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    みどりた//ウラリタ

    @midolitaula

    ネオロマンスの二次創作
    小説

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    POIPOI 30

    ノア×アンジュ ギャグ寄り

    アンジュが僕に誕生日プレゼントをくれるらしい。でも僕はアンジュにあげてないから僕もアンジュにあげたいな。
    レイナの誘いでオウルにバスフレグランスを作りに行ったノア。しかしそれがオウルで睡眠の質を向上させる〝闇のサクリア入り〟と人気になって、果てには民衆が暴徒化して緊急要請???
    一方その頃アンジュはアノマロカリス談義に花を咲かせているのである。

    ノアアン Good Night, And Have A Nice Dream.◆悪夢


     最初はそれがなんだかわからなかった。
     僕の前に現れて消えていく人たち。その顔は何かを考えるように遠い目をしていたり、別れ難そうに手を握ろうとしてそっと手を戻したり、中には涙を流す人もいた。話しかけてくれているみたいだけど何も聞こえない。
     僕は一歩も動かないで立ったまま、次々人が現れるんだ。公園で見たことのある子供や王立研究院の人たち、そして最後にはみんなが。
    「ノア」
     唇がそう動いている気がする。
     なんなのかわからないのにこっちも同じような顔になっている気がした。守護聖のみんなは僕に遠慮なく肩に触れ、ユエなんて抱きしめてきた。実感はないのに暑苦しい。でもそれもなんだか悪くないなんて思ってしまって、ユエの服の裾を握った。相変わらず実感はない。
    「ノア」
     聞こえない声が頭の中に響く。アンジュだった。
     それまで光に満ちたちょうど星の間みたいなところにいたのに、声のする方を振り向くと暗く冷たい地下空間。採光用の窓もない八角形の床に彼女は横たわっていた。あの頃、女王試験のときの格好で。
     触れたらすぐにでも体温を奪ってしまいそうな闇色の壁は天井が見えない。壁につたう階段を息がきれるほど降りてきたのか胸が急に煩くなった。撒かれた花の上に寝ている彼女はぼおっと光を放っていて、普段闇の中で安らぐ僕も近づかずにはいられない。
    「アンジュ」
     喉から小さく声が出た。
     しかしその声も闇が優しく絡め取る。
    ――サクッ。
     踏まれた花が中身を露出させた。華やかな色を残す花は切られて時間が経っているのかカラカラに干からびていた。
    ――サクッ、サクッ。
     いくつも花を踏みしめて、アンジュに歩み寄っていった。そのいくつもの中からミツバチが転がり出る。生気は、ない。
    「……アンジュ!」
     こんなにも彼女は遠かったろうか。数歩先にいた彼女はいつの間にか小さい。慣れない走りに足を取られながらも棺を目指して走った。
    (……棺?)
     そこにおわすのはガラスの棺に収まった宇宙の女王アンジュの棺だった。離れているにもかかわらずわかる、頬は紅く色づき、肌もふっくらとしている、生きている――ように見える。
    「アンジュ?」
    ――ゴトン。
     すぐ後ろで音がした。重いものが下ろされる音。家具を置いたときのような、自分のための檻が目の前に用意されたときのような。
    「……!」
     そこには八つの同じような棺があり、先住者が収まっていた。
     板チョコのように隙間なく並べられた直方体たちにそれらに映える花々、そして僕以外の守護聖たち。皆等しく、ただ眠っているように見える顔をして隙間のないガラスの中にいる。
     僕の分は、ない。
    「ノア、あなただけを残してごめんね」
     聞こえるはずのない声がまた聞こえる。
     ふと、すぐそばから甘い香りが匂い立つ。目線を向けるといつの間にかかごにように合わせた両手に色とりどりの花があった。生を主張するようにきついくらいの匂いがあたたく思える。目の端が緩んだ。
     これは生きている。そう唇を開こうとした瞬間。
    「あ、ああ……」
     匂いは途切れた。
     花びらは収縮もせずそのままに、揺れる花籠の中でカサカサと音を立てた。

     僕は朝日を眩しいとも思わず起きる普通の子供だった。
     はじめは近しい人から。僕を心配して一緒に寝てくれた家族が目を覚まさない。鳥の囀りで起こしてくれるお気に入りの時計を耳のそばで鳴らしても、元気な僕の声を聞かせても世界が朝に染まり始めるような色の瞳は見えなかった。
     次第に増えていく動かない身体と、翳りを見せて離れていく二対の瞳を見ると幼い僕は胸が締め付けられるように痛かった。

     出会った眩しい人たちに囲まれると僕がいる場所だけが数段下がっているように感じる。光を遮るカーテンさえほしくなる。僕に触れても彼らは翌朝きっちりと目を覚ました。
    「安心しろ、俺様は毎朝ニワトリより早く起きてるぜ!」
     ニワトリ? なにそれ、笑えない。
     久しぶりの人肌の温かさに僕の目元が潤った。

     そして今、胸の奥が痛いと思いたいにもかかわらず僕の喉は蜜を吸ったように潤った。見渡せば遠くに女王陛下、足元に八人の守護聖。喉だけじゃない、僕の全身が潤っている。

    「――ノア、ノア、大丈夫? 起きて!」
     目を開けると、遠い天井から半透明のカーテンが降り注いでいた。一人で寝ていた頃とベッドの大きさは同じだけど、今は全部を独り占めしているわけじゃないことを毎朝一番に聞く声で実感するんだ。
    「おはよう……アンジュ」
    「おはようじゃないよ、うなされてたみたいだけど大丈夫?」
     サイドにある数字表記の時計を見た。いつも起きる時間よりも少し早い。僕のうなされ声で起こしちゃったのなら悪いことをしてしまった。グッと全身に力を入れて伸びをして、その反動でゆっくり起き上がる。そのまま眉尻を下げる恋人の頬に唇を合わせた。
    「大丈夫だよ。起こしちゃった? ごめんね」
     言葉で心配を和らげようにも、その眉は八の字のままだったので僕はそっとアンジュを抱きしめた。そして子供もあやすように背中をぽんぽんと叩く。どうにもならないと踏んだのか彼女は強めに僕を抱きしめてきた。
     こんなにも自然に、人に触れられるようになったのは彼女のおかげだった。今でこそ恋人で女王陛下のアンジュは死を恐れず僕に触れてくれた。人の命を貪る僕の身に「サクリアが悪い」と怒ってくれた。今でも思い出すと笑っちゃうんだ。アンジュは変だなって。
    「なに、急に笑って」
    「なんでもない」
     不満そうに可愛く尖らせた唇にもう一回キスをする。今度はゆっくりと舌を絡めて。
     朝の支度まではもう少し時間があるからいつもより長めにしても怒られないと思った。アンジュの肌は滑らかで、あたたかくて、ずっと触れていたくなる。寝るときに着る下着みたいに薄い服もかわいいけど、ただ触れたいときには邪魔だな。そんなふうに言うとなんだか恥ずかしい。純粋に触れたいときと、……触れたいときがある。今は後者。お互い触れる肌が熱くなってきた。
     悪夢でじっとりとした背中が逆に涼しく感じられるころにそれは部屋に響いた。
    「クルッポー、クルッポー」
     二人のベッドルームには二つの時計がある。一つはベッドサイドにあるのデジタル時計。二人の部屋を用意するにあたってコーディネーターたちが僕らのために設えたもので部屋の雰囲気に合わせてある。もう一つは目覚める時間を知らせるためにアンジュが持ち込んだ時計。
    「……」
    「女王候補時代、これで起きるのに慣れちゃって。これがないとどうもダメなの」
     鳴き声に驚き彼女から身を剥がし、時計がかけられている壁をじっと見つめる僕にアンジュは言った。二人のベッドルームなのにサイラスによる鳩の声真似で毎朝起きるのには当分慣れそうにない。そんな僕をよそに、木製で白い塗料の塗られた小屋から鳩を模したサイラスくんが鳴き声に合わせて出たり入ったりを繰り返す。時間によって鳩だったり梟だったりハシビロコウだったりする。目覚ましにセットした鳩以外は毎回違う鳥が出てくるのでその仕組みは謎だ。
    「あ、そうだ。十一月六日は空けておいてね」
     突然のスケジュール宣告に僕が思い出せたのはその日が日の曜日だってこと。それなら空けるもなにも大抵はアンジュと行動を共にしている。先週はピクニックがてら出かけた花畑で二人して昼寝をしてしまったのを覚えてる。
    「ノアの誕生日会だよ!」
     彼女の思うようなことを考えていなかったみたい。すぐに答えをくれたけど……。
    「僕の?」
    「そう! プレゼントも楽しみにしてて!」
     それからアンジュは再度僕を抱きしめてするっと身体を抜けていった。しばらくして聞こえてくるシャワーの音。もうそれは変わらない日常の音なのに僕の頭の中には懐かしい言葉が録音されたメッセージのように繰り返されて、まったく新しい一日の始まりだった。
    (僕の誕生日会……) 


