越に家に誘われる仙の話「……今度、ウチの家族が旅行行くんだけどさ」
「うん?」
ようやく入った休憩で汗でびしょびしょになった顔をタオルで拭いていると、俺と並んで体育館の壁に寄り掛かっている越野が話しかけてきた。コートに向かって独り言のように呟くものだから、聞き返すような曖昧な相槌になってしまった。
「俺は部活休めねーから留守番なの」
「あらら」
「……だからさ。その日、家に俺一人なんだけど」
「うん」
「…………」
チラリと横目で確認してくる越野に小首を傾げる。
「……っ」
顔を正面に戻し、口をすぼめて宙を睨みつける越野の言いたいことは何となく察してる。だからこそ越野の口から聞きたくて、もの言いたげな彼を黙って見守った。
またジワリと浮かんできた汗粒を拭いていると、深く息を吐いた越野がようやくこちらを見上げてきた。
「俺ん家、泊まりに来る?」
上目遣いの瞳は緊張が滲み揺れている。ぶっきらぼうな声色と顰められた眉には普段の自分を取り繕おうとする努力が見えたが、赤みを帯びた耳のせいで台無しだった。
「あ、そういうこと?」
素知らぬ顔で答えると、口をへの字にした越野は不機嫌に鼻を鳴らした。だけど先程までの張り詰めた感じはなくなっていた。
「いつもお前ん家に邪魔してばっかだろ? ずっと悪いと思ってたんだよ」
それは単に我が家が都合がいいだけなのだが、生真面目な越野らしい考え方に頷く。
「でもウチは大体家族居るし。こういう時じゃないと呼べないから」
「逆にいない時に行っても平気なの?」
「それお前が言うなよ。あと一応、親はいいって言ってっから」
なんだ、もう準備は出来てるわけね。最初から呼ぶ気満々じゃん。それなのに誘うだけであんなにガチガチになってたの?
ムクムクと湧き上がる愛おしさを隠して笑顔を作る。いつものペースは崩さない。
「じゃあせっかくだしお邪魔させてもらおうかな」
「おう」
そっけない返しだったが、当の越野はホッとしたように顔を綻ばせていた。
「晩飯はウチで出前取れって言ってたから気にすんな」
「マジで? それは助かる」
あからさまに明るくなった声色で話す越野が、「あっ」と思い出したように付け加えた。
「ただお前が入るサイズの服は家にないから。寝巻きだけは持ってこいよ」
「……いる?」
「え?」
俺の疑問符で澱みない喋りが止まった。きょとんとした越野はすぐに目をパチクリさせて焦り始めた。
「は? え、なっ、お前、何考えてるんだよ!」
それは俺にとっては想定外の反応だった。胸の前で開いた両手をワナワナと震わす越野に思わず冷静に訂正を入れる。
「いや、わざわざ持って行かなくても次の日の練習着でも着てればいいやと思っただけなんだけど……」
口を開けたまま固まった越野の顔は見る見るうちに赤く染まっていった。
「あ、あー……なるほど……うん、そうだな」
床に視線を落とした越野はコクコクとロボットみたいに頷くばかりだ。
俺の事、意識しちゃって。優しくしたいのにこんな反応されたらまた意地悪したくなるだろ。
乱れたセンター分けから覗く赤い耳を見下ろしていたら、自然と目が細まっていた。
俺はテンパったままの越野にゆっくりと囁いた。
「越野こそ何考えてたんだよ、スケベ」
「んなっ……!」
勢いよく顔を上げた越野は、はくはくと口を動かしながら涙目でこちらを仰ぐ。首まですっかり赤く染まって、白いTシャツにはよく映える。ムキになってタオルで引っ叩かれるが、今の俺にはそれすらも可愛いと思えてしまった。