投げられたのは賽か匙か どうして、どうして『あんな事』をしてしまったのだろう。
ただ、みんなと離れたくなかった。
それがただのワガママだったとしても、もっとみんなと一緒にいたかった。
それだけ、本当にただそれだけだったのに。
都会に戻った家の中で一人、リビングのテレビの前にあるソファにうずくまってそんな後悔をずっと抱えている。
あの日、逃げる様に戻ってきた都会の外は今日も霧に覆われている。
……きっと、八十稲羽も。
「___っ」
そんな考えがよぎって、また胸が苦しくなる。
こんな気持ちになる権利なんて俺には無いのに。
どんな理由が、事情があっても、みんなを裏切った事には変わらないのだから。
だからと言って、もうどうしようもない。
今更やり直すなんて都合のいい話はないし、仮にやり直せたとしても俺がみんなを裏切った事実は変わらない。
都会に戻ってもう数ヶ月。
ずっと後悔し続けて、あの人からの電話に怯えて過ごしていた。
いや、あの人からの電話だけじゃない。
みんなからの連絡も辛かった。
でもみんなから連絡も、段々回数が減っていって、今ではもうほぼあの人からだけだ。
だから携帯の着信音が鳴る度にビクビクしながら相手を確認するのが苦痛で仕方なかった。
でも、これは罰なんだろう。
俺のたったひとつのくだらないワガママのために、みんなを裏切ってあの人の償いへの道を奪った、俺への。
「ごめんなさい……」
俺の口から、また謝罪の言葉が漏れた。
あの時、みんなに真犯人が誰なのか告げるべきだった。
事件を終わらせるべきだった。
それに、本当にあの人の事を考えるなら、ちゃんと罪を償わせるべきだった。
それでも黙っていたのは、あの人を庇うためなんかではない。
ただ、事件を終わらせたくなかっただけ。
事件が終わって、みんなとの繋がりが切れるのが怖かった。
もう独りになりたくない。
もう寂しい思いはしたくない。
『楽しかった思い出』として忘れ去られてしまうくらいなら、いっそ『最悪な記憶』として忘れられない様にしてしまえばいい。
そんな事さえ考えてしまった。
そんなくだらない、本当にくだらない俺のワガママで、あんな、あんな事を……。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
そんなつもりじゃなかったんです、ごめんなさい。
思考とは裏腹に、勝手に言葉が出てくる。
もう何回目かもわからない謝罪。
それは、誰に対しての、何についての謝罪なのだろうか。
今日もまた、誰にも届く事のない無意味な謝罪をうわ言の様に呟き続ける。
何を今更。こんな事に、もうなんの意味も無いのに。
きっと、この霧が晴れる事はもうないだろう。
ずっとこのまま、何も変わらずに__。
突然、電子音が鳴り響く。
「__ひっ!?」
それは携帯から鳴る着信音だった。
テーブルの上に置かれた携帯が音と共に震えている。
相手が誰かなんて、見なくてもわかった。
だって、今の俺に電話をするのはもうあの人しかいないから。
俺は怯えた目で携帯を見る。
着信音はまだ鳴り続けている。
まるで早く電話に出ろと催促しているみたいに。
「あ、あぁ、ああああぁぁ!!!」
俺は頭を掻きむしってから耳を塞いだ。
それでもまだ音が聞こえる。
俺は一刻も早くその音から、現実から逃げたくて、耳を塞いだまま立ち上がる。
どこか、どこか遠くに__。
そう思った瞬間、俺の視界にテレビ画面が映った。
そして思い出した。
かつてみんなと事件を解決するために行っていた、テレビの中。
_____テレビの中、なら。
そう思った俺はそのままテレビの中へ入って行った。
テレビに入る直前、テレビの画面に反射していた俺の顔は__。
救いを求めて彷徨う亡者の様だった。
*
一瞬の浮遊感。
次に感じたのは下へ落ちる感覚。
最後に体を地面に叩きつけられた衝撃。
「うっ……」
大した痛みではなかったから、そこまで高い所から落ちたわけではなさそうだ。
体を起こして周りを見渡したが、霧のせいであまり見えない。
ここはどこだろうか?
