暁人は端正な顔をくしゃりと歪めて笑った。涙だけは溢すまいと耐えている表情だった。
「麻里が生きてるってのは嘘なんだ。 KKたちの命と引き換えに僕は壊れたからだでひとりぼっち。 でもホントに後悔はしてない」
ただ、疲れちゃっただけなんだ。
そう言って溢れ落ちていく命をオレは、
飛び起きたオレは汗だくだったが最悪な夢にしばらく動けなかった。
呼吸が落ち着いていくのと反比例して不安が高まっていく。
アレは本当に夢なのか?
すぐさま枕元に放り投げた携帯を拾ってロックを解除し通話アプリを起動する。
前回女狐を捕縛した時に解放と引き換えに手に入れた連絡先に一瞬躊躇するがボタンを押した。
数回のコール音の途中でブツリと途切れる。
『もしもしKKどうしたの!? 非常事態!?』
非常事態と言えばそうだし、今更時計を見て午前四時過ぎに電話することかと言われれば違う気もする。
しかし今更引けるワケもなくオレは
「麻里が無事なのは本当だろうな」
と誘拐された家族のようなことを聞いてしまった。
近所の比較的有名なケーキ屋の箱を片手に暁人はボディバッグから鍵を取り出し慣れた手つきで解錠した。
「ただいまー」
「おかえりお兄ちゃん。 あっ、そのケーキどうしたの!?」
ちょうど玄関近くの洗面所にいた麻里が顔を出す。暁人は箱を持つ手を少し上げて微笑んだ。
「友だちと賭けをして貰ったんだ」
「なにそれ~」
愉快そうに笑う麻里はまだ制服姿で暁人はちょうどいいと一度外を見た。
「麻里、外を見てみろよ。 天気雨が降ると思うか?」
えーと気乗りしない返事をしながらも兄の持つケーキに惹かれて少女はドアから半身を出した。
「降らないんじゃない?」
「オレもそれで勝ったんだ。 じゃあ着替えておやつの時間にしようか」
明るく返事をした麻里が自分の部屋に入る。暁人もテーブルにケーキを置いて、手を洗って、スマホを取り出した。
「もしもしKK?僕の言った通りだったろ?」
『ああ、悪かったよ』
伊月兄妹の家の玄関が見える屋上にいるKKが苦虫を噛み潰したような声を出した。
自分の思い込みが間違っていたことが恥ずかしかったのだろう。暁人は怒っていないと繰り返した。
「早すぎるモーニングコールは気にしなくていいよ。 ケーキ貰っちゃったし。 麻里のこと心配してくれてありがと」
『……麻里じゃねえよ』
苦々しい口調のまま絞り出す。どういうことと問う前にまた連絡すると一方的に言って通話は切れた。
結果的に天気雨などという生ぬるいものではないゲリラ豪雨に遭遇したのは次の週末の夕方だった。
KKと暁人がそれぞれ別の仕事でかち合って、見事な濡れ鼠になってしまった。
「うーん、今日は麻里が家にいるんだよんなあ」
流石に女狐ではないがタクティカルジャケットの端が切り裂かれていて大学生の外出にはやや不自然だ。KKは自然に
「ウチに来るか」
と誘った。
「アジト?」
「オレ個人の家だ。 その方が近い。 で、シャワー浴びて適当に着替えて帰ればいいだろ」
KKと暁人は筋肉の付きようが多少違うが体格にそこまでの差はない。
少し考えて暁人はそれじゃあとKKの好意を受け入れた。すぐに逃げ出していたことを考えれば大分打ち解けたように思う。
KKは不思議と機嫌よく暁人を自宅に招き入れ、玄関からすぐの浴室を指差した。
「湯船に入りたいなら自分で湯を張れよ」
「……むしろ掃除から始めたいんだけど」
「オレも汗を流したいから却下だ」
一応客人だから譲ってやってるのだから有り難く思えと言えば早く着替えたいのか脱衣所に引っ込んだ。大体そこまで汚れていない、はずだ。KKも脱衣所の前で全部脱いでしまって、暁人が浴室に入ったのを確認して中からタオルを出すと己の体を拭きながら着替えを取りに行った。
もう寝巻きでいいかとタンクトップとハーフパンツを出して、比較的新しい服も出す。
脱衣所に戻るとちょうど腰にタオルを巻いただけの暁人が出てきた。
「タオルだけ借りて、KKの服も乾燥かけてるよ」
「それはいいが……オマエ、その胸何だ?」
KKが驚くのも無理はない。若く瑞々しい胴体の真ん中に穴が開いていたとしか思えない大きな傷痕があった。
完治はしているようだがだとするとかなり昔のもので、確実に死んでもおかしくない代物だ。
暁人はあからさまに「しまった!」という顔をして手で隠そうとしたがあまりに遅すぎる。
「コレは霊的なモノだから普通の人には見えないんだ。 KKは普通に見えるよね……」
「見えるな」
「うーん……でももう終わったヤツだから気にしないで」
そう言われても心臓を貫いたような傷をいつ負ったのか気にならないわけがない。
もしかしてKKたちが覚えていないあの夜に関係があるのではないか。
根拠なくそう思うものの暁人は服を奪うようにしてさっさとリビングへ行ってしまったのでKKは釈然としないまま風呂へ向かった。
さっぱりしてリビングに戻ると暁人はテレビを見ながらKKの買い置きのカップ麺を食べていた。
「おかえり。 お金はそこに置いたよ」
「いらねえよ」
KKも喉が渇いたのでキッチンに向かうとパンパンのゴミ袋がひとつと放置していたアレコレが消え失せ明らかに綺麗になったシンクがあった。
「オマエ……妖精かなんかか?」
「KKって時々メルヘンなこと言い出すよね」