    ◆ノア・ゼノ・レイナの作戦

     僕はゼノの執務室に訪れていた。室内に入るとすぐに彼と、彼の作った掃除用猫型ロボットが出迎えてくれる。このロボットは同じ型のロボットが聖殿の掃除役も担っていて、僕もたまに一緒になって掃除をするからいつの間にか懐いてくれた。ロボット同士記憶を共有しているらしくて、こうして執務室に来るとゼノの部屋の子も僕に撫でられにくるんだ。
    「それでノア様は陛下に何かプレゼントを?」
    「う、うん。迷惑かもしれないけど……」
    「絶対そんなことないですよ! 陛下もきっと喜んでくださいます!」
     ゼノは前のめりに言った。何かの設計図、不思議な形の工具、すごそうな小型の機械、そんなものが彼の背中越しに見える。守護聖としては後輩なのに、頼ってしまう僕を彼は拒まない。優しい色合いの瞳が僕を認めてくれた。
    「アンジュの誕生日にプレゼントを渡せてなかったから」
     アンジュの誕生日のときは女王試験が始まったばかりの頃で、お互い親しくもなかった。顔を合わせて返答するのはなんだか耳が熱くて、僕は横にいる猫型ロボットの額を撫でながら口を動かす。
     誕生日会という言葉の響きが嬉しかった。プレゼントをもらう高鳴りなんて久しぶりだった。目の前に幸せが微笑んでいるのにこんなに幸せになってもいいのか、ふわふわとしたもので胸が溢れそうだった。だから僕も何かプレゼントをしたい。でも何がいいだろう、その相談をしに、午前中からゼノの執務室のドアをノックした。
    「ノア様からのプレゼントならなんでもお喜びになると思いますが……そうですね、花やお菓子なんてどうですか」
     ピクニック前日の準備が蘇る。僕はアンジュの指示の下、生地を捏ねたりしただけだけど、二人で食べる不格好なクッキーは食べるのが少しもったいなかった。手作りのものは思い出が残っていいかもしれない。
    「手作りのお菓子……俺は料理の方が得意ですがお手伝いできると思いますよ」
     少し考える仕草をして、すぐにゼノはタブレットに向き直る。画面に並ぶレシピ候補を見つめて僕はため息をついた。
    「……難しそう」
     材料はなんとなくわかる、でも工程に書かれた専門用語に躓いてしまう。テンパリングってなんだろう? 少し生地を捏ねて、型を取ったくらいではさすがに製菓のスタートラインに立っているだけなんだ。とても一度や二度でうまくいく気は暖房器具の前のチョコレートのように溶けてなくなった。完成しても美味しいかどうか……心配がかまわず胃にダイレクトアタック。
    「バスフレグランスなんてどうでしょう」
     後ろから涼やかな声がすぅっと入ってきた。コツコツと控えめな足音に靡く長く真っ直ぐな髪、女王補佐官、レイナだ。「開いたドアから楽しそうな話が聞こえてきたから」と一言非礼を詫びるとそのまま言葉を続けようとする。思いがけない異性の助け船に僕らは彼女の座る席を急いで用意した。
    「私の補佐のせいもあるのだけど、陛下が最近お疲れのようなんです。だからバスフレグランス、入浴剤なんていいかなと思うんですが」
    「それなら手作りも難しくないと思います」
    「香りを選んで、ドライフラワーを入たりして」
     弾むレイナの声を聞いて、ゼノの指は先ほどよりも滑らかにタブレットを操作する。映し出されるのは色とりどり、形とりどりの入浴剤だ。中には動物を模したものもあって、なんだか口うるさい同僚に似ている気がする。たてがみをピンと立てた子ライオン。
    「これはバブルバスになるみたいです」
    「泡ってこと?」
    「浴槽いっぱい泡だらけになって楽しいんですよね」
    「俺の弟は転んで大騒ぎで」
     二人は経験があるのか軽く笑いながら話し合っている。
     経験のない僕が思い浮かべたのは二人の住居にあるゆったりとしたバスタブ。いつも白く磨かれて金の細工が細かくて美しいものだった。そこで泡だらけになる、どれだけ泡ができるんだろう。全身を覆うくらい? ふわふわのもこもこ。うん、楽しそう。
    「泡のものがいいな、楽しそう。アンジュも喜んでくれるかな」
     そう言った途端、二人の動きが怪しくなった。ゼノはタブレットを打ち間違えるし、レイナもそわそわと行き場のない手で懐いていない猫型ロボットを撫でようとして逃げられている。
    「こ、この店、オウルに本店があるみたいで、非接触で作ってくれるみたいデス」
    「じゃあ明日にでもオウルに視察名目で行きましょうか。二人のためとあらばタイラーも分かってくれるはずデス」
     二人って……あ。
    「ち、ちがう……アンジュとはまだ」
     二人でバスルームに入ったことなかった。おそらくゼノとレイナが想像しているようなことはしているけど。僕は否定すべくおろおろと両手を二人に伸ばすが、レイナはガタッと椅子をける勢いで立ち上がり声高々に宣言した。
    「明朝〇八〇〇、王立研究院星の小径前集合後速やかに主星オウルに向かい、女王陛下と恋人闇の守護聖ノアのための入浴剤を作成する。最終的な作戦終了は闇の守護聖ノアに一任されるものとし、我々は入浴剤作成まで尽力するものとする。必要とあらば助力するが、その際は外部顧問を招くものとする。本官はこの作戦をラブラブバスフレグランス作戦と命名する!」
     次いで同じく立ち上がったゼノ。右手はビシッと敬礼している。彼の場合は勢いで椅子が壁まで飛んでいき、派手な音がした。
    「アイアイマム、全力を尽くします!」
    「以上、解散!」
     キビキビと音がしそうな行進でレイナは執務室を出て行った。ゼノはその姿を見送り、その後彼も自分の執務室なのに奥へと引っ込んだ。
     逆にここまでされると僕も居たたまれなく感じてさみしくなった室内をきょろきょろ見渡した。大きな声に驚いたのか猫型ロボットでさえ僕の下に来てくれない。少しだけ泣きたくなった。

    ◆◆◆

     頂点にはクリスマスみたいな黄色い星型のオーナメントが飾られている真っ赤な大きなテント。端が長くて中央の入り口から小ぶりの家一軒分遠くにあるから一辺二十メートルの広いテントだと思っていたら、裏にある工場も同じ敷地なんだって。
     僕らが訪れたのはオウルでも有数の入浴剤専門の工場で、朝一番で来たのに入り口からすでにいろんな匂いが届く。工場見学の一コースとしてオリジナルの入浴剤を作らせてくれるんだって。アンジュも一緒だったら楽しかったのにな。
    「三人で来られればよかったのだけど」
    「仕方ないよ、聖殿でネズミがでるなんて来たことないから」
     普段より格段に動きやすい恰好をしたレイナが首を傾けて言った。本当はレイナ様って呼ばなきゃいけないんだけど、オウルでの視察っていうのも、女王試験時代の恰好だっていうのもある。
     ゼノは今頃聖殿内にある全ての猫型ロボットのメンテナンス中だ。
     それは今朝、まだ日が上り切っていない時間に事は起こった。突然響き渡る皺がれた叫び声、聖殿の廊下には物が少ないので上から下まで筒抜けで、一番朝の弱いカナタでさえもこの世のものとは思えない寝癖で飛び出してきた。まぁ僕も同じくらい朝は弱いからドアの隙間を少しだけ開けて様子を伺っていたのだけど。
    そこには暴れまわる五台の猫型ロボットたち。鋼の胴体は体当たりされても勝てやしないので僕はそのまま二度寝を決め込もうとした。そこで聞こえてきたのはカナタの声で「ネズミは嫌いに決まってるよ! ゼノ、ネズミを引き離すから手伝って」と。猫型ロボットなのに? どうしてそんなことをカナタがわかるの? それからしばらくして叫び声は収まったが、破損個所があり全機緊急メンテナンスをするためゼノはオウルへ来れなかった。
    「おかしいな、音声登録は実際の猫しか登録していないんだけど」
     前日、撫でてくれと僕に頭を押し付けてきた個体を思い出す。「にゃーお」と確かに鳴いていた。
     これが今年一番怖い話だった。
    「ご予約のノア様でいらっしゃいますね?」
     分厚いカーテンを押し開け一歩踏み入れると中は宇宙のようだった。全体的に暗い室内の天井には満点の星空が映し出されている。足を踏み出す度に波紋の広がる床は今にも落ちそうな奥行を感じさせる。
    闇に吸い込まれそうな恐怖と息をのむほど美しく輝く光、それが宇宙。
    現れた男性は僕らをカーテンで仕切られた場所へと連れて行ってくれた。同じような仕切りがいくつも等間隔で並んでいる。聞けば個別カウンセリング専用スペースで、その予約は半年まで埋まっているとのことだった。
    「偶然キャンセルがでまして。お客様は何かお持ちなのでしょうね」
     それが運だとか超常的なものを持っているという意味だとはすぐに気が付かなかったが、歩いている途中で見た別のスペースを見て初めから抱く違和感に納得がいく。
    「ここは……占いの館のようですね」
    「ええ、占星術の先生も常駐しております。よろしければ後ほどご案内いたします」
     横だけに仕切りを設けたスペースでは赤い髪の女性が大きく丸い水晶を挟んで客の女性と対話をしていた。聞こえてくる弦をはじくような音楽も不思議な雰囲気を醸し出していて入浴剤工場というより占いの館がしっくりくる。
    レイナはこういうのをしてみたいかな?
     僕が目で聞くと彼女は静かに首を振った。さっきからいろいろと気になるようだけど今日はあくまで視察といわけらしい。
    「さぁ、どうぞこちらです」
     中央に大きく白い半分の貝柄が置かれている。横幅は僕が手を広げたくらいある。さらに男性が立った後ろには大きな棚が三面にあり、様々な瓶が所狭しと並んでいた。男性はエキゾチックなエプロンをテキパキとつけた。元々の服装がエキゾチックなのでエキゾチック×エキゾチックとなって目が痛い。
    「本日はお越しいただきありがとうございます。今回はプレゼント用オーダーメイドのバブルバスボールの作成と伺っていますがお間違いないでしょうか」
    「……あ、はい」
    「ありがとうございます。作成方法と致しましては、こちらから十の質問を致します。ノア様にはそちらに応えていただき、その回答に基づき私が効能、質感、色、香り等を考慮し様々な材料から調合致します。最後には作成にあたり使用した香りなどを記したカードをお渡ししておりますのでメモのご用意は不要です」
     深々と頭を下げる男性の前でレイナからなにやらつぶやき声が聞こえてくる。
    「占いの館で十の質問? ただのアキネイターだと思うけど、何かあったら私がフォローしなくちゃ」
     なにやら年期の入った手帳を手に持っている。僕は何も持ってきてなくて服の飾りをぎゅっと掴んだ。
    「肩の力を抜いてくださいね。まずは簡単なものから始めましょう。お相手はご家族ですか?」
    「……恋人、です」
    「お誕生日か何かでしょうか」
    「もうすぐ僕の誕生日でプレゼントをくれるらしいんです。でも僕は彼女に何も渡してなくて。だから僕も何か贈りたくて」
    「サプライズにもなりますし、きっと喜んでくださいますよ。その恋人さんについてもう少し伺ってもよろしいですか?」
     男性は貝殻の中にこぶし大の匙で白い粉を山盛り三杯いれた。鍋のように、そこが調合台のようだ。
    「アンジュは優しくて、勇気があって、でもちょっと面白くて」
     出会ってから向けられていたいろんなアンジュの表情が浮かんだ。話を早々に切り上げたい僕に諦めずに質問を繰り出すアンジュ、僕の手を迷わず握ってくれるアンジュ、酔っぱらった際にエナドリの空き缶でタワーをつくるアンジュ、どの顔も可愛くて抱きしめたい。
    「でもそのアンジュがレイナによると最近疲れているみたいで……」
    〝レイナによると〟の部分で僕は彼女に目を向ける。
    「今まではそんなことなかったのに最近は仕事中にうたた寝をしてしまうことがあって……業務が忙しいというのもあるんですが」
    「症状は睡眠不足や疲労感といったところですね」
     話している間、男性は棚を往復していくつも瓶を取り出しては中身の粉を匙で掬い、調合台に落としていった。
    「それから……」

