泥路「そこのお兄さん」
嗄れた声に呼ばれ、足を止める。
活気溢れる露店街の中に異様な雰囲気を纏った店がひとつ。その一区画だけ別世界から切り取ってきたかのようだった。中では僕を呼び止めた声の主だと思われる老婆が静かに座り、じっとこちらを見つめている。
「僕のことかな。何かご用ですか?」
「あなた、会いたい人がいるでしょう」
一瞬、あいつの顔が浮かんだがすぐに頭の隅へと追いやった。誰にだって会いたい人の一人や二人はいるだろう。多くの人に当てはまることをいかにもな口調で語り、まるで心を読んだかのように思わせる。そうやって客の信用を得て商品を買わせるのだ。昔からよくある手法だ。
「そりゃあ会いたい人はたくさんいるけどね。間に合ってマス」
へらりと笑って立ち去ろうとする。
「……お兄さん、あなた人間じゃないよね」
そう来たか。
「いやだなぁ。ひどい冗談はやめてくださいよぉ」
大袈裟におどけてみせる。しかし老婆は小さく笑い、静かに話を続けた。
「別にお兄さんの正体なんてどうだっていいさ。これはただの親切心。あなた、その"会いたい人"のことでとても傷付いてるでしょう。なんだか可哀想で見ていられなくなってしまってね。良かったらこれ、使ってみて」
成功するかは分からないけど。
意味深な言葉と共に、老婆は赤ん坊くらいの大きさの古い袋を僕の手に押し付けた。
「必要な物はほとんど入ってるから」
「……これは?」
「会いたい人に会える魔法」
なんじゃそりゃ。
無理矢理持たされた謎の袋を見つめ、暫し思案する。
……タダで貰うにしてもさすがに怪しすぎるよな。
「マダム、やっぱりこれはお返しするよ……って、え?あれっ!?」
目を離したのはほんの数秒だったはずだ。しかし目の前には老婆の姿どころか店すらなく、狭い路地へと続く土の道がただ伸びているだけである。
僕は返す宛てを失った袋を腕に抱え、その場に立ち尽くした。
露店街を後にし、宿へと向かう。老婆に押し付けられた袋は僕の腕に抱かれたままだ。
フロントでキーを受け取り、ぎしぎしと軋む階段を上る。目的の部屋を見つけ鍵穴にキーを差し扉を開けた。お世辞にも広いとは言い難い部屋だが、僕一人が寝起きするには十分な広さがある。手狭ながらバスルームも備わっており、使い勝手は良さそうだ。窓から月明かりが差し込む室内には古いベッドとこぢんまりとした机が置かれていた。ベッドの脇に荷物を置き、例の袋は机の上へ。コートを壁に掛けインナーを脱ぎ捨てると、バスルームへと足を運んだ。
疲れた身体を水で洗い流し、部屋に戻る。机に置かれた袋に自然と目が向いた。
押し付けられたとはいえ使わないのももったいない気がする。何か起きても起きなくても、話のネタくらいにはなるんじゃないか?いや、何も起きるわけないんだけどさ。でも……。
誰に言っているのか、僕は頭の中でつらつらと言い訳を並べていた。決して老婆の話を信じたわけではない。信じたわけではないのだが。ほんの少しだけ、会いたい人に会える魔法とやらを試してみたくなったのだ。
袋の中身を全て出してみる。中には土の塊と、手順が書かれたざら紙が入っていた。
「えーっと……?」
紙には何やらたくさんの元素が羅列されていた。それらは全てこの土の塊に練り込まれているようだ。人間の構成成分らしいが……細かいことは気にせずに今は先に進むことにする。僕が準備するのは水と、そして。
「その人に会いたいという強い気持ち……」
会いたい気持ち。一体どうやって気持ちを材料に加えるのか。その場で必死に願えとでも言うのだろうか。
「ま、やるだけやってみますか」
もし過去に戻れるなら、この時の自分を殴り飛ばしてやりたい。こんなことは今すぐやめろって。
バスルームから拝借した盥の中に土の塊と水を入れる。たったこれだけで準備は終わってしまった。あとは気持ちを込めるだけだ。
目を閉じ、あいつのことを考える。無遠慮に僕の心にづかづかと入ってきた男。忘れたくても忘れられない。それどころか、怪しい老婆の言葉に乗せられ、こんな馬鹿げたことにまで手を出そうとしている。
「……会いたいよ。ウルフウッド」
ずるり。
静寂に支配されていた室内で小さな音がした。はっとして目を開く。音の主は盥であった。
水を含んだ土は泥となり、ずぶずぶと音を立て次第にあるものの形を成していく。
僕は目が離せなかった。泥が少しずつあいつの姿へと変わっていったから。
「ウルフウッド……!?」
僕が会いたいと願った男が泥まみれで立っていた。
ウルフウッドと思しき泥から産まれた男も僕も、目の前で起きたことが信じられず、困惑しながら互いを見つめていた。
泥で形成された身体はいつの間にか滑らかな人間の皮膚に包まれている。
成功したのか……?