潔癖症なのかと思ったが単に目につくと気になる性分らしい。KKとしては全くこだわりがないので逆にカップ麺ひとつで掃除してもらえるならラッキーだ。
「お湯まだ残ってるけどKKも食べる?」
「いや、いい」
それよりもと冷蔵庫からビールを出してオマエも飲むかと問うと現場の近くの地下駐車場にバイクを置いてきたから飲まないと断られた。
「オマエその体で乗れるのか」
暁人は右半身にわずかだが霊障のようなものがある。それもあの夜に関係しているようだがやはりKKには思い出せず歯がゆい。自分には関係ないはずだと理性が説いてくるが感情は何かを叫んでいる、気がするのだ。
「見えない動かないわけじゃないし、普通に運転する分には大丈夫。 ていうかKK以外には全然気づかれないくらいだよ」
「でもオマエ、」
前の動きと違うだろう。
言いかけてその意味不明さに混乱する。
それを無視して暁人はカップ麺の汁まで飲み干してごちそうさまでしたと手を合わせた。
「じゃあそろそろ」
帰ると言いかけた瞬間、リビングが強い光が射し込み、反射的に窓を向くと同時に轟音と地響きがした。
「ビッ……クリしたあ!」
「雷は怖いか」
「怖くはないけど今のはビビるだろ。 近くに落ちたみたいだけど停電しなくて良かったね」
暁人の言葉に嘘はないようで、先程よりは幾分弱い落雷があったが今度は動じなかった。代わりに半端だったカーテンを閉め直して雨音を和らげる。それでもかなり強く打ち付けていることは離れているKKにもわかった。
「雨、また強くなったね」
「泊まっていけばいいだろ」
自然な流れで提案したつもりだったが暁人は酷く驚いて、いやこれこそ怯えてと表現した方が正しいかもしれない、遠慮しておくと首を振った。
自分は職業柄大抵の状況で寝ることができるし、元々眠りは浅く短い方だ。
それとも今時の若者は他人と寝た経験がないのだろうか修学旅行とか。
「……修学旅行は高校でも行ったよ。 ええと、僕、寝言とか結構うるさいんだ」
「安心しろ。 オレもイビキうるせえらしいし、一度寝たら朝まで起きねえ」
半分本当で半分嘘だ。しかし暁人は信じたのかまだ落雷が続いている事実に諦めたのか彼自身も嘘をついていて後ろめたかったか。いずれにせよ雨が収まるまではいるとスマホを取り出した。麻里に連絡するのだろう。
「ソファーで仮眠してもいいぞ」
「迷惑になるから帰って寝るよ」
「……心配しなくても襲わねえよ」
「はあ!? あっ、当たり前だろ!?」
これは満更でもねえなと確信しつつ、もう一度ここで休んでいけと強めに言う。暁人はあの夜以前に知らなかったのが不思議なほど実力のある祓い屋だが、どこか覚束なく力で押しきる面がある。結果的にエーテルの消費が増え、そのために食事の量も増えるし、睡眠も必要なはずだ。
実際に暁人の目蓋も見てわかるほど重くなってきている。
「とりあえずオレは部屋で飲むから好きにしてろ」
とKKはKKなりに気を利かせて未だ続く強い雨に背を向けた。
「わああああああああああアああアアアアあ!!!?!???!!!」
突然の叫び声にKKは飛び起きた。意識は半分夢の中だが体は勝手に動く。
「暁人どうした!?」
リビングに飛び込むと同時にタックルを受ける。身長はさほど変わらないが暁人が屈んでいたため胸で何とか受け止める。確かな感触と温もりが青年の生を証明している。
「けぇけぇ! けーけー! どこ!? けえ、けー!」
「おい、オレはここだ!」
肩を掴んで顔を上げさせ、安心させるように背中を叩きつつ霊視をする。拍子抜けするほど何もいない。何かに憑りつかれているわけではなく、暁人が一人錯乱して泣いているだけだ。安堵していいのか悪いのかわからないがとにかく落ち着かせなくてはとKKは努めて優しく声をかける。
「暁人、オレはここにいる」
「けーけー! いかないでKK!!!」
すると暁人はKKの頭を掴むとぐいぐいと自分の体に押しつけ始めた。
成人男性が力の加減をしていないので正直痛い。まるであの体の傷痕の中にKKを入れようとしている勢いだ。
「もうオマエの中に入れねえんだよ!」
思わず返すと暁人の力がわずかに緩んだ。
「KKはもう入れない、はいれない、いない、いない……!」
「入れなくてもそばにはいられるだろうが!」
また力が強くなってきたので慌てて腕を叩く。相変わらず一人で考え込むとドツボにはまり込む性格だ。
相変わらず?考える余裕は今はない。
そばに?とおうむ返しする暁人にそうだと応える。
「オマエがまだ必要だって言うならオレがそばにいる! だから落ちるな!」
いつかの夢を思い出す。KKたちも麻里も生きている。では儀式の生け贄となったのは?
今度はKKが力一杯暁人を抱き寄せる。
あの夜に何があったのか思い出せても出せなくてもいい。ただこの女狐の衣装を着て戦ったり妙に知っていることを言っては逃げたり他人の家を片付けてカップ麺を食べたりするおかしな青年のことを手放したくない。
「KK……体があっても僕のそばにいてくれる?」
「ああ、だから喚くのは今夜で終わりだ」
「いつもじゃないよ……夢見が……わるいとき、だけ……」
ズルズルと暁人の身体から力が抜けていく。覚えのあるKKは何も言わず暁人をソファーに誘導した。
「オレのベッドはまた今度な」
「ん? ……うん……」
眠気で朦朧と返事をする暁人の頭を撫でてKKは満足そうに笑みを浮かべた。
「おやすみ、暁人」