宵というには遅く、夜中というには早い時間。とあるホテルの入口前に金髪の男が一人立っている。近付いてくる足音に気が付いて顔を向けると、ひらりと手を振った。やって来たのも金髪の男。まず目に付く二人の違いは顔を横切る大きな傷痕だろう。
「いやー、悪いな、急に呼び出して」
顔に傷のある方――フラガが扉を開けて相手を促す。
「いえ、元々迎えに来るつもりでしたので構いませんが……早いですね?」
顔に傷の無い方――ハインラインはフラガに続いて中に入りながら尋ねた。
フラガ達の乗務する艦が数年に一度の大掛かりな点検中のため、今日このホテルではクルーの多くが参加した食事会が開かれている。ハインラインは所属艦が違うため不参加なのだが彼のパートナーが参加しており、場所も時間も把握していて終わる頃に来る予定であった。しかし、予想よりも随分と早い時間にフラガからわざわざ呼び出されたのだ。
「あー。ノイマンは普段特に呑まないだろ? で、ひっさびさにがっつり行ったからさ」
大人数なので広間を借りている。奥へと進み、大きな扉を開けて広間に入ると壁際の一角へ視線を投げた。
「あの有様」
ハインラインがその一角へ目を向ければテーブルへ突っ伏して白いうなじを晒している男――ノイマンがいた。
近付いて行けばノイマンの隣に座っているチャンドラと目が合う。
「お。ノイマーン、お迎えが来たぞー」
肩を揺すられたノイマンがのそりと顔を上げた。頬を中心に顔全体が赤く染まり、目は半分しか開いていない。
「……むかえ?」
「はい。迎えに来ましたよ、アーノルド」
ハインラインは手前の床に膝をついて、椅子に座っているノイマンの顔を覗き込んだ。頭も働いていないのかゆっくりと瞬きをして、ゆっくりと首を傾げる。
「……ある?」
「はい」
拙い発音の愛称に、珍しいなと思いながら頷くといきなり胸倉を掴まれた。一瞬で二人の距離がゼロになる。
唇同士を合わせるだけの、技巧も何もないキス。だがキスであることは確かだ。目撃した周囲が静まり返る。
「へへ……あるだぁ」
元凶は満足気に笑って相手の首に巻き付いている。
「えぇ、貴方のアルですよ」
仕掛けられた方も平然と受け止めて背中をさすっている。
「参加費は?」
「……最初に徴収してる」
その体勢のまま肩越しに話しかけられたチャンドラは反応が遅れた。
「これ、荷物」
「ありがとうございます」
言葉少なに差し出されたノイマンのボディバッグを受け取り腰を上げる。
「さて、帰りますよ。立てますか?」
「んー」
ハインラインに腰を支えられて立ち上がり、身長差で伸び上がる形になってからようやく手を離した。
「では失礼します」
「気を付けろよー」
寄りかかるノイマンの腰を抱いて支えながら、扉を開けたフラガに軽く頭を下げて会場を後にする。
その後残された参加者達が大変なことになったのは無理もないことだろう。
ホテルを出てしばらく歩き、人通りが少なくなってきたところでハインラインが口を開く。
「このままエスコートしますか?」
尋ねる相手は一人しかいない。
途端にハインラインの身体に掛かっていた重さがなくなる。
「……気付いてたのかよ」
「当然です」
顔は相変わらず赤いものの、しっかりとした口調と視線が返ってきたのでハインラインは手を離した。
「バレたかな……」
「大丈夫でしょう。フラガさんは勘づいたかもしれないが」
「うぅ」
今更照れが出てきたのか唸っている。
「何かありましたか?」
ノイマンがあのような行動をとることは今までなかった。数歩先の背中を見つめながら尋ねると、少しの間があってノイマンがぽつぽつと話し出す。
「……若い連中がさ、楽しそうに喋ってるんだ。お前のこと」
「僕のことを?」