だが、素直に喜んではいけない気がした。だって僕は死者を蘇らせてしまったのだから。墓の下で静かに眠る君を目覚めさせたんだ。
……そうだ。僕はあの地で、君を埋めた。じゃあここにいる君は?同じ姿の別人?そもそも人なのか?お前は何なんだ?
思考がまとまらない。狼狽えるばかりの僕に向かって"それ"は聞き覚えのある声を発した。
「トンガリ?」
僕をそう呼ぶ奴は一人しかいない。
「ウルフウッドなの……?」
「……久しぶりやな」
「そう、だね」
成功するわけがない。魔法なんてない。話のネタにでもなればいい。軽い気持ちで老婆の口車に乗ったことを今になって後悔していた。ウルフウッドに会えて嬉しいのに、罪悪感からその姿を視界に収めることすらできない。
「トンガリ、悪いんやけどなんか着るもん……」
目の前の彼が裸だということに今更気が付く。急いで荷物から適当な服を取り出し、手渡そうとした。のだが。
ぼとっ。
ウルフウッドの右腕が崩れて床に落ちた。
「わああああああああ!?」
慌てて拾い上げようとする。しかし腕は湿った泥のようにぐずぐずと崩壊していく。
「あぁ、そんな、ウルフウッド……っあ、あぁ」
──ぐずり。
あの日、君を抱きとめた時の感触を思い出してしまった。
呼吸がうまくできない。どうしよう。せっかく会えたのに、また目の前で失うのか?嫌だ。耐えられない。苦しい。
「はぁ……はぁっ……!」
息の仕方を忘れたみたいだ。どうやって吸えば、吐けばいいのか、まるで分からない。どうしよう。どうしよう。どうして。
取り乱した僕の背中を大きな手が優しく摩る。
「オドレ大丈夫か?汗すごいで……」
呼吸が楽になった。不足した酸素を取り込もうと僕の胸が激しく動く。
「げほっ……ぅ、……え?ウルフウッドこそ大丈夫なの!?君の、身体……崩れ、」
ウルフウッドの方へ視線を移す。確かに右腕は肘の辺りから失われていたが、欠損部の周囲を乾燥した泥が覆っているだけで、それ以外は人間の皮膚と変わらないように見える。
僕らは床に落ちた"腕だったもの"を見つめ、ただ呆然とすることしかできなかった。
泥からウルフウッドが蘇った。
他人が聞けば一体何を言っているのかと笑うだろう。だが事実だ。僕は目の前で見ていたし、ウルフウッドは自らの身体で経験している。僕らはそれが現実に起きたことなのだと受け入れるしかなかった。
「ちうか」
ウルフウッドが沈黙を破る。
「なんでワイは生きとるん?自分で言うんもけったいな話やけど、ワイ死んだやろ?オドレも横で見とったはずや」
「ゔ!そ、うだけど……その、僕が、」
「オドレが?」
「……」
言えない。君に会いたかったから生き返らせました、だなんて。
「えっと……」
ウルフウッドは口籠る僕の返事を大人しく待ってくれている。しかし真っ当な理由も上手い言い訳も思い浮かばない。
……どうしよう。こうなったら、もう。
「君が……死んで、すっごく悲しくて……。また君に、会いたくて……その、生き返らせちゃいました、みたいな……?」
結局ありのままを伝えるしか僕に道はなかった。
「は?」
「だって!成功するなんて思ってなかったんだ!死んだ人間が生き返るなんて絶対有り得ないって!」
「生き返っとるやん」
「そうなんですよねぇぇぇ!!」
僕は頭を抱えて叫んだ。
とりあえず落ち着け、と軽く頭をはたかれた。ウルフウッド一番びっくりしているだろうに、やけに冷静だ。僕が激しく動揺していたからだろうか。
これまでの経緯を語りつつ、腕が落ちたせいで渡し損ねた服を今度こそウルフウッドの手にしっかりと持たせた。自分では滅多に着ることのない白の開襟シャツと黒のボトムス。無意識に選んだのか、生前の彼の装いとそう変わらない組み合わせに思わず苦笑する。