少なくとも誰かのダンジョンの中や近くではないのは確かだろう。
……まぁ、どこであろうと別に構わないか。
どうせ行く宛なんて最初からない。
俺はただ逃げたかっただけなのだから。
それが現実からなのか、自分の犯した罪からなのかはわからないが。
不意にまた着信音が聞こえた気がした。
慌てて自分の手元を確認する。
当然だが何も無い。念の為ポケットの中も確認したが何も入ってない。
当たり前だ。だって確かに、携帯はテーブルに置いたままテレビの中に入ったはずなのだから。
ならば幻聴か、それとも気の所為だろうか。
でもまだ着信音が聞こえている気がする。
思わずまた耳を塞ぐ。
それでもまだ、着信音が頭の中に鳴り響いている感じがして。
まるで『逃げるな』と、『逃がさない』と言われているみたいで。
俺は耐えられなくてその場から走り去った。
「ハッ……ハッ……」
意味もなく、宛もなく、走り続ける。
霧で視界も悪い中、ただひたすらに。
現実から逃げて、テレビの中でも逃げて。
逃げて、逃げて、逃げ続けて。
この意味の無い逃避に終わりはあるのだろうか?
霧の中を走り続けたせいか、段々足取りが重くなる。
ジワジワと何かに侵食されるみたいに、自分の体が自分のものではなくなっている気がする。
もう走ってるというよりは、無理やり足を引きずって動かしているといった方が近いかもしれない。
それになんだ息苦しい。それは走り続けたせいなのか、それともずっと霧の中にいるからなのだろうか。
そんな事を考えていたら、目の前に影が見えた。
シャドウ、だろうか?
立ち止まって、身構える。
かつてみんなと一緒に戦っていた時の癖が出てしまった。
でも戦うよりも、いっそこのままシャドウに襲われてしまった方がいいかもしれない。
どの道、丸腰で来たから戦う術なんてない。
どうせ襲われて死ぬ事に変わりはないのなら、このまま大人しくしておこう。
そう思った俺は、その場で立ち尽くした。
……………。
影はその場で全く動かない。
様子を見ているのだろうか?
……それとも、シャドウではないのだろうか?
霧が深くてよく見えないから断定はできないが、もしかしたらシャドウではないのかもしれない。
ならば目の前の影は何なのだろうか?
俺は影に近づいてみる。
相変わらず見えずらいが、近づいていく内にだんだん形がはっきりしてきた。
それはテレビだった。
今ではもう見かけない古いアナログタイプのテレビ。
沢山のテレビがまるでひとつの塔の様に高く積み上げられていた。
__なぜ、テレビがこんな所に?
テレビに近づいていくにつれ、画面に反射される俺の姿もはっきりしてくる。
そこに映っていたのは___。
歪な姿の、人ではない何かだった。
鱗のある、やけに長い身体。
腰辺りから生えている二対の羽。
俺の下半身は、まるで蛇の身体と蝙蝠の羽を合わせた様な姿に変わっていた。
「…………え? は? なん、で?」
俺は驚いて目を見開く。
自分の見たモノが信じられなくて、足元を確認する。
でも、そこに俺の足はなかった。
代わりにテレビの画面に反射して映っていた姿と同じモノがあった。
それでも信じられなくて、その変わり果てた身体を触る。
人の肌とは違い、ひんやりとしていて、スベスベしている。
その掌から伝わってきた感覚が、自分の体が変わってしまった事が嘘じゃないという証明だった。
どうなっているんだ? 一体何が起こっているんだ?
なんで、なんでこんな事に?
俺はこの状態を受け入れる事ができない。
俺はこの状況を理解する事ができない。
俺はこの___。
突如、目の前が明るくなった。
俺の目線と同じくらいの高さのテレビのひとつが、ザーザーと音を鳴らしながら砂嵐を表示した。
砂嵐が段々薄くなっていく。
そして映し出されたのは。
霧の晴れた、八十稲羽の商店街。
そこにはみんなが映っていた__俺の姿も。
道の真ん中で円陣を組んでいる。
何を言ってるかは、ノイズのせいでわからない。
でも、心から喜んでいるのは伝わってくる。
………。
………………。
………………………。
画面の向こう側では、みんな笑っている。その中に、俺もいる。
澄み渡る青空の下、とても嬉しそうに。
もう随分と見ていない太陽の光が、みんなを優しく照らしている。
その光景があまりにも眩しくて、目を細める。
眩しいと感じたのは画面の光か、それとも画面に映っている太陽の光か。
どちらにせよ、俺にとってはとても眩しいモノである事には変わらない。
……これは、なんだ? なんのつもりなんだ?
