あれはいつの事だったか。いや、そんなに前じゃない。まだ半年も経っていないはずだ。
「“可愛い恋人”……欲しかったんだけどなぁ」
恋人とのやりとりにでれでれに溶けた顔をしている相棒を見て、思わず口にした言葉。嘘偽りない本音だったのだが、何故か俺は今あの時全く予想していなかった状況に置かれている。
「おや、年上のおじさんでは不満かな?」
揃いのマグカップを両手に持って背後から現れたのはアレクセイ・コノエ大佐。マグカップの一つを俺に手渡して、自分は正面にある高そうなソファに腰を下ろした。
「そんなことないですけどぉ。むしろ大満足ですけどぉ。……ただ、可愛がられる側は想定してなかったと言うか、可愛がりたかったと言うか」
完璧に俺好みに調整されたカフェオレをちびちび飲みながら愚痴にもならないもやもやを吐き出す。
何故かこの数ヶ月の間に俺は年上の上官のアプローチを受け恋人の座に収まっていた。いや、変な手を使われたわけではない。正面から告白され、真っ当に口説かれ、順当に好きになったので受け入れたのだが、それでも未だに時々“何故こんなことに?”という疑問が過ぎるのである。
コノエさんはといえば自分用のブラックコーヒーを飲みながらにこにこしている。
「君の好きなように可愛がってもらって構わないよ?」
「ちょっとそれは!俺の器が足りません!」
恋人として対等な関係とはいえ、十以上年上で、役職も階級もずっと上、体格的にも勝る相手を可愛がれるほどの度量は俺にはなかった。
慌てる俺を見て笑みを深めたコノエさんが、カップをテーブルに置いてとんと軽く膝を叩いた。
「ダリダ」
一言で体温が上がるほどの甘ったるい声。普段ファーストネームを滅多に呼ばれないことも相まって攻撃力が凄い。俺もカップをテーブルに置いて立ち上がった。
吸い寄せられるように近付いて膝に乗れば広い胸に抱き締められて力が抜けていく。
「包容力ぅ……」
「はは」
一度知ってしまったら抗えない圧倒的な安堵感に満たされて全身を預ける。
「僕はね、君がしたいことをさせてあげたい。それで君が喜んでくれるなら僕も嬉しい。君を愛しているから」
「うぅ……」
コノエさんがこんなことを言うのは二人きりで私室にいる時だけだ。公共の場ではたとえ人目が無くとも完全には気を抜けない俺の性質をよくわかっているから。
この人は本当に俺を甘やかすのが上手くて困る。日々の疲労やストレスは愛されて、溶かされて、あっという間に癒されてしまう。いつもそうだから、たまにはしてあげたいと思うのだ。
「じゃあ、その……頭を撫でてもいいですか?」
「いいよ」
とりあえずベタな提案をしてみればすんなり了承された。
左手をコノエさんの肩に置き、右手を頭上へ伸ばす。そっと触れた黒髪は自分のものより少し固くて指通りも悪くない。他人の頭なんてそうそう触る機会がないので無言で堪能しているとコノエさんが口を開いた。
「どうだい?」
「楽しいです」
「それは良かった」
まずい。結局俺が甘やかされている。
「コノエさんは?」
「こんな風に頭を撫でられるなんてもう随分となかったからね。少しばかり照れくさくはあるけど、いい気分だよ」
本心ではあるようだ。ほっと息をついてもう一度、今度は丁寧に頭を撫でる。
「……いつも大変ですよね」
ゆっくりと労わるように。
「たくさん考えて、みんなに気を配って、自分のことは後回しで」
コノエさんは普段付き合いのある人物の中で最年長だ。艦長という役職もあって自分の意思より他人や全体の都合を優先することがほとんどである。だから二人きりの時くらい、もっとわがままを言って欲しい。でもそれは難しいのだろうと思うから。
「そんな頑張り屋さんのコノエさんにご褒美です」
両頬に手を添えて、額にキスをする。これからは俺が甘やかしてあげたい。甘えるのが下手くそな貴方を。
とはいえ慣れないことなので。
「……めっちゃ恥ずかしいですね、これ」
羞恥が限界に達し、首元に顔を埋めて隠す。
「そうかい?僕は嬉しいよ」
少しだけ弾んだ様子の声に顔を上げて確認すると、珍しく頬を染めて微笑んでいた。
「が、頑張ります……」
「楽しみにしているよ」
いつか貴方が心置きなく甘えられるように。まだまだ敵いそうにはないけれど。