「おおきに」
律儀に礼を言うとウルフウッドは早速衣服を身につけ始めた。僕とは違って傷一つない綺麗な身体が布に覆われていく。
「……何見とんの。スケベ」
「はぁ?」
またどこか崩れ落ちやしないかと心配していたというのに、あろうことか男の着替えを好んで眺める変態だと思われるなんて心外だ。
「お!ま!え!が!また腕だか足だか落としたら大変だから見てたの!勘違いしないでもらえます?」
「へーへー。お気遣いありがとさん。……っと、ほんならこれも頼んでええ?」
ウルフウッドは羽織っただけのシャツのボタンを左の手で指差した。僕は頷き、数歩前へと進みウルフウッドの正面に立つ。
「腕一本だと不便やな」
「そうなんだよねぇ。ま、慣れればできないこともないけどさ」
上から順にボタンを留めていく。ついでに右の袖だけ肘の上までまくっておいた。欠損した右腕には何の変化も見られない。
「手順書みたいなん入ってたんやろ?それ見せてくれ」
「ん」
老婆の言う"魔法"の使い方が書かれたざら紙を手渡す。ウルフウッドは眉間に深く皺を刻みながら紙と睨めっこを始めた。
「……アカン。よぉわからん。ほんまにこんなんで人間一人作れるん?」
「現に成功しちゃってますし。でも腕が取れたのは心配だよ。……元に戻せるといいんだけど」
ちらりとウルフウッドの欠けた腕を見やる。僕とお揃いだな、なんて良くないことを考えてしまった。
「お前、なんか入れ忘れたんと違うか?」
「えぇ?こっちで準備する物なんて水くらいだったし、ちゃんと書かれた通りに……」
ウルフウッドの手にある紙に改めて目を通す。羅列された元素、水、会いたい気持ち……その隣に、ちょうど紙の折り目に当たって掠れた文字が刻まれていることに気が付いた。
『血液』
「ごめん。ひとつ入れ忘れてたみたい」
ゴン、と鈍い音がした。僕の頭が殴られた音だった。
暴力牧師に殴られた頭を撫でながら、思いついたことを口にしてみる。
「血、今からでも間に合わないかな」
「今からって……どないするつもりなん、」
ウルフウッドが言い終わる前に行動に移す。僕は右手の親指の腹を噛み切った。鮮やかな赤い液体が皮膚の裂け目から溢れてくる。
「こーすんの。ね。とりあえず試してみない?」
「……思い切りがいいのは構へんけど、せめてやる前に一言言え」
「あー……ごめんね?」
形だけの謝罪をし、血が滴る親指をウルフウッドの口元へと持っていく。一瞬、躊躇うような素振りを見せたが、仕方なしとばかりにぱくりと指を咥えた。途端に表情が曇る。
「不味い」
「そりゃ美味いわけないよな」
血を舐められ、傷口を吸われる。ウルフウッドの口内は熱く、触れる舌は肉厚でこちらもまた同じく熱かった。……なんだか妙な気分になりそうだ。それはウルフウッドも同じようで、気まずそうに僕の方へと視線を向けてくる。
見られたら余計に気まずいんだけど……。
血を流す以外にやることがない僕は、ウルフウッドの視線から逃げるように天井を見上げた。
静かな室内に血を吸う音だけが響く。不味いと言っていたわりには熱心に飲んでいるようだが……一体どのくらい飲めばいいのだろう。紙には必要な血液の量までは書かれていなかったのだ。実はとんでもない量が必要で、このまま飲まれ続けて干からびてしまうかも。僕一人では足りず、街の人々を襲い始めてしまうかも。ウルフウッドに血を与えながら妄想に耽る。
どのくらいそうしていただろうか。不意に指を舐めるの舌の動きが止まった。
「あ」
「ん?」