まるで、まるで、これが俺の本来歩むべき未来だったと言わんばかりの映像。
本当なら、こうなるはずだった未来。
俺が間違えたせいで、消えた未来。
思わず拳を強く握りしめる。
なんでこんなものが、どうして今更。
再び砂嵐が映る。場面が切り替わる。
そこは、俺が八十稲羽で1年間住んでいた__堂島家のリビングだった。
リビングにはみんなだけじゃなく、菜々子や叔父さんもいた。
コタツに入って、ケーキを食べている。
菜々子も、叔父さんも嬉しそうに笑っていた。
元気そうで、楽しそうに。
俺の時は、菜々子は退院できなかったのに。
……なんで、お前だけ。
また砂嵐が映る。
堂島家のリビングで、俺と菜々子と叔父さんがおせちを食べている。
その光景はまさに家族団欒を絵に描いた様な風景だった。
それから、玄関先で3人でクマの形をした雪だるまを作っている。
その後、俺はみんなの所に行っている。
相変わらず、何を言っているのかはノイズで分からない。
そしてまた砂嵐。
次に映ったのは……どこだろうか?
そこは俺の知らない場所だった。
辺り一面が雪に覆われている。
みんな、スキー板やスノーボードを持っている。
どこかに出かけているのだろうか。
それぞれスキーやスノーボードを楽しんでいるみたいだ。
とても、とても楽しそうに。
みんな、笑っていた。
…………__。
また砂嵐が表示されて、場面が切り替わる___その前に、俺はテレビの画面を殴った。
これ以上見続けるのは、もう耐えられなかったから。
だが、殴った感触はなかった。
俺の手が、腕が、画面の向こうにすり抜けていた。
だから、バランスを崩してテレビの中に落ちそうになった。
体制を整えようと思い踏ん張ろうとして、思い出す。
もう俺に踏ん張る為の足がない事を。
足ではなく蛇の身体に変化していたからどうしようもできなくて、結局テレビの縁に頭をぶつけた反動でその場に倒れた。
「うっ、うぅ……」
情けない呻き声を出しながら、俺は慣れない蛇の身体と羽をどうにか動かして起き上がろうとする。
今までと違い、下半身のどこにどう力を入れればいいかわからない。
辛うじて何も変わってない手を使って立ち上がろうとするも、それだけでは全然足りない。
しばらく無様な姿で地面に這いつくばったまま、起き上がろうと足掻く。
変わってしまった身体も動かそうとするが俺が動かそうとする所とは別に、尻尾が勝手に動いたり、羽が羽ばたく様な動きをする。
何度も何度も試行錯誤して、ようやくどこの筋肉でどの場所が動かせるのかわかってきた。
ゆっくりと、ぎこちなく身体を起こす。
足でバランスをとれなくなった代わりに、羽を使ってバランスをとる。
それでようやく安定して身体を支える事ができた。
思い通りに動かせない身体に四苦八苦しながら、最終的にどうにか体制を立て直す事ができた。
そして、忌々しい映像を流し続けていたテレビを見やる。
俺の手が入ったからか、それとも映像はあれで終わりだったのか、テレビの画面は砂嵐のままだった。
…………。
これは、これは、一体何なんだ。
あの映っていた映像はなんだったのか。
俺が間違えなければ、辿り着いていた未来を表していたのか。
それともあの時、間違えなかった別の世界線の俺なのだろうか。
いや、どっちでもいい。
仮にそのどちらであっても__。
___憎い。
画面の向こうに映っていた俺が、心底憎い。
憎くて憎くてたまらない。
だって、だって、___狡いじゃないか。
あんなに楽しそうに、嬉しそうにみんなが笑っていて。
その中に俺もいて。
屈託のない笑顔で一緒に過ごしているなんて。
………どっちも俺である事には変わらないのに。
画面の向こう側の俺はみんなに囲まれていて、今ここにいる俺は独り。
あっちの霧は晴れていて、こっちの霧はずっと残っている。
人の姿のままの俺と、歪な化け物の姿になった俺。
