獣が姿を表すことの多かった頃。
     とある山の麓の集落に、聡明な少年が暮していた。頑健な体も備え、年の頃が十を越えるときには彼の周りの同じ年頃の子で、喧嘩や知恵比べで彼に敵うものはいなかった。
     青年となった彼はある時、山の奥に人の命を吸って生きる幻獣がいると聞き、それならば退治してやろうと年若さ故の無謀さで腰に剣を携えて、一人で討伐に向かっていった。
     道無き道を越え、山に棲む恐ろしい獣の生態も知り尽くしていた青年はこれも躱し、川を遡り険しい岩山から高く流れる滝壺に辿り着く。
     そこに幻獣はいた。いたが、青年の想像とは違っていた。
     幻獣は澄んだ水の中から顔を出してこちらを不思議そうに見つめている。人間と同じような姿形をしていたので、青年は大きく面食らった。だがよく見るとその体は、水の底に伸びた部分は異様に長い。そして人の形をしていなかった。
    「半人か……驚いたね」
     青年は呟き、滝壺に向かって歩みを寄せる。幻獣は犬のようにぶるぶると頭を左右に振って水を飛ばしてから、さらに青年を見据えてきた。警戒というよりも、こちらに対する興味を感じる。半分は人間の姿をしているなら意思の疎通が叶うかもしれない。油断させられるかと青年は滝壺の淵に腰掛け、幻獣に努めて優しく笑いかけた。こんなところにたったひとりで生きている生き物に、笑顔が攻撃心を示さないものだと伝わるかは不明だが。
    「やあ。元気?」
     幻獣は一瞬、怯んだように身をすくませた。表情は変わらない。青年は次になんと続けようが迷ったが、自分の名前を教えることにした。
    「俺は天佑。あんた、名前ある?」
     幻獣はただじっとこちらを見つめている。少し距離が縮んだように思えた。天佑は警戒し腰の剣を意識する。もし襲ってくるようなら首を刎ねてやろう。人間の部分は食べられるか分からないが、下半身は魚のようだし食糧になるかもしれない。もともと人の命を吸う、人に害を成す生き物なら退治のつもりで来たのだから、命を吸われる前に油断をさせてひとおもいに殺せばよかった。
     だがさらに近づいてきたその幻獣の顔の、瞳の奥が見えた時に天佑は何かにひどく打たれた心地になった。
     たくましい大人の男の姿をしているが耳は大きく横に突き出し先が尖っているし、タンポポの綿毛のような髪の生え方、二対の大きな角、首元を覆う鱗、どれをとっても異形の姿をしているのははっきりしている。だが天佑はそれらのどれよりも、その目に釘付けになった。その水より澄んだ、磨いた石のように輝く瞳の色は、どう考えても普通ではない。しかし天佑はもっとその目を覗き込みたい欲求に駆られた。頭の中で術にかけられたかもと警鐘が鳴るが、体はもう勝手に前へと乗り出し、滝壺に足を踏み入れる。春になったばかりの雪解け水が多く含まれるだろうそれが一気に体温を奪い、体を芯から冷やすが気にもならなかった。
     幻獣は天佑のすぐそばまで来ていた。ぐるる、という音が聞こえるのは幻獣の唸り声だろう。剣を振ればその首は獲れる。だが剣に手を伸ばす気にはなれなかった。
     幻獣は天佑に手を伸ばした。
    「…………あ、なに?」
     幻獣は天佑が首から下げている金属でできた飾りに興味を持ったようだった。
    「……これ?」
     幻獣は目を瞬かせ首をかしげる。意思の疎通ができているかは分からないが、そのどこかあどけない仕草に、天佑は完全に警戒を解いた。
    「……フッ、欲しいの? いいよ、あげるよ」
     天佑は飾りを外すと、幻獣の前に差し出した。幻獣の手が伸びてきたので、その手のひらに丁重に飾りを乗せる。金属の類を受け付けない妖怪がいると聞いたことがあったが彼は平気なようだ。幻獣はその飾りを水に浸してみたり、陽光に当ててみたり匂いを嗅いだりと、ひとしきり子供のように色々試した後、天佑がそうしていたように胸元に当てた。
    「付けたいの? おいでよ、やってあげる」
     手招きをすると幻獣は一瞬迷ったような顔を見せた。手招きの意味がわからないのかもしれない。
    「俺と一緒に。さっきみたいにしてあげるから」
     身振り手振りを付け加えて説明してようやく理解したのか、幻獣は表情を和らげてさらに近づいてきた。
    「なんだ、けっこう友好的……うわっ」
     バシャ、と音がして飛沫が上がり、天佑は思わず顔を背ける。なんと幻獣はそのまま陸まで腕を使ってのしりと上がり、天佑の隣に腹を上にしてゴロンと転がってみせた。草の上で露わになったその体は天佑より少し大きい。
    「……警戒心無さすぎ」
     大人の男の姿形なのに、その仕草や表情はまるで無邪気な子供か、よく懐く犬のようだ。頭を撫でたくなる衝動を抑えて、天佑は幻獣の首に飾りを付けてやった。自分の胸元に垂れる飾りを見て、幻獣は満足そうに唇を少し突き出した。
    「ううん……言葉は分かんないんだなぁ」
     改めてその姿を観察する。上体はほぼ人間だ。腰骨の辺りから薄く鱗が生え始め、下半身は完全に魚の形だった。アオウオという魚に似ている気がする。下半身の大部分を覆う黒く艶のある鱗は大きく頑丈そうで、一枚一枚に白い縁取りがある。対して腹側は鱗がなく、蛇のように薄紅色のふっくらとした板が並んでいる。各部の青灰色の鰭とその中の鮮やかな赤い骨の色が艶やかだった。
    「綺麗だな……」
     天佑が観察というよりただぼんやりと見つめているうちに、幻獣は飾りを眺めるのに飽きたのか、天佑自身に興味を移した。
    「ちょちょ、おいおい」
     天佑の肩に手をかけ、顔を近づけてくる。その人間そのものの顔を間近で見て、天佑はさらに打ちのめされる。
    「……綺麗な顔かたちしてんなあ」
     幻獣は目と鼻で天佑を確認している。その間にその相貌もじっくりと観察する。ツンと尖った高い鼻や、胡桃のように大きな目、長く濃いまつ毛。ふっくらとした唇。こんな顔の生き物に天佑は今まで会ったことがなかった。
     先ほどから幻獣に触れたくて仕方がない。向こうからは肩に手を乗せて、天佑のあちこちを興味深げに見ているが、こちらからはまだ触れてはいない。肩に触れる手からは人のような温もりはあまり感じないのは、ずっと水の中にいたからだろうか。人間の肌の部分と、魚の部分。この境目はどんな感触なのだろう。
    「……ごめん。ちょっとだけ」
     天佑はそっと、幻獣の腰に触れた。
     途端、何か聞き取れない音がして天佑は衝撃を受けた。次の瞬間バシャンと水音がして幻獣は水の中に戻っていた。怯えたような、恐ろしいものを見たような表情でこちらを見ている。
    「ご、ごめん、もう触らないから……」
     そう言っても通じるはずもなく、幻獣はすすす、と天佑から離れていく。
    「あ〜……失敗した」
     天佑が触れた瞬間発せられたのはおそらく幻獣の悲鳴だろう。一瞬意識が飛んだような気がした。今も少し目眩がする。もしかするとこの声が彼の武器なのかもしれない。
     幻獣は水の中に肩まで浸かりこちらをじっと見つめていた。謝る意思を伝えたところで伝わるとは思えない。
    「……出直すか」
     見たところ彼には翼もないし、脚もない。這って移動するしか出来ないようでおそらく滝壺くらいしか生息範囲はないだろう。この山の他の場所に逃げたり隠れたりは、彼には出来ない。そう思うと途端、彼のことがいじらしく思えて、急所だろう部分にいきなり触れてしまったことが申し訳なく思えた。
    「……本当にごめん」
     天佑は立ち上がり、未だ水面からこちらを見ている幻獣に向かって深々と頭を下げた。
     頭を上げると幻獣はまだこちらを見据えていた。天佑はもう一度、頭を軽く下げると踵を返し山を降りた。




