結界が正規の手順で解除されると同時に荒々しく鉄製のドアが開かれそのままの勢いで閉められる。
それだけで揃っていた凛子、絵梨佳、エド、デイルは最後のメンバーであるKKの機嫌が最悪なのを察知した。
今日は依頼人に話を聞くところからで、顧客といえど話が通じないことは度々ある。
一匹狼で排他的で厭世的な昭和の男が今時の感覚の、しかし素直さや柔軟さを併せ持った青年と生死を共有したことで信じられないほど丸くなった。
それでも短気が簡単に治ったりはしない。
絵梨佳が助けを求めるように凛子を見る。エドは素知らぬ振りでデイルはオロオロしている。
黙ってキッチンから玄関に移動したのが件の青年、伊月暁人だった。
「おかえりKK、お仕事お疲れ様」
「……おう」
無作法を叱るでもない穏やかな声にKKも悪態をつけず鞄を下ろす。
「靴も汚れてるね。明日で良かったら洗って磨くからそのまま置いておいて。鞄はソファでいい?」
「ああ」
「お風呂できてるから入って身体を休めて。タオルと着替え出しておくから。脱いだの洗濯機に突っ込んでおけばいいよ」
「わかった」
ロングコートも預かって指示する暁人からははっきりと労りの感情が滲み出ており、理屈も通っている故にKKは反発できず脱衣所に入る。
シャワーの音を聞いてから暁人は鞄とコートを所定の位置に置き、KKのスウェットと干してあったバスタオルを脱衣所に運び洗剤キューブと共に洗濯機のスイッチを入れる。
キッチンに戻ってKKの帰宅時間に合わせて温めていた食事をよそってテーブルに並べる。白米に塩鯖、しょっぱめの卵焼き、焼き茄子、豆腐とワカメの味噌汁、鳥軟骨の甘辛煮、沢庵。
「あがったぞ」
幾分落ち着いた声に返事をしてビールも出す。KKはリビングに来ると食事を前に眉間の皺が緩んだ。
「とりあえずあるもの出したから、好きなのを食べて」
「ああ、ありがとな」
KKが礼を言ったことに暁人以外に衝撃が走るが誰も反応しない。ここでKKの機嫌を損ねるほど愚かではないのだ。
「……いただきます」
「はい、召し上がれ」
暁人は穏やかな笑みを浮かべてKKの向かいに座る。その手には缶チューハイが握られていた。
「珍しいな」
「たまにはKKと飲みたくて。卵焼きしょっぱくない?」
「ああ、ちょうどいい」
それは良かったとわずかなアルコール飲料の蓋を開ける。
「乾杯しよ」
KKは黙って缶を差し出した。コツリとぶつけて一気にあおる。
「まだあるけど、ほどほどにね」
「わかってる」
「今日は焼き鯖にしたけど、今度は味噌煮にしようかな」
「オレはどっちも嫌いじゃない」
信じられないくらい穏やかな会話だ。思わず絵梨佳が無音で拍手する。デイルは落ち着いて仕事に戻った。凛子は肩を震わせ、エドはセラピストについて検索を始めた。
KKは早食い体質だ。刑事だった名残もあるのだろう。暁人は黙っておかわりを用意し、使い終わった皿をさげて洗い出した。ビールだけ残ったKKはソファに移動して鞄を開く。また思い出したのか煙草を出した。
暁人がすぐに来て空気清浄機のスイッチを入れる。
「もうすぐ終わるから」
「……おう」
一服をしながら資料を広げノートパソコンを点ける。しかしそれ以上KKの手は動かない。
「明日にしなよ。僕も手伝うから」
片付けたらしい暁人がKKの隣に座る。両腕を広げるのを見てKKは煙草を灰皿に押し付けた。
「KK、今日大変だったんだよね。疲れたよね。頑張って偉いよ」
丸い頭を抱き締めるようにして背中を撫でる。いつもならガキ扱いするなとか怒るであろうKKは所謂宇宙猫状態で暁人の胸に顔を埋めたまま動かない。
「ビール飲んだら歯を磨いて寝よう?」
少し離れて小首を傾げられるとKKも頷く他ない。
暁人はすぐに空になった缶を濯いで干す。その間にKKが荷物を仕舞うとまた頭を撫でて自然な仕草で手を取り洗面所にに連れていった。水の音がして次は仮眠室に誘導する。
「布団敷いてあるから一緒に寝よう?僕はKKの味方だから安心して?」
一人用の布団に寄り添って、また暁人は己の胸にKKの顔を寄せさせて頭や背中を撫でる。
「いいこいいこ……今日はおやすみ、また明日頑張ろうね」
見る間にいびきをかきはじめるKKのおでこにキスをして暁人も眠りについた。
翌日から暁人のコードネームは聖母になったとかならなかったとか。