砂漠に咲く花 初めて彼に会った時、やけに真っすぐ見てくる瞳だったのをヴァッシュは覚えている。己を一目でヴァッシュ・ザ・スタンピードだと見抜いた彼の目には最初こそ驚きの感情があったものの、嫌悪からでもなく、かといって好奇心からでもない、温度のある優しい眼差しでこちらを見つめていた。
「人生悪いコトばっかじゃないねんなあ」
ロストジュライを引き起こしてから。この首に法外な懸賞金が掛けられてから。
悪意も他意もない声で迎えられたのは久しぶりだった。その声色がそのまま彩られ、形になったような優しい目で真っすぐ見据えられたのはもっと久しぶりだった。決して広くはない車内のなか、大ぶりな握手に全身が揺れたがその揺らぎにヴァッシュの感情は静かに全身へ広がり、そして沈殿していった。
「君たちダメだよ その人お金持ってない──」目の前に広がる光景に、先ほど沈殿していった感情が傷だらけのヴァッシュの躰の内部で再びゆっくりと湧きあがった。
「ええか これしかあらへんねん」
彼の優しい黒色そのままに沈ませていた気持ちに、鮮やかな金色が混じったが不思議と黒と調和した。
「笑い方がカラッポで胸が痛なるんや」
黒と金が混じり合って胸元まで湧きあがった感情は、ヴァッシュのカラッポの部分に沁み込んでいった。
※※※
二年後に邂逅を果たした彼はサングラスを掛けていた。似合うとエリクスは思ったし、ジェネオラロックの崩壊から生き延びてくれていたことにも感謝したかったが、かつて彼と会った時の名前も生き方も捨て、全てから隠れている今の自分では声を掛けられない事を残念に思った。
しかし彼はかつてと同じように、エリクスを一目でヴァッシュ・ザ・スタンピードと看破した。三度目の再会ではサングラスを外していたウルフウッドは真摯に貫く目で、エリクスに彼がヴァッシュとして再び生きていくための銃を渡した。黒い目は二年前と変わらず、そして今度は痛みも伴ってヴァッシュの心に入り込んできた。
再会したウルフウッドは初めて会った時の人好きのする笑顔は鳴りを潜めどこか達観した雰囲気を纏わらせており、一緒に行動し始めれば諦念すら色濃くにじませているように感じられた。元々彼の持ち合わせていたものだったのか、放浪の二年間で染みついたものかはヴァッシュには判断がつきかねた。
ある夜には、ヴァッシュは彼が二年間ずっと持ち歩き手入れしてくれていた己の銃を見つめながら考えてみたこともあった。もちろん答えはどこからも返ってこなかったが、丁寧に磨かれ整備された銃そのものが答えのようにも思えた。ヴァッシュは優しくグリップを一度握り、「おやすみ」と声を掛け消灯した。
サングラスを日夜問わず掛けていることが多い彼だったが、ひとたび外せばそれまで隠されていた目は今度は髪と濃く同化した。硝煙と土埃りけぶるなか佇む彼は、剥き身の黒い刃が戦場に突き立っているようにいつも鋭利だった。そんな彼が、けぶりが収まったあと一人も死者が出ていない状況をその目で確認した後、自分の行動にしかめ面をしているのをこっそり見るのがヴァッシュは大好きだった。
隣に立って見やる彼の目は、深い暗がりの奥底であらゆる感情が渦巻いているようにヴァッシュは思えた。そしてそれらを悟らせないように一層色を深くし、濃い色のサングラスで遮断し、たった一人で全てを背負い込もうとしてしまっている。
弱みも怪我も悟らせない獣のようだとヴァッシュは思った。どんなに深い傷を負っていても獣は弱い瞳は見せずに、眼光は最後まで鋭さを増すのだろう。
そのくせ、たまに警戒心が解けた表情でちらりと見てくる時には打って変わって目が雄弁に物語ってくるのだ。いつしか一度、靴ひもを結びなおすためにしゃがんでいる彼に話しかけた際、顔だけを上に向けサングラスの隙間からその目を覗かせてきた。そのなんでもないはずの動作にヴァッシュは心臓がドクリと跳ねた。
深みに嵌っていく、ヴァッシュは静かに感じていた。
そんな彼が、ウルフウッドの目が黒とは違う色をすることにも気づいたのは当然の道理だった。ふとした拍子に男の目はふいに金を帯びることがあったのだ。
鮮烈な撃ち合いのさなかに、煙草をくゆらす束の間、バイクから降り砂まみれのゴーグルを外した刹那、ありとあらゆるところでそれは現れ、規則性はヴァッシュには見つけられなかったがけれどもヴァッシュは規則正しくいつも胸が高鳴った。高鳴ってそして蕩けゆく感覚は妙に心地が良かった。
だからある夜、広大な砂漠と星空に挟まれふと緩み零れてしまった言葉に誰よりもヴァッシュ自身が驚いた。
「狼みたいだ」
「ん?」
「ああ……お前の目」
わけが分からないという顔をしているウルフウッドを見て、ヴァッシュは自身の考えは間違ってなかったと思えた。
狼が真っすぐにこちらを見てきている。夜の砂漠で焚火の光は温かく、月の光は穏やかに彼らと砂漠を照らしている。
「映像記録で狼を見たことがあるんだ。金色の目をしてて、それがお前みたいでさ」
「金?」
「ああ。君の目、たまに色が変わって見える。鏡で見たり言われたこと無い?」
「初めて言われたわ、今も変わって見えるん?」
「え? うん、まあ……」
ウルフウッドの、ヴァッシュだけの金の目。今まで誰からも気づかれていなかったかもしれない事実はゆるゆるとヴァッシュを驚愕させた。
膨大な甘い何かが心の中から溢れてくる。
一方のウルフウッドは己では見えない代わりなのか指を目のほど近くの顔面にしばらく這わせていたが、ヴァッシュの顔色の変化に気づくと、その目をいたずらっ子のように細めた。
「なら……」
「ん?」
ウルフウッドが手をヴァッシュの顔に沿わせれば、思った通りの熱が伝わってくる。自身の思い当ってしまった考えにすっかり赤面し感情のやり場に腐心していたヴァッシュは、ウルフウッドの手に完全な無防備を晒した。指がヴァッシュの金色の髪に触れてくる。焚火の炎を間近でちらちらと受け、溶けそうなほど甘い金色をしている。
「トンガリのこれ、見過ぎたんかなあ」
指がそのまま緩やかに後頭部へと移動する手櫛の感触に、頭皮が、脊髄を通して全身が甘く痺れる。蕩けそうだ。ヴァッシュは後頭部をぐっと押され、鼻同士が今にも擦れそうな距離で囁かれた。
「な、ハニー?」
甘い色の瞳で言われれば惚れた男は陥落するしか術はなかった。
「ダーリン、お手柔らかに頼むぜ?」