アイツの事は前から気に食わなかった。
身の上が不幸だと隠して自分は普通なのだという顔をして他人に手を差しのべる。自分の意見を言わず聖人君子みたいに振る舞って同情を買う。己の顔の良さを利用して距離を詰め相手の好意を利用する。
その口を封じてオマエに価値がないと理解させてやる。
暁人が呪われたと聞いてアジトに飛び込んだKKはソファーに座ってエドの診察を受けている青年が意識があり五体満足なのを見てひとまず安心した。それから慌てて何でもない風を装って胸ポケットから煙草を出し火を点ける。
「ヘマしたらしいな、お暁人君よ。あれほど油断するなと言ったよな?」
「……」
バツが悪いのか暁人は返事をしない。代わりにエドがボイスレコーダーを取り出した。
『どうやらコレは今回の依頼とは無関係の呪詛のようだ』
「……どういうことだ?」
確かに今日暁人に任せた依頼は心霊写真の除霊で、霊視の範囲が狭く集団戦が得意ではない彼でも無理のない仕事だった。そもそも写真程度しか霊障の無い悪霊は力が弱いため祓うだけで終わりなのがほとんどだ。マレビトを呼び寄せるようなのもいるが、日中であればその確率も下がるし、最初にKKも霊視した限りではそこまで強力な悪霊にも感じなかった。
だから凛子たちとも相談の上、暁人一人で対処させ昨晩未明まで渋谷を飛び回っていたKKは惰眠を貪っていたのだが。
『彼から得た情報では除霊段階では問題がなかった。つまり原因は悪霊ではないと断定していいだろう』
であれば次に思いつくのは祟り屋だが、あれらがKKの報復を恐れずすぐさま発覚するような呪いを暁人にかけるとも考えにくい。
「ならたまたま悪霊退治してるタイミングで呪われたってことか?」
『あるいは除霊で防御が緩んだタイミングで呪われたか』
「結局油断じゃねえか」
エドの推察が正しければ護りさえしっかりしていれば弾けた程度の呪いだ。少し齧った程度の素人でも対象を限定すればそれなりの効果は出る。藁人形のように。
こんなことならマーキングだと笑われても護りの数珠を持たせればよかったとKKは内心後悔した。誕生日か何かにかこつけて渡そうと作っているがKKの真意を知られることを恐れて家に置かれたままになっている。
誤魔化すように黙ってないで何か言えよとワックスで整えられた頭を小突くが暁人は困った表情のまま何も言わない。
「そもそも何の呪いだ?ピンピンしているようだが」
「……まだ気づかないの?」
呆れた様子でパソコンを弄っていた凛子がKKを見る。気づくも何も暁人は外見上なんの変化もないし顔色も悪くなくKKが来てから一言も発していない以外に特に変わった点はない。それこそが何よりの異変だ。
「……オマエ、口開けろ」
煙草を灰皿に放り捨てると暁人の目の前にしゃがみ込み精悍な頬を摘まむ。
痛いとも言わず暁人は観念したように口を大きく開け、大食いの彼の得意技だ、舌を出した。
赤く湿った釘付けになるほど艶かしい舌には凌辱するかのような黒い線が印を結んでいた。
「オマエ……喋れねえのか!?」
慌てすぎよと凛子が鼻で笑った。
アイツは自分が辛いとか寂しいと感じることさえできていなかった。自分のために動くことができなくて他人のためにすることで自分を保っていた。しかし弱者だけでなく生来の善性が顔や声に滲み出るせいで利用しようと近寄ってくる悪いヤツもいる。
オマエはオマエが思っているよりずっと立派な人間だと知らしめてやる。
オレが一番必要としていることは言えはしないが。
「こんなもん祓えばいいだろ」
KKは左手で舌先を挟み固定する。熱と溢れる唾液の淫靡さを見ないようにしながら右手の人差し指にエーテルを溜め舌の線の上に置く。
びくりと憐れな羊の身体が跳ねたがKKは狼になるつもりはない。自然と入る力に、しかし印は反応しない。
眉をひそめるKKの背中からカチリと機械音がした。
『恐らく口に執着がある呪いだろう』
「彼が口は災いの元ってタイプには思えないけど」
凛子の意見は尤もで、つまりは暁人の口の良さに逆恨みをした可能性が高い。人は自分だけが特別だと思い込み、現実を知ると裏切られたと憤慨する自分勝手な生き物だとKKはよく理解している。
「ならどうしろってんだよ」
KKの疑問にエドは真顔で再生ボタンを押した。
『舌で呪いを中和するのが最も有効的な方法だろう』
「……は?」
暁人も驚いた表情でKKらを見上げている。要するにKKの舌で暁人の舌をなぞる、人はそれをディープキスと言う。少なくとも二十も年の離れた男同士ですることではない。しかし他の人間に任せられる訳がない。