あまりにも何もかもが違い過ぎて、画面の向こう側にいる俺への嫉妬が止まらない。
憎くて、狡くて__羨ましい。
俺だって、そんな風にみんなと過ごしたかった。
みんなと笑いあって、楽しく過ごしたかった
。
八十稲羽で過ごした日々は、本当に楽しかった。
ここに来る前は白黒だった風景が、色鮮やかになったかの様に。
笑ったり、泣いたり、怒ったりもした。
初めて、人に興味を持って、関わって、沢山の事を学んだ。
とても楽しかった。みんなの事が大好きだった。今でもその気持ちに嘘偽りはない。
俺にとってみんなは、とても大切な仲間であり友達である。
それと同時に___絶対に失いたくないモノでもあった。
だから怖かった。
この楽しい日々がいつか終わるという『現実』が。
__みんなと離れ離れになる事が。
俺がここにいられるのは1年間だけ。
そんなの最初からわかっていた。わかっていた、わかっていたけど。
俺にとって、八十稲羽で過ごす日々があまりにも楽しくて。
だからこそ、八十稲羽から都会に戻った時の事が考えられなかった。
……正直に言えば考えたくもなかった。
だって、俺がいなくなっても、きっとみんな普通に過ごしていく。
ただ、そこに俺がいないだけ。
そこに俺がいないだけで、何事も無かったかの様に。
__そして、みんなの記憶から忘れ去られる。
そんなの、耐えられない。耐えられるわけがない。絶対に許さない、認めない。
親の都合で引っ越す度に、いつもそうだった。
結局、人との繋がりは信頼関係なんかではなく、物理的な距離にあったんだ。
どれだけ仲良くなった人も、離れ離れになれば疎遠になる。縁が切れる。
家族でさえ、そうだったのだから。
それが何度も何度も繰り返されて、いつしか人に期待するのを、信じるのをやめた。
もう諦めてた、のに。
八十稲羽に来て、みんなと出会って、また信じてみようと思えた。
……けど。
離れ離れになったら、また同じ目に合う。
そう思った。
そう思ってしまった。
思ってしまったから、俺は。
俺はあの時__。
「__やり直したいかい?」
「っ!?」
不意に声が聞こえた。
驚いて周りを見渡すが周囲には影も気配も、何も感じない。
「心配しなくても、今君に何かをするつもりはないよ。ただ話をしたいだけさ」
「誰……いや、何なんだ、お前」
警戒しながら返事をする。
その声は遠くで響いている様な、それでいて近くで囁かれている様な感じがしていて、声の主がどこにいるのかわからない。
ただひとつわかる事がある。直感ではあるが、ほぼ確信している。
この声の主は__人間じゃない。
それに、俺はこの声をどこかで聞いた事がある気がする。
「私の正体よりも、もっと重要な事があるだろう?」
「………」
「君は過去に自分のした行動を悔やんでいる。だからやり直したいと望んでいる。違うかい? 」
「それはっ! ……それ、は」
声の主にそう言われ、思わず動揺してしまう。
その声の言う通りだった。
そんなの__やり直せるなら、やり直したいに決まっている。
俺は、あの時違えた。
だから俺は今、みんなと離れ離れになって、事件は未解決のままで、テレビの外は霧に包まれている。
もし、あの時。
ちゃんと事件を終わらせていれば。
___間違えた選択をしなかったら。
あんなワガママを押し付けなければ。
___もっとみんなを信頼していたら。
きっと、何かが違っていたのだろう。
あのテレビに映っていた様にみんなと一緒に笑って過ごせていたのかもしれない。
今となってはもう、後の祭りでしかないが。
「君が欲しているモノは、もうこの世界では手に入ることはない。そして、あの映っていた光景こそ、君が欲しかったモノだろう?」
「__っ、なんでその事……。まさか、ここにテレビを置いたのはお前か!? あの映像も__」
「ええ、ですが私はあくまで『置いた』だけ。そこで何が映るかは君次第。そして、映っていたのが『それ』だったということです」
