きみしにたまふことなかれ忍術学園を卒業後、家業を継いで炭屋で働きながら、桂男をしている庄左ヱ門。一年は組の友人たちを始め、忍術学園で知り合った先輩や後輩も時折遊びに来ていた。
そんなある日、とある女が訪ねてくる。つややかな黒髪で体の線が細く、はっきりした目鼻立ちの女だ。特別美人という訳ではないかもしれないが、気品ある美しい女だった。
「少し炭をいただきたいのですが。」
とかわいらしい声がする。その女を見て庄左ヱ門は唖然としてて何も言えず、じっと見つめるばかりだ。
「兄上、兄上!どうされたのです?」
「あ、あぁ、ごめんね庄二郎。ちょっと……その。」
庄左ヱ門は弟に呼ばれてはっと気づいて謝った後、少しばかり頬を赤くして
「見惚れてしまって。」
と庄左ヱ門はそれなりの声の大きさでいった。もちろんその女性にも聞こえただろう。その言葉に炭屋がざわめいた。そろそろ結婚の話も出始めつつも、マイペースかつ冷静な性格のせいかなんとも縁談がうまくまとまらない庄左ヱ門がそんなことを言うのだ。ぱっと見気品のある女、奥からも何人かなんだなんだと顔を出し、その場の全員が手を止めてその見惚れた女というのを見た。
「そ、そんな……旦那様のような方にそう言って頂けるような女ではございませんわ……」
と恥ずかし気に顔を伏せ気味にして口元を隠しながらそういう。耳が真っ赤になっているのが見える。
「炭は重いですから、お持ちしますよ。お代も運んだ先でいただきます。」
と急に庄二郎が言った。手際よく準備をして、庄二郎はほら兄上、とその炭を渡す。
「この男がついていきますんで、2人はごゆっくり。兄上も今日は急ぎの仕事はないからゆっくりしてきていいよ!」
なんて背中を押され、庄左ヱ門は言われるがままに女性と店を出た。
「……行きましょうか。」
「は、はい。」
と二人で歩きだしていく。炭屋から何人か様子を伺っているようだったがつけてくる気配はない。だれもつけてきていないことを確認して、十分に店から離れ、人気のないところで、庄左ヱ門はため息をついた。
「お久しぶりですね鉢屋先輩。」
と声を出す。女性は驚いた顔をして、でもすぐににやりと笑う。
「なぁんだ、気づいてたのか庄左ヱ門。」
女は先ほどとは全く違う、男の声で答えた。
「えぇ、店に来た時に気付きました。」
「成長したなぁ。」
「えぇ、師事した先生がよかったもので。」
「山田先生と土井先生のことか?」
「僕は鉢屋先生にもお世話になりましたよ。」
「先生なんて今まで一度も呼んだことないくせに。」
「今初めて呼びましたね。」
とくすくすと笑いあいながら話をする。
「それで、わざわざ僕に会いに来てくださったんですか?」
「あぁ、久しぶりにかわいい後輩の顔を見に来た。」
「そうですか。では近くに美味しいお団子屋があるので、かわいい後輩に奢ってください。」
「ここはわざわざ会いに来た先輩に奢る流れでは?」
「本当に、会いに来ただけなら、奢りますよ。」
「……あーあ。勘右衛門みたいになっちゃって。」
「尾浜先輩はお元気ですか?」
「さぁ?でもあいつのことだからのらりくらりやってんじゃないかな。」
なんて軽口をかわしながらお団子屋に行く。そこでは本当に普通の男女として話をしながら、普通の話に混ぜて鉢屋から質問が飛んでくるので庄左ヱ門はそれに答えていく。はたから見たら単なる会話、でも忍びとしての情報交換はしっかりと。
「また近々お会いしたいです。」
と女の声で鉢屋がというので、
「私は基本的にあの店にいるので」
と返事をする。
炭屋に帰るとみんなが嬉々としてどうだったと聞いてくるので、どうってなにが?ととぼける庄左ヱ門。また来てくれたらいいな、と言われたので
「また会いに来てくれるって。」
と答える。周りからはだらしない顔して~とからかわれる。
別れ際、あんな簡単に女の子に見惚れたとか言っちゃだめだぞ、と言われたので
「いいえ、本当のことだったので。」
「は?」
「昔から何一つ変わらない、鉢屋三郎先輩だって、見惚れたのは本当ですから。」
「……恥ずかしいやつだな。」
「どうとでも。昔から、そうでしたから。」
と、口説いておいたのは内緒の話。