    「こんにちは」
     昨日と変わらず、幻獣は滝壺に居た。今日は昨日より暖かく、天佑が声をかける前は彼は滝壺の側の岩の上で陽に当たってうっとりとしていたが、天佑が声をかけた瞬間おそるべき速さで水の中に飛び込んでいった。
    「……昨日はごめん」
     幻獣の様子を伺う。肩から上を水から出し、片耳をこちらに向けて、次にどんな音を発するのか気にしている様子だ。
    「食べ物を持ってきたよ。口に合うかは分からないけどね」
     そもそも食事をするのかも分からなかったが、人の姿に似ているなら人の食べるものも食べられるかもしれない。甘藷を入れ少し甘くして香草の香りをつけた餅と、焼いた魚、焼いた干し鶏肉を持ってきた。滝壺のそばに敷き布を敷いて並べると、すぐに幻獣の興味を引いた。自分が居ると寄ってこないかと思ったが、思いの外天佑の詫びの品が気になるようで次第に距離が縮まっていく。
    「さぁ〜どれに最初に手が伸びるかなあ」
     少し離れた場所に腰掛け、幻獣の様子を伺う。彼は昨日のように陸に上がり、天佑が並べた食べ物に顔を近づけた。初めて見るそれらの匂いを嗅ぎ、最初に手に取ったものは焼き魚だった。
    「やっぱりそうかあ」
     彼にとっては一番慣れ親しんだ食材だろう。だが焼かれた状態を見るのは当然初めてだ。不思議そうに匂いを嗅ぎ、一口齧る。目が輝いた。バリバリと骨を砕く音が山に響く。
    「おいしいか〜?よかったよかった」
     頭から尻尾までが全て彼の腹に収まるとその手は次に、焼いた干し鶏肉に伸びる。今度こそ初めての食べ物だろうが、彼は手でひとしきり触って確認した後匂いを嗅いで、がぶりとかぶりついた。
    「結構豪快だねぇ〜」
     相当に旨いのか、小鼻が膨らんでいる。喉に詰まらせないか心配になる勢いだった。天佑は食に夢中になっているのをいいことに少し側に寄って、手をつけるかは分からないが餅を少しずつ千切っておいてやった。鶏肉をあっという間に平らげた幻獣は今度も興味を持って鼻を近づける。
    「はい」
     天佑から手渡された餅を不思議そうに眺める。ふわふわと柔らかく、ほんのりと茶色く甘い香りを放つものを食べ物と認識できるだろうか。天佑は一欠片、自分の口に運んでみせた。
    「うまいよ〜?」
     幻獣はそれを見ておそるおそる、と言った風にだが、上を向いて餅を口に入れる。
    「ん」
     咀嚼した瞬間に、幻獣の瞳がうるうると輝き出す。独特の食感が気になるのか、他の食べ物より噛む時間が長い。ごくりと喉が鳴ると、幻獣は「あ」、と口を開けた。
    「……?まさか、食わせろって?」
     これはもしかして、なつかれたのだろうか。真っ赤な口の中、濡れた舌と少し尖った歯がよく見える。
    「自分で食べなさいよ〜……」
     しかし悪い気はしない。珍しい幻獣に懐かれた人間などそうは居ないだろう。舌の上に餅を落としてやると、舌が餅を巻き込んで口の中に戻る。もぐもぐ、とゆっくり咀嚼する様子を見るに、甘く柔らかい餅は気に入ってもらえたようだった。そうやって食事を終えると、幻獣はいつの間にかまた昨日のように天佑の隣に転がる。もういきなり触ったことを怒っていないのか、聞くことは出来ないがその様子に天佑は安心した。
     満腹になったのか幻獣は伸びをして、腹を上にしてくつろぎ始めた。昨日も思ったが警戒心はほぼないと言っていい。今まで人間がここまでやってきたことはないのだろうか?
     この山は仙人が修行をする山の一つとして知られてはいるが、麓には天佑の暮らす集落があって、もう何十年も山に人は多数出入りしている。もしかして彼はつい最近ここに現れたのだろうか?そして何かの折に山に足を踏み入れた人間にその姿を見られ、彼が悲鳴をあげるようなことがあって、その声にたじろいだ者が命を吸うと勘違いをした。天佑はそう推察した。
    「……君も言葉が出来ればいいんだけどねえ」
     天佑が言葉を発すると、幻獣の耳が動く。こちらの声を聞いて理解しようとしているのかもしれない。未だ鳴き声や悲鳴しか耳にしていないが、音を発する喉が人に似た構造なら、言葉を使えるようになるかもしれない。
     天佑は懐から、いつも読んでいる本を取り出した。まずは何から行こうか。
     幻獣の隣に寝転んで、本を開く。幻獣は興味深げに天佑の顔を覗き込む。
    「水」天佑は本の中の文字を指差し、それから滝壺を差した。続いて頭上の青空を指して、「空」、地面を指して、「土」。
     幻獣は天佑が何かを自分に教えようとしていることは分かっているようで、そしてそれを理解しようと懸命だった。何度も首を左右に傾げては、文字と、指された先のものを確認している。根気良く教えれば言葉は話せなくても、筆談や文字を介して意思疎通が出来るかもしれない。そうすれば彼が何者で、どこから来たか分かるかもしれない。そして彼に天佑のことを、もっと深く知ってもらえるかもしれない。