思わず歯ぎしりをする。
まるで声の主に何もかもを見透かされて、掌の上で転がされている気分になる。
例えるなら、天から人間を見下ろしている神様の様な__。
「____私が君の望みを叶えましょう」
「………は?」
突如、声の主はそんなデタラメな事を言い出した。
「君は後悔している。故に、やり直す事を望んでいる。ならば私がそれを__」
「待ってくれ、いきなり何なんだ。望みを叶えるとか、何を言っているんだ? それに、そんな事急に言われても、『はい、お願いします』と言うわけないだろう」
「……………なぜ?」
その声が不思議そうに尋ねる。
どうやら声の主にとっては、俺がこう答えるのが少し予想外だった様だ。
その反応に少しだけ苛立つ。
「正体も分からない奴の言う事を信用できるわけないだろ。それに本当にできるかどうかもわからない事なのに……。そもそも、俺がいつお前に何かを望んだか? 俺はお前に何かを望んだ覚えはないし、叶えてくれと言った覚えもない」
しばらくの沈黙。そしてまた声が聞こえる。
「なるほど、君の言いたい事はかった。そもそも、きみは幾つか勘違いをしている」
「勘違い……?」
「まず、私の正体についてだが__これは今の君にとってどうでもいい事だ。……どうしても私の正体を知りたいなら、私に会いに来るといい。………ここではないどこかで」
その声には何かしらの感情が混ざっている気がしたが、その感情が何なのか俺にはわからなかった。
「次に君は『いつ望んだか』と言ったが、あの映った映像がその証明さ。あの映像が流れたのは君の心にある望みが反映されたからだ」
「……あれが、俺の」
今一度テレビの画面を見る。
ならあの映像は俺の『ずっとみんなと一緒に過ごしたい』という気持ちが反映されたとでも言うのか。
「最後に『できるかどうかわからない』と言っていたが……これに関しては説明してもきっと君は信用しないだろうね。それに私の言った事を理解できるのはやり直した後になるだろうから」
そう言った後、砂嵐を映してたテレビの画面が消える。
そして、全てのテレビの画面が淡く光った。
「その中に入れば、やり直す事ができる」
「……それが嘘や罠でない証拠は?」
「ふふっ、それは入ればわかる事さ」
「…………」
「そもそも君が私の事を信用するかどうか、それはあまり重要な事ではない。私はあくまで『君の望みを叶える』という形で選択肢を与えただけ。やり直すという選択をね」
声の主はあくまで淡々と話す。
「どうしても私の言う事が信用できないというのなら、ここを立ち去っても構わない。この霧に飲まれた世界で、その異形の姿で生きるのもひとつの選択だ。私は君に何かを強要するつもりはない。全ては君次第さ」
その言葉を最後に、声の主は何も言わなくなった。
ただ黙っただけなのか、それとも居なくなってしまったのか。
それを判別する事は俺にはできなかった。
俺は自分の身体を見下ろす。
人の体とは明らかに違う、変わり果てた姿。
蛇の身体と、蝙蝠の様な羽。
ぼんやりと光るテレビ画面が俺の姿を照らす。
その光によって作られた影の形は人のものではない。
未だに受け入れる事ができないが、もう認めるしかないのだろう。
俺が___人の姿ではなくなった事を。
あの声の主は言った。『全ては君次第』、と。
テレビの中に入るか、ここを立ち去るか。
俺は、どうすればいいのだろうか。
あの声の主の言葉を信じるなら、テレビに入ればやり直せるらしい。
だが、それが嘘や罠である可能性だってある。
声の主は、結局やり直せる事の証明や証拠を示さなかったのだから。
しかし、相手が嘘をついている様には聞こえなかったし、俺も相手が嘘をついている証明や証拠を示す事もできない。
あの言葉が全て嘘だと断定はできないが、疑わしい事には変わらない。
だが、声の主が俺を騙して何の得がある?