何か異変を感じたのか、ウルフウッドは僕の指から口を離すと自らの欠けた右腕へ目を向ける。その瞬間、シュウシュウと音を立て、ただの泥と化した腕の残骸が切断面へと吸い寄せられていった。
「うわっ、何!?」
それは少しずつ腕の形へと変化していく。泥によって形成されたそれは、わずか数秒で人間の皮膚を纏った腕となった。ウルフウッドは軽く腕を動かし、調子を確かめている。
「……どう?」
「問題あらへん」
「よかったぁ……」
緊張の糸が切れたのか、途端に涙がこみ上げてきた。
「うおっ!?いきなりなんやねん!」
「安心したのかも……勝手に、出て……っ」
ウルフウッドを僕の都合でこの世に呼び戻したことへの罪悪感はある。だがそれ以上に、またウルフウッドに会えて嬉しいのだ。本当に本人なのかとか、これからどうしようとか、問題は山積みなのに今はそんなことはどうでもよく思えてしまう。
「ごめん。ちょっと抱きしめてもいい?」
「な」
「嫌ならしない」
「い…………………………ええ、けど」
やけに溜めが長かったが気にしないことにした。またさっきのように身体が崩れたら堪らないので、優しい力で目の前の男を抱きしめる。
……あたたかい。生きていた時と変わらない体温。だと思う。
「ウルフウッドだ……」
「なんや疑ってたんか?失礼なやっちゃなあ」
「……んーん。確かめたかっただけ」
一時の幸せな夢だとしても、お前はウルフウッドだと信じたい。
ウルフウッドの大きな手が優しく僕の頭に置かれ、形を確かめるようにゆっくりと撫でられた。
「黒髪も似合うやん」
「君とお揃いだね」
「せやな」
わしわしと髪をかき混ぜられる。人から頭を撫でられるなんていつぶりだろう。心地よさについ表情が緩んだ。
「これからどうするかは明日考えることにしてさ、今日はもう寝ようよ」
「それはええけど……ベッドひとつしかな、」
「よし!じゃあ寝るぞ!」
ウルフウッドを抱きしめたままベッドへと転がる。
「ドアホ!どさくさに紛れて何してん!」
「あはははっ!いいじゃない今日くらい!どっちみちベッドはひとつしかないんだしさ。……ダメ?」
「…………………………わかった」
またもや溜めが長かった気がするが、承諾してくれた。こいつは意外と押しに弱いのだ。素直にお願いされると無碍にはできないウルフウッドの性格を今日だけは存分に利用させてもらうことにする。
「俺さ、本当に嬉しいんだよ。お前にまた会えて……。今だってまだ夢みたいだと思ってる」
ウルフウッドの腰に回した腕に思わず力が籠る。抱き合ったままベッドに倒れた僕らは、自然と間近で互いを見つめ合う体勢になっていた。ウルフウッドの瞳に僕の顔が写り込んでいる。今にも泣き出しそうな顔だ。なのに口元は笑っている。我ながらおかしな表情だと思う。
「……朝起きて君がいなかったら泣いちゃうかも」
「アホなこと言うてないで、はよ寝」
「うん」
とんとん、と心地良いリズムで背中を優しく叩かれる。さっき僕が泣いたせいだろうか。頭を撫でられたことといい、なんだか子ども扱いされているようだ。自分勝手な理由でウルフウッドを蘇らせた手前、今は彼の優しさが少しつらかった。
今日は色んなことがありすぎた。明日、目が覚めて、全てが夢だったら……。そんな不安を抱えながら僕は眠りについた。
浅い眠りの中でふと意識が浮上し、静かに目を開けた。横になってからそれほど時間は経っていないようだ。僕の背中を優しく叩いていた手は動きを止めていた。
部屋は静寂に包まれている。聴こえるのはウルフウッドの微かな息遣いと、鉄板の下で密かに動きを速めた僕の心臓の音だけだ。こんなにも静かでは、すぐ隣にいる彼にまで僕の鼓動が聴こえてしまわないかと心配になる。