「そう。〝頭が良くて、顔が良くて、背も高くて。厳しい時もあるけどそれは仕事に対して真剣だからで。そんなところもかっこいい〟、〝叱る時はすごく怖いけど、放り出さずにちゃんと最後まで面倒見てくれる。早口だけど説明もしてくれる。だから頑張りたい、応えたい〟って、性別関係なく大人気だったぞ」
良い話をしているはずなのにノイマンの声は寂しげだ。
「お前が褒められるのは嬉しいけど……酒が入ってるせいかな、すごく盛り上がってるし、それがなんとなくおもしろくなくて。俺のなんだって言いたくて、あんな……」
頭が前に落ちて、普段隠されている白いうなじがまた晒される。
「悪い、やっぱ酔ってるな」
くるりと振り返った笑顔が本心からのものでないことは一目瞭然だった。
「謝る必要はありません」
歩幅を伸ばして距離を詰める。
「君は僕達の関係をあからさまに示したがらないだろう。その気持ちは理解できるから文句は無いが、正直な話をするともっと見せつけたい気持ちはある」
「見せつけるって、誰にだよ」
「全員に、です」
即答したハインラインに、苦笑が驚きに変わる。
「君の周りにはいつも人が居る。それは職務のためだけではない、君自身の人柄によるものだ。人の良さは君の美点だから変えろとは思わないが、君は僕のものだと言いたくなることもある」
思わず足を止めたノイマンの左手を掬い上げ、その薬指にはまった指輪を親指でなぞる。
「これがあるから我慢できているだけだ」
ハインラインの左手にもある揃いの指輪。互いの立場上公的な手続きはしていないが、二人の関係を目に見える形で示した証。
「だから今日は嬉しかったです」
本当に嬉しそうな笑みを向けられて、ノイマンは夜風で下がったはずの体温がまた上がるのを感じた。
「それに、君も以前の僕の評価を知ってるでしょう」
〝非常に優秀だが性格に難あり〟、〝人の選り好みが激しく扱いづらい〟などなど、才能は認められていても人間性については散々だった。
「僕が変わったのは君と出会ったからだ。君が投げ出さず、根気よく僕に付き合ってくれたからだ」
二人が親しくなったきっかけは、ノイマンの操舵技術にハインラインが興味を持ったことだった。
周囲の人間関係に気を配るノイマンにとって、認めている相手以外に容赦のないハインラインは見ていて気持ちのいい相手ではなく、ノイマンが慣れてからは衝突したこともある。それでもノイマンは突き放すことはしなかったし、ハインラインも少しずつ己を省みるようになった。
「今の僕があるのは全て君のおかげなのだから、〝お前達が褒めているアルバート・ハインラインは俺が作ったんだ〟と胸を張っていればいいんですよ」
「そ、れはさすがに言い過ぎじゃないか?」
「事実です」
またもきっぱりと言いきられてノイマンは言葉を失う。
かつてのハインラインの態度の悪さは、正直さの表れでもあったことを今のノイマンは知っている。そしてその正直さは愛情表現にも反映されることを長い付き合いで身をもって知った。
「か、帰るぞ」
「はい」
これ以上は反論しても口説き文句しか出てこないことも知っているので、ノイマンは無理矢理話を打ち切った。ハインラインは気にした様子もなく、むしろ嬉しそうに半歩後ろを着いていく。
「ところでなんで分かったんだ?」
ふと気になって話を戻す。先程ハインラインはフラガ以外にはバレなかっただろうと判断した。ではなぜ彼には分かったのか。
問われたハインラインは無言でノイマンのうなじを撫で上げる。
「ひあ!」
突然の刺激にノイマンの肩が跳ね上がる。間抜けな声を出した羞恥も相まって赤い顔で背後を睨みつければ、犯人は悪びれた様子もなくまたうなじに触れてきた。
「君が前後不覚になるほどのぼせている時はここが赤くなる」
文句を言おうと口を開いてそのまま固まる。
理由は分かった。問題は、いつそれを知ったのかだ。いたずらが成功した子どものような笑顔を見て、答えを察する。
結局ノイマンは何も言えないまま口を閉じ、ひたすら家路を急ぐしかなかった。