あの声の主は、『望みを叶える』と言った。
本当にそんな事が、できるのだろうか。
本音を言えば、言う事が許されるなら、やり直したいに決まっている。
やり直して、みんなに会いたい。
あの人が償う為の機会を奪いたくない。
俺はテレビ画面を見る。
恐らくあの時と同じ。選べばもう引き返せない。
ならば___。
俺は、テレビに近づいた。
テレビの中に入る事を選んだ。
やり直す事を、選択した。
このテレビの先がどうなっているのか、わからない。
『やり直す』という望みも、どこからなのか、どういう形で叶うかもわからない。
あの声の主の言ってた事が全部嘘で、ただテレビの外に出るだけかもしれないし、あるいはどこか別の場所に繋がってるだけかもしれない。
いや、そもそもこのテレビも、あの聞こえてきた声も全部偽物かもしれない。
全てから逃れたいと思った俺の、都合のいい幻覚や幻聴かもしれない。
でも。
もし、全て現実なら。
もし、声の主の言う事が本当なら。
もし、まだ間に合うのなら。
___俺は、やり直す事を選ぶ。
それがどれ程都合のいい話なのかはわかってる。
たとえやり直せたとしても、俺はみんなを裏切った。
その事実は変わらないし、変えられないだろう。
やり直した先でも、きっとそれはなかった事にならない。
でも、それでも。だからこそ。
みんなに会いたい。ずっと一緒にいたい。笑顔で楽しく過ごしてほしい。
ここで間違ってしまった分、せめてやり直した先ではみんなには幸せになってほしい。
それが叶うのならば、どう思われてもいい。
仮にテレビの先に何かの罠があったとしても構わない。
ただ俺が騙されただけ。それだけで終わる話だ。
それにどうせここに残った所で、何かが変わるわけでもない。
どの道、こんな姿になってしまったからにはテレビの外に出る事もできないだろう。
たとえ姿が変わらずテレビの外に出れたとしても、どうせまたあの無意味で虚しい日々を過ごすだけ。
ならば僅かでもやり直せる可能性がある方に賭けたい。
それにやり直せるなら、俺の姿も戻るかもしれない。
別に人の姿である事に執着はしていないし、人でなくなる事は俺にとって大した事でもない。
俺にとって重要なのはみんなと一緒にいられるかどうか。
人の姿でなくなれば、みんなと一緒にはいられない。
人の姿でなくなる事よりも、みんなと一緒に過ごせない事の方が恐ろしい。
だからこそ、俺は変わってしまった自分の姿が受け入れられなかったし認めたくなかった。
だけどこの姿がもしみんなを裏切った罰だというなら、確かに俺には相応しいだろう。
このままテレビの中にいれば、もしかしたら完全に人の姿を失って、終いには記憶や感情さえも消え去ってテレビの中にいるシャドウと何も変わらない存在になっている可能性だってある。
そうなればもう二度とみんなと会う事はできないだろう。
でも、まだそうなると決まったわけじゃない。
やり直せるという事が本当なら、この姿も元に戻れるかもしれない。
もし、やり直せて人の姿に戻れたのなら。
あのテレビに映っていた映像。
あの映像を、俺の望みを、実現させよう。
やり直しが1度きりなのか、それともあの映像の通りになるまで繰り返されるのかはわからない。
でも、同じ過ちは絶対に繰り返さない。
少なくともこの状況よりは絶対に酷くはならない様にはできるはずだ。
俺はテレビの中に入ろうとする。
変わり果てた身体でテレビの中に入るのは大変だった。
入る時に羽が引っかかってなかなか入れなかった。
だんだん苛立ってきて、邪魔ならいっそ羽を引きちぎろうとも思ったが最終的に無理やり押し込んだ。
その痛みも窮屈さも人の姿でなくなった事も、今は些細な事だ。
そんな事よりも、俺はやり直せるかもしれないという期待で頭がいっぱいだった。
今度こそ、今度こそきっと。
そう思いながら、俺はテレビの中に落ちていった。
*
「やはり、それを選びましたか」
「ええ、君ならそれを選ぶと私は信じてましたよ」
「心配しなくても、君の望みはちゃんと叶うでしょう」
「あぁ、もちろん対価は払ってもらうよ。でも君が気にする様なモノではないから安心するといい」
「それは君にとっては大した事ではない。そうなのだろう?」
「だから君が納得するまで、何度でも『やり直す』といいさ。」
「___君が『私』に会いに来るまで、何度でも、ね」
終