     すべての材料が捏ねられ形成された生地がガスを吹きかけると一瞬で乾燥し、ついにバスボールが完成した。色はラベンダーよりも濃いめの薄紫だ。品質を高めるためにもたくさん作るとのことで、拳に収まるサイズの球体が二十はあった。実際に受け取れるのは三つだけ。残りは別のところで販売されるらしい、そんな旨の同意書にもサイン済み。
    「では最後にお渡しする恋人さんがバスボールを使用してどうなってほしいか強く願ってください。当店では感情の一部をコーティングするサービスを期間限定で行っています」
     別のスプレーを手に取って男性は僕に促す。
    (安らかに眠れて、起きたら元気になっていますように)
     僕は強く、強く願ってしまった。
     これから起こる事なんて知らずに。


    ◆フェリクスに相談


    「最近夢見が悪いらしいのよ、誰とは言わないんだけど」
     そう言う陛下の目元には美しくないクマがある。
     三十分だけと最初に断って陛下は僕の執務室に入ってきた。タブレットで呼ぶべきだと進言すると、デスクに張り付いていても身体に悪いというので散歩も兼ねての訪問だと歩く背を曲げながら言った。そんな陛下に僕は背もたれが真っ直ぐ繊細な飾りのある椅子ではなく、脚の短いソファへと案内した。クッション代わりにひざ掛けを畳んで渡すと、意をくみ取ったのかそのまま腰のあたりに差し込んで座りのいい場所を探す。美しくはないが……まぁ今日のところは見逃そう。
     戴冠してまだ日の浅い彼女は業務に慣れず文書と睨み合いが続いているとサイラスから聞いている。一昨日の終業前に顔を出したら、目の前には陛下が二本目のエナジードリンクを飲むのを女王補佐が止めているという現場に出くわした。もれなく僕も手伝わされてそのまま持って帰ってきてしまったエナドリはどうしたものかと今朝も考えていたところだ。
     あれは女王候補専用で、普通の人間が飲んでいいものではない。もちろん守護聖は問題ないが、基本的には王立研究院限定且つ元女王候補限定通販での取り扱いとなっている。下手に処理を間違えると大変なことになる。
    「夢見なんて君の恋人の分野じゃないか?」
    「でも寝てみる夢も、思い描く夢も夢の守護聖の領分みたいなこと言ってなかったっけ」
     若干反りのあるソファーの背もたれに顎をのせ、陛下はお茶の準備をする僕を見ている。左右にころころと揺れて子供のように落ち着きもない。
     確かに女王試験の間に言った。しかし、試験中はもう少し人に頼ることのできるお方だったと思うが。女王になって変に矜持が付いたのか、はたまたその悪夢になにかあるのか。
    「それで、その悪夢はどんなものなんだ」
     少し乗っかってみよう。
    「その人が言うには仕事に追われる夢で、すぐ起きちゃうんだって」
    「仕事が大変なのか」
    「そう! あ、うん。その人とっても大変みたい。いわば中間管理職よ」
     その言葉は『女王の品格』で読んで知ってる。つまり、宇宙意思と守護聖の間を結ぶ中間管理職と言いたいのか? 合っていて半分だな。
    「引継ぎ業務が大変でねー。助手も大変なのに私の方の改善提案もしてくれて感謝してるのよー」
     そこからグダグダ、ゴロゴロ、宇宙一壮大な愚痴大会が展開された。適度に相槌を打っている間に僕はお茶の準備を進めよう。すでにカップとティーポットはお湯を入れて温めている。僕はキッチン横のキャビネットからラベルを見ながらいくつか容器を並べた。ローズヒップにハイビスカス、レモンピール……こういうのはセンスであり、勘とも言える。科学的根拠を用いるならもっと適した飲み物はいくらでもあるのだからそれこそオウル印で「天使の羽を授ける」のキャッチコピーでおなじみピンクブルーでも通販すればいい。いま必要なのは彼女をリラックスさせる口実と雰囲気だ。
    「うなされてることもある」
     それまで堕落した女王様が転がってた窓辺はがらりと纏う空気を変えた。
    「内容は教えてくれないの」
     ぽつりと呟く彼女の目は僕を見るではなく、ぼんやりとする。母親が帰ってくるのを星を数えて待っている、そんな哀愁を滲ませる表情を僕は心の額縁に収めた。今日は早く仕事を終わらせよう。そして現実の額縁にこの絵を収めたい。
     どうやら二人して苦しんでいるらしい。
     人は苦しむために生きている、と謳う本があった。
     僕はケトルが再びしゅんしゅんと奏で始める前にコンロから上げ、ティーポットにお湯を回しいれる。カラカラのハーブたちは突然の給水に驚き中に凝縮していた風味を解き放ち、僕のもとまで湯気と一緒に届いた。そっと花を模った蓋をして、蒸らしの砂時計がさらさらと時を刻む。腰をかがめればガラスのティーポットの側面から煮出される様子が真夏の陽炎のように美しい。僕は味わうことも好きだし、見て楽しむのも好きだ。
     これを絶望と呼ぶ人もこの宇宙のどこかにはいるだろう。反対にその人はこのティーポットが割れ、中身が飛び散ることを希望と呼ぶかもしれない。人の価値観はいくつもバリエーションがあり、一つ希望を見出せば反対側に潜む影が絶望となる。この理論でいうと世界の半分は希望であり、もう半分は絶望で成り立つことになる。しかしこのできてしまった絶望を絶望のまま受け入れることができたら、絶望そのものを楽しむとまではいかないまでも認めることができたら。その人から見る世界は、希望と絶望トントンの人よりもよりよいものになるだろう。
     それが〝人は苦しむために生きている〟だ。
     二人の問題も解決したらまた揃いの笑顔を見せてくれると信じて、僕は僕にできることをしよう。念のため後で陛下の仕事を僕らで分担できないかロレンツォに相談しに行くか。
    僕は十センチ四方の紙を少し離れた棚から取り出した。半透明のものや細い金銀で彩られたもの、花柄や宇宙をイメージしたイラスト、その中から何枚か抜き出し並べて、そこに今蒸らされているブレンドとは配合の違うハーブたちを包み込んでいく。
     こういうときに取得した特級折り紙師の資格が頭をチラつくが、ミランが勝手に申請して取れてしまった資格であって、それがなくともこれくらいは折れる。「これからは特級折り紙師って呼ぶね!」まだ赴任して親しくない頃の若い顔が頭の中に浮上した。言い返せなかったことを今でも悔やんでいる証だった。資格の話が流布し、話のネタになり、それもあって聖地に馴染むことができたというのもあってミランに対し感謝の意を持ち合わせていないわけではない。
     気づけば苛立ちが指先につもり、ハーブティーのパックが阿修羅折りにしてしまった。テーブルに並ぶのはあと七つの包み紙、砂時計の砂は以外にもまだ余裕があった。
    (ハチブシュウにするしかないか)
     ハーブティーの蒸らしが終わるまで八武衆折り紙タイムアタックが始まった。