     天佑が山の上の滝壺に通うようになってしばらく経った。春はすぎ、山の緑は色濃くなり、梅の実が熟し始め、雨の量が増えていた。
     幻獣は天佑がやってくると笑顔を見せるようになった。天佑の発する言葉を真似して、何かを言おうとすることも増えた。
    「あーお、えうぅ」
    「ま、何年かかるか分かんないけど、気長にやってくか」
     近頃は二人で食事をして、勉強をするのがお決まりの流れになり、時には天佑も滝壺に入って共に遊ぶようになった。水の中では当然、陸上でのぼてぼてとした動きとは正反対で、大きな尾鰭をひとかきしただけでぐんと天佑と距離が離れる。
    「お前に泳ぎで叶うやつは、この世に居ないだろうねぇ。お前が一番だよ」
     それから何となく、幻獣を"一番"と呼ぶようになった。この山で一番泳ぐのが上手くて、一番美しい生き物。
     一番は天佑にすっかり懐き、食事の際は膝に手を乗せて来たりもするようになった。天佑は彼の体には努めて触れないように気をつけてはいるが、本当はその珊瑚のような角、薄紅色の尖った耳や鰭にも触れてみたい。しかし、以前腰に触って強く拒否されたことを忘れられずにいたので、とてもではないが手を伸ばす気にはなれなかった。唯一、遊び疲れて満腹になった一番が、陸で腹を上にして寝ている時、その綿毛のような髪を撫でてやれる。天佑の発した言葉に反応したり、何か考えこんでいる時などに首を傾げるとふわふわと揺れて、なんとも愛らしい部分だった。
    「んん……んゅ……」
     一番は近頃、何か言葉を発しようとしていることがある。寝ている間も練習しているのかと思うと、むしょうに健気で、いじらしく思える。赤子を育てるというのはこういうことだろうか。何か話せたら褒美にいいものをやろうか。まだ食べたことのない飴菓子はどうだろう。
    「頑張ってねぇ、一番」