気を利かせたのか面倒になったのか二人は駄目なら連絡するように言ってアジトを出ていってしまった。残されたのはソファーに座ったままの暁人と立ち尽くすKK。不意にシャツを引っ張られる。そういえば慌てて適当な服で着てしまった。ダサいおじさん臭いと内心笑われないだろうか。
「どうした。どこか痛むか?」
無難な質問に暁人は首を横に振って諦めたような笑みを浮かべる。
「……放っておいても呪ったヤツがいなくならない限りそのままだぞ」
それでもいいと言いそうな危うさを持っている。
「オレはオマエを治してえ。オマエがどうしてもオレが嫌なら癪だが宮司でも……!?」
強めに腕を引かれ流石のKKもバランスを崩しそうになった。それはKKでいいと自惚れてもいいのだろうか。応えるように暁人は目を閉じ、目一杯舌を付き出してきた。
指先と同じように舌先の唾液にエーテルを通す。KKは己がそこそこ器用だと自負している。想像力もないわけではない。これからやることを考え思わず喉を鳴らした。
「本当にいいんだな」
KKと同じような想像をしたのだろう、青ざめていないだけマシなのかタチが悪いのか。舌を出したまま赤い顔でKKを見上げてナニを想像させるのか微塵もわかっていない。内心舌打ちをしてKKは床に座るよう指示する。
やりやすいように正座する暁人の長い脚を跨ぐようにKKも座りケアを欠かさない顎を掴む。
「舌が離れればやり直しだからな。絶対に動くなよ」
何度もやり直せばKKの理性がもたない。神妙に頷いた暁人が目を閉じて再び舌を出す。
(これからやるのは解呪だ。それ以外の意図はねえ)
深呼吸しながら己に言い聞かせて熟れた舌の先端に近い部分に己の舌先を乗せる。予想通りびくりと反応したが無視して舌の根本にゆっくり移動する。抵抗はなくいつもの印を結ぶのと同じ感覚がある。この行為が無駄にはならなそうだと安堵した時、
『……に……ひとを』
(ん?)
声が聞こえた気がしてKKの舌が止まった。この場にいるのはKKと暁人だけで二人とも喋ることができない状態だ。部屋は封印してあるため下手な防音室よりもしっかりしている。
『すき……しまった』
僅かに舌を動かすと更に聞こえたそれに暁人の声だと確信する。当人は真っ赤な顔で目をぎゅっと力強く閉じ必死に鼻で呼吸しているがKKが魂で聞いていた声を間違うはずがない。これは解呪しているKKにだけ聞こえているのだろう。
『……いもとし……もとだけど……』
声は途切れ途切れで不明瞭だ。だから最初の二音にKKの望む意図はない。そう律して線をなぞり左側に移動する。流石にこの状態から印は視認できないが複雑な形ではなかったしエーテルをインクのように籠めれば自然と方向が理解できた。
『…いところ……ではないけど……きらい』
「ふぅ……っん」
舌の中央で僅かに力が入ると呪いが解け始めたのか本物の暁人の吐息と共に長い睫毛から涙がこぼれおちる。KKとしても好きか嫌いかはっきりしてほしい。いや、と思い直す。
『離れ……できない』
そう、今更離れられないのだから相棒としてそばにいられればそれでいいのだ。こんなことをしているから欲深くなると自覚しながら手早く終わらせることもできない。それでも右端まで移動すると後はもう一度奥に行くだけだ。
暁人はうっすらと目蓋を上げてKKの様子をうかがっている。熱っぽく感じてしまうのは状況のせいで、これはキスではない。
『だから……蓋をして口を噤んで』
「!」
初めて抵抗を受ける。しかしこれは呪詛のではなく暁人の感情だ。喋りたくない何かがあるのか。問い詰めたくてもKKも喋ることができない。
『…でも…特別と……ないように』
舌を離さないように注意しながら膝の上で握りしめる手を包む。一瞬力が入るが安心させるように撫でてやると幾分抵抗が綻んだ。誰が好きでも嫌いでも受け入れてやるから全部見せてほしいと思うのはKKのワガママだ。
(これが罰なのか褒美なのかわからねえが)
奥に到達すると同時に暁人の胸に札を貼って解呪を完了する。穢れが飛び散って消え去り安堵すると同時に舌を離す。
「あっ……」
名残惜しそうな声に暁人の感情が混じる。
『KKが好きだと言ってしまうことはない』
「言ってもいいんだぜ?」
「は……え?」
それが錯覚ではないと知ったKKの歓喜を暁人は知らないまま物理的に口を封じられてしまった。
好きになっちゃいけない人を好きになってしまった。二十も年上で同性で元だけど奥さんも子どももいる人。
良いところも悪いところも全部ではないけど、深いところだけ知っているから今更嫌いになれないし離れることもできない。
だからこの気持ちに蓋をして口を噤んで生きていこう。誰にでも好意を示して特別を気づかれないようにしよう。
声が出なくなったのは罰が当たったんだと思った。でも好都合かもとも。KKが好きだと言ってしまうことはない。そう思っていたのに。