麻里を両親に託してKKにおやすみを言って参道を登って辿り着いたと思ったところで目が覚めた。見知らぬ天井……いや、何度も見たことがある、麻里の入院していた病院と同じ天井だった。
「!?先生!伊月さんの意識戻りました!」
不明瞭な視界とノイズ混じりの喧騒、鈍い痛みを伝えるだけで動かない体に僕はバイク事故を起こしたことを思い出した。
長い療養とリハビリ、その合間に事故の処理や大学とバイト先に連絡、それから家のあれこれ。単身事故だったのは不幸中の幸いか。晴れて退院したのはあの夜から半年後だった。
もちろん完全に治ったわけではない。右目は視力が落ち、周囲がたまに痙攣するようになったし右腕に痺れが残った。でもその程度で済んだのが奇跡的だった。修理不可の烙印を捺されたバイクを見て生きていることに感謝した。
大学は4月から再出発、三年次までに取れる単位を取っていたし、ゼミも引き続き見てくれることになったので卒業は難しくない見込みだ。
内定先は事情を話して辞退を申し出たんだけど有り難いことに次年度も空けてくれると言ってくれた。
バイトはさすがに大学と掛け持ちができないと辞めさせてもらった。とても惜しまれてこんな時流でなければ送別会をしたのにといつでも遊びに来てくれと見送ってくれた。
収入は減ったしお金もかかったけれど友だちが、彼らも忙しいのに、色々補助金や制度を調べて申請の手伝いをしてくれた。
3月、一月の猶予を僕は調べモノに費やした。
戸籍謄本を確認しても僕に妹は、麻里はいなかった。友だちもバイト先の人も僕は両親を亡くし天涯孤独だという認識だった。僕の住まいはワンルームで火事も起きていなかった。
そして名前しか知らない絵梨佳ちゃんやエド、名前すら知らないKKはともかく八雲凛子も見つからなかった。アジトがあった場所はそもそもアパートじゃなかったし、バイクがあったビルは存在したけれど地下駐車場の奥に部屋なんてなかった。宮司さんのところに聞きに行っても覚えがない、の一言だった。
当然マレビトも妖怪も幽霊も見えず、手の甲が光り指先からエーテルが出ることはなかった。
何よりもあの日、渋谷では僕の事故以外は何も起きなかった。霧も、消える人も、何もかも、誰も知らなかった。
あれは僕が意識不明だった7日間の間に見た夢だったのだろうか。
それでも、と僕は電車の中で、病院の待合室で、大学の食堂で、布団の中で、色々なところであの夜を、あの声を思い出す。
あの夜の苦難が僕を死の淵から蘇らせるものだとしたら、あの男は天使だったのか。それにしては口も態度も悪く素直に話せない不器用すぎる男だった。
結局彼の好きなビールも煙草も知らないまま別れてしまった。
預かったはずのパスケースもどんなに探しても見つからなかった。
「KK」
名前を呼べばあの姿とあの声を思い出せる。それだけが僕に残された全てだ。
「KK」
それでも、僕はあの声を思い出す度に生きようと思うことができる。
目を細めて他人のバイクを見る時も、字が上手く書けない時も、全身が軋んで起き上がれない雨の日も、親と存在しない妹の墓参りも、渋谷を一人で歩く時も。
『暁人』
低く落ち着いた、優しさを滲ませる声が僕の腕を引き、足を前に出させる。
夢か現実かは大事ではない。僕が生きている限りKKも麻里もみんな生きている。それで十分だ。
KKのことばかり思い出すのは一緒にいた時間が長かったから。そう思っておこう。
右目から流れる雫を拭って僕はまた一歩踏み出した。