     暑い夏は滝壺に浸かり過ごす。滝は盛夏でも冷たいままで、ひとしきり泳いで遊び、濡れた体のまま木陰でひと休みをする。天佑はこの時期は桃をよく持ってきてやって、一番はそれをとても気に入りよく食べた。
     一番はまだ言葉を話せないが、天佑の言葉がいくつか理解できるようになった。天佑が教えるものの名前とそれの認識がかなりの早さで進んでいる。天佑が空といえば空を指すし、滝といえば滝を指差す。思った以上の飲み込みの速さだが、やはり彼の喉は、言葉を発するようには出来ていないのかもしれない。
     でも意思疎通が以前よりもだいぶ出来るようになって、二人の仲も深まった。
     あるとき一番は滝壺の底で、石を拾ってきて天佑にくれた。
    「ありがと。きれいな石だねえ」
     一番が天佑に何かをくれたのは初めてだったので、天佑はこれを持ち帰り、丸く削って金属の土台に嵌め込み、指輪にした。研がれた石は光に当てると透け、複雑な色を見せる。
     天佑が身につけた指輪を見せると、一番は目を瞬かせ驚いていた。
    「俺、手先が器用なんだよ。一番の首飾りも俺が作ったんだよ。一番がくれた石だからねえ。大事にしないと」
     指輪の石を陽に透かして見せる。
    「澄んでてきれいだねぇ。……お前の目みたい」
     一番は天佑の言葉を聞いて、しばし一点を見つめて固まった後、水に飛び込んでしばらく戻ってこなかった。
    「……照れたのかな?」



     暑い夏が来て過ぎて行って、まだ暑さの名残を残しつつも、山の木々の葉の色がくすみ始めた。実りの頃が近づき、多くの生き物がそわそわと冬に向けて準備を始める。
    「一番は、寒さは平気なの?」
     地面に字を書いて、一番に尋ねると、一番は首を傾げた。"寒さ"という概念がないのかもしれない。しかし流石に天佑は不安になった。冬のこの山は雪に覆われ、滝は当然凍り付く。一番も一緒に凍ってしまうかもしれない。
    「よし。小屋を建てよう。俺一人でやったことはないけど何とかなるでしょ」
     かくして、本格的に寒い冬が来る直前に、滝壺の横には小さく間素な丸太小屋が建てられた。
    「ま、雨や雪が凌げりゃ十分だ」
     しかし一番は何故か小屋に入りたがらず、この小屋はほぼ天佑の隠れ家のような場所になってしまった。
     滝は何故か凍り付かず、一番は冷たい水にも関わらず元気に泳ぎ回っていた。おそらく神通力の類だろう。天佑は安心した。
     天佑はこの小屋に布団や本や、保存食を持ち込んで時々泊まり込むことにした。