「……もう寝た?」
「寝とる」
「起きてんじゃん」
人々が寝静まり、明かりが消えた街は漆黒の闇に包まれている。近距離でも相手の顔を判別することは常人には難しいだろう。僕は夜目が効くから、隣に横たわる男の顔は暗闇でもよく見えた。
ウルフウッドには僕が見えているだろうか。こいつもかなり目が良いはずだけど。
寝返りすら打てない狭いベッドで体勢を変えることは困難だ。眠る前から変わらず目の前にあるウルフウッドの顔を見つめる。僕からの視線を感じたのか、ゆるりと瞼が開かれた。
「……眠れへんのか」
「ん、ちょっとね」
ウルフウッドは優しい。勝手に君を蘇らせたのに文句のひとつも言わなかったし、今も僕の我儘に付き合って隣にいてくれている。それでも僕の欲は留まることを知らないようだ。もっと君を抱きしめたい。君がしてくれたように僕も君の頭を撫でたい。……君に触りたい。
はたと、自分の思考に驚いた。ウルフウッドにそんな欲を抱いてしまうなんて。
「なんか変なこと考えとるやろ」
「へ!?」
「邪な気配がした」
ヨコシマ。確かにその通りではあるのだが、他に言いようがないものか。
「なんだよそれ。そっちこそ急に変なことゆーなってば」
「ほーん?……まぁ、ワイはもう寝とるから何されてもわからへんけどな」
「は」
今、なんて?
それっきりウルフウッドは黙ってしまった。目をきつく閉じ、いかにも寝ていますといった様子だ。ここまであからさまな狸寝入りがあるだろうか。ウルフウッドが何を考えているのか分からない。だが、僕からの下心を知った上でそんな態度をとるのなら、同意を得たと思っても構わないだろう。
上体を起こすと、古いベッドがぎしりと音を立てた。覆い被さるように、依然として空寝を続ける男の額にキスをする。
「……」
あくまでも寝たふりで通す気でいるらしい。お前がそのつもりならと、ウルフウッドの唇に自身の唇を合わせた。
この男がどこまで許してくれるのか知りたい。
好奇心と欲が入り混じり、思考が曖昧になる。理性の箍が外れてしまったみたいだ。
そっと唇を舐めると、少しだけウルフウッドの口が開かれた。誘われるように中へ侵入する。血を吸われた時よりずっと熱い口内で彼の舌を捕まえた。
「……っふ、」
鼻から抜けるような声がした。視界の隅に真っ赤になった耳が見える。
「お前寝てるんじゃなかったの。なぁ」
返事はなかった。目も閉じられたままだ。離した口からは透明の糸が引き、ウルフウッドと僕を繋いでいた。
……まだ許されてる。
水を含んだように潤む薄い唇に再び舌を差し込んだ。中に仕舞われた柔らかな肉を撫でる。するとそれに応えるように、自らの舌を僕の舌に合わせてきた。
なんで。
溜まった唾液を流し込む。
男の喉がゆっくりと上下した。
なんで、許してくれるんだ。
口づけたまま、気が付くと僕は泣いていた。
ウルフウッドの優しさに甘えている。ウルフウッドの優しさを利用している。再会してからずっと、僕の心は罪悪感でいっぱいだった。
お前に優しくされると、自分の卑しさを思い知らされる。でも、お前に優しくされると、許されていると感じる。その瞬間だけは罪悪感を忘れてしまうのだ。
優しくされたい。
許されたい。
「ねぇウルフウッド」
僕は卑怯者だと思う。自己嫌悪で頭がおかしくなりそうだ。
「どうして僕に優しくしてくれるの」
返事はなかった。
ウルフウッドの瞼に唇を押し付ける。僕の瞳から流れた涙は頬を伝い、男の睫毛へ落ちて弾けた。
「……すまない」
乗り上げていた身体を彼の隣に戻す。再びベッドが音を立てた。目を閉じると徐々に意識が薄れ、僕は深い眠りへと落ちていった。