     生返事だった声がいよいよなくなると、アンジュはフェリクスに焦点を合わせた。キッチンの前では小さな丸椅子に浅く腰かけ手元を細かく動かしている夢の守護聖の姿があった。細いけれど広めの肩からはみ出て見えるティーポットには布製のカバーがかぶせてあるからもうすぐお茶が運ばれてくるのだろう。
     アンジュは向き直るとローテーブルの真ん中に置かれた陶器の平皿からクッキーをつまむ。中心は白く、端にいくほど焼き色が薄く綺麗についているバタークッキー。サクッと身が割れぽろぽろと女王のドレスに食べカスが広がったのも気にならない、アンジュは二口で間食し、また平皿に手を伸ばした。
    (ノアも疲れてるのかな)
     自分の疲れは言わずもがな、夢見が悪いのも頷ける。朝早くに起きても二度寝をすればいい。政務に慣れれななくなるだろう。しかしアンジュが目覚ましよりも早く起きるときには大抵ノアがうなされている。恋人に理由を問うてもなかなか答えてくれない、それがつらかった。喧嘩をするわけでもない、重大な隠し事をしているわけでもない。政務では一守護聖として女王である自分を支えてくれるし、私生活、夜の生活も不満はない。むしろ慣れてきてノアはスイッチのコツを掴んできたくらいだ。
    「誕生日プレゼント、どうしよう」
     一枚、また一枚、バターの風味が口内に広がり消えていくのに、胸のしこりは残り続けたまま誕生日パーティーの日付は刻一刻と近づいてくる。会場はサイラスたちに一任しているとして、ライブパートは絶対シュリとロレンツォに頼もうと午後には向かう予定だ。確かケーキの味付け相談がシェフから昨夜きている。着々と進むパーティー、最も大切なプレゼントだけが決まらない。尽きないため息に入室時からの猫背具合がさらにひどくなった。
    (はぁ……)
    「ノアのこと考えてるでしょ」
     ぼすんとソファが揺れた。アンジュは慌ててドレスを掴む。ドレスの上にあれば後で鳥にでもあげられる、床に落ちてはただのゴミである食べカスがその場にとどまるために。
    「ミラン?!」
    「僭越ながら陛下の悩みを紐解いてご覧いれましょう」
     淡いペリドットの瞳がグッと近づいた。フードによって作られた影の中に寸分の狂いもない美形と評される顔面がさらに近づいてくる。守護聖一神らしい神はその眼で思考を読めるので、ここにアンジュの悩みを広げようと言う。
     アンジュは胸の内をさらけ出される恐怖よりも美顔に気おされ背筋がピンと伸びた。今ならランドセルのCMに出る自信すらあった。
    「陛下は何を……イテッ」
    「無礼だろ、ミラン」
     ミランの頭頂部に手刀が垂直に入った、つまりチョップだ。
    「ミランも飲むだろう、ハチミツ出してくれ」
    「ハーイ」
     パタパタとキャビネットへ向かうと思いきや、冷蔵庫を物色するミラン。何か取り出しているようだけど主は気づいていないようだ。フェリクスは手際よくポットからお茶を注いでアンジュの前に置いた。鼻腔に広がるローズヒップの香りが気分を変えてくれる。それからもう一つ。
    「「なにこれ」」
     ハチミツ片手に素早く戻ってきたミランとハモった。
    「外見はつい捗っただけで……中身はそれぞれブレンドしたハーブティーだから寝る前に飲めって疲れている人に渡して」
     悪夢を見る人がいる、という相談で来ていたことを忘れていたアンジュはコホンと咳払いをしてからお礼を言った。それにしてもテーブルに置かれた包み紙が折り紙の範疇を超えている。どう見ても人の形をしているのだ。いや完全に一つの人間とはいかないものが大半か。
    「これすごい! 手が六本、顔が三つ!」
    「アシュラって言うんだろ?」
    「あ、ああ……阿修羅だね」
    「一つ折ったら八武衆にしないと思って……」
     柄にもなくカチャカチャ音を立ててお茶の用意をしているのでやりすぎた自覚はあるようだ。ミランとそろってアンジュの唇からも小さく笑い声が漏れた。
    「ともかく、陛下もこれを飲んで一息ついて」
     隣ではミランが「ハチミツいる?」とティースプーンに一杯のハチミツを持っていて、アンジュは微笑んでそれを受け取る。そこにはもう入室時の暗い彼女はいなくなり、和やかな時間が過ぎていった。

    「こういうのは僕よりミランの方が得意だろ」
    「二人なら大丈夫だよ」
     そう言ってミランはポケットからナッツを取り出し齧る。
    「だって陛下は僕に願いを叶えてって言わなかったし」
     陽が上にのぼり、開け放った窓からは肌寒い風を和らげるように日差しが差し込んでいる。十一月だというのに光と影をはっきりと映しだす光はフェリクスが拭いているティーポットに反射して七色になった。
    「あ、あれ僕にも作ってよハチブシュウ。カナタに自慢してくる」
    「絶対に嫌だ」 