     ——冬が終わりに近づく頃。
     あんなに頻繁に来ていた天佑が近頃はあまり山へ来なくなった。
     最後に来た時の表情が寂しそうで、申し訳なさそうだと分かったのは、一番が天佑に会って色々なことを知ったからだ。天佑も変わった。初めて会った時よりも天佑は大きくなった。纏うもの、背負うもの。匂いも変わった。体付きが逞しくなって、髭も生やすようになった。
     一番は天佑に会うのが少し怖くなった。それでも早く天佑に会いたかった。彼の横に転がり、寝たふりをすると必ず頭を優しく撫でてくれる。最初は何をされているのか分からなかったが、それがとても心地よかったので一番は何度も試した。いつも心地よかった。撫でられながらだとよく眠れた。初めに腰を触られたときはビリッとした。後で自分で触ってもなんともなかったのに、天佑に触られた時だけビリッとして驚いたのだ。でもそれは嫌だったわけではない。ただ、驚いただけだった。今は天佑にもっと触ってもらいたかった。色々なところを。角や耳、喉の逆さに生えた鱗だって天佑になら触られてもかまわない。
     腰や柔らかな腹も天佑ならきっと優しく撫でてくれる。ビリビリしたっていい。
     天佑に会いたい。





     春も終わりを迎えそうな頃。天佑は滝壺を目指して山路を歩いていた。一番の好きな食べ物をどっさりとたずさえて。
    「久しぶり。一番」
     滝壺のそばの岩の上にいた一番は天佑の姿を見つけると水に飛び込み、凄まじい速さで天佑の元へ泳いできた。天佑が滝壺の側まで歩みを進めると、水の中から勢いよく飛び出して来て、そのまま天佑に体当たりをするように飛びついてくる。なんとか受け止めて、そのまま尻餅をついた。
    「あいってぇ……」
    「……あう、あぁ、ンン!」
    「怒ってんだよね……ごめんって。お土産いっぱい持って来たし、許してよ」

     久しぶりに二人でゆっくりと食事をして、滝壺のほとりで並んで横になる。
    「あー、いーい天気だなあ」
     天佑が目を閉じようとしたとき、一番の手が天佑の腕に触れた。天佑が驚いて一番を見ると、一番は怒っているような、拗ねているような顔をしている。
    「遊びたいのかな?」
     天佑が体を起こそうとしたが、一番は横になったまま起きようとしない。
     もしかして、と思い天佑は再び横になり、一番の頭に手を伸ばした。一番は俯いて、天佑が撫でやすいように頭を突き出す。
    「……ハハッ かわいいなあ一番は」
     一番は天佑の掌に頭を押し付けてくる。天佑はかわいさ余って思わず手に力をこめ、わしゃわしゃ、と強く撫でてしまったが一番は嫌がる様子はなかった。それどころかぐいぐいと距離を詰めて来て、とうとう天佑の腕の中に入って来てしまった。
    「え、い、一番……?」
     一番はまだ天佑に向かって俯いている。ウー、とちいさな唸り声も聞こえる。しかしこうも至近距離だと、ほぼ抱き締めている形に近い。肌は自然と密着していて、天佑は次第に己の胸が高鳴るのをおぼえた。一番の陽に焼けた肌はなめらかで、自然な筋肉に覆われ、天佑の目から見ても美しい造形をしているし、少し目線をおろせば柔らかくあたたかく、女の太もものようにふっくらとした異形の下半身が、天佑の腰に密着している。
    「(いやこれは……まいったね)」
     そういえば一番は、つがいになるような生き物は居るのか?幻獣の多くは雌雄同体で書物に描かれていることが多い。もしかしたら彼の体もそうかもしれない。天佑は自分があらぬ想像をしていることに気づき、なんとかその考えを払拭しようと全身に力を入れてしまっていた。そんな天佑の唯ならぬ様子に気付き、案じたように伸ばした一番の手が、天佑の鼠蹊部に当たった。
    「うわぁっっ!!」

