きっと菓子より甘い君「ハッピーハロウィーン!トリックオアトリート!」
とある星のとある街の大通りの入口。
派手なメイクにゴシックな服を着た女性は、穹へにこやかに小さなバスケットを渡しながらそう唱える。
突然の事に穹が戸惑っていると、骸骨を思わせるメイクと服を着た男性が手にした菓子の包み紙を剥がした。
現れたのはブロック型のチョコレートで、それを穹の口へぐいっと押し込む。
穹がチョコを食べバスケットを持ったのを確認し、男女は何かを期待するような表情で穹をじいっと見つめた。
脳裏に過ぎったのは、この星へ降り立つ前に丹恒が話していたとある風習についての話。
「…えっと、はっぴーはろうぃん…『トリックオアトリート』?」
穹の言葉にイエーイ!と男女は嬉しそうに破顔し、それぞれお菓子を出して穹のバスケットへ入れる。
小さなキャンディと、もう一つはマドレーヌだろうか?
ひらひらと手を振って去る二人に見送られ先へ進んだ穹は、近くの雑貨屋らしき店のショーウィンドウを覗く。
硝子に写ったのは、いつも通りの自分に生えたふさふさの耳と尻尾。
オオカミ、だろうか。
「さすが俺、似合ってるな」
この星には、ハロウィーンという風習があるらしい。
この星に限ったものではなく、この星系でよく見られるものらしい。
秋の終わりに行われる野菜や果物といった作物の収穫祭であり、この時期には祖先の霊が現世に帰ってくると信じている者達が、悪霊に連れていかれないようにと人外のふりをする日…だそうなのだが。
「うーん、見渡す限りのコスプレ…」
未だ古き風習本来の形を保っている土地もあるそうだが、少なくともこの街ではただ仮装してはしゃぎまくるイベントと化している。
『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』と唱えれば、みんな笑顔でお菓子をくれるのだ。
ただし自分もそう唱えられる事があるし、その時お菓子を持っていなければ何かしらのイタズラをされると覚悟しなければならない。
街の入口で穹に耳と尻尾が生える不思議なチョコレート、そしてバスケットとお菓子をくれた男女は、手ぶらで来た余所者の穹が変なイタズラの餌食にならないようにと気を使ってくれたのだろうか。
始めに出会ったのが優しい現地民で本当に良かった、もしくは穹のような者の為に彼らは街の入口で待機しているのかもしれない。
ナナシビトらしく環境に適応してそれなりの量の菓子を強奪し…ではなく貰ったり、強奪され…ではなく人にあげたりしながら街を歩く。
すると、賑やかな街の中に見覚えのある姿を見付けた。
壁に背を預け腕を組み、目を閉じて静かに佇むその姿は、正しく星核ハンターの一人である刃その人だ。
「じ、」
思わず名前を呼びそうになり、ハッと口を塞ぐ。
人通りの多いここで【星核ハンター】が居るなどと騒ぎになれば、どんな事が起こるか分からない。
そう考える穹をよそに、街の人々は特に刃を気にする素振りも見せず行き交う。
中には刃を見る者もいたが、『完成度たけー…』とだけ言って去っていった。
…なるほど、人外怪物だけでなくアニメキャラや芸能人らしきコスプレも溢れているこの場所では【星核ハンターの刃】も立派な仮装と見られるらしい。
それにしたって、騒がれる心配はあまり無いとしても何故彼はこんな場所に堂々と佇んでいるのか?
思いも掛けない場所で出会えた嬉しさと好奇心とを抱きながら、穹は刃へと駆け寄った。
「刃、こんな所で奇遇だな」
「…お前か」
ちらりと片目を開いた刃が静かに呟く。
穹の方へ顔を向け何か言おうとしていたが、その視線が穹の頭へ向けられた途端言葉が止まった。
視線を感じて自分の耳がぴょこぴょこと動くのを感じる。
この耳、それに尻尾も、実は感覚があったりする。…どういう仕組みで出来ているのだろうか?
「…それは、どうした」
「えっと…なんか入口でチョコ食べさせられたら生えたというか」
「…………」
呆れた表情で『もう少し警戒心を持て』だのと忠告されるかと穹は構えていたが、予想に反して刃はじっと穹の頭に生えたオオカミの耳を見つめるだけ。
その目があまりに遠くを、…穹も現在も通り越して、ずっと"遠く"を見ているように感じて。
無性に、腹が立った。
「刃ちゃん」
呼ぶな、と言われた呼び方をあえてする。
それでも反応薄くぼんやりと何処かを見たままの刃の胸ぐらを掴み、引き寄せ、唇を重ねた。
曼珠沙華の色をした瞳が見開かれ、ようやく穹を見る。
周囲からヒュウ、と冷やかしの口笛が聴こえたが、気にせず刃の下唇を甘噛みしてぺろりと舐めてから顔を離した。
「可愛いオオカミ男と化した俺が目の前にいる訳だけど、何か言うことは?」
「…何を妬いている、小僧」
不満を全面的にアピールしながら問い掛けるが、返ってきたのは癇癪を起こした子供を宥めすかすような声色。
ようやく意識をこちらに向けてくれたのはいいが、可愛い自分を無視してこの場にいない"誰か"を見ていたことに対する謝罪が無いのはいただけない。
そんな思いから『もういい』とむくれてその場を去ろうとした穹だったが、その瞬間腕を掴まれてぐっと抱き寄せられる。
「お前を見なかったことは詫びる、だからそう悋気を起こすな」
「…謝るだけ?他には?」
「少し待て」
穹を抱いたまま、刃は端末を取り出し何処かへメッセージを打っているようだった。
おそらくは、此処で誰かと落ち合う予定だったのだろう。
その誰かへの連絡を済ませてから、刃は穹のふさふさな耳へ口を寄せ囁く。
「暇を作った。…望み通り、存分に愛でてやる」
刃の手がするりと穹の腰を撫で下ろし、尻尾の根元を指先で擦る。
ぴりりと身体の芯が甘く痺れ、色とりどりのお菓子の入ったバスケットが地面に落ちた。
吹き込まれた声に滲む熱に、腹の奥がきゅんと鳴く。
遠くの方から子供の『トリックオアトリート!』という元気な声が聞こえた。
見つめ合う二人が、どちらからともなく笑う。
「菓子は要らない、お前を食べさせろ」
「…うん、めしあがれ♡」