    ◆アノマロカリスの素揚げ
    ~フルール・ド・セルを添えて~


    「やあ陛下、ご相伴にあずかってもいいかな」
     時は時計の短針と長針が出会う頃。公園のテラスで空腹を満たそうと、メニューの気になる文章の間を視線が縫っていた。そこへ現れたのは地の守護聖ロレンツォ。はて、と辺りを見渡せば日の当たりのいい席もそうでない席も満席で、私はにっこり着席を促した。
    「もちろん、ロレンツォ」
    「感謝するよ。君はもう注文を済ませたかい?」
    「いいえ、まだですよ。いつもパスタにしちゃうから今日は気分を変えたいんですが」
    「それなら私から一つ提案をさせてほしい」
     席に着く所作はゆるやかに、上品な余裕を感じられたが、私が見ていたページからサッと期間限定メニューのページを開く速度はいつもの彼より幾分も素早かった。飛び込んできたのはクリっとした目が可愛らしく、口のような場所から二本の長い触手を生やし、胴体は紙の中でヒラメのように靡いている——
    「アノマロカリス!!」
    「古生代カンブリア紀の海に生息したラディオドンタ類(アノマロカリス類)の節足動物の一属。ラディオドンタ類の中で最も有名な属であり、長い前部付属肢と扇形の尾部をもつ、遊泳性の捕食者であったと考えられる——現在バースにおける最新の情報まで覚えてしまったよ。さらに詳しく知りたい場合は王立研究院で解説してくれるだろう」
    「高校の時、地学を専攻していたのでよく覚えてます。フライがいいかなと思ってました」
     チッチッチ。
     ロレンツォは口を鳴らし、人差指を左右に振った。こういう俗っぽいロレンツォは熱に浮かされている場合が多い。心なしか目だって爛々と輝いている。
     そこで彼はボーイを呼んで一言。
    「アノマロカリスの素揚げを」
    (ア、アノマロカリスの素揚げだって——?!)
     伸びた尾びれはエビ——節足動物門・甲殻亜門・軟甲綱・十脚目(エビ目)のうち、カニ下目(短尾類)とヤドカリ下目(異尾類)以外の全ての種の総称——に似ているからその身をぷりんと剥いてエビフライが至極妥当、王道、素揚げなんて寛容不可能!
    「わ、私はアノマロカリスフライ定食を!」
    「タルタルソースにはピクルスがはいっておりますがよろしいですか?」
    「至高~!」
     お隣まで音が届くまでカリっと揚げられたアノマロカリスに酸味の効いたタルタルソースは口の中を爽やかに彩ってくれるだろう。刻んだピクルスも入っているなら口の中はカリっ、プリっ、シャキシャキ。素揚げにはない、一口で幸福、いや〝口福〟が味わえる。さぁロレンツォはどうでる?
     私はドリンクのページを見てウーロン茶をボーイに指差し、ロレンツォをチラと盗み見た。さぁ、どう出る地の守護聖。彼の前にある〝カンブリアンモンスターフェア〟の文字の下には素揚げやフライ定食はもちろん、サンゴのコリコリ食感サラダ、三葉虫のから揚げなどまだバースの知識では及ばない節足動物の加熱料理が並ぶ。
     そもそもどうしてこんなヘンテコなフェアをやっているのだろう。先週まではまだ宇宙のお子様ランチフェアなど見た目も可愛らしいものばかりだったのに。
    「素揚げというのは——」
     私はハッと顔をあげた。脳天を衝くほどのいい声がこのテーブルの雰囲気を支配する。
    「ただのボイルよりも旨味を閉じ込め、逃がさない」
     二秒だけ目があった。そして次に視線の交わったボーイは守護聖の覇気に気おされることもなく、
    「スパークリングワインを」
    「かしこまりました」
     きっかり腰を三十度に曲げて礼をしてボーイは厨房へ去って行った。残されたのは一つの真実に辿り着いた女と、目的にたどり着かんとする男。
    悔しいかな。確かに素材を味わう点で言えばボイルや素揚げが正しい。衣のついたフライだと身以外も口内で一緒くたになり、さらにはソースだとかタルタルソースの味に舌がすり寄っていってしまう。そのため素揚げに比べると味をごまかすには打ってつけの調理法ともいえる。素揚げは衣で誤魔化せないのだから油や塩、胡椒にもシェフのこだわりが色濃く出るかもしれない。材料を多く使う分贅沢だと誰が決めた。確かに調理法の確立という点においては素揚げが登場し、後に小麦粉と卵そしてパン粉が使えるフライと、後者の方が裕福な人が最初に好んだには違いない。
    そこで彼のチョイスはスパークリングワイン。
    これも悲しい。私はスパークリングワインが苦手なのだ。ビールは飲めるんだけど。そうでなくともここでスパークリングワインなんて選択肢を私は選ばない。だってエビフライ定食だったらウーロン茶頼んじゃうでしょ。
    今は久しい記憶を辿るは社会人時代。場所は会社を出てすぐに路地に折れて数分のところにある定食屋。厨房に立つちょっとお堅い印象の(顔に大きな傷跡があったら怖いところに勤めていそうな)店主と美味しい料理で育ったのであろう少しふくよかな奥さんが切り盛りする小さなお店だった。
    ——ご飯は大盛にしておいたからね!
     笑うと目の端に可愛らしい皺のよる奥さん。ごちそうさまと厨房に声をかけると無言で会釈する店主。
     ワンコインでおなか一杯食べられるそこはランチ時には人が列を成し大盛況だった。いつも頼むのは日替わり定食とセットでウーロン茶。もはや条件反射だった。
     お金の概念も必要としないここ聖地で、まだ陽がサービスの水をキラキラとさせている時間帯にスパークリングワインを頼むなんてまだ私にはできなかった。
     アノマロカリスフライ定食にウーロン茶が悪いわけではない。がしかし、彼はアノマロカリスの素揚げにスパークリングワインを迷わず選んだ。私よりアノマロカリスを愛している……完敗だった。私は肩を下して負けを示す。
    「……これを仕込んだのはあなたね? ロレンツォ」
    「話を聞こうか」
     それまで背もたれとお友達でいたロレンツォがテーブルに両肘をついた。ミランとはまた違う、思考ではなく私自身を暴きそうな瞳が深い色を示している。
    「ボーイが動じていない。ということは彼と何度も会話をしているのでは? そしてメニューを見ずに注文しましたね? そもそも先週まではもっと可愛らしいフェアでした、突然の路線変更に第三者の介入が感じられます」
    「いくらか推測が多い気はするが、その通りだよ。このフェアは私が希望したものでね、初日の今日を楽しみにしていた」
     だから今日はこんなに混んでいるのか。先ほどまでのボーイもあくせくテーブルの間を足早に動き回っている。
    「アノマロカリスはどうやって調達しているんですか?」
    「少し前に別の宇宙で生け捕りに成功してね。もしかしたらとオウルの研究機関に働きかけてみたんだ」
    「生け捕りに? それで令梟でも発見されて?」
    「ああ、繁殖に成功したからこうして今日、テーブルに並ぶ……おっと、来たようだよ」
    「アノマロカリスフライ定食とウーロン茶、アノマロカリスの素揚げとスパークリングワインです」
     鉄板付きのプレートに大きなアノマロカリスがピンとしっぽを伸ばしている。立ち上る湯気からも揚げたての香りがたまらない! ロレンツォの方は銀の皿に丸まったアノマロカリス。長い触覚もくるくると丸まりシナモンロールのようで美味しそう。ちょっと食べたい。彼もフライは初めて見たのか静かにこちらを見ている。
     さぁナプキンを首元にして、私はお箸、彼はナイフとフォークを手に取った。
    「こちら取り皿です、よろしければお使いください」
     ボーイと同じく綺麗なお辞儀をして、長い髪をアノマロカリスのように丸くまとめたお姉さんは去って行った。
    「……ロレンツォ、フライ食べます?」
    「ではこちらも切ろうか」
     二人は約五億年ぶりの生物を静かに切り始めた。

    「オウルと言えば面白いものが流行っているのは知っているかい?」
    「オパビニアほかでふか?」
    「カンブリア紀を挟むのは口だけにしなさい。とある入浴剤なんだが、睡眠の質を向上させると高値で売買されているようなんだ」
     なんだそのラクトバチルス・カゼイ・シロタ株を一臆個含んでいそうな入浴剤は。
    「陛下、ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株は経口投与が望ましいかと」
     考えていることを読まないでほしい。
    「そういうのはバースでも流行りましたよ。でも欲しがったのは私みたいな会社に追われる人とかで……オウルでは不要じゃないんですか?」
     私も家の近くのスーパーで探した記憶がある。ブームに気づいたころには会社の近くは全滅だった。
    「オウルにもそういう問題はなくはない。理由は違っても我々だって睡眠の質は気に掛けるだろう」
     薄い唇についた油をそっとナプキンで拭う仕草はもう元のロレンツォだ。オウルにもダンプがあるくらいだしね。聖地ほどクリーンな場所ではないってことか。
    「……睡眠の質」
    「気になるかい」
    「い、いえ」
     その後、ロレンツォからアノマロカリスジェラートを勧められたが、まだフェアは終わらないからこの次にと断り席を立った。
    (オウルに行こう、その入浴剤をノアへの誕生日プレゼントに)
     私が公園から出る際ロレンツォは目を細め見送ってくれた。ふと、彼に関する大事な用を思い出し私は叫ぶ。
    「シュリとのライブの件なんだけどー!」
     ノアの誕生日会ではシュリとロレンツォのライブパートを予定している。昨日打診した際はシュリに断られてしまっていたのだが、ロレンツォは一日あればシュリをその気にさせると言っていた。酔いどれで女王候補契約をしてしまう私なんて、ロレンツォの手にかかればきっととんでもない契約をさせられてしまうんだろうな。私は立つ鳥肌を前向きにとらえるべく腕を撫でつけた。
     ちなみに前座は私とヴァージルのコントだ。
     ロレンツォは右手でサムズアップ!
     私の足取りは軽くなってしまった。
    後日、聖殿で軽いスキップをする女王陛下という見出しが職員たちの間で流れている裏聖地日報で綴られるはめになるのである。


    ◆騒がしいオウル


    「あれ?」
     王立研究院のディスプレイに映っているのは星の小径使用履歴だ。そこには一昨日、レイナとノアがオウルへ視察に出かけている。その頃、朝の八時三分。
    「こんな朝早くから視察?」
    「お急ぎとの事でしたよ」
     私が首を傾げていたのが気になったのか、作業中のタイラーが手を止めることなく声をかけてきた。
     今は聖地で働く人々の大半が大体業務を始めているだろう時間帯。王立研究院の中もピシッと制服を着こなしたタイラーのような雰囲気の人たちが各々のラップトップと向かい合っている。女王候補として土の曜日にここへ出向いていた頃は成績表を受け取りに行くような気持ちで――朝寝坊すると視線が痛かった――後ろめたくなくても自分の行動を改められている心地がした。女王となった今は自ら宇宙意思の声も聞けるし、むしろ自分の采配がどう影響したのか期待と心配の半分ずつで彼の報告を聞く。
    「何か聞いてない? オウルで何かあったとか?」
    「オウルは問題ありません」
     相変わらず自分のタブレットと向き合っているタイラーはビールを出せばもう少し表情が和らぐので大丈夫、先月入ってきた新人王立研究院に私はそう言った。そのあとサイラスがビール以外にも……と耳打ちしていたのが気になる。翌々日、タイラーは体調不良で仕事を休んだ。
    「で、陛下もどこかへお出かけに?」
    「そうなの、オウルに私用で行きたいんだけど」
     分かりやすかったのだろう。私は今、女王の恰好をしていないし、左手は小型のキャリーケースがある。
    「お一人では流石に何か事に巻き込まれては大変です。どなたか護衛にお呼びしましょう」
     そう言ってタイラーは連絡アプリケーションを開いて私の返答を待った。守護聖たちのカラフルなアイコンが私の目にも見える。
     なるべく人に知られたくない。レイナにはここを任せたい。目的が目的だからなるべく同じ志の人がいいかな。
    「ユエをお願いできる? あ、それとこう伝えて……」
     タイラーは頷いて、ペガサスのアイコンをタップした。
     
    「今回はノアの誕生日プレゼントを買いに行きます」
    「私用ってそういうことか」
     長くない星の小径を歩きながら私はユエに計画を話して聞かせることにした。意図的でなくともすぐに人に話してしまいそうなユエだが、ノアのこととあれば多少はましだろう。それにパーティーはもうすぐそこだ。
    「オウルで今大流行の〝睡眠の質を改善する入浴剤〟が欲しいんだ」
     ピン止めしたばかりの記事をタブレットに表示した。そこには昨日は見なった〝闇のサクリア入り?!〟とまことしやかに書かれている。
    「あーこういうのはよく見るな」
    「そうなの?」
    「あ、〝闇のサクリア入り〟のことな。人にはサクリアが見えないからこういうふうに宣伝として利用されることも多い。百パーセント入っているわけはないから俺たちができるのは誇りや夢を送ることだろうな」
     以前、芸術作品の贋作が流行った惑星があった。自ら作り出すよりも他人を模倣することで価値を見出し、人として高見を目指すでもなく金銭が人の間を動いてばかり。そこに必要なのは自ら生み出す想像力、そして人が産み落としたものを大切にする誇りというわけ。今回の件に関していえば闇のサクリアも送ろう。
    「ただ睡眠の助けになるならオウル製品は間違いないと思うぜ。今も夜目覚めるのか、あいつ」
     熱いくらいの太陽が陰った。星の半分をお互い支配する朝と夜。
     胸にぽっと小さな火が灯った。自分よりも長く恋人と過ごしてきたユエにほんの少しだけ悔しいような気持ちがつのる。ノアが自分にむけるのとはまた違う感情を彼に向けていることも知っている、それは私たちの助けにもなる。
     私はゆっくり視線をタブレットからユエに向けた。
    「絶対にこれを手に入れてノアに睡眠を貪らせてあげよう!」
     満面の笑みで拳を突き合わせて、ユエが径から落ちそうになったのはさすがに二人して慌てた。
    「あとノアに気になることがあって……」
    「それがこの荷物を用意させたことに関係あるのか?」
    「半分あるかな」
     気になるのは一昨日の外出履歴。ノアとレイナがオウルに向かった件だ。視察名目で守護聖と私たちが二人で出かけることは多くはないが、ないわけじゃない。むしろ行くなら女王より女王補佐の方が向いている。でもどうしてあんな朝早くに、それに連絡を受けていない。些末な視察なら報告はいらないけど、そうだってノアから個人的に夜の会話のタネに聞いてもいいはずだ。ノアとレイナは昼過ぎには聖地に戻っている。買い物ついでにオウルでの二人の動向が探れれば御の字だ。
    「まぁそれもおいおい聞かせてもらうぜ。さぁ、オウルだ」
     不安が解消できることを願いつつ私は光の中に脚を踏み入れる。オウルへと到着した。

     下り立ったのは有数の入浴剤工場があり、まさに入浴剤で栄える街バブル。販売店が並び、お風呂産業も盛んなようで空には湯気がいくつも見える。買ったらすぐに一人風呂で楽しめる、そんなコンセプトがのぼりに書いてあった。
     私はなんだか弾ける前に固定資産を売り切ってしまわないといけない気持ちになって落ち着かない。
    「えっ完……売……?」
    「正確には整理券の配布が終了しました。当店での本日の販売は以上で終了です」
    「これで五件目、もう無理じゃねえか?」
     店員は申し訳なさそうに他の並ぶ客へ同じ言葉を繰り返している。客らも私と同じように、いや私以上に瞳に絶望を映していて、おそらく何日も店を梯子してブツを探しているのだろう、面構えが違う。
    「そうだね、今日のところは引き下がろうか」
     ひとまず買えた他の土産を手に持ち、私たちはくるりと大通りへ身体を向けた。
    「闇のサクリア含有率三パーセントってどういうことよ!」
     一人お風呂も併設されたウッディ―でナチュラルな雰囲気のお店からその声は聞こえてくる。買えたであろうものを左手に持って、右手で店員に掴みかかる女性がいた。ネットに上がっている画像とほぼ同じ野球ボールほどの大きさで淡い藤色の入浴剤、あれが睡眠の質を向上させるバブルバスボール〝安らぎの天使〟だ。
    「あっちの店より値段が高くて、サクリアの含有率が少ないってどういうことよ!」
    「こちらはサクリアの含有を保証するものではなく……」
    「いらないなら寄越しなさいよ、もらってあげるわ」
    「ちょっとやめて!」
     それまで客同士だった人たちがあっという間に安らぎの天使を巡り取っ組み合いになった。それは女性だけでなく睡眠に悩む男性も等しく周りの人を巻き込みちょっとした暴動にまで発展する。
    「これ、やべぇな」
     隣のユエは二十メートル先で起こっている騒ぎに呟いた。その拳は力がこもっている。
     これがどの店でも起こってしまったら社会現象になりかねない。
    「三パーセントも入っていたら相当じゃない」
     どこからともなく聞こえてくる、囁くような声。
    「巻き込まれたくないわ、取られるかもしれないもの」
     足早に路地に消えていく人たち。
     彼らは闇のサクリアが含まれていないことを疑っていないのか? 頭上を流れるデジタル広告には安らぎの天使の入荷情報ばかりが流れてくる。店それぞれでパッケージは違うもののバスボールなどの形状は同じ、もう一つ違うのは、
    「含有率……入っていないなら〝入っているかも〟で留めるはずなのに普通パーセンテージまで表示する?」
    「競争を煽っているんじゃないのか」
    「それか本当に入っているものがあって、それを砕いて卸しているとしたら……?」
     ユエの表情がさらに厳しくなる。
    「サクリアを結晶化する技術……なくはない」
     オウルの技術はどこまで進んでいるのだろう。でもそれは私たちの得意分野ではなかった。
     ほどなくして警察官が笛を鳴らして現れた。昂っていた人たちもこれで頭を冷やすだろう。私たちにもそういう時間が必要だった。
    「明日、再び販売店を当たって含有率の高い物へと辿っていけばいい。今日のところは休もう」
    「今日? 明日? どういうことだよ」
     深刻な雰囲気が一転する。ユエの声は場を和ませるいい声だと常々思っていた。直接は言わないけど。
    「何のためにそれを持ってこさせたと思うの?」
     私はユエの足元にある色違いのキャリーケースを指さす。泊りがけになるだろうことを見越して、ユエに着替えを持ってくるよう伝えもらっていた。私のキャリーケースにもお泊りセットが入っていること述べた。
    「部屋は二つとってあるから安心して」
    「当たり前デスー!」
     傾き始めた陽を背にして二人はホテルへと歩き出す。

    ◆◆◆

    ――ピピピ、ピピピ
     その夜、レイナは珍しい音で目を覚ました。女王候補時代は二週間に一度くらいは聞いていた音で、やや高い音が短い間隔で発せられている。ようは緊急要請だ。
     バースにいた頃は政府が発する地震等の警戒音に内心ドキリとしていたレイナもこれなら反応しやすかった。人の心を逆なでするような不協和音は逆に行動が一時停止してしまう。どうしてすぐに避難できよう。これが上司の指示で作成した電子音なら即刻適切なものを作るよう別の企業に依頼するだろう。しかしここではそんな必要はない。王立研究院は遥かに優秀で信頼できる。
     視界を邪魔する髪を除けると軽く目を擦りタブレットを起動させた。全体的に青いテーマの画面に端的な文章が浮かび上がる。
    ――遅くにすみません。緊急要請です、守護聖様を派遣してください。
     昔は社交辞令の「すみません」というのは読み取る必要がないと思っていた。今はチャット上でもタイラーも疲れているだろうに、と余裕がある。
    「どこですか?」
    ――オウルです。民衆があるものを求めて暴動を起こしかけています。
    「あるもの?」
    ――なんでも闇のサクリア入りの入浴剤だとか。
     柔らかいベッドの上で身体が凍る。それからディスプレイがぶれた、握っている手が汗をかいている。
    「今すぐノア様とシュリ様、あとカナタ様を派遣して」
    (本来必要とされている安らぎとお互いを落ち着かせる優しさ、そして実際の暴動を止める強さ)
     ほどなくしてタイラーから三人がオウルへ向かった文字がディスプレイに表示された。
    ――カタン
     タブレットを置いた音が静かな部屋によく響く。
    (私のせいだ)
     五体満足のこの身体でできることは全て終わってしまった。身体に力を込めたとて向けるものはない。今レイナにできることは三人がオウルを鎮め、無事な姿で戻ることを祈るだけだ。ついしてしまう両手を組み祈るようなポーズはどこへ向かう祈りなのか考えた。神に近い自分は懺悔も似合わないと人だった頃は思ったはずだ。
    (ノア様も苦しいはずだわ)
     分厚いカーテンに隠れていた優しい笑顔が曇るのは胸が痛かった。
    「この緊急要請ではノア様のプレゼント内容がアンジュに知られて……ってアンジュは休暇ね」
     このまだすぐに動き出せる程度の警戒音を補佐官になって聞いていなかったのは、緊急要請は本来急を要するため王立研究院から直接女王に伝えられるためである。つまり今夜、アンジュは聖地にいない。
    ――ノアのプレゼントを用意したいから今夜はレイナの部屋に泊まるってことにくれない?
     休暇の申請を伝えに来たアンジュは頭の前で勢いよく手を合わせてそう言った。一泊がかりで手に入るかどうかのものらしい。もちろんレイナはその微笑ましい頼みを快く受け入れ、ノアには口裏を合わせている。今夜はアンジュとパジャマパーティーと。流石に王立研究院で調べてしまえば今彼女がどこにいるのかすぐにでも分かってしまうのだがノアもそこまでしないだろう。
    「何はともあれ頼みますよ、ノア様」
     レイナは連絡があればすぐに対応できるよう枕元にタブレットを置いて、再び眠りについた。

     一方その頃派遣された三人は……。

    「ノアさん、さっきからどうしたんですか?」
     その優しい声は僕にとって警戒音だった。瞬時に全身の筋肉がこわばって上手く声が出ない。
     オウルについた僕たちはすぐに現場へと向かい、シュリが暴動統制の指示を取った。
    守護聖というのは、いるだけで人に影響を与えるという話を聞いたことがある。星に降り立つだけでもこういう場合に効力を発揮するのだ。聖地は別格。だからあちらこちらに声をあげるシュリに対して、僕らは地上を見下ろせる場所にいても問題はない。というか、指示の飛び交う現場で震える僕をカナタが連れ出してくれた。手には温かいココアを持たされている。
    「えっと……」
    「何か気になることがあるんじゃないですか?」
     のぞき込むように見つめてくる顔は心配をしていた。
    すぐそこに自販機があるからここは休憩スペースだろうか。締め切られた窓からも外の騒ぎが聞こえてくる。
    入浴剤を求めて上がる怒号が。
    「この騒ぎの原因は僕なんだ。あのバスボールにはきっと——」
    「おいノア、お前なんてことをしてくれたんだ」
     休憩スペースの簡易テーブルを蹴りあげながらやってきたのはシュリだった。その手には自分が作ったものよりも大きなバスボールが握られている。
    「これには本物のサクリアが入ってるぞ」
     苦しい……胸倉を掴まれたんだ。静かだが凄みを効かせた声と暴力的な瞳が僕の筋肉をさらに収縮させた。
    「お、落ち着いてシュリさん!」
    「いいんだカナタ……ごめんシュリ、それはおそらく三日前オウルで僕が作り出してしまったものの欠片なんだ」
     椅子に座らされた僕はレイナと一緒にオウルへ来てバスボールを作ったことを二人に話した。仕上げに強い願いをした、おそらくあれがいけなかったのだろう。
    ——安らかに眠れて、起きたら元気になっていますように。
     同時に作った二十あまりのバスボールが卸され、サクリアの含有を知った者たちの手によって含有率を変えて作り直されたものが人々の手に渡ったと考えられる。アンジュのためを思って作ったものがこんな事を起こしてしまうなんて。
    「本当にごめ——」
    「これに含まれるのはごくわずかなサクリアだ、分かるな?」
     ぐいと眼前に突き出されたバスボールは〝安らぎの天使〟と呼ばれているらしい。皮肉だった。
    僕はシュリを見上げながら頷いた。
    「ならここからサクリアを回収することもできるな?」
    「そうだよノアさん! 女王試験の時の〝妨害〟みたいに具現化したサクリアを回収することもできますよね!」
     カナタが僕の代わりに顔をくしゃくしゃにして笑ってる。
    「うん……僕、やるよ」
     僕は集中するべく瞳を閉じた。

    ◆◆◆

     俺様は服を着た。守護聖であるを誇るいわば守護聖の制服を着た。そして最後に大切なブローチをつける。服自体は同じものが十着くらいあるのだがこれだけはこの宇宙に一つしかない、俺の宝物だ。
    鏡に向き合う俺様。
    「よし、完璧だ」
     窓から差し込む光加減さえも完璧だった。
     アンジュとの外泊から二夜明けて、というと立っているのに座りが悪くて尻がむずむずする。何もやましいことはしてない。昨夜もその前もおやすみと挨拶を交わしてからたぶんお互い部屋から出ていないのだ。
    簡素なベッドルームにバストイレ付き、観光エリアでするにとれるホテルなんて決まりきっていて、今回は陛下お忍びのお出かけというのもあって不満はなかった。うーん、この言い方も他にないものか。
    時計は七時十五分を示しており、モーニングまであと十五分ある。俺は昨日着た服を丁寧に畳むためかけてあるハンガーを手に取った。フェリクス並にこだわりはないが、作ってくれた者たちへの敬意は払いたい。決まった手順で畳むとキャリーケースを開く。
    「お? どうしてこんなものが……でも懐かしいな。まだ飲んでんのか」
     コロコロと飛び出たのは手の小さい人にも持ちやすい細めのボディにゴミを出さないタイプのプルトップ、その身の半分を濃ゆいピンクに塗られた女王候補専用のエナジードリンクだ。
    「アンジュの荷物が紛れたのか?」
     でもこの三日間俺の荷物は陛下の前では広げていないし……。
    ——あ~ユエどっかでかけるの?
     陛下に言われて急いで荷造りしている最中、ミランが来たっけな。
    「ミランがエナドリを持っているのもおかしいか」
     俺は釈然としないまま、壁にくっついた申し訳程度のデスクにコトンとそれを置いた。
     コンコンコンッ。
    「ユエ、緊急事態! もうここから出るよ」
     切羽詰まった声がドア越しに聞こえ、俺はすぐさまドアを開けた。陛下の寝ぐせが一本増えている、ヴァージルならこれだけで緊急自体だ。
    「何があったんだ」
    「いいから早く!」
     ずんずんと俺の部屋に陛下が入り、つめたばかりのキャリーケースをむんずと掴み退出を促した。ホテル自体から出るのか? 朝食は?
    「ロビーを見ればわかるわ。裏口から出ましょう」

    「ここに金髪と薄桃色の髪の男女が泊まりに来ているだろう」
     その声に似合うのはロビーに流れる小川に金や銀の鯉が泳ぐ高級老舗旅館なのよ。ついでに髪もワックスで整えて、黒い高そうなスーツをピシッと決めているようなルックスがお似合いなのよ。
     格安ビジネスホテルのロビーがまるでヤのつく抗争現場になっていた。残念ながら小川などはない。フロントにあるのは水循環型、手のひらサイズの竹筒がカポーンとするミニチュアだけだ。ああ、カポーンの名前が出てこない。
    「陛下、あれししおどしだろ。初めて見る」
     それだ。
    「ユエ、もっとよく見て」
     狭いロビーでホテルマンが泣きそうな目をしながら濃縮抗争雰囲気に浸されている。アーメン、ジーザス、南無三。許せ。私たちはここから離脱する。
    「シュリだ……なんでだよ、ちゃんと休暇申請はしてきたんだろ?」
    「夜はレイナの部屋に泊まるって言ってきた」
    「嘘だろ」
     そりゃパパも怒る。学生時代に経験がある人も少なくないのではないだろうか。
    「なんにせよ、もう目的は果たしてる。聖地へ戻ろう」
     そう、昨日の時点ですでに〝安らぎの天使〟は複数個手にいれている。他にも目的はあったが致し方ない。帰ったところでシュリパパの怒りはこちらに向くのだが、ひとまず聖地に戻ろう。
    「そういえば二泊したから今日がパーティー当日だろ? 大丈夫なのか?」
    「オウルの時間の進み具合を変えてあるから。帰ったら前日の夕方じゃないかな」
    「手際がいいな」
     ロビーを見下ろせる場所から足音を立てないよう、裏口を目指した。


    ◆ノアの誕生日会


     訪れたパーティーの当日、僕は落ちついていた。
     よく晴れた空には青い鳥が仲睦まじい様子で飛び回り、ミスティックカナルから取り寄せた歌う花たちもご機嫌に揺れている。公園のテラスを貸し切りにしてみんながみんな、僕の誕生日を祝って言葉を尽くしてくれる。プレゼントに限らず、この日まで準備をしてくれていたことは一つ二つじゃないはずだ。
     そんな素敵な日に僕もきっと表情が緩んでいた。
    「陛下の番ですよ。ささ、こちらへ」
     司会のサイラスがアンジュをステージに呼ぶ。彼女は胸に箱を抱えて階段をゆっくりとあがってきた。その顔ははにかんでいて二人して楽しみにしていた時間がやってきたのだと実感した。
    「ノア、ハッピーバースデー!」
    「ありがとう、アンジュ」
    「開けてみて」
     しんと鎮まる会場。その場にいる全員が僕の手元にある箱に注目があつまった。
    「これは……」
    「安らぎの天使?!」
     飛んできたのはカナタの声。勢いのまま机にぶつかりアノマロカリスフライが皿から落ちそうになるところを横からゼノがフォローした。
     僕はさっきまでアノマロカリスのエビチリもといアノマロカリスチリを食べてたんだけど辛くない味付けで美味しかった。
    「アンジュは昨夜までオウルにいて、これをさがしてたんでしょう?」
    そう言っては僕はポケットから小さな袋を取り出した。銀の糸が編まれた半透明の袋にはコインより少し大きなバスボールが三つ収まっている。
    「僕の安らぎの天使であるアンジュ、僕からも君にプレゼント」
     ややつりぎみの目を大きく見開いているところから察するに、カナタが声をあげた理由も、僕が本物の〝安らぎの天使〟を持っている理由もわかっていないんだろうな。
    「そんなことだろうと思った」
     そっぽを向きながらぽつりとつぶやいたシュリと、アンジュと同じくらい目を丸くしているカナタと、状況の把握しきれない人たちのために僕は話し始めた。

    「お前、アンジュを信じているか」
     シュリがあえて〝陛下〟ではなくその名を口するのは珍しかった。陛下が戴冠して、初めてじゃないかと思う。彼は自分の強さを体内で燃やしている以上に、女王を認め、必要とし、敬っているから。
     その言葉を聞いたのはオウルでの緊急要請が後始末に入ってからだった。バラバラに散らばった闇のサクリアはきちんと僕に返ってきたのを確認するために街・バブルを巡回していた時のこと。数軒先を確認していたシュリが横道に顔を向けたと思ったらすぐに身体ごと引っ込めた。それから僕らの元へきてこのセリフだ。
     僕は返答に迷わなかった。
    「もちろん、僕はどんなことがあってもアンジュを信じる」
    「……よし、来い」
     シュリは一呼吸おいてからあの横道へ向かった。カナタも緊張した面持ちで後に続いた。
    「静かに」
     そう言って指さしたのは一本先の十字路の一角。こういう時、上手いこと顔だけ出そうとしてもバースの漫画みたいにはいかなかった。傾げた首につられて流れる髪を耳にかける。
     オレンジからブラウンにかけての色で構成された煉瓦デザインの外壁、入口が直接見えないようにグレーのコンクリートがむき出しでそびえ立っていて異質だ。だって一番最初に一目に触れるのに。
    まごつく僕の耳のすぐそばでカナタがつぶやいた。
    「陛下?」
     明るいベージュの紙袋を持ったアンジュがコンクリートの影から出てきて手招きしている。その先には、
    「ユエさんだ」
     同じくナチュラルカラーの紙袋をたくさん抱えたユエが肩で息をしながらコンクリートへと消えていった。あれはこのあたりの入浴剤専門店の紙袋だ。後ろでは同じ紙袋を持った人たちが今も行きかっている。
     二人でオウルに買い出しに来たのかな。
    「シュリさん、ここ」
    「どうだかな」
    「でも、ほら……あの入り口のって」
     僕の下で話している内容の趣旨はなんとなく分かった。でも二人に限ってそんなことはないと信じている。
     パチパチと点滅し、入口のすぐ横にある看板に灯りが灯った。看板の影は本体より二倍近く伸びている。もう子供は家路につく頃、大人は仕事を収める時間、恋人たちは闇に隠れる場所を探すのかもしれない。
    ——休憩 二時間 二万~
     残念ながらこの数字が安いのか高いのか、三人にはわからなかった。

    「あれはただのビジネスホテルでっ」
    「ああ、翌朝俺が確かめたからな。でも場所が悪かった。あれはラブホテルの居ぬき……」
    「と、とにかく陛下とユエさんは何もなくて〝安らぎの天使〟を求めてオウルに滞在してたんだよね!」
     カナタの顔がちょっと赤い。ユエはかなり赤い。つられそうになったのでタールネックを盾にした。
     アンジュはハッとして顔を上げる。
    「もしかしてノアがレイナと二人でオウルに行ったのも〝安らぎの天使〟を求めて?」
    「それは……ちょっと違う。僕が〝安らぎの天使〟を作っちゃったんだ。それには本当に闇のサクリアが宿っていて、昨夜緊急要請があった」
    「ノア様は悪くないのよ、アンジュ!」
    「そうです、陛下。店を選んだ俺にも責任があります!」
    「緊急要請?」
     忘れてた、休暇を取っていたアンジュにはそこから話すべきだった。
    「ご歓談中失礼します。シュリ様に依頼されたデータのご用意ができました」
     広い公園のテラスを貸し切っているのでノックするドアもない。やってきたタイラーは仕方ないので司会のサイラスの隣にやって来て言った。
     日の曜日なのにタイラーが開始時間に来なかった。その理由をアンジュに問われて昨夜の事務処理が残っていることを濁してくれたタイラーは優しいと思う。
     シュリが頷くとタイラーは鳩胸マイクを受け取り全員に向かって報告し始める。
    「昨夜、オウルにて入浴剤〝安らぎの天使〟を求めての暴動が局地的に発生しました。ノア様、カナタ様、シュリ様により鎮圧。〝安らぎの天使〟に含まれていた闇のサクリアは無事回収されました。また既に使用されていた〝安らぎの天使〟による被害者において、死亡者はいません。心身ともに好調で最高の入浴剤だった、とのこと。報告は以上です」
    「オリジナル〝安らぎの天使〟に含まれるサクリア自体がごく微量で人体にも影響を及ぼさなかったんだろうね」
    「……よかった」
     僕に触れた人は命を失う。まるで僕に精気を吸われたみたいだと言った人もいた。本来は星に送り潤いを与えるサクリアがどうして人体に影響を与えるのか、理由がわかっても僕の明日からの行動は変わらない。絶対に人に触れないこと。
     直接触れていない〝安らぎの天使〟もどこまで安全なのか、お腹の底が重いような気持ちでいたんだ。
    「何はともあれ、昨夜のオウルを鎮めたのはノアだ。自分の起こした問題は自分で片づけてる」
    「私も緊急要請の一因だったんだ……ごめんなさい。それからノアにも」
    「ううん、僕もきちんと言えばよかった」
     表情を曇らせるアンジュの背中をそっと抱いた。
     ここ連日、ちぐはぐだった聖地にようやく落ち着く兆しが見えた。

    ◆◆◆

    「はい、フェリクスブレンドのハーブティー」
    「この折り紙にそれが入ってるの?」
     ベッドに座ったままカップを受け取った。水面には小さな黄色い花びらが浮いていて綺麗だ。一方ハーブが収まっていたアシュラの折り紙は身体を開いてしまったので見る影もなく、無数の折り跡が緻密に重なっている。まだ六体あるけど、もったいない気持ちが勝った。
    「そう、寝る前に飲むと身体が温まるからいいだろうってくれたの」
     アンジュが隣に腰を下ろしてベッドのスプリングが鳴る。パチリと照明を一段階落としてキャンドルのように柔らかい灯りが彼女の顔に影をつくった。
    「いい夢が見られるようにできること、まだあるの」
     二人してハーブティーを一口、二口。あたたかい液体が身体の内側から温めてくれる。
    「ノアはどんな夢を見ているの?」
    「……みんなが眠りについてしまうんだ。きっと僕が命を奪ってる。聖地の人たちから始まってユエやカナタ……そして最後に君」
     口に出したらこの宇宙のどこかでそのスイッチが入ってしまいそうで怖かった。
    「いつからその夢を?」
    「ここで一緒に寝るようになってすぐ」
    「じゃあ大丈夫よ!」
     なんてことない、そんなふうに笑うアンジュ。
    「ノアはね、みんながいなくなるのが怖いのよ。以前よりずっとみんなを信頼している証だよ。私たちは絶対にノアのサクリアなんかでは死なない、微量であれば人も大丈夫だって今回証明されたくらいだし」
    「……そうかも」
     口に出したら僕の中でそのスイッチが入るように。
    「アンジュも夢、見るんでしょ。ロレンツォから聞いた」
     ついでに今日のパーティーで出た料理について感想を求められた。
    「あー、私のは本当に仕事に追われる夢だから」
    「僕らで分担できそうな範囲をもっと増やすって言ってたから、明日から大丈夫だよ」
    「助かります」
     ハーブティーが飲み終わるまでの間、僕らは話し合った。オウルで見聞きしたもの、バブルバスの作り方、今日もらったプレゼントたち。そんなに長い間離れていたわけでもないのに共有したいことがたくさんある。僕の知らないアンジュを聞くと満たされた気分になる。ざわついていた夜が僕と彼女の声だけになる。二人で眠った夜は変わらずあたたかかった、深い触れ方をした夜はもっと騒がしかった。今夜は胸がゆっくりと鼓動を刻んでいる。君とこうしているだけで僕は嬉しいんだ。
     身体を温めて、身体に溜めていたものを吐き出して。
    「ありがとう、アンジュ。大好き」
     身体を温めて、身体に幸せを詰め込んで。
    「おやすみノア、いい夢が見られますように」

     ◆◆◆

    ――ピピピ、ピピピ
     顔を上げずに手探りで音の発生源に手を伸ばす。
     サイドテーブルに置いてあったタブレットをベッドの中に引きずり込んだ。寝起きのシパシパの目にもタブレットのディスプレイは優しい。眩しくはない程度の光で、きっとブルーライトも百パーセントカットされてる。
    ――遅くにすみません。緊急要請です、守護聖様を派遣してください。
     昔は社交辞令の「すみません」というのは予防線のようなものだと思っていた。これから話す内容がどんなであれ怒られないようにするための緩衝材。タイラーはそんなこと思ってないか。
    「どこですか?」
     ポチポチとチャットを返す傍ら、隣のノアが起きる気配はない。これで朝まで起きずにいられれば偽物の〝安らぎの天使〟も無駄ではなかったことになる。私は彼の白くぷっくりとした頬を撫でた。
    ――オウルです。民衆があるものを求めて暴動を起こしかけています。
    「あるもの?」
    ――人呼んで〝女王の誇り〟これを飲めば元気百倍。勇気千倍。身体は人ならざる力が漲り、精神はなんとなく女王の気質が宿る、かも。
    ――すみません、サイラスさんが出てしまいました。今回は既に犯人が分かっています。
     ポコンという通知音がして、チャットに参加するペガサスのアイコン。
    ――俺がエナジードリンクをホテルに忘れてきた、すまねぇ。
    「ユエーーーーー!」


    End.
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