     ——二人で固まる。一番は突然大きな声を出した天佑に驚き、天佑は鎮めようとした己の欲望に突然軽い刺激を与えられたことで驚いて、お互いに顔を見合わせた。
    「……だ、大丈夫。ごめん。何でもないからさ。驚かせてごめん」
     "ごめん"という言葉の意味、今は一番も分かっている。でもどうして天佑が大きな声を出したのかは一番には分からない。分かってもらえない。天佑はそっと一番から離れて、体を起こした。それから服を脱いで、滝壺に飛び込んだ。

     頭を冷やそう。
     どんどん深いところへ向かう。周りは明るい青から徐々に暗く、黒くなる。
     天佑は息の続く限り冷たい水の中に居ようと決めた。そうすれば一番に抱いた感情を浄化できるような気がした。後ろから水音がする。一番が追いかけて来たようだ。あっという間に追いつかれ、一番は天佑の首にしがみついて離れない。そのままゆっくりと浮上する。頭上が明るくなり、木々の緑が透明な水に揺らいで、そして。
     空気を求める唇は柔らかいものに覆われた。
    「んんっ……」
     天佑は酸素を求めるのと同じくらい、その柔らかさを追いかける。何度も何度も。甘いその感触は、頭と胸の奥をつんと痺れさせる。
    「……はぁ……一番……どこでこんなの、覚えたの……?」
     息苦しさと、唇を重ね合った興奮で掠れた声で天佑が尋ねると、一番は少し考えた後で側の丸太小屋を指差した。
    「あー……はいはい……俺の本ね…」
     勉強している道教や仙道の本に加えて、男女の色事を描いた本もいくつか置いてあった。一番はそれらを天佑がいない間に小屋に入って、眺めていたのだろう。
    「恥ずかしいもの、見られちゃったねえ」
     教える気のないものほど、知りたがるのは人間も幻獣も同じなのだろうか。

     滝壺から上がり、天佑は一番を抱き上げて小屋へ向かう。二人で体を拭いて、布団の上で抱き合った。
     裸のまま、
     気の済むまで。

     空が暗くなり、空気に湿り気と冷たさが混じる頃になってようやく天佑は一番から体を離せた。乱れた髪をかきあげて一番を見ると、一番は放心したようにくったりとし、目を閉じて動かない。半分眠っているようだ。
     体の作りはだいぶ違っていたが、できることは全部してやった。素直な反応がかわいかった。一番は生まれて初めての房事に、身も心も疲れ果ててしまったのだろう。
     後始末をして、しとねに横たわる一番の上気したままの肌に、柔らかい毛皮の織物をかけてやる。
    「んん……」
    「……一番、好きだよ」

     天佑は小屋の外に出た。月明かりが眩しいほどだった。


    「天佑様」
    「ああ、分かってる」

     真っ暗な木陰から現れた従者に天佑は頷く。

     次に一番に会える日はいつだろう。天佑は小屋に向ける自分の視線がとても寂しく、また未練に満ちたものだと自覚しながら、その場を離れた。



     ——夏が来た。
     一番はあの日のことを、毎日思い出していた。小屋の中に置いてあった天佑の本を盗み見して、人の男と女の営みを知った。そして、試してみたくなった。
     それが何なのかは分からないが、天佑と触れ合いたかった。触れ合えば、もっとお互いのことが分かって、近い存在になる気がしたからだ。実際、抱き合ってお互いの体の中まで口や指先で確かめ合った。頭を撫でられるよりもずっと心地よくて、腰を軽く撫でられた時よりもずっとビリビリした。天佑を今までで一番近くに感じた。
     だが今、天佑はすっかりこの滝壺から足が離れてしまった。あの日のせいなのだろうか。理由もなく一番はそう考えていた。
     頭上から鳥の声がする。翼があれば、天佑のそばに飛んでいけるのに。
     天佑は誰かと、自分にしたのと同じことをしたことがあるのだろうか。その相手には、一番にないものが沢山あるのだろうか。もしかしたら天佑のところに飛んでいける翼も。
     それなら仕方がない。一番には何もない。

     大河で生まれた何の変哲もない青い魚の種族だった自分は長く生き、やがて些細ながら神通力を持つようになった。何者かに捕らえられて水槽に入れられ、訳も分からず茫洋と生きていたのにある日突然、この滝壺に離された。そうして天佑に会った。
     だけど自分の居場所はここではない。ここではないことは分かっているのに、一番には何も出来ない。大河に戻るすべもない。ただここで、生きているだけだ。
     何も知らなければ、こんな心の形になることもなかっただろう。天佑が教えたのだ。一番に。恋しさを、寂しさを。

    「てん……